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本編

「豊っ!」

 太一が養育屋敷にやって来てから数分。遅れて豊がその門前に辿り着いた。
 後から来るとは聞いても実際の姿を見るまではやはり不安が残るもので、燐は漸くほうっと安心して豊を出迎えた。

「良かった。太一は後から来るって言ってたけど、心配したよ」

「……うん……太一は?」

 心配してくれた燐に言葉は返すものの、重たい心が声すら鈍らせる。それを誤魔化すように微笑みも返すが、もしかしたら意味なんてないのかもしれない。
 先程太一が知った事。太一の思った素直な事。それが燐に伝わっていたのなら。
 少し時期が早かっただけなのに。信頼する燐相手ならばそれでも良い、はずなのに。何故か逼迫した心臓がどくどくと音をたてて豊の胸を叩く。
 それと同じく太一の言葉が、叫びが映像として頭の中にちらついていた。

「中で篠子さん達と話してる。よっぽど怖かったのか、慌てて中に入って行ったよ」

 そう言って燐は屋敷を見やってから、親指でくっと玄関の戸を指した。その顔をちらりと見れば、変わることのない優しくて頼り甲斐のある顔。
 豊は燐の言葉と態度に、鬼壱の事を聞いていないのだと確信する。
 そして、中では二人が太一の話を聞いているのだ、とも。
 豊の心がまたもくすみかけた時、突然燐がはっとした。
 頭と胸の中をもやもやを中断させて、豊はどうした事かとその視線を辿り、ゆっくりと下を向いていく。……足だ。治して貰ったはずだが、鬼壱本人が言うように治療は得意ではないのか、まだ患部から赤みが消えていなかった。
 これならただの擦り傷にも見えるし、大分痛みもないので豊としては全然平気なのだが、それでも燐には気になる事だったらしい。

「豊、足、怪我してるじゃないか!」

「あ、これは大丈夫なの。ほら、全然。跳べるし」

「近くで煙と炎の赤がちらちら上がって見えたけど……まさか、変な妖にでも巻き込まれたんじゃないだろうね?」

 間違いなく尾裂狐との戦いで起こったものだ。他の建物とそれほど変わらない高さのここでは遮られて様子が見えなかったのだろうが、燐ほどの忍者ともなれば少し離れていても、塀が粉砕した時や妖力がぶつかり合った音も聞けているはず。
 それでも他の忍者や妖の戦いであると希望を乗せた想定をしてくれる燐に、豊はこう返すしかなかった。

「えへへー……ちょっとね」

「馬鹿豊!ほらっ、さっさと中入って包帯と薬借りるよっ」

「あ、り、燐姐ーっ!いいってばっ」

 さっと表情を変えて、燐は豊の腕を引っ張る……けれど、足に負担が掛からぬように気を付けながら。
 中に入るのが怖く、けれど入らねばならなかった豊だが、暴れる真似をする事でその怖さが少しだけ和らぐような気がした。



 最後にきゅ。と包帯が結ばれる。
 咲がかたんと薬箱を閉じて、踏み台に乗ると棚の上にしまった。
 豊はちゃぶ台の傍に座る太一と静かに手当てしてくれた篠子にどんな表情をして良いのか迷っていた。
 燐とは違う。二人はもう否定的な太一の言葉を聞いてしまっているのだ。

「ゆたちゃん」

「篠母様……」

「ゆたちゃんの馬鹿!」

 豊が弁解も補足も謝罪も述べる前に篠子はぴしゃりと言い放つ。

(きょ、今日で二回目……!ってそうじゃないそうじゃない)

 鬼壱の事を聞かれると思った。太一は間違いなく言ったのだろうし、今では不安が大きい。だのに、突然怒られてしまった。
 篠子の言葉は罵倒に属するものだったが、意味は違う。彼女もまた燐同様に豊を何よりも心配していたのだ。

「心配してたのよ!それが体に傷作ってくるなんて」

「ご、ごめんなさい……」

「なんてね」

 ふ、と。勢いよく怒っていた篠子は表情を和らげる。

「忍者になって傷を作らないなんて無理よね。それにお陰で太一は助かったんだもの」

「篠母様……」

「でもね、心配してるのは本当。今回はこの程度で良かったけれど、たまには自分の体の事も考えてほしいの。守ってもらってる身で言える事じゃないのだけどね」

 言いたい事は伝わっている。篠子の言う通り無傷でなんて約束は無理だが、心配してくれる母に、豊はなんとも言えずにただ笑った。
 暫し暖かく優しい空気が流れた後、篠子は立ち上がり、太一と咲も立たせる。

「さあ、何時までもここに居る訳には行かないわ。避難所に向かいましょう」

 太一を待っていたり豊の手当てをしたりと、養育屋敷には随分と長居してしまった。本当の安全な避難はまた少し歩いて忍者屋敷に着いてからだ。
 咲はこくりと頷き、太一は暗い顔のまま引っ張られる。
 結局咲にも篠子にも何も言われなかった豊は、何かを言われたかったわけではないのだが、何だか今も気まずい気がして太一にそっと振り返った。けれども太一は殆ど俯いていて目が合わない。
 そのまま豊と燐は三人の前後について警戒し、本来の避難所である忍者屋敷へと向かった。
 避難の間も最後まで、豊と太一は何も言葉を交わさなかった。
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