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本編

 見馴れた樹の下、地べたに座って焼き魚を食べる鬼と少女の姿。そこは座るために整地された場所ではないけれど、二人は一向に気にしなかった。特に豊は、空きっ腹に染み渡る旨味と温かさに感動してそれどころではない。
 鬼壱はいつも通りに食べているが、美味しそうに食べる他人の姿は目を惹くもの。数口食べてから豊を見つめて、また少しかじっては眺めて、という状態だ。

「ご馳走さまでしたっ!」

 そんなだから、先に食べきった豊はにこにこと満点の笑顔で鬼壱に礼を言う。一方の鬼壱は適当に言葉を返すと少し黙り込む。手にはまだ三分の一ほど残った魚をぶら下げて。
 鬼の鬼壱だって、礼を言われて嫌な気持ちにはならない。だが、その前にあった事を忘れるほど良い気持ちにもなれない。

 別に人間が、豊が妖に襲われようと鬼壱には関係無いことだ。それは今まで普通に行われて来たことなのだから。鬼壱自身は参戦しないでも、夜に町の方へ出ていく妖なんてもう何度も見てきた。止めるでもなく応援するでもなく、気ままに樹の上から眺めていた。
 だから忠告するのもおかしな事なのかもしれない。けれど鬼壱は再三豊に言ってきた。

「だから言ってたろ。俺は妖でお前は人間なんだ」

「……あ、さっきの事!有難うね、鬼壱」

 また鬼壱の目の前にいる少女は、笑っている。
 違うだろ。そうじゃないだろ。鬼壱は言いたい。
 聞きたいのは怖かったとか、もう来ないよとか、そう言った類いの言葉だ。

「子鼠の妖術だって危ねェ。だが、奥にはもっともっと危険なヤツだっているんだぞ。昔は社もあったし、この森は広くて心地好い。奥にゃ山だってある。色んな、しかも強力な妖が存在している」

 鬼壱のような鬼や、先程の鼠は勿論。狐に狸、化け猫も河童も神様に成りうる蛇だって。森は妖にとって絶好の環境で、人間が町からそこに妖を追い出したのだから多種多様な妖がうじゃうじゃしているのだ。
 それが殆ど人間を憎んで、或いは別の理由によって奥深くで眠りに就いているだけ。
 豊のような無力の少女など、本来は格好の敵……否、餌である。

「もうここには来るな。特に奥には絶対に入るな。妖を起こしたらお前なんかすぐに終わりだぞ」

 キリリと、鋭く冷たい視線を送ったつもりだ。
 けれど、不思議な少女の豊にはまだ、温かい視線に見えたのかもしれない。

「キーちゃん、心配してくれるんだね!有難う、嬉しいっ」

 えへへと拍子抜けするような笑い方をすると、豊はばっと鬼壱に抱き付いた。突然でその上座っていたからか、鬼壱の背中はどさりと草と土に付く。豊が押し倒した形だ。
 ――しかし、そうなると。
 鬼壱の手より数尺先には、まだ香ばしい匂いを幾らか発している三分の一のお魚さんが倒れているわけで。

「豊……手前ェ……」

「あっ」

 今気がついたように声をあげる豊。否、本当に今気がついたのだ。
 だって次の瞬間、彼女は笑うのだから。

「鬼壱が初めて名前読んでくれた!」




 照れたのか本当に怒っていたのか、鬼壱との馬鹿みたいな追いかけっこが終わり、日が暮れてくると豊は家に帰る。
 そして粗末な食事を終えたら一日の終わりだ。
 他の家族は床について、豊も勿論薄っぺらい布団に何とか潜らせて貰っているけれど、まだ真っ暗な夢の中には潜れないでいた。
 鬼壱と一緒にいたい。それに、この貧しさに困っている家も救いたい。けれどそれらを叶えるには障害も多くて、道のりは限られていた。

 目を閉じる。まだ、夢を見るまで時間があった。

 その間に浮かぶのは豊が虐められていた場面。森の中で妖術に掛かり、鬼壱が治してくれた場面。家族が皆自分と同じ襤褸を着て、母が悲しそうに笑っている場面――一枚の、紙。

 自分が強くあれば虐められても追い返せた。妖術だって気にせず森を歩けるかもしれない。稼ぎだってきっといい。彼ら、彼女らに私と同じ気持ちは味わわせたくない。
 そう決意した頃にはもう、少し意識が淀みの中に溶けていた。
 意識のはっきりした切れ目なんて豊も覚えてはいないが、はっと目蓋を開けたら瞬間には、外からの陽が射し込んでいた。
 目を擦る。ぼうっとした頭と瞳で太陽の光を見つめ、次に視界をずらして同じ部屋に寝た家族が起きていない事も確認する。

「――頑張ろう」

 微笑んだ少女の頭はまだ微かに微睡んでいるけれど、一つの考えはこびりついたままだった。
 その為には体を鍛えなければならない。文字は大体困らないくらいには覚えたけれど、まだまだ覚えた方が良い物事が沢山ある。

 それから豊は森へ行く機会を減らし、その代わり必死に働いた。子供が……しかも豊がやれるような仕事など大抵とんでもなく賃金が安くて、それよりましに貰おうと思ったら町の端から端を駆けずり回るとか、よっぽど力や根気のいる作業だった。
 けれどそれで良かった。
 始めは心配していた家族も、増えた賃金と普段の食卓に並ぶ粕のような芋を見て、何も言えずに受け取った。
 暇があれば自己流の特訓や、見聞きした話を参考にして、兎に角豊は自分を伸ばしていった。
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