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本編

 妖の森は今日も静かだった。昼の今ならば、それは以前からの光景。昼は妖達も寝静まっていた。そして少女に起こされるまでは同じような日を送っていた鬼は、元の生活にも戻ってはいけない今に、無数にあるような木の上で悩んでいた。

「何処に逃れるか……」

 昨日太一に突き付けられた現実。この森には鬼壱はいてはいけない。
 そしてこの森の妖が死んだのなら恐らく、首都である京古の忍者達は方々に残る日ノ本の妖を退治しに派遣されるだろう。森が一大拠点であり棲み着いていたのが強大な妖だったとしても、妖が生まれ棲む場所は森だけではないのだ。
 日ノ本から出ないのであれば辺境の地に逃れた方が良い。そうじゃなければ他国に行くしかない。

 鬼壱自身が平和に暮らす為にも、豊に会わない為にも。

 以前読んだ本で僅かに知った外の国のことを考える。様々な知識は持っているが外の国の事となると、森を殆ど出た事のない鬼壱では限りがあった。

「西の翠霞か、北の影林か、東の白崎か……」

 取り合えず日ノ本周辺の地図を浮かべて、隣接した国の名を呟いてみる。しかし全く宛も目的も無くては決められるはずもなく、何となく首を振った。
 その直後に、鬼壱の尖った耳がぴくりと動いた。

「ねぇ……ち。やっぱ……ない?」

「あ……しは……イチ以外……いんだろ?」

「それはそう……けど……」

 まだ遠くで微かだが、妖である鬼壱の鋭い耳が風に紛れた声を掠め取ったのだ。それは少女と少年の声。どちらも聞き覚えがある。と言うよりは忘れられるはずもない。
 片方は昨日出会ったばかりの少年で、もう一人は――

「もう会わないって言っただろ、豊……!」

 あまりの想いにぐっと歪めた顔で鬼壱は小さく叫んだ。
 昨日会ったばかりの少年は妖を恨んでいた。豊の大切な養育屋敷の子供であるのに、命を助けてもらったのにも関わらず、豊が嫌な目に遭うと言う恐れていた事が起こった。そんな事が起こらない為の、言葉と行動であるのに。
 豊は鬼壱の気持ちも知らないで、またこんな所にやって来たのだ。
 鬼壱の耳であるから気付けただけで、あちらからは鬼壱の存在が遠くてわからない。それでも思わず身を葉陰に潜ませた。そしてその声をもっとはっきり聞こうと耳を澄ませる。

「私は会う覚悟を決めたよ。でも今日は急すぎるし、太一がここに来る必要は……」

「キイチに会わなきゃ始まんねぇ」

「ええ?!は、始まらないって何が?」

「いいからっ。これは俺の問題なの!」

「それって逆に私が今来る必要あるのかな……」

「あるの!」

 より聞こえるようになった会話は何だかちぐはぐして不思議なものだった。少なくとも、これから怖いものに立ち向かう緊張感は感じられない。
 ただ、会話から太一が豊を連れてきた事だけはわかった。鬼壱はそれで戸惑った。
 説教みたいな事をして太一が少し大人になったのだとしても、豊を森に連れてくる必要など全くないからだ。謝れと言っただけなのに。……勿論この様子ならば謝ってはいるのだろうが。

(まさか、仲直りして逆に豊の応援をしてやろうとか思ってるんじゃないだろうな、あいつ)

 葉陰で一人頭を抱える。間違った事していないつもりだ。……けど、もう少し気を回して対応するべきだったと先には立たない後悔をした。
 その間にも声や足音は段々近付いてくる。二人には鬼壱の場所がわからないから、ある程度踏み込んでくるらしい。もしかしたら昨日の河原に来るつもりなのかもしれない。

「キイチ!いるんだろキイチ!」

 歩きながらも太一が鬼壱の名を叫んでくる。今はもう何もいないのだから、叫ばれたってただ煩いだけだ。
 否、ただと言うほど騒がしさは得意ではない。太一だけならば煩いと叱りつけるところだが、今の鬼壱は自分を抑えてそこから動こうとはしなかった。

「昨日はまだ準備も何にもしてねーって言ってただろ!降りてこいっ」

「太一……ねぇ、太一。何でそんなに鬼壱に会いたいの?私は鬼壱が好きだし、色々と考えた結果だけど、むしろ太一は……鬼壱が苦手でしょ」

「勿論妖はだいっ嫌いだよ!……でも、だからキイチと決着つけなきゃなんないんだ」

「決着……?」

 鬼壱も心の中で同じ言葉を呟く。昨日睨み合いはしたかもしれないが(勿論鬼壱が睨んだのではなく向こうがそう思っているだろう事だ)それだろうかと。しかしその考えはすぐに否定した。争いと言うほど何かを賭したものでも激しい喧嘩のようにぶつかり合ったのでもなく、太一は簡単に怯えていた。

「豊は好きだ。……その、篠母ちゃんと一緒に俺達を育ててくれたし。いっつも構ってくれるし、幸せになってほしい」

「太一……」

「だから俺、どうしたら良いかって考えた。キイチと戦うんだ。嫌な思い、思いっきり全部込めてこの木刀でぶん殴る。それで負けたら豊を幸せにしてもらう」

 勝ったら、と言わないのは何故か。それを言うのは野暮だと鬼壱にも豊にもわかっているはずだ。
 危ないからやめて、と言いたくても言い出せない様子の豊に。動く気配のなかった鬼壱がそこから動いたのだから。
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