本編
戦が終わり、そこからもう少し明るくなって皆が目を覚ます頃、京古町は一気に騒がしくなった。否、逆だ。帰ってきた討伐隊がもたらした知らせで、多くの人がいつもより早くに目を覚まして騒いだ。
負傷者を抱えて、あるいは傷を負ったまま自身で歩いてきた討伐隊の顔はほっとした明るいもので、出迎えた見回りの忍者達や見習いの剣士達は直ぐ様町中に知らせ走った。
森から山へと妖を追い出し、その数も大分減らせた、と。
無論死傷者もいる。しかし、事前に万端な準備をしたおかげか町民の想像を超えるほどの被害はなかった。
その騒ぎは大通りに面する木ノ上商店にも響き届いていた。それに耳を傾けて慎之介は茶を啜る。熱く香りの良い緑茶が外の騒ぎを遠ざけて心を鎮める。
果たしてこれをすぐに喜んで良いものか。
妖が減ったのは良いことではあるし、森が安全になったのも良いことだが……。
何かが腑に落ちず、慎之介は机に向かって一人考えあぐねていた。
「慎之介ぇー。俺はまたちょっと出てくるぞぉ」
そこにどたんどたんと一歩が酷く適当な音を出して、戸まで近づいた影。彼、慎太郎は機嫌の良さそうな声を戸越しに掛けると、慎之介が「あぁ」と返すだけで何処かへ消えてしまった。
こんな明け方に一体何処で何を。とも考えるが、彼の考えなど自分が考えたところでわかるまい。
慎之介は諦めて片肘つき、開いた窓の外をぼうっと見やれば、そこに一人の男が現れた。
青い雲のようなものが突然湧き出て、それがしゅうっと消えるなり、そこから現れたのだ。
慎之介は驚くも、男の顔を見て納得した。
髪は黒く目も奇異な色をしておらず、牙や角はない。服は全く町人と変わらない着物。しかしその顔は紛れもなく妖の鬼壱だった。
豊の前に現れないと約束した上、妖討伐が終わったと町人が騒ぐ妖にとっては危ないこの時機に、何故ここにいるのか。
「何故ここに――」
言い切らぬ間に鬼壱は窓に飛び乗り、潜って、慎之介の頬を思い切り殴った。
どっと音を立てて倒れ込む慎之介。住み込みの人間が起きたろうか。否、外の騒ぎがあるし、それが聞こえてなければまだ寝ている頃だ。
「何をするんだ!大体貴様、ここには来ないんじゃ……」
「お前が豊を傷付けるなら話は別だ」
豊と聞いて、慎之介も黙ってはいられない。
体を軽く起こすも、それはすぐに自力ではなく鬼壱の力によって浮くことになる。胸ぐらを思い切り掴んできたからだ。それも、酷く忌々しい表情をして。
「どういう事だ」
「しらばっくれんな!お前が仕掛けたんだろう、この戦」
慎之介はすうっと目を開いた。
それはそうだ。慎之介はこの事を何も知らなかった。討伐計画を知ったのは、あの紙が配られてからだ。
商店が成功し顔が広いと言えど、権力者に名を連ねるにはまだ早かった。豊も慎之介には漏らさなかったし、他の人間からも聞いてはいない。仕掛けるどころの話ではないのに。
「……一体そんな出任せ誰が」
「討伐隊の剣士達本人からだよ。あいつらが喋ってるのを聞いた。今回の戦、支援したのは“木ノ上”だってな」
「木ノ上……確かにそう言ったのか」
まさか剣士や忍者達を騙す人間はそうそういまい。それなりの権力も多くの武力もある二組を相手に下手をすれば、赤子だって大変な事になるのがわかるからだ。
しかし慎之介は確かに、一切も協力した覚えはない。そもそも特別に事を起こさない限り、商店に入ってくるのは雑貨と日用品だけだ。薬草くらいなら兎も角、戦に必要だろう武具なんて決して入らない。
流石の鬼壱も慎之介の様子が何かおかしいと感じた。ぴくりとも、気付かれたと張る緊張がないのだ。
「お前……本当に知らないのか?」
「あぁ、残念ながら」
森で対峙した時のように数秒、互いに黙り込む。
そして同様に、始めに口を開いたのは鬼壱だった。
「おそらく近い内に、妖がここに攻め入る。人間よりも回復力は高いし、かなり切れていたからな。例え自分達が死のうとも仇討ちの為に。……多大な被害を被るのは免れないはずだ」
「何だって!」
忍者達は仕返しに来る前に討伐隊をもう一度組み、あとは定期的に数を減らせば良いとでも考えているはずだ。このまま殲滅する気であるなら騒ぎなどより休息と作戦会議が先になる。物資の補給もするだろう。
しかしどうにも聞こえてくる雑音には、戦に参加したものの声もあるようだ。
まさかそんな浮かれている彼らが、妖達がすぐにやって来るとは露にも思っておるまい。
しかし鬼壱の言っている事は確かだ。妖として決意をする場面に立ち会っていたのだから。
今は騒ぎ酒を盛る人間達と、ひたすらに妖力を溜めて復讐の時を待つ妖。しかも憎しみのあまり相討ちも覚悟して。
結末はどうしても、悲惨なものになる。
「そうなると戦場は町本体か……当然、豊も駆り出されるだろうな」
「ああ」
鬼壱が飛んで殴りにくる訳だ。均衡を保っていれば、小競り合いで多少の命は削れても、お互いにここまで削り合う必要はなかった。少なくとも、こんな短い時間では。
それを勝機を生む策も無しに物資の力のみで無計画に唆した人物がいるのだ。
は、と慎之介が息を飲む。
「親父だ――」
「何?」
「恐らく、僕の父だ……木ノ上の名を使って、後先考えずに名誉を欲するなんて、親父以外にいない……」
最近よく何処かに出ていた事。討伐が表面上成功した今日、機嫌良く何処かへ出掛けた事。何より討伐が成功し、影の立役者となれば、今までの評価は一変する――。
祖父が素晴らしい商店として成長、維持させた物を上手く引き継げず、今は実質的に慎之介がそれを継いでいるようなもの。
つまり慎之介の父、慎太郎には才能がなかった。
自分を飛び越して父と息子ばかりが評価され、自分は良くない噂を囁かれる。
それを金銭面で妖討伐を手助けする事で、変えたかったのだ。名誉を欲したのだ。
負傷者を抱えて、あるいは傷を負ったまま自身で歩いてきた討伐隊の顔はほっとした明るいもので、出迎えた見回りの忍者達や見習いの剣士達は直ぐ様町中に知らせ走った。
森から山へと妖を追い出し、その数も大分減らせた、と。
無論死傷者もいる。しかし、事前に万端な準備をしたおかげか町民の想像を超えるほどの被害はなかった。
その騒ぎは大通りに面する木ノ上商店にも響き届いていた。それに耳を傾けて慎之介は茶を啜る。熱く香りの良い緑茶が外の騒ぎを遠ざけて心を鎮める。
果たしてこれをすぐに喜んで良いものか。
妖が減ったのは良いことではあるし、森が安全になったのも良いことだが……。
何かが腑に落ちず、慎之介は机に向かって一人考えあぐねていた。
「慎之介ぇー。俺はまたちょっと出てくるぞぉ」
そこにどたんどたんと一歩が酷く適当な音を出して、戸まで近づいた影。彼、慎太郎は機嫌の良さそうな声を戸越しに掛けると、慎之介が「あぁ」と返すだけで何処かへ消えてしまった。
こんな明け方に一体何処で何を。とも考えるが、彼の考えなど自分が考えたところでわかるまい。
慎之介は諦めて片肘つき、開いた窓の外をぼうっと見やれば、そこに一人の男が現れた。
青い雲のようなものが突然湧き出て、それがしゅうっと消えるなり、そこから現れたのだ。
慎之介は驚くも、男の顔を見て納得した。
髪は黒く目も奇異な色をしておらず、牙や角はない。服は全く町人と変わらない着物。しかしその顔は紛れもなく妖の鬼壱だった。
豊の前に現れないと約束した上、妖討伐が終わったと町人が騒ぐ妖にとっては危ないこの時機に、何故ここにいるのか。
「何故ここに――」
言い切らぬ間に鬼壱は窓に飛び乗り、潜って、慎之介の頬を思い切り殴った。
どっと音を立てて倒れ込む慎之介。住み込みの人間が起きたろうか。否、外の騒ぎがあるし、それが聞こえてなければまだ寝ている頃だ。
「何をするんだ!大体貴様、ここには来ないんじゃ……」
「お前が豊を傷付けるなら話は別だ」
豊と聞いて、慎之介も黙ってはいられない。
体を軽く起こすも、それはすぐに自力ではなく鬼壱の力によって浮くことになる。胸ぐらを思い切り掴んできたからだ。それも、酷く忌々しい表情をして。
「どういう事だ」
「しらばっくれんな!お前が仕掛けたんだろう、この戦」
慎之介はすうっと目を開いた。
それはそうだ。慎之介はこの事を何も知らなかった。討伐計画を知ったのは、あの紙が配られてからだ。
商店が成功し顔が広いと言えど、権力者に名を連ねるにはまだ早かった。豊も慎之介には漏らさなかったし、他の人間からも聞いてはいない。仕掛けるどころの話ではないのに。
「……一体そんな出任せ誰が」
「討伐隊の剣士達本人からだよ。あいつらが喋ってるのを聞いた。今回の戦、支援したのは“木ノ上”だってな」
「木ノ上……確かにそう言ったのか」
まさか剣士や忍者達を騙す人間はそうそういまい。それなりの権力も多くの武力もある二組を相手に下手をすれば、赤子だって大変な事になるのがわかるからだ。
しかし慎之介は確かに、一切も協力した覚えはない。そもそも特別に事を起こさない限り、商店に入ってくるのは雑貨と日用品だけだ。薬草くらいなら兎も角、戦に必要だろう武具なんて決して入らない。
流石の鬼壱も慎之介の様子が何かおかしいと感じた。ぴくりとも、気付かれたと張る緊張がないのだ。
「お前……本当に知らないのか?」
「あぁ、残念ながら」
森で対峙した時のように数秒、互いに黙り込む。
そして同様に、始めに口を開いたのは鬼壱だった。
「おそらく近い内に、妖がここに攻め入る。人間よりも回復力は高いし、かなり切れていたからな。例え自分達が死のうとも仇討ちの為に。……多大な被害を被るのは免れないはずだ」
「何だって!」
忍者達は仕返しに来る前に討伐隊をもう一度組み、あとは定期的に数を減らせば良いとでも考えているはずだ。このまま殲滅する気であるなら騒ぎなどより休息と作戦会議が先になる。物資の補給もするだろう。
しかしどうにも聞こえてくる雑音には、戦に参加したものの声もあるようだ。
まさかそんな浮かれている彼らが、妖達がすぐにやって来るとは露にも思っておるまい。
しかし鬼壱の言っている事は確かだ。妖として決意をする場面に立ち会っていたのだから。
今は騒ぎ酒を盛る人間達と、ひたすらに妖力を溜めて復讐の時を待つ妖。しかも憎しみのあまり相討ちも覚悟して。
結末はどうしても、悲惨なものになる。
「そうなると戦場は町本体か……当然、豊も駆り出されるだろうな」
「ああ」
鬼壱が飛んで殴りにくる訳だ。均衡を保っていれば、小競り合いで多少の命は削れても、お互いにここまで削り合う必要はなかった。少なくとも、こんな短い時間では。
それを勝機を生む策も無しに物資の力のみで無計画に唆した人物がいるのだ。
は、と慎之介が息を飲む。
「親父だ――」
「何?」
「恐らく、僕の父だ……木ノ上の名を使って、後先考えずに名誉を欲するなんて、親父以外にいない……」
最近よく何処かに出ていた事。討伐が表面上成功した今日、機嫌良く何処かへ出掛けた事。何より討伐が成功し、影の立役者となれば、今までの評価は一変する――。
祖父が素晴らしい商店として成長、維持させた物を上手く引き継げず、今は実質的に慎之介がそれを継いでいるようなもの。
つまり慎之介の父、慎太郎には才能がなかった。
自分を飛び越して父と息子ばかりが評価され、自分は良くない噂を囁かれる。
それを金銭面で妖討伐を手助けする事で、変えたかったのだ。名誉を欲したのだ。