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本編

 どさっ。と、土や擦り傷から滲む血に塗(まみ)れてぼろぼろになった太一が、物のように地面へと落ちた。息はしているし、実際には骨が折れたり深い切り傷があったりという重傷ではない。しかし、豊の目に映るその姿は太一が負うには大変な怪我であった。
 もう起き上がる気配も恨み言をいう気配もないと知るや、豊は駆け出して太一を介抱する。懐にいつも持っている少しの傷薬を塗ってやり布を巻き付ける。本当は川原に運んで汚れを洗ってやりたいが、今太一を動かすのは可哀想にも思え、軽く拭って血止めをしてやるのが精一杯だった。
 それをそこから動かずじっと見ていた鬼壱も、豊の手当てが終わるとゆっくりと近付いた。

「……豊」

「鬼壱……」

 太一を見ていた豊が振り向く。こんなに近くにいる鬼壱に安易に手を伸ばせないのがとても悔しくて切ない。

「もう会わないって言ったよな」

「……ごめんなさい」

「森に来るなと何度言えばわかるんだ?」

「…………ごめんなさい」

 鬼壱の顔は同じ言葉を告げた以前と変わらない真剣な顔。笑っても、柔らかく呆れてもくれない。
 でも、豊はもう悲しく思って立ち尽くすだけはしない。
 少し伏せてしまった目を、確りと鬼壱の金色の瞳に合わせる。

「でも、その言葉は聞けない」

 豊は強く、はっきりとした言葉を向けた。
 多少なり食い下がってくるとは思っていた鬼壱もこれには目を大きく開く。

「お前……」

「森や町での戦い、慎之介さんの事、太一の事……。どんなに私が大丈夫と思ったって鬼壱が昔から言ってきたように、私と鬼壱の……人と妖との間には難しい事が色々あるのはもう十分に体感してる。でも私、それでも鬼壱が好きだってこと、諦めきれないの」

「こんな風になった太一を見てもか?」

「そうだね……。太一には本当に悪いことをしちゃったと思う。私が太一の気持ちに甘えたばっかりに、こんなに傷付いて……それでも私の気持ちは今も消えてないんだ」

 結局二人を止められなかった。それは豊の事を好いてくれる太一の気持ちに甘えての事だ。豊が鬼壱を諦めていればこんな葛藤はする必要がなかった。あるいは太一に嫌われたままでも良ければ、そのまま太一との冷たい仲を続けていれば戦う必要なんてなかったのかもしれない。
 二つを諦められなくて、その結果に太一が傷付いてしまった。そんな身勝手な話でも二つを失いたくない。そして諦めない事を選んだのは、豊自身だ。

「慎之介はどうするんだ?」

「慎之介さんとはちゃんと話したよ。話した上でここに来た」

「……そう、か」

 そう言われて、鬼壱には何となく慎之介との会話がわかった気がした。目の前にいる豊の考えはいつまで経っても読めないが、同じ人を好きになった所為か、慎之介とはその辺の事が何処か通じている気がしている。
 多分まだ諦められていないが、それでも本当に自分と豊の仲を認めてくれているのだろうと。

「ねえ、鬼壱」

「……。何だ?」

「太一が勝負する時に言っていた言葉、覚えてる?」

「……豊を賭けて、俺と勝負しろ……か」

 溜め息混じりに鬼壱は言った。その時の顔は以前のような呆れ顔で、まるで今までの強がりを手放してしまったようだった。
 豊にとっては覚えていてもいなくても良い言葉。どちらにせよもう鬼壱と一緒にいる事を納得させるつもりでいたのだから。それでも、その言葉と表情に豊はほうっと胸を撫で下ろした。

「ね、鬼壱」

「何だよ」

「私のこと、貰ってくれる?」

「なッ……!」

 にこりと笑う、久々の心から鬼壱に向けられた笑顔。
 確かに、勝負で賭けられたのは豊だ。参ったと言っていない太一に今の勝負は無効だと言われればそれまでだが、この雰囲気でそんな屁理屈のような事を言う気はないだろう。
 だが、この言い方では、まるで違う事を言っているようにも聞こえる。そして一気に赤くなり、声をあげた鬼壱には未だに笑顔が向けられている。

「ねえ、鬼壱」

「そ、それは、どういう意味だ?!」

「どうもこうもないよ!私を貰ってください!きゃっ、恥ずかしいっ」

「お前、冗談で言って……」

 冗談で言ってるのか?と聞こうとして、はっとした。
 きゃあきゃあと恥ずかしがっている豊に遊んでいるような言葉だが、豊は先程から

鬼壱の名前を呼んでいるのだ。

 キーちゃんと呼ぶような冗談ではないと気付いて、鬼壱の赤みも動きも止まる。これは歴とした告白で、鬼壱が豊を受け入れるか受け入れないのかを聞いている。
 そう、お嫁さんとして貰ってくれるか否かをだ。

「……豊。さっきも太一や慎之介の事を聞いたが、本当にいいのか?それに養育屋敷や仕事だってあるだろ」

「うん。わかってる。その上で言ってるの。鬼壱が大好きだから」

「篠子さんや子供達には何て言うんだ」

「篠母様には全部伝える。皆には……まだ、ちょっと早いのかも」

 そっと、傍に横たわる太一の髪を撫でる豊。少し苦笑いをして、でもその口から放たれる言葉は真実だった。

「ね。だから、鬼壱。私のこと、貰ってください」

 あとは、鬼壱が決めるだけ。
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