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本編

 太一がよろりと、鬼壱の居た方へ歩き出す。気付いた豊が慌てて駆け寄り「大丈夫?」と支えると、太一は袖にしがみついては来たものの、目では豊を睨んでいた。
 否、彼が睨みたいのは豊ではない。豊の心にしがみつく鬼壱だ。
 譫言のような弱々しい声は、今知ったばかりの事実を呟く。

「豊……キイチは鬼だったんだ……」

「う、うん。……でも鬼壱は不要な殺しはしないの!太一の事も今、助けてくれたじゃ――」

「やめろよっ!」

 太一は声を荒げて、豊の言葉を止めた。
 笑顔で述べられる豊の事実は受け入れられない。

 太一は四歳の頃に養育屋敷へやって来た。
 つまり、もうその時の事の多くを覚えてはいないけれど、太一も妖に親を殺された。
 今は篠子が親だと思っていても、大切な気持ちが同じくらいと言うだけで、本当の親を失った悲しい気持ちが無くなった訳じゃない。和らげて、箱にしまう事が出来ただけだ。
 それががたがたと音を出して震え出す。

(俺達を騙してたんだ!今はあいつもああやってまともな振りをしてるけど、いつか豊や俺達を裏切って殺すんだ!)

 咲だって豊だって、その他の屋敷の子供だって、皆妖のせいで嫌な目に合い、身を寄せあって生きてきた。
 確かにそれは幸せな時間だったけれど、誰も始めから望んでいたものではない。妖は何時だって憎むべき存在だ。
 太一には、どうしてもその事を疑えなかった。

「……皆に。篠母ちゃんに、言ってくる」

 たっと駆けた太一は制止する豊の声を無視して、養育屋敷へ向かって行った。
 あんな妖狐が出てきたばかりだ。警戒するべきだとは思うが、そうそうあの強さの妖がいるはずもない。そんな言い訳よりも治してもらったはずの足が重くて、豊は本気の早さでは後を追えなかった。

「太一……」

 豊の声が瓦礫だらけの寂しいそこに、等しく混じるように落ちる。
 鬼壱は不要な殺しをしない。だから今、太一を助けたようにいつか悪い妖と違うのだとわかってもらえたら。少なくとも納得してもらえれば。
 自分の愛するモノなのだから、他人は兎も角、家族ならきっと大丈夫。
 ……なんて、淡白に考えられる豊の方が珍しいのだ。
 唐突だった事もある。だが実際に恩を受けても、完全に拒絶され、否定される姿を見て衝撃を受ける。
 豊の想いは揺るぎない物だが、瞳はぐらぐらと揺れていた。



 屋根の上で見張っていた燐がふっと一ヶ所を見つめる。そこに浮かび始めた点が太一であるとわかると、顔を綻ばせて地上に降りた。
 やがてはあはあと息を切らして辿り着いた太一が勢い良く咲と篠子の安否を問う。やはりお互いに心配なんだなと微笑むと、燐は「中に居るよ」と告げた。

「有難う、燐姉ちゃん!」

 それだけ聞くと太一は門を走って潜る。転けてしまいそうな急ぎ具合だ。

「ああ、待って太一。途中で豊に会わなかったかい?」

「……。後から来る」

「?」

 普段なら豊と一緒に来るだろうに、それも暗い声で伝えた太一に燐は首を捻った。しかしその様子を問い質す間もなく太一は再び走り出して、もう扉の向こうへ入ってしまった。

(まあ、二人が無事なら良かったか)

 屋敷の中では扉が開き、また閉じた扉る音が大きく響いて、咲も篠子も祈るような気持ちで部屋から駆け出す。
 その祈りは誰かに届いたのか、二人と太一が廊下で出会うと、篠子は玄関の方から慌ててやって来た太一を抱き締め、咲は涙目になりながらその姿を上から下まで眺めて胸を撫で下ろした。

「篠、母ちゃん……。咲」

「どうしたの、太一。怪我したの?怖かったの?」

 篠子の腕の中でしっかりと包まれた太一は二人をそれぞれ見やると、震えた声で二人の名を呼ぶ。
 やはり道中妖に襲われたに違いない。篠子は太一に優しく聞き返した。

「――鬼壱は鬼だったんだ。妖だったんだ!」

 ところが太一は二人が再び何事かと驚く程大きな声で、それも口早に今あったことを説明する。
 ぎゅっと篠子の服を握るほどの尾裂狐の恐怖。駆け付けてくれた豊の戦い。……もう駄目かと言う時に現れた、妖の事。
 その話を聞いていけば、表情に変化が少ない流石の咲の瞳も、すうっと開かれていった。

「キイチさんが……妖?」

 咲も太一同様、好印象だった鬼壱が鬼と知り、小さな声で返す。

「そうだよ!ねえ篠母ちゃん!この争いが止んだら、豊にキイチと会わないように言ってよ!慎之介にしなって言ってよ!」

 説明し終えて少しだけ息を整えたものの、やはり必死に訴える太一。涙がぼろりぼろりと勢いによって弾かれ、篠子の服を濡らした。
 騙された悔しさか。強大な妖への恐怖か。何も教えてくれなかった悲しさか。
 それを知った篠子は。いつもの甘い母の顔ではなくなっていた。
 なぜなら彼女は、太一の母でもあり、豊の母でもあるのだから。

「太一。あんたはキイチ君に助けられたんでしょう」

「そ、それは……たまたまだよっ。今は大丈夫でもきっと――」

「でも助けて貰ったんでしょう。お礼は言ったの」

 呆然と、そして憎々しく豊の後ろから見ていただけで、勿論一言も礼など口にしていない。
 太一は俯いて悔しそうな顔をしたまま何も言わなかった。言えなかった。拳だけがぎりりと鳴った気がした。

「キイチ君がいなかったら、今頃太一も、豊だっていなかったかもしれない。豊もキイチ君を本当に好いているのでしょう」

「でも、あいつは妖でっ……!」

「だから慎ちゃん選べって、豊に言うの?慎ちゃんだって豊に辛い思いをさせたのに?」

 太一の言う慎之介だって酷い事をしていた。
 篠子はわかっていた。あの鬼壱との出会いを聞いてから、昔馴染みの偉い子供達と言えば誰であるのか。でももうそれは過去の事。豊は彼と向き合っているし、慎之介が今本当に豊を想っているのなら、篠子は何も言わない。
 彼が努力して豊の気持ちを向かせる事ができたなら、勿論祝福だってしよう。それが豊の幸せだから。
 けれどそうでないならば、それも篠子の言うところではない。

 彼と鬼壱との違いはただ、妖である事。

 その為だけに二人の仲を裂くことは、篠子には出来ないのだ。
 慎之介が豊に何かしたなどと、初めて聞いた話に一瞬うっと言葉を詰まらせてしまうが、太一は勢いのままに続けた。

「そんなん過去だろ!妖は人間をいっぱい殺してるんだ!!」

「キイチ君は、過去に不要な殺しをしちゃいないのにね。生まれた時から決まっていた妖だったばかりに」

 咎めるような強い口調。見下ろす篠子。
 嫌味たらしく、けれど太一には何も反論できない言葉。何が正しくて、何が正しくないかはわからないけれど。

「それは……」

 納得できないままに口ごもる太一。
 そこに、咲がすっと割って入った。

「あたしは嫌い。妖」

「咲」

 微かな賛同の言葉に、ふっと顔を上げる。

「でも、“キイチ”は好き」

 短い時間で、彼の事はあまり知らない。けれどその短い時間では悪い人……モノには見えなかった。それ以上に豊が好いていて、妖なのに、妖と人間の争いの最中で太一を助けてくれた。
 少しだけ大人の咲にとっては、それだけで十分。

「豊を大切にしてくれるなら、キイチさんなら良いと思う」

 同じ経験をしている咲にまで言われては、納得出来なくてももうそれ以上の言葉は出なかった。
 暗い顔をした太一の頭を、篠子はそっと撫でた。

「辛いかもしれないけどね。憎むばかりじゃない人もいるのよ。その人の幸せを奪うのも、また辛い事なのよ……」
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