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本編

 木の上に登って二人きり。
 小さな頃の豊には出来なかった事だ。ここまで高い木の上に軽々と登る事も、鬼壱とこうして寄り添う事も。
 大きく太い枝は確りとしていて、鬼壱の重みにも豊の重みにも負けることはない。
 ふうっと吹き込んだ風が金色の髪をふわりと揺らす。それらを二つに結わえていた桃色の髪紐も一緒に靡いていた。

「太一、悔しそうにしてたよ。怪我してたし、篠母様にお説教されて今日はついて来られなかったけど」

「……そうか。容体は大丈夫か?」

「うん。ちょっと見た目は派手だったけど、大事になる傷は付いてなかったよ。お説教の最後にはまあ大人になる為の痛みねって篠母様も笑ってたくらい」

「なら、良かった」

 太一から挑まれその気持ちを買っただけでも、あまりに酷い傷でまた養育屋敷の人間に妖を恨まれては困るし、何より鬼壱は太一の事が気にかかっていた。分類すれば煩い餓鬼ではあったが、真っ直ぐに何度も立ち向かってきたあの子供が何だか嫌いにはなれなかったのだ。
 多分太一が悔しそうだったと言うのも、鬼壱と似たような気持ちだったのだろう。

「キーぃちゃん!」

 話が一区切りついたと言うように鬼壱を呼ぶ声。それと同時にぎゅむっと抱き着く豊を、鬼壱はすぐに避けようとはしなかった。
 それどころか、戸惑いながらもゆっくりと、その背中に逞しい腕を回す。豊の腕の力も強くなり、更にぎゅっと二人を近付けた。恥ずかしさにほんのり赤くなっているのを、豊は気付かない振りをして笑った。

「明日は町を歩こう?少しずつ復興してきててね、大体は元の町並みになってきたんだよ」

「……。そうだな」

「……町はまだ嫌だった?」

 鬼壱の淡泊な返しに、豊は不安になってそっと聞いてみる。折角手に入れた幸せを壊したくなんかない。
 けれどそんなものではなくて。鬼壱の想いもそんな簡単に壊れるものではなくて。
 鬼壱は不安そうなその顔をした頭を優しく撫でた。豊はその手を気持ち良さそうに受け入れる。

「そうじゃない。ただ、緊張して……いや、そろそろ覚悟を決めなきゃいけないと思っただけだ」

「覚悟?」

「町に行くなら養育屋敷に挨拶に行くべきだろ。その、豊を、くださいって……」

 抱き着きには誤魔化せたつもりの鬼壱だったが、この言葉の恥ずかしさには誤魔化せる自信はないようで、目を伏せて豊の反応を見ないようにした。涼しい風が顔の熱を浚うまで。
 勿論豊は嬉しくて、枝先に繁る葉ばかりのそこに花を咲かせるようにぱあっと笑った。

「きゃーっ!キーちゃんがそんな事言ってくれるなんて……!」

「う、うるせェ!」

 目を伏せていてもわかってしまう騒ぎ声に思わず怒鳴る。
 それでも豊の嬉しそうな声は止まなかった。

「篠母様きっと喜んでくれるよ。壊れちゃうかも」

「あー……」

 鬼壱は初めて養育屋敷を訪れた時の事を思い出す。あの慌てっぷりに騒がしさ。この豊さえも参ってしまうほどだった。
 苦笑いを浮かべてしまうが、それだけで済むようになった自分にもその苦笑いを向ける。

「それから、本当の事も話さなきゃな」

「うん」

 鬼壱は鬼であると。妖であると。
 もしかしたらそれで娘はあげられないと断られるかもしれない。あの篠子であっても少しはそんな結末を考えてしまう。
 しかし鬼壱も豊も気持ちはもう決まっていた。そうなったらそうなっただ。今まで悩み続けていた事が馬鹿らしいくらいに、それだけは決まっていた。ずっと塞き止めていた気持ちが開放されて濁流の様な勢いになり、再び塞ぐのが難しいのだろう。
 押し切ってもお願いし続けても、何だっていい。

「子供達、きっとまた集まって騒いじゃうね」

「仕方ねェ……」

「あはは。キーちゃんちょっと遠い目してるよ?」

「豊の気のせいだ」

 会話がそこで止まる。鬼壱は次に出す言葉の為に、逢い引きで訪れる順を考えている。知っている場所など前に訪れた場所しかないけれど。
 しかし豊は別の事を考えていた。逢い引きは楽しみではあるが、もっと先の事を。

「ねぇ、鬼壱。結婚したら、旅に出よっか」

「……は?」

 また少女は突拍子もない事を言う。まずは友達から、鬼壱が好き、自分を貰って。その次は旅に出ようとは。鬼壱の意表を突かれた間抜けな顔は一体豊に何度見られたことだろう。

「だから、結婚して、二人で旅に出るの!名付けてゆたちゃん幸せ家族計画っ!」

「……はぁ」

 呆れる声が自然と出るほどに馬鹿げた計画名だ。しかし中身は豊が真面目に考えた事だった。

「鬼壱が森で暮らして、私が森に来る。それか、鬼壱がずっと人に化けて京古で暮らす。どちらかだと思うの。でも、後者は無理か、無理じゃなくても大変でしょ?何時までも気を抜かず妖力を使い続けるなんて」

「そりゃあ、まァな……」

 町人全てに妖が恋人でも良いと認めてもらう事は流石にできない。そして幾ら鬼壱と言えど、一年中一時も休む暇なく妖術を使い続けられるはずもない。だから、次はそのどちらかだ。

「森に来る事は苦じゃない。だって今までもそうして来たもん。その時間が長くなるだけ。でも今、この森には妖がいなくなった。多分皆、森に入り込んで来る。鬼壱がこの森に居続けるのも難しい」

「豊……」

 それは鬼壱も考えていた事だ。豊とこうならなければ、一人他所の国へ逃れようと。
 しかし今は豊と一緒だ。そして豊には鬼壱と違って日ノ本に大切なものがある。

「お前……養育屋敷の奴らはどうするんだ。篠子さんや子供達がいるんだろ」

「篠母様には結婚の挨拶と一緒に相談してみようかと思って。もう妖に困らせられる事は少ないと思うの。お金は……これ、使わせて貰ってもいいかな?」

 そう言って豊が取り出したのは翠の宝石だった。前に京古を訪れた時、鬼壱が代価として渡したものだ。あれから暫く経っているはずなのに、豊は換金せずにずっと持ち歩いていたのだ。

「まだ持っていたのか」

「勿論。でもそれで手放す事になっちゃうけどね」

 ぎゅっと宝石を握り締める豊。あまりに大切にされているもので、鬼壱には逆に申し訳ないくらいだった。

「……お前に換金しろと渡したんだ。好きにしたら良いだろ」

「えへへ、有難う。それと合わせてお給料全部置いていけばきっと当分の間は持つと思うんだ。今回の件で色々と出たから。その内に子供たちが稼げる年になる。それも、私の時とは違って何人も」

 豊の小さな頃はまだ養育屋敷の人間は少なくて、それでも今も昔も変わらず大人は篠子だけだった。豊が稼ぎ手として成長した今もまだ他の子供たちは年が足りない。でも、あと少し生活できれば良い。
 旅は過酷かもしれないが、忍者の豊ならば体力はある。これは本当に豊が真面目に考え出した事なのだ。

「豊」

「うん?」

「無理だけはするなよ」

 尤も何が起こるかわからない旅で無理をするななど難しい事だが、わかっているのだか鬼壱の想いに応えたいのか、豊は笑顔で返した。

「うんっ!」
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