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世界は夢でできている

01.光線



 ある小山に建つ一軒の小屋の窓から一本の腕がすっと出てきました。その先は遥か遠い空を指しています。それからすぐに子供も身を乗り出してその窓から顔を覗かせます。
 腕を伸ばした母はそのまま、子供に柔らかい声で言いました。

「あの辺りからね、光が降り注いでいるのが見えるでしょう?」

「うん」

「ああ、光の元は直接見てはいけないわよ」

「どうして?」

「それは失礼な事で、私達が強い神様の力に負けてしまうからよ」

 空は向こうまで蒼ですが、所々に千切れた紙屑のような固まった霧が流れています。その中で一つだけ、かっと輝く太陽がありました。それが辺りへと光を振り撒いています。
 もうその信仰は廃れてはきているのですが、昔からこの親子の住む辺りでは、太陽を神と崇めていました。ですから、時折それを元に感謝や叱咤をして躾をする事はよくある事でした。

「あそこから神様が私達に光を下さっているの。いつでも神様は見ているのよ。私も、あなたの事もね。だからもう、悪いことはしちゃダメよ」

 町に売りに行くはずの縫い物を駄目にしてしまった子どもは八の字にした眉とへの字にした口で力なく言いました。

「ごめんなさい……」

 あんな高いところから自分達の昼を満たすほどの光を落としている。その凄さも有り難みも感じた子どもは、元々自分の罪を認識していたのもあってすっかり反省しました。
 母は子どもの小さな頭を優しく撫で上げました。
 子どもは心地良さそうに目を細めて、それが終わるともう一度窓の外を見ました。今度は身を乗り出さずにじっと。
 そして、降り注ぐ太陽の輝きは心の中に強く残りました。子どもの頃は細やかな事も時にとても大きく感じるものです。

 数年経っても親子は小山の上の小屋の中で住んでいました。
 仕入れた布を山の中にあるもので染め、木彫りの飾りを縫い付けた衣服や飾り物を売って生計をたてる暮らしです。成長した子どもはよく母を手伝い、母もそんな子供を変わることなく愛していました。
 ところがある日、母は重い病に倒れてしまいました。
 暮らすには困らない生活でしたが蓄えはなく、町から医者を呼べるほどのお金も馬鹿高い薬を買うお金もありません。
 生活を切り詰めて漸く買える簡単な安物の薬だけを持ち帰っても、勿論母は一向に良くなりません。
 子どもはあの時から心のどこかで信じていた神様に祈り続けました。

「神様、どうか母さんの体を元に戻してください。痛い思いをさせないでください」

 何度も何度も。
 子どもは必死に祈りました。
 毎日祈り続けても母の臓腑から吐き出されるような咳は続くので、子どもは直接祈ることにしました。
 するとどうでしょう。暫くして母は自然に回復し、床に伏せる事は無くなりました。
 子どもは神様に感謝しました。
 けれど母は神様を恨みました。そして、その神様を教えた自分も。

「神様を見てはいけないと言ったのに……」

「直接祈ったからこそ母さんを治してくれたんだよ。神様には感謝しなくちゃ」

 例え母が二度と見れなくなったとしても。
 けれど神に直接祈る事を試練として願いを叶えたのならば、子どもの視界を奪った代わりに母の病を治したのならば。幸福と同時に深い不幸を残すならば。
 それは悪魔と、一体何が違うのでしょう。 

「ああ。神は本当にいるのでしょうか……?」

 居たとして、神とはなんなのでしょうか。
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