本編
その日、京古中に紙が配られた。
『夜は決して外へは出ない事。早めに家に籠る事。商店なども、今日は早めに閉める事。』
それは、森での妖討伐計画を報せるものだった。
大半の人間にとっては急ではあったが、文句をつけそうな権力者達には既に話がついている。こんな大規模な事であるから当然で、特に大きな反発も無かった。
驚いた平凡な町人達も、毎夜怯えていた恐ろしい妖を退治する為である。勿論、喜んで協力した。
商店は売り物が残っていても引き下げ、子を持つ親は「夜のうちに恐い恐い妖達を強い人達がやっつけてくれるのよ」と家から出ないよう言い聞かせた。一人二人の暮らす家は早く寝て明日に備えようと直ぐ床につく者もある。
こうして夕刻にもなってみれば、人っ子一人小路を通らない町が出来上がっていた。
その頃には忍者達も集会所に集まっていて、見回りを任された下っ端全てが準備や確認をしていた。普段ならば日毎に分担される仕事も今日は総出だ。
それでも彼らはまだ良い。仕事内容としては普段通りだと告げられているのだから。
一階の広間に集った者達の顔は、皆更に真剣なものだった。確かに緊張も含まれるが、下っ端の者とは違い、それを遥かに上回る決意。
何せ彼らが直接乗り込む部隊なのだ。
折角の機会をむざむざ逃してはならない。今こそ森の妖を倒す時である、と。届けられた武具で装備を整え、爆薬や傷薬などを懐に入れている。
彼らはもう一度作戦を確認すると、紫色の空の下、森へと出発した。
「な、何だ何だ!」
ざっと木の影から顔を出す小さな動物。まだ生まれて数十年ほどの幼い子狐だ。森に着いた者達を見て只ならぬ事と知り、慌てて奥へ駆ける。
「おぉい、おぉい。猫や、狸や、鬼や、家族や!皆みんな、大変だ。人間達が挙ってやって来た!」
いつもとまるで違う気迫と数の人間。
狐は素ばしっこさを頼りに駆けながら、瓦版の号外とでも言うように、あちこちに叫ぶ。
その叫びか、或いは自分で人間に気付いたモノは腰を上げた。そして立ち上がった妖が森の途中で自然に集っていき、群れを作り始める。群れは忍者や剣士の隊と同じように軍隊となっていた。
全ては、自分達を守るために。
狐がある程度駆けていくと誰かの目に留まり、それからひゅ、とクナイが飛んできて簡単に仕留められた。
森は既にざわめき始め、一匹を殺したところで鎮まりはしないのだが。
(何だこれは……)
勿論鬼壱も気配を察していた。今日も憂鬱で、しかしいつも通り充実していたはずの日を過ごし、木の上に寝転がっていたのだが、あまりの不気味さに飛び起きたものだ。
ぞろぞろと忍者やら剣士やらが森へ入って来るのがわかる。
視界の端がぐるんと歪み、そこに以前会ったあの女狐が現れると、どうやら辛口は叩くものの独特の笑いをする余裕がないらしく、ただ森の入り口の方を見据えていた。
「……嫌な予感が当たったねェ。あの子はこの事を伝えに来たってわけだァ」
狐はもっときちんと言ってくれればいいのに、と小さく毒づく。
「一体何なんだ。今まで人間が、これほど本気で森を襲いに来た事はないだろ」
冷や汗を流し、ぎり、と手を握る。
自分なら無事に逃げられるのはわかっている。それでも鬼壱の脳裏を過るのは、この先の予測。不安。
(一体誰がこんな馬鹿な事を!)
「私ァ逃げるよ。あんた達みたいな力はないからねェ!」
最後まで毒を吐きたかったのかその裏に親切な忠告があったのかはわからないが、女狐は自分からやって来たくせ、そう言うなりさっさと逃げてしまった。
代わりに奥から強い妖気が漂ってくる。鬼壱ですらその集団の妖気に少したじろいだ。
恐ろしい光景だった。
森の何処かで集団と集団がぶつかると、宣言もなしに戦が始まる。
例えば、猫がぼわりと巨大化して牙を剥くと、白い体を後ろから刀で二つに裂かれる。
妖を術の枝で巻き込むと、それに紛れた樹の妖が惑わされた忍者の首をぎりりと絞める。
勿論困惑していた鬼壱の傍にも、樹を飛んで移動していた忍者が近付いていく。しかし忍者が気付いて構えた頃には、とっくに鬼壱が後ろに回っていた。
「動くな。俺は他の奴と違って無駄な殺しはしない。動かなければな」
「……っ」
首に当てられた爪は鋭く、忍者の持つクナイよりも切れ味が良さそうだ。
忍者が視界を巡らせるも、仲間は少し先の違う妖と戦っているようで気付かない。そもそも自分もそこに混じる予定で、たまたま途中に一匹見つけたから洩れのないよう襲っただけであったのに。
消されていただけの気配を、弱い妖と勘違いしてしまった男の負けだ。
「一体誰がこんな事を仕組んだ。今までの小競り合いから、唐突過ぎる」
「貴様なんぞにっ」
ぷつ、と血の玉が浮かぶ。
もうほんの少し力を入れれば、忍者の血管はぶつりと破けて大量の血が吹き出る。
「じゃあ忍は全員来ているのか」
「……くっ」
苦々しい顔をしてから、本気で殺されると悟り、捻り出すように口を開けた。
まだ修業の足りない忍者なのだろう。愚かであり人間らしい。
「下っ端は来ていない。選ばれた上級の剣士と忍者だけだ。下には町の見回りをさせている」
ほっとした鬼壱は彼を離すと同時に、攻撃を避けるように素早く離れた。
そして、まだ争いの少ない更なる奥へと隠れるのだった。
『夜は決して外へは出ない事。早めに家に籠る事。商店なども、今日は早めに閉める事。』
それは、森での妖討伐計画を報せるものだった。
大半の人間にとっては急ではあったが、文句をつけそうな権力者達には既に話がついている。こんな大規模な事であるから当然で、特に大きな反発も無かった。
驚いた平凡な町人達も、毎夜怯えていた恐ろしい妖を退治する為である。勿論、喜んで協力した。
商店は売り物が残っていても引き下げ、子を持つ親は「夜のうちに恐い恐い妖達を強い人達がやっつけてくれるのよ」と家から出ないよう言い聞かせた。一人二人の暮らす家は早く寝て明日に備えようと直ぐ床につく者もある。
こうして夕刻にもなってみれば、人っ子一人小路を通らない町が出来上がっていた。
その頃には忍者達も集会所に集まっていて、見回りを任された下っ端全てが準備や確認をしていた。普段ならば日毎に分担される仕事も今日は総出だ。
それでも彼らはまだ良い。仕事内容としては普段通りだと告げられているのだから。
一階の広間に集った者達の顔は、皆更に真剣なものだった。確かに緊張も含まれるが、下っ端の者とは違い、それを遥かに上回る決意。
何せ彼らが直接乗り込む部隊なのだ。
折角の機会をむざむざ逃してはならない。今こそ森の妖を倒す時である、と。届けられた武具で装備を整え、爆薬や傷薬などを懐に入れている。
彼らはもう一度作戦を確認すると、紫色の空の下、森へと出発した。
「な、何だ何だ!」
ざっと木の影から顔を出す小さな動物。まだ生まれて数十年ほどの幼い子狐だ。森に着いた者達を見て只ならぬ事と知り、慌てて奥へ駆ける。
「おぉい、おぉい。猫や、狸や、鬼や、家族や!皆みんな、大変だ。人間達が挙ってやって来た!」
いつもとまるで違う気迫と数の人間。
狐は素ばしっこさを頼りに駆けながら、瓦版の号外とでも言うように、あちこちに叫ぶ。
その叫びか、或いは自分で人間に気付いたモノは腰を上げた。そして立ち上がった妖が森の途中で自然に集っていき、群れを作り始める。群れは忍者や剣士の隊と同じように軍隊となっていた。
全ては、自分達を守るために。
狐がある程度駆けていくと誰かの目に留まり、それからひゅ、とクナイが飛んできて簡単に仕留められた。
森は既にざわめき始め、一匹を殺したところで鎮まりはしないのだが。
(何だこれは……)
勿論鬼壱も気配を察していた。今日も憂鬱で、しかしいつも通り充実していたはずの日を過ごし、木の上に寝転がっていたのだが、あまりの不気味さに飛び起きたものだ。
ぞろぞろと忍者やら剣士やらが森へ入って来るのがわかる。
視界の端がぐるんと歪み、そこに以前会ったあの女狐が現れると、どうやら辛口は叩くものの独特の笑いをする余裕がないらしく、ただ森の入り口の方を見据えていた。
「……嫌な予感が当たったねェ。あの子はこの事を伝えに来たってわけだァ」
狐はもっときちんと言ってくれればいいのに、と小さく毒づく。
「一体何なんだ。今まで人間が、これほど本気で森を襲いに来た事はないだろ」
冷や汗を流し、ぎり、と手を握る。
自分なら無事に逃げられるのはわかっている。それでも鬼壱の脳裏を過るのは、この先の予測。不安。
(一体誰がこんな馬鹿な事を!)
「私ァ逃げるよ。あんた達みたいな力はないからねェ!」
最後まで毒を吐きたかったのかその裏に親切な忠告があったのかはわからないが、女狐は自分からやって来たくせ、そう言うなりさっさと逃げてしまった。
代わりに奥から強い妖気が漂ってくる。鬼壱ですらその集団の妖気に少したじろいだ。
恐ろしい光景だった。
森の何処かで集団と集団がぶつかると、宣言もなしに戦が始まる。
例えば、猫がぼわりと巨大化して牙を剥くと、白い体を後ろから刀で二つに裂かれる。
妖を術の枝で巻き込むと、それに紛れた樹の妖が惑わされた忍者の首をぎりりと絞める。
勿論困惑していた鬼壱の傍にも、樹を飛んで移動していた忍者が近付いていく。しかし忍者が気付いて構えた頃には、とっくに鬼壱が後ろに回っていた。
「動くな。俺は他の奴と違って無駄な殺しはしない。動かなければな」
「……っ」
首に当てられた爪は鋭く、忍者の持つクナイよりも切れ味が良さそうだ。
忍者が視界を巡らせるも、仲間は少し先の違う妖と戦っているようで気付かない。そもそも自分もそこに混じる予定で、たまたま途中に一匹見つけたから洩れのないよう襲っただけであったのに。
消されていただけの気配を、弱い妖と勘違いしてしまった男の負けだ。
「一体誰がこんな事を仕組んだ。今までの小競り合いから、唐突過ぎる」
「貴様なんぞにっ」
ぷつ、と血の玉が浮かぶ。
もうほんの少し力を入れれば、忍者の血管はぶつりと破けて大量の血が吹き出る。
「じゃあ忍は全員来ているのか」
「……くっ」
苦々しい顔をしてから、本気で殺されると悟り、捻り出すように口を開けた。
まだ修業の足りない忍者なのだろう。愚かであり人間らしい。
「下っ端は来ていない。選ばれた上級の剣士と忍者だけだ。下には町の見回りをさせている」
ほっとした鬼壱は彼を離すと同時に、攻撃を避けるように素早く離れた。
そして、まだ争いの少ない更なる奥へと隠れるのだった。