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本編

 愚かな父の意図がようやくわかって、慎之介は苦々しい表情で唇を噛んだ。慎之介を見ながら、鬼壱も腕を組んで難しい表情をする。
 父親が戦に加担……否、起こした張本人であっても、慎之介の様子からは彼を責める事はできない。個に重きを置く鬼壱であるから、尚更理解して、兎に角先の事の方が大事であると考えた。

「止めることはできない……か」

「ああ。俺が妖の集団にいるのは不自然じゃないが、意見はできない。大した関わりもしなかったのに、今更口出して纏まっている意見を排する事なんかできないだろ。それに、」

 慎之介が大人しく自分の話を聞き入れるのは助かるが、誤解されては困る。

「俺だって森に住んでた妖だ。一人で生きてきて他の奴らを守る義理はなくても、人間を守る義理もない」

「……そうだな」

 少しだけ、言い淀んだ慎之介の返し。
 鬼壱が危惧した通り、慎之介は勘違いをしかけていた。言葉を交わしていたからか、人間に協力してくれる者であるのだと。
 鬼壱が話していたのはあくまで、豊に危険が迫るからだ。
 そしてあれだけ豊から離れろと言っておいた癖に、その本人が彼女の身を危険に晒しているからか。慎之介の中にはそんな卑屈な考えも浮かんでしまった。

「となると一刻も早く準備して迎え討ち、被害を最小限に留める、か」

 物資の準備を出来るだけしておいて、忍者や剣士の準備もしっかり整っていれば、減少した妖。何も勝てない戦ではない。
 しかし今の人間は油断している者ばかりだし、それは失う者を考えなければの話だ。実際はそういう訳にはいかない。

「道具や薬の類いは木ノ上商店で何とかできる……武具も多少損傷しているだろうが、先の戦いで用意したばかりの物ならまだ使えるだろうし、他の店に宛てもある。一番の問題は力を持たない民の避難場所だな」

 町人を避難させるならば広さが必要だ。
 慎之介の心当たりがある所で、木ノ上商店が所有する倉庫があるが、あれは不恰好な鉄の箱のようだしどこも在庫が詰め込まれている。
 例え人が入れるよう空っぽにして、薄い明かりで我慢し、蓙でも敷いたって、港の側に囲いも何もない鉄の箱。避難も大変であれば、一体どこから狙われるか分からず妖対策も立てにくい。
 避難しやすく広く、また妖から守り易い場所が良いのだが……そう上手い場所があるものだろうか。

「避難場所に最適な土地や建物が空き家がどうにも考えられない。一番広いが……城は、まず無理だろうな」

 京古の城は日ノ本の象徴。広さだけを考えればすぐに浮かんだが、その城主にはお目通りを許されるだけでも相当な身分だ。木ノ上商店は京古では一番の店、確かに慎之介も年に二度ほど城主に挨拶に伺う。
 しかし好きな時に会うことも叶わないし、証拠もない話を持ち掛けられない。
 町民の為とはいえ、それでは城主もまず腰を上げないだろう。下手をすれば罰を受ける羽目になる。

「忍者屋敷はどうなんだ」

 何の気なしに鬼壱が言った。屋根から見た光景を浮かべる。鬼壱にしてみれば京古の中心にあり、十分に広い。

「忍者屋敷……!そうか!忍者屋敷なら妖対策も既に施されている。集会所だけでなく訓練場もあるし、庭も広い。戦いで軽い怪我人が出ても、同じ場所に集うなら避難民に手当てを手伝って貰える」

 鬼壱の案にはっとし、慎之介の頭には良い点ばかりが浮かんでくる。
 そしてこれは不服なところだが、忍者には今回の原因でもある慎太郎の恩がある。城よりもまだ民に近い存在であるし、やり様によっては話を聞いて貰えるかもしれない。
 慎之介は一度頷いて考えを固めると、改めて鬼壱に向き直った。

「助かった、キイチ。これで問題は解決する。後は……戦える者に頑張ってもらう他にないが……」

 戦える者。浮かぶ唯一の存在に、声色がまた沈んでいった。
 鍛えていない商人の慎之介では妖に太刀打ち出来ない。それは森で不恰好な慎之介を見ている鬼壱にもわかることだ。
 豊を守りたくても、彼より彼女の方が強いのが現実だった。
 ただ、慎之介は拳を握って誓う。

「それでも……豊が危険に晒されたら、今度は精一杯豊を守るよ」

 戦線に立てば逆に迷惑になるが、目の前で彼女の身に危険が及んだその時は、当然前に立つ。
 それが鬼壱と話し合い、それを無下にした慎之介のけじめだ。

「言う事は言った。邪魔したな」

 その言葉を聞き終えると窓の縁に足を掛ける鬼壱。あまりの潔さに慎之介は思わず引き留める。

「豊には会わないのか?」

「俺はもう豊には会わない。そう、前に言っただろ」

 それ以上鬼壱は何も発する事なく屋根へ跳び、起こした雲の中に消えてしまった。
 暫しの間、部屋には音が無くなる。
 例え外の騒ぎ声が漏れ聞こえていたって、やはり音は無いのだ。慎之介にとっては。

 過去の罪に加えて再び豊を危険に晒した罪。
 この手でその危険を根から払えない自分。

 豊は鬼壱を好きで、鬼壱も豊を好いている。隔たりは人と妖である事で。
 だから今は昔より少し大人になった自分が彼女の隣に立つべきだ。
 彼女に対する愛は変わらずとも、そんな自分に都合の良い思考が少しずつ溶かされているように、慎之介は思う。

 やがてゆっくりと座り込むと、そこでようやく耳に針の音が届いた。他の国から買い付けた時計だ。
 一先ず、慎之介にはやる事が出来た。
 部屋を出なければ。
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