本編
(何でここに鬼が……!)
焦る太一だったがよくよく考えてみれば当然だ。ここは妖の森。妖は皆やられてしまったはずでも鬼壱は忍者の豊を誑かす鬼だ。上手いことやって一匹だけ逃れたのかもしれない。
考え終えて、太一の手足はがくがくと震えた。こんなちっぽけな自分には鬼を倒す術などないのだ。けれど同時に、慎之介にも豊にもぶつけた怒りと憎しみが腹の底から沸いていた。何せ目の前の鬼壱は、その感情の大元なのだから。
「……何で養育屋敷の餓鬼が、こんな所にいるんだ」
「そ、それはこっちの台詞だ!何で妖がまだいるんだよ。全部退治されたはずだろ!?」
「ああ、そうか。ここにいる事自体もう問題なのか」
呟いた鬼壱はあの日の争いを思い出しているようだった。
今までは棲み家であったここにもこれからは太一のように人が踏み込む。いても良いものの立場が逆になるのだ。鬼壱は太一の言葉で今になってそれに気付いた。
「だが悪いな、養育屋敷の。生憎と俺はまだ出る準備も心積もりもしてねェんだ。今日のところは帰ってくれ」
立場を理解した鬼壱はそう言って太一を帰そうとした。恐れられる妖にしては大分穏やかなものだ。だが、まだ腹の底の感情が燻る太一には素直に頷くことなんて出来ない。
そもそも森に居たのは鬼壱が先かもしれないが、この河原にいたのは自分が先のはずだ!と自身を煽り、太一は再び大声で反抗した。
「い、嫌だ!何で俺が、妖の言う事を聞かなくちゃいけないんだ!」
「お前……」
「ひぃっ!」
しかし細まった金の目がすっと向けられると、直ぐ様小さな体をびくりと跳ねらせて縮こまる。怖いものは怖い。でも立ち向かいたいのは立ち向かいたい。
矛盾溢れる我儘で純粋な素直。流石養育屋敷の子供だ。変な所が豊に似ている。
「あー……豊が心配するんじゃねェか?こんな所まで一人で来て」
「心配なんかするもんか!もししてたって別にいい」
養育屋敷を訪れた時はあれだけ豊に懐いていたのに一転してこんな事を言うものだから、鬼壱も目を見開いて叫びを聞いた。尾裂狐と戦った時も太一は豊に助けられていたはずで、逆に更に懐かれたのなら兎も角、豊を嫌がる原因が鬼壱にはまるでわからない。否、何となく自分が妖である事が悪いのだろうが、豊にまで及ぶ意味がわからなかった。
「……喧嘩でもしたのか」
「お前の所為だ!」
「ああ、やっぱり」
「やっぱりって何だよ!まさかこうやってまた俺達を滅茶苦茶にする為に豊に近付いたのか……!」
「そんなわけあるか」
不安な心と恐怖であまりに突飛な予測が出てきて、鬼壱はすぱりと切り捨てた。そんな事の為に近付くなんて、それも数年掛けてなどよほど人間が憎い陰湿な妖くらいだ。
やはりと鬼壱が思ったのは今までの太一の言動から。そして何より、元からそんな日が来るのではないかと思っていたから。だからあれ程人間と妖なんだぞと言い聞かせていたのに。
幾ら身内だろうと幾ら悪事を働いていない妖だろうと、考えを分かち合えるとは限らないのだ。
「人間が妖を憎んでいるのは常識だ。養育屋敷は特に、そう言う経験のある奴がいる場所だっていうのも知っている。俺が妖だって知ったらごたごたが起きるのはわかっていた」
「そうだよ。俺はお前らが憎い。大嫌いだ!お前ら妖が父ちゃんや母ちゃんを殺したんだ!他の奴等の家族だって!」
「……。そうだな。だから俺や、何も知らない周囲から豊が攻撃される恐れがあった」
或いは適度な仲の人間関係が絶たれてしまう事。それが鬼壱の考えていたごたごただった。
「だがお前は豊によく懐いて、命も助けてもらったんだろ。俺は兎も角、豊にまで悪態吐くのは違うんじゃないか。理解できなくてもせめて、距離を置くくらいだろ」
「俺だって訳がわかんねーよ!」
もはや太一の叫びはただの感情の爆発。癇癪だった。
鬼壱が怖いから出てきた訳ではない涙が勝手に流れ出して、えっぐえっぐと喉の奥や肩が引かれる。
その姿を見た鬼壱には、幾ら拙くとも太一の言葉を止めることは出来なかった。
「良い奴っぽいと思ってた鬼壱が妖で、じゃあ頼みの綱の慎之介も実は悪い奴で、それを豊は隠してて……。妖は憎いし嫌いだし、豊の事虐めてたのは許せないし、隠してた豊は嫌だけど、でも豊の事は本当は嫌いじゃないんだ……」
嗚咽混じりに吐き出された言葉はずっと我慢していた言葉。どう纏めたら良いか、どう伝えたい人に伝えれば良いのか。上手く考える事が出来なくて、或いはその後の返答を聞きたくなくてここまで逃げ出してしまった。
ここには篠子も咲も豊も、近所の人達や友達や慎之介もいない。いるのは鬼で、あるのはただの広がる森と河原だ。滅茶苦茶だっていいのだ。だからもう、訳のわからないままに太一は吐き出した。
「わかんねー……どうしたらいいか、わかんねーんだよ……」
ぽん。と、頭に暖かい手が乗った。
簡単に頭を刺せそうな手は、ただ優しく太一の頭に乗った。
驚きか、太一の嗚咽は止まった。
「取り敢えず、豊に謝っとけ。あと慎之介にもだ。その様子じゃ二人ともに酷い事でも言ったかしたんだろ」
「……」
「したんだろ?」
「……した……」
一気に溜め込んでいたものを吐き出した所為か、太一は大人しくなって正直に答える。その問いは先程まで恐れていた鬼から掛けられたものだったが、可笑しな事に震えもなく何故だか太一にはそうするのが正しいように思えた。
焦る太一だったがよくよく考えてみれば当然だ。ここは妖の森。妖は皆やられてしまったはずでも鬼壱は忍者の豊を誑かす鬼だ。上手いことやって一匹だけ逃れたのかもしれない。
考え終えて、太一の手足はがくがくと震えた。こんなちっぽけな自分には鬼を倒す術などないのだ。けれど同時に、慎之介にも豊にもぶつけた怒りと憎しみが腹の底から沸いていた。何せ目の前の鬼壱は、その感情の大元なのだから。
「……何で養育屋敷の餓鬼が、こんな所にいるんだ」
「そ、それはこっちの台詞だ!何で妖がまだいるんだよ。全部退治されたはずだろ!?」
「ああ、そうか。ここにいる事自体もう問題なのか」
呟いた鬼壱はあの日の争いを思い出しているようだった。
今までは棲み家であったここにもこれからは太一のように人が踏み込む。いても良いものの立場が逆になるのだ。鬼壱は太一の言葉で今になってそれに気付いた。
「だが悪いな、養育屋敷の。生憎と俺はまだ出る準備も心積もりもしてねェんだ。今日のところは帰ってくれ」
立場を理解した鬼壱はそう言って太一を帰そうとした。恐れられる妖にしては大分穏やかなものだ。だが、まだ腹の底の感情が燻る太一には素直に頷くことなんて出来ない。
そもそも森に居たのは鬼壱が先かもしれないが、この河原にいたのは自分が先のはずだ!と自身を煽り、太一は再び大声で反抗した。
「い、嫌だ!何で俺が、妖の言う事を聞かなくちゃいけないんだ!」
「お前……」
「ひぃっ!」
しかし細まった金の目がすっと向けられると、直ぐ様小さな体をびくりと跳ねらせて縮こまる。怖いものは怖い。でも立ち向かいたいのは立ち向かいたい。
矛盾溢れる我儘で純粋な素直。流石養育屋敷の子供だ。変な所が豊に似ている。
「あー……豊が心配するんじゃねェか?こんな所まで一人で来て」
「心配なんかするもんか!もししてたって別にいい」
養育屋敷を訪れた時はあれだけ豊に懐いていたのに一転してこんな事を言うものだから、鬼壱も目を見開いて叫びを聞いた。尾裂狐と戦った時も太一は豊に助けられていたはずで、逆に更に懐かれたのなら兎も角、豊を嫌がる原因が鬼壱にはまるでわからない。否、何となく自分が妖である事が悪いのだろうが、豊にまで及ぶ意味がわからなかった。
「……喧嘩でもしたのか」
「お前の所為だ!」
「ああ、やっぱり」
「やっぱりって何だよ!まさかこうやってまた俺達を滅茶苦茶にする為に豊に近付いたのか……!」
「そんなわけあるか」
不安な心と恐怖であまりに突飛な予測が出てきて、鬼壱はすぱりと切り捨てた。そんな事の為に近付くなんて、それも数年掛けてなどよほど人間が憎い陰湿な妖くらいだ。
やはりと鬼壱が思ったのは今までの太一の言動から。そして何より、元からそんな日が来るのではないかと思っていたから。だからあれ程人間と妖なんだぞと言い聞かせていたのに。
幾ら身内だろうと幾ら悪事を働いていない妖だろうと、考えを分かち合えるとは限らないのだ。
「人間が妖を憎んでいるのは常識だ。養育屋敷は特に、そう言う経験のある奴がいる場所だっていうのも知っている。俺が妖だって知ったらごたごたが起きるのはわかっていた」
「そうだよ。俺はお前らが憎い。大嫌いだ!お前ら妖が父ちゃんや母ちゃんを殺したんだ!他の奴等の家族だって!」
「……。そうだな。だから俺や、何も知らない周囲から豊が攻撃される恐れがあった」
或いは適度な仲の人間関係が絶たれてしまう事。それが鬼壱の考えていたごたごただった。
「だがお前は豊によく懐いて、命も助けてもらったんだろ。俺は兎も角、豊にまで悪態吐くのは違うんじゃないか。理解できなくてもせめて、距離を置くくらいだろ」
「俺だって訳がわかんねーよ!」
もはや太一の叫びはただの感情の爆発。癇癪だった。
鬼壱が怖いから出てきた訳ではない涙が勝手に流れ出して、えっぐえっぐと喉の奥や肩が引かれる。
その姿を見た鬼壱には、幾ら拙くとも太一の言葉を止めることは出来なかった。
「良い奴っぽいと思ってた鬼壱が妖で、じゃあ頼みの綱の慎之介も実は悪い奴で、それを豊は隠してて……。妖は憎いし嫌いだし、豊の事虐めてたのは許せないし、隠してた豊は嫌だけど、でも豊の事は本当は嫌いじゃないんだ……」
嗚咽混じりに吐き出された言葉はずっと我慢していた言葉。どう纏めたら良いか、どう伝えたい人に伝えれば良いのか。上手く考える事が出来なくて、或いはその後の返答を聞きたくなくてここまで逃げ出してしまった。
ここには篠子も咲も豊も、近所の人達や友達や慎之介もいない。いるのは鬼で、あるのはただの広がる森と河原だ。滅茶苦茶だっていいのだ。だからもう、訳のわからないままに太一は吐き出した。
「わかんねー……どうしたらいいか、わかんねーんだよ……」
ぽん。と、頭に暖かい手が乗った。
簡単に頭を刺せそうな手は、ただ優しく太一の頭に乗った。
驚きか、太一の嗚咽は止まった。
「取り敢えず、豊に謝っとけ。あと慎之介にもだ。その様子じゃ二人ともに酷い事でも言ったかしたんだろ」
「……」
「したんだろ?」
「……した……」
一気に溜め込んでいたものを吐き出した所為か、太一は大人しくなって正直に答える。その問いは先程まで恐れていた鬼から掛けられたものだったが、可笑しな事に震えもなく何故だか太一にはそうするのが正しいように思えた。