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本編

 神月(かみなづき)……つまり、十の月の始めにあたるその日。
 朝も早く、薄く霧のかかった養育屋敷の前には四つの影があった。旅の装いをして荷物を背負った豊と鬼壱。その二人に向かい合う篠子と慎之介だ。

「いいのか?本当に何も言わないで」

「大きい子ならまだしも、小さい子は泣いちゃいそうだからね」

 あははと小さく豊は笑う。
 言おうが言うまいがきっと知った時には誰か彼か泣くのだろうが、やはり子供達には言わないままに京古を出ていくと決めた。知っているのは送りに来た大人の二人だけだ。
 忍者は結婚の報告をしたと同時に辞めたし、状況も安定しているから特に面倒な引き継ぎも無かった。
 ただ、その挨拶の場で上司に今後どうするのかと聞かれた時には、豊も曖昧に笑うしかなかった。

「篠母様……ううん、篠子さん、今までお世話になりました!」

「はいはい、本当に沢山お世話したわね」

 普通ならここは軽く笑って受け取るだけのものだが。篠子はうんと気持ちを込めて言う。
 本当に豊の事は大切に育てて来たし、ここが暫くの……もしかしたら、最後の別れになるかもしれないのだ。
 例え普通の少女と青年でなく鬼と元忍者であろうと、旅と言うのは過酷なもの。むしろ、それが原因で困難になる事もあるだろう。

「……だから、何時何処にいたって豊は私の子供よ。困った事があったら悩まずに頼りなさい」

「……はい!」

 本当に嬉しそうに、豊が笑う。それを柔らかい表情で眺めていた鬼壱にも篠子の言葉が降ってくる。

「キイチ君も!」

「えっ!あ、はい?」

「豊の夫なんだから、私の義理の息子になるんだからね。貴方も、困る事があったら何日でもいらっしゃい」

「……はい」

「まあ、たまに二人一緒に顔見せに来てくれたら一番良いのだけれどね」

 それが簡単な事ではないと知っていても、ふふっと篠子は大人らしい笑みを溢した。

「慎之介さんも、お世話になりました!……と言うかこれからも子供達がお世話になります」

「いや。此方こそ。……キイチ」

 慎之介は寂しそうな、愛しそうな、しかし後悔はない表情で豊に返す。そして鬼壱に向き直った。

「豊を頼む」

「……ああ」

 それだけ。二人の別れはそれだけでよかった。




「――じゃあ行ってきます」

 門の傍まで見送られると、豊はびっと姿勢を正して篠子と慎之介に言った。
 四人はそれぞれに笑い、その後二人は背を向ける。
 ざり、ざりと小石や砂を擦る音がし始めて……

「――豊!鬼壱!」

「太一!?咲も!」

 脇をすり抜けていく小さな二人に篠子も目を丸めていて、彼女も知らなかったのだと察せる。
 はあ、はあと息を切らせた二人の少年少女に豊達の足は止まり、そこで息を整える暇が出来た。
 ふう、と最後に一息して落ち着かせた後喋りだしたのは咲だった。

「大丈夫、他の子達は起こしていないから」

「そっか……」

 いつもと変わらず察しがよく大人並みに気の利く咲だが、それでも少しだけ寂しそうな顔をしている。

「お見送り、したかった」

「……有難う、咲」

 しかし引き留める気はないようで、そう言った咲はただ豊に頭を撫でられていた。
 太一はと言うと、咲とは違いむっと拗ねている。別に二人の門出を祝わない訳ではない。ただ、

「咲が起こしてくんねぇと、俺、見送りも出来なかったぞ」

と言う事で怒っていたのだ。

「ごめんね太一。小さい子達が悲しむかなと思って……」

「……俺だって悲しいよ……でも、気を付けて行ってこいよな!」

 そしてにっと笑って言う太一も引き留める気はないらしい。
 ただし。

「鬼壱!」

「あ?」

「……絶対に豊を守れよな」

 びっ!と鬼壱を指さして言った。慎之介は自分の言ったのと同じ事を子供らしく言われて、少しだけくっと笑った。
 見送りの言葉を散々受け取って、鬼壱と豊は門番に近付く。
 勿論鬼壱は人の姿をとっているから問題はない。

「すみません、外に出たいのですが」

「旅に出るのか」

 見送る人達を見てか二人の格好を見てかそう門番は聞いてきた。どうやら豊の顔は知っているようだ。
 しかし特に深い関係ではなく、「はい」と頷くと門番の男は声を上げ、簡単に門を開けてくれた。
 二人がその外に踏み出す前に、すとっと落ちてくる影。

「や、豊」

「燐姐!」

「そんな素振りも無かったのに、豊が結婚してすぐ辞めちゃうなんてさ。もしかして……って思って、ちょっとここ数日の門見張りを代わって貰ったんだ」

 固そうな赤髪ににっと安心できる笑顔をするのは八岡燐。彼女にもまた旅に出る事は言えなかった。
 けれど結婚し、突然忍者を辞めてしまった豊。しかもその様子がどうもどぎまぎしているとなると少しの予想がついてしまったようだ。

「結婚式には呼べなくてごめんね」

「いんや。豊の家にも色々事情はあるだろうしさ、仕方ないよ」

 それよりも、と豊の隣を見上げる。忍者仲間でも気に掛けていた豊を任せる相手だ。式に行けないのは仕方ないにしてもそこは気になっていたらしい。
 燐は鬼壱を数秒視界に入れた後、

「ん。いい男じゃないか」

と溢した。
 その言葉を聞き、豊はばっと鬼壱に抱きつく。

「燐姐でも鬼壱は駄目だよっ!」

「誰も盗らないよ」

 べた惚れだねぇとはははと笑う燐。豊の者を盗れるはずがないし、幾ら豊だって簡単に他の女について行くような男と旅立ったりはしない。そんな事、少なくない時間を付き合った燐にはわかっている。

「二人で旅立つんだね」

「うん」

「行き先は?」

「決めてない!」

「だと思った」

 こんな朝からこっそりだ。養育屋敷の人間にも言ったのかどうか、と燐はそこも見透かして肩を竦めた。

「じゃ、そろそろ行くね……っとそうだ」

「ん?」

 ひそっと燐の耳元で囁く豊。

『鬼壱は妖なんだよ。だから皆を呼べなかったんだ』

 家族同様。忍仲間でも燐には言っておかなければいけない気がして。

「じゃ、行ってきまーす」

 豊はそれだけ言うと、鬼壱の手を取って走り出した。もう片方の手ではきちんと燐に振りながら。

「……行ってらっしゃい」

 養育屋敷の人間からこっそり聞いた、豊の恋のお話。一時はどんよりと暗くなった顔に今の溢れんばかりの笑顔。それが豊にとっての鬼壱の存在だ。

「あんたが幸せなら、いいさね」

 “燐姐”はそう呟いた。
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