このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

本編

「どうしたんだい、太一。豊ならさっき……」

「慎之介に聞きたい事がある」

 いつもならば笑顔で近寄ってきてくれて、お菓子を出せば大袈裟なくらいに喜ぶ。可愛い子供の印象だった太一は、今日に限って慎之介にはっきりとした敵意を向けていた。
 一方の向けられた慎之介は、何故こんな風になっているのかさっぱりわからず戸惑いながらも応える。

「何だい」

「慎之介は昔、豊に嫌がらせをしたのか?」

「っ、」

 こぉん、と、何時だったかに聞いたくぐもった心の鐘の音が響く。
 豊を慕っている養育屋敷の人間なら、慎之介のやった事を知って怒りをぶつけに来るのはわかる。だが、何故今なのか。あれから経ち過ぎた時間、恋愛ではないものの親しくなった豊と慎之介、平和になった京古町……。まるで切っ掛けとなるべき時機には見えないのに。
 それでも、やってしまった事は事実なのだ。それならば罪を糾弾されるのも当然。
 慎之介は覚悟を決めて、ゆっくりと頷いた。

「……ああ」

 太一は自分で聞いてきた事にも関わらずに目を大きく開いて驚き、次に唇をぎゅっと締めてぶるぶると小さく震えた。開いた目がまた元の大きさまで戻ると、今度は眉先がぐっと下がる。
 ……裏切られた事への、怒りだろう。良い兄貴分ぶっていた男が、大切な姉であり第三の母のような存在でもあった豊を虐めていたのだから。
 覚悟はしたがその視線を受ける気持ちは辛く、慎之介はそっと目を伏せた。

「何でだよ!豊の事、好きなんだろ!何でそんな事したんだよっ!」

「……すまなかったと、今では思っている。だがそれは昔の話で、その頃の僕は馬鹿な事に、やってしまったんだ」

「どうして……どうしてっ、」

 知った時機がもしもまだ然程親しくない間であれば、おそらく慎之介は子供故の怖いもの知らずもあって殴られていただろう。けれど今の太一は悔しさと怒りを噛み締めて、その強さのあまりに涙を流すだけだった。

「そんな事してなきゃ、キイチに豊を取られることなんてなかったのに!」

 思い切り叫ばれた言葉。握られた両の手の拳は体の横で一緒に震えている。
 慎之介はその言葉に、伏せていた目をそうっと太一に向けた。
 驚いたのもある。好ましく思っていたはずのキイチを、いつの間にかそんな叫びをあげるほど嫌いになっていた事に。
 だが何よりも、それは間違った言葉だった。どんなに辛くても自分がやった事だから仕方ないと全ての怒りを受け止めるつもりだったが、その言葉を正しいようにただ受け止める事は出来ない。

「太一。それは違うよ」

 慎之介は優しく太一の肩を押さえた。
 ふっと上を向いた為に、太一の顔から雫がぽとりと落ちる。その涙が太一の素直さを一層瞳から引き出していた。

「例え僕が豊を虐めていなくとも、豊はキイチに惚れていたさ。僕が嫌いでキイチに走った訳じゃないからね」

「でもっ……キイチは、鬼でっ!」

 再び驚かされる慎之介。一体何処から知ったのか。他人が聞けば大騒ぎするかもしれない話だったが、震えに酷い涙声が加わって、周りの大人達は内容を上手く聞き取れずに、騒ぎも無くいつも通りに行き交っている。
 その一方で、慎之介は先程の憎しみが篭ったキイチへの言葉に納得した。養育屋敷と言えば、やって来る大半の原因が妖なのだから。

「……妖か人か。豊はそれで好きな者を選んでいる訳じゃない」

 太一は、実は虐めたなんて嘘だよとか。その罪さえなければ鬼壱よりも僕が相応しいだなんて。自分を肯定してくれる意見が欲しかったのかもしれない。
 篠子の言葉にも似たような言葉に、太一はまたぎゅっと唇を結んだ。そして、次に口を開けた時は、駄々をこねるように辺りに響き渡る大声で叫んだのだった。

「慎之介の、馬鹿ぁぁああー!」

 そう言って大通りの向こうに走り去る小さな姿を、慎之介が追えようか。否、彼はただ見つめているしかなかった。



 さわさわ、さわさわ。
 陽に煌めく水のせせらぎだけが今の太一の慰めだった。
 こんな場所に行こうとすれば、今までであれば止められているだろう。太一自身も行く気になどならなかったはずだ。けれど今は止める人も傍にはおらず、すっかり妖もいなくなったものだから、太一は妖の森で小川に足を浸して座り込んでいる。
 何せここは、本当に一人きりになるには丁度良かった。
 暑さの盛る今日と言う日には絶好の涼だが、太一の顔は暗い。

「何だよ……篠母ちゃんも咲も豊も、慎之介まで。何で皆、妖なんかの味方するんだよ」

 適当に手に取った石を投げて、ぽちゃん。
 別に何が面白かった訳でも意味があった訳でもないが、太一は一人愚痴りながらもそれを何度も続けた。

「鬼が豊の相手で良いわけないだろ!」

 ぽちゃん。ぽちょん。
 人間どころか妖さえ住まなくなった森では、そう怒ったところで何も返ってはこない。
 同じ様な愚痴を繰り返し、繰り返す。
 やがて石投げをしてから再び石を取りに戻った手元には、すっかりと円形に土が現れていた。

「養育屋敷のとこの餓鬼じゃねェか」

 そこに、突然やって来た影と声。

「え?……うわああああ?!」

 がちゃがちゃがちゃ!と石の上で後退りすると、太一は顔の前に手を構えてがっちりと防御体勢になっていた。
 自分一人しかいないはずの森。そう太一が思っていたそこで声を掛けてきたのは、真っ赤な髪に尖った角と耳。猫のように怖く輝く金色の目。何より言葉を発している口のなかには肉を噛むのに丁度良さそうな、鋭い牙。
 それは鬼の鬼壱だった。
39/52ページ
スキ