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本編

 普段ならここまで奥深くになると、身を潜めているだけで去っていくものだが、人間達はまだずんずんと進んでくる。戦う気のない鬼壱だけでなく戦えない妖達もまた、仕方なく更に奥へ、奥へと、逃げて行った。
 森を越えたところには山がある。
 奥へ逃げ切って森を出られた妖は、今度は少しずつ山に逃げている。
 そこまではまだ至らない鬼壱だったが、その傍には前線に立っているはずの妖集団が迫っていた。段々と圧されて後退しているのだ。恐らくその内に彼らも山に逃げる事になるだろう。

 そうやって戦況を見つめていると、ふと、ざりざり、と下から小さな音が聞こえた。それは複数の足音だった。
 彼らの中に忍者がいないのか、上にいる鬼壱に気付かずに辺りを見回した後、一人の男がふうっと息を吐く。一人は汗をくっと少ない布の部分で拭っていた。今しがた妖を斬った所だったらしい。

「はぁ、はぁっ……。これだけやっても妖の全ては消えないのか」

「今まで随分と苦しめられたんだ。一日だけで一匹残らずというのは実際、無理なモノさ。町のためにやれる所まではやる気だがな」

 髭面の男は言葉の上では冷静そうだが、頭には血を滲ませた包帯を巻いていた。

「いくら木ノ上の旦那が支援してくれたからと言って、秘密兵器があるわけでもねぇ」

(?!)

 男がそう言った瞬間、鬼壱が勢いよく彼に視線を向けた。それがぶつかる事はない。気配はできるだけ薄めて、樹の上であったし、その前に男の一人が突然刀を構えて叫んだからだ。
 鬼壱も察していた。
 物凄い速さで向こうから駆けてくる妖の存在が。

「おい、来るぞ!全く休めやしない!」

 攻められている妖からすれば此方の台詞、一体何を言っているのかと言いたい所だが、兎も角、一番早く構えた男が吹っ飛ぶ。
 複数の獣を合わせたような、まさに妖の姿に他の男達が刀を振るうが、さっと避けられもう一人が地に臥せられる。

「この野郎ぉぉおお!」

 残る一人の力強く振った刀が妖に当たり、深く傷を付ける。弧線状に不思議な色の血を吹き出すと、一瞬体がぐらつくが、そのまま刀を当てた男に襲いかかって二体が倒れる。そこはそのまま静けさを得た。

 鬼壱はその間何も言葉を発せず、立ち尽くしていた。
 そして誰もいなくなると静かに山へと去っていった。

 それからも互いに死傷者を出し、しかし人間側が優勢のまま朝がやってくる。森は人間に明け渡されたと言っていいだろう。
 前線に出つつも生き残った妖はすっかり妖力を使い果たして、先に逃げた妖達と同じように山へ逃げて行った。
 今が殲滅の絶好の機会だとは言え、人間達もまた疲弊していて山までは攻め入る力が残っていない。
 森を制圧して妖の数を減らせた事で十分だと思ったのか隊の指揮を執っていたらしい男が声を上げ、町へ向けて合図である色のついた煙を出した後、一旦引き上げて行った。

 静寂が森一帯を包む。

 そこには誰も居なくなり、悲しいかな、魂のない物だけが地に伏していた。刻まれた跡だけが戦の激しさを物語っている。
 山に移った妖達もさめざめと泣くばかりで、あとは俯いて黙り込んでいた。
 鬼壱のように一匹ものも多いが、家族として友として関係を持っている妖もいる。一匹ものであってもあの森は慣れ親しんだ故郷だ。それが奪われ、特別な仲はなくとも同じ妖という分類の者達の多くが襲われた。
 恐怖、怒り、憎悪。
 それが多くの妖の涙と重い空気を生んでいた。
 鬼壱も逃げてきた妖の一匹ではあるが、彼らの集まりから少しだけ距離を取り、その方向を暗い面影で見つめているだけだった。
 そういう妖もいないわけではない。大半は一匹狼だったモノももう頭に来ているか、あの女狐のように既に京古周辺を離れていて、極少数なものだが。

「……これから、どうします」

 力の弱そうな妖が言った。逃げ込む際に指揮を取っていた巨体の青鬼が答える。同じ鬼でも青鬼は鬼壱と違うモノのようで、大分厳つく真っ青な顔付きであったが、そんな顔もすっかり憔悴していた。
 彼は丁度集まりの真ん中におり、妖達の主格のように見えた。普段はそんなものもなく、個人、或いは家族単位の繋がりがあるだけだったのだが……。

「このままじゃ、気が収まらねぇ」

「そうよ!ワタシの子の仇を取らないと」

 一つの呟きが溢れると、それに応え、反応するように子狐を殺された母も苦々しい表情で続けて叫ぶ。青鬼と同じくらいに存在感のある尾の複数ある狐。いの一番に逃げた女狐とは大分違う強い妖狐だった。

「奴らに復讐しねぇと、あいつが浮かばれねぇ」

 親友を殺された鵺も声を挙げると、次々に他の妖達からも声があがる。それは森で自然と集まった軍団のように塊となっていく。
 それを岩影から聞く鬼壱。
 もちろん鬼壱は参加するつもりなどない。ただ、現状を把握する為に聞いているのだ。
 こうなる事は人間達がやって来た時から予想はついていた。上手く妖を殲滅出来ていれば別だが、少数でも残れば彼らは奮起するだろうと。数が減れば人間に勝つことは出来ないが、それでも力のある妖だ。相討ち覚悟であれば幾人かの仇を討つ、報いを与える事はできるのだから。
 そこでただ心に浮かぶのは。

「豊……」

 その小さな呟きは溢れる怒声に掻き消されてしまった。
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