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本編

 とっ。と音がして二人の視線が前方へと向けられる。
 豊は目をはっと見開いて、太一はにっと挑戦的に笑って迎え入れたのは、待ちわびていた鬼壱の姿だった。
 赤い髪が風に煽られてパサパサと揺れる。尖った耳にも突き出した固い角にも、二人はもう怯える事などない。ただ、豊の喉からは何かを言おうとして出せなかった息の音がすっと出された。

「やっと出て来たな、キイチ!」

 鬼との邂逅から始めに響いたのは太一の声。
 腰に提げていた粗末な木刀を握って、キイチに向かって突き出した。そこから豊も慌てて声を出す。と言っても唐突な太一の行動を咎めるものだった。
 先程までの会話で何がしたいのか、その木刀は森の小動物を追い払う為の物ではない事はわかっている。しかし拒絶されて暫くぶりに出会った鬼壱に、彼が遠くからでも様子を窺える事をすっかり忘れているのだ。

「大体の話は木の上から聞いていた」

「それなら話は早いな。……キイチ。豊を賭けて俺と勝負しろっ」

「ふん、昨日あんなに怯えていた奴の言う台詞か?」

 太一の言葉に鬼壱が腕を組んで鼻で笑う。大人と子供の身長差で見下ろしている形にもなり、太一はそれで膨れる。

「煩いっ!やるのか、やらないのか!」

「……太一……鬼壱……」

 勝負に乗るのか乗らないのか。豊は胸元でぎゅっと手を握り締めた。
 太一の勝負に乗ってしまえば、太一が勝った場合は豊と鬼壱の縁はこれっきりで、鬼壱が今まで説いていた普通の人間と妖の関係に戻る。けれど負けた場合は豊を貰ってやらなければならないのだ。
 どんなに贔屓目に見ても鬼壱がわざと負けない限りは、乗った時点で鬼壱は、豊を受け入れる事になる。約束を反故にすれば別だが、鬼壱がそんな妖だとは豊は思っていない。
 はあ、と鬼壱の溜め息が一つ落ちる。
 そして

「やろう」

と言った。それに豊が驚いて何かを言う前に、太一が口早にこう叫ぶ。

「言ったな、言ったからな!」

「ああ」

 鬼壱を逃さない為の勢いだったが、当の鬼壱は同じ事の繰り返しにうんざりとさえしているようだ。返事は平然と、簡素なものだった。

「で、どうするんだ?」

「簡単だよ。お前か、俺が参ったって言うまで戦うんだ」

「言った方が負けだな、よし」

 方法は簡単だった。しかし決着がつくまでは簡単ではない。どれだけ痛めつけられようと痛めつけようと、参ったを言うまで終わらない方法。賭けている想いが想いだけに、すぐに終わるとは思えない。
 それでも二人はそれを承知の上でそう決めた。

「見てろよ、豊!俺、勝つからな。豊を妖になんか渡さないからな」

「太一……」

「……言ってろ。じゃあ、始めるぞ」

 甘く、しかし力を込めて構えられる木刀。武器は己の体の鬼壱も戦う姿勢になる。
 再び静けさを取り戻した森の中で、風が一吹きした。がさがさがさと木の葉が揺れて擦れ、木漏れ日が煌めくように併せて揺れる。
 太一が先に踏み込んだ。ばたはたばた、と子供の全力の走りで鬼壱の体目掛けて。

「妖なんか、許さない!」

 ぶん!と大きく振られた木刀は鬼壱の手によってぱん、と弾かれ、太一ごと地面に叩き落とされる。

「うわっ!」

「太一!」

 小石と擦れた掌は血が滲む。それでもすぐに起き上がってもう一度構える。そしてまただっと駆け出して、今度は脇腹を狙いに木刀を振るった。

「母ちゃんと父ちゃんの仇ィっ!」

 ひゅんと振った木刀もぱしりと握り止められて、そのままひょいと捻り上げられると突き放された。その勢いで太一は地面にどんっと尻餅をつく。

「俺に勝負を挑んでくる癖に、こんなもんか。諦めたらどうだ?」

「煩い、まだだ!皆妖に苦しめられたんだ!咲も千代も俺も、まだまだいっぱいっ!」

 起き上がり、両手で固く握り締めた木刀。駆け出した後今度は跳んで頭を狙う。すると鬼壱はそれを軽く避けて、反撃が直接太一の頭に打ち込まれた。今まで木刀越しに撥ね返されたものでさえ地面に叩き落とされていたのに、頭にばん!と喰らわされた痛みは、大分手加減されたとは言え自然と太一の涙を滲ませた。

「太一っ!……鬼壱、やりすぎだよ!太一ももう止めてよっ」

「……だってよ。やめるか?養育屋敷の餓鬼」

「やめるわけ……ない、だろ……っ。豊!これは俺の問題なんだ!止めないでくれよっ」

 豊を妖なんかに渡さない。その言葉とは矛盾しているようだが豊にもその裏にある気持ちがわかっていた。
 既に定められた結末は、豊を鬼壱に渡す事だ。豊を幸せにしたいと言う気持ちがあって、それは本当だしそうであるなら豊にも関係はある。だけど、未だに気持ちの整理なんか着かないのだ。

『嫌な思い、思いっきり全部込めてこの木刀でぶん殴る』

 森を歩いている時に言っていた言葉。憎しみも恨みも苛立ちも沢山あって、それなのにどうしようもない。だから、何の解決にもならなくたって。ただ傷が増えるだけだって。
 痛ましい姿に止めたい気持ちがふつふつと沸いてくるものの、豊はそれ以上言うのを止めた。 
 そうして続けられる一方的な攻め。けれど傷を負っていくのは太一ばかりだ。数発受け入れてやるものの鬼壱には軽すぎる痛みで、またちょっと返してやると太一は地面にぶつかっていった。
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