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本編

 町の中心、多くは暗い色の着物を着た忍者達が出入りする大きな建物が収まった敷地。実質的な大店の主である慎之介もこれほどに広い敷地に踏み込んだ回数はまだ少なく、また忍者の本拠地でもあるそこに入る事に緊張していた。
 恐らく彼の父、慎太郎はそんな心持ちなど一度もしなかったのだろうが。
 妖の心配も減った所為か思った程の人の姿と声は無く、案内された座敷で何とか約束の取れた忍者をまとめる男……つまり、頭領と対峙する。
 男はその肩書き通りというべきか、案外というべきか、殆ど禿げた頭と傷跡のある厳つい顔で気安く笑って喋るような男だった。拳を握って正座する慎之介にも緩めていいと許可をしつつ、煙草の灰を鉢に落とす。
 そして本題になると、一頻り、何も言わずただ煙草を吸って聞いた後、手を叩いて笑った。

「わっはっは!今回の件で慎太郎には恩があるから、わしが直々に話を聞いてやろうと思うたら。そんな話、あり得んあり得ん」

 続いて手をぱたぱたと振るう。
 表情には出さず、やはりな。と思いながらも慎之介は再び拳を握った。
 これは当たり前の反応だ。慎之介も当の妖から話を聞かねば鵜呑みにはしなかったろう。
 だがまさか人間に、しかも忍者の頭領相手に妖から聞いたとも言えず、今の話でさえも残った妖が復讐に来るのではと言う想像話として持ち掛けたのだ。頭領にしては何の根拠もない話。
 しかし予想はしていたので、対策も取ってある。忍者にとってうま味のある話であればいいのだ。

「まあ、一週間後に何事もなければ物資を自由に使って良いと言うのは、わしらにとっても得な話じゃ。倉庫は開けておくから勝手に運び込むとよい」

 もしも慎之介の言う通り妖が襲ってきたら、その時はこの忍者屋敷を避難場所として一般町民を匿う事。また戦いに備えた物資を、すぐに使えるようここの倉庫に置いてもらう事。そんな約束だ。一週間倉庫が使えないのは不便だが、妖を駆逐した(と思っている)今はそれほど困ることではない。
 何か良からぬ事を企んでいてもそこは忍者だ。こっそりと倉庫の物資は確認させてもらう。
 つまりは、頭領にとってただの儲け話である。

「もしもの事があった時は……きちんと覚えていて下さいね」

「ああ、ああ。宴で騒いでおったとて忍の頭じゃ。違えはせんよ」

 ぷかあと煙を浮かばせて、厳つい顔の男はそう言った。
 その顔は真剣で、避難場所の保証はされたと安心できる。商人同士では書面に判子で漸く安心できるものだが、彼を前にしてはそんな心配の気は出なかった。
 そうして挨拶をし、去る慎之介の姿を見つめて男は呟く。

「まさか……そんな事はあるまい」

 とんとん、と鉢の中に燃えた粉が落とされた。



 忍者屋敷を後にした慎之介は、夕焼けの滲む広い道を踏み、養育屋敷へ向かう。
 平和そうな町は昼より大人しいが、それでも活気づいていた。同じ時刻のあの日とは大違いだ。
 それを段々と外れて、また少しだけ太い道を行く。何度か曲がり、歩いた所で養育屋敷の看板が見えた。
 そろそろ夕食時だからか、煙が立ち上っていて、何だか腹をくすぐる良い香りがする。支度の終わった時でなくてよかったと思いながら、慎之介は門を潜った。

「あれ、慎之介だ!」

 そこで太一と会う。咲は夕食の手伝いでもしているのか、他の少年と昔慎之介がやった鞠で遊んでいたところだった。

「豊に用事?」

「ああ。呼んでくれるかい」

「いいよ。じゃあお前らは俺抜きで遊んでてくれよ」

 そう言って太一は自分より小さい子に鞠を渡すと、たったと駆けて家の中へ入っていった。
 慎之介はそれを見送り、じっと待つ。
 鞠を託された子らはどうしようか、と短い時間で顔を見合わせる。その中でちらと慎之介を見上げる視線もあったが、流石に誘うのは躊躇った様子で。
 やがて自分達で蹴り始め、太一抜きでいつも通りに遊び始めた。

 待つ間、慎之介はぼうっとする。
 豊が鬼壱からの話だと知ったらどう思うだろうか。自分が伝えなければ、鬼壱はもう豊の事なんて何とも思っていないのだと感じるだろう。
 元々、気のある言葉を掛けていた様子はなかった。
 ならば――

 そんな狡い考えは当然、ただ浮かぶだけだ。そんな事をしては尚更豊の横に立つべき人間として見合わなくなる。
 ふっと息と一緒に吐き出すと、慎之介は腕を組み直した。

「慎之介!待たせたな!」

 にかっと笑って走ってきた太一の手は、むっとした豊の手を握っていた。
 どうやら無理に手を繋いで引っ張ってきたらしい。

「そんなに急がなくても良かったのだが……有難う、太一。大丈夫か?豊」

「う、うん。ほら太一、手を離して」

「じゃあとは二人でごゆっくりー。お前ら、戻ったぞ!」

 にやにやと子供のくせに厭らしい笑みを浮かべてから集団に戻っていく太一。
 豊はまたむっとしてその背を見送るも、慎之介に向き直った時には表情を戻しており、門の外へと誘った。
 慎之介としてもその方が都合が良かったから、その誘いに乗って子供達の耳から離れる。

「それで、今日はどうしたの?慎之介さん」

「ああ……今回の討伐なのだが……お疲れ様」

 一先ずそう労う。すると、討伐が成功して忍者の間でも知れ渡ったのか、豊もこう返してきた。

「慎之介さんのお父さんも裏で貢献されたみたいじゃない。良かったね」

 柔らかく微笑む素直な豊に、慎之介は複雑な表情をした。
 その無責任の所為でこれから大変なことが起きるのだ。そして、それを伝えなければならない。

「ああ。その……その事だが。どうにもこれで終わりとはいかないらしい。山へ逃げ延びた妖達は直ぐに、一斉にやってくるらしいんだ」

「ええ?!そんな力はもう残ってないんじゃ……その話、どこから……?」

 慎之介の言葉に、豊も目を開いてそう言った。
 豊も他の町人も皆成功したと思っていただろう。殆どが退治された今、すぐに襲撃してくるなんて。
 しかし間違いなく本当の話なのだ。だってこの話の出所は。

「――キイチだ」

 更に重ねた言葉で、口許に手を当てて、これ以上目が開かないのではないかという程に豊が驚いた。

「どうして慎之介さんが……ううん、鬼壱は私に会ってくれないし、もう私の事を気にしてないんじゃ……」

 鬼壱は慎之介の存在を知らないし、慎之介は豊に好きな人がいる事しか知らない。鬼壱には繋がらないはずだ。
 その上二人の間で交わされた話は人間側にとっての有益な情報。それに慎之介に会ったと言う事は、京古町に来たのかもしれない。
 様々な疑問が頭を廻り、豊は混乱してしまう。
 見かねた慎之介がそっと肩に手をのせて落ち着かせると、一つ一つ説明する事にした。

「まず、僕はキイチの事を太一と咲から聞いてね。昔……その、虐めから救ってもらった人だと聞いて、あの時鬼以外いなかった事に気付いた」

 「そっか……」と呟く豊。当事者だからこそ、あの鬼であると気付けてしまった。
 納得した豊に、慎之介は続ける。

「次に僕は当然会いにいったよ。妖に豊を盗られたくなかったからね。昼に会ったのだから、妖が殆どいない昼に行っても会えるはずだ。そして、案の定会うことができた」

「それで、鬼壱は……?」

 次の言葉をせがまれて、慎之介は思わず視線を反らしてしまう。
 あった事は正直に伝える。しかしその続きは豊に辛い言葉であろうから。

「――豊とはもう、会わないと」
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