本編
お天道様が溢す光に照らされて活気づく城下町、京古(きょうこ)。広いそこはぐるりと長い塀に囲われ、大通りの騒がしさを閉じ込めている。海を背にした町の奥には一際高い建物、京古城が建っており、そのお膝元だからこそ多くの人々が町中で商売やら、雑談やら、喧嘩やら、日々を送っているのである。
しかし、多くの人々がいるからこそ、目の行き届かない場所も事もある。
それがこの人気のない下町の端だった。陽もあまり当たらずじめじめしたそこでは、町を覆っているはずの塀の一部が妖(あやかし)に壊され、大人はともかく、子供は無理をすれば通れるぐらいの穴が空いている。
その穴を通り、町から少し離れた森に、四人の子供が集まっていた。
ただし、位置や姿勢的に見て、三人と一人といった様子である。
「豊の癖に弱虫だなー。もう泣いてんのかよ!」
「男の癖に泣くなよな」
「しかも貧しい格好してよぉー」
程度はそれぞれ違うが、それなりの身なりをした少年三人が、小さく座り込んで泣く少女を囲っていた。安く簡素な服から覘く細い腕、小さくても柔らかそうな体、長い金の髪、なにより可愛らしい顔は間違っても男ではない。
それなのに少女を男の癖にと詰(なじ)るのは、少女が豊という名前だからだ。少女にとっては大切な名でもまるで男のようであると。その上貧しい格好をしていると、三人の少年は一人の少女を虐めていたのである。
この妖が住むと言われている森に、少女を呼び出して。
場所や時間が変わる事はあれど、それはいつものことで、中でもこの森は都合が良かった。
下町を出た場所で、確実に豊を知る人間は来ない。その上世の中で恐れられている妖も昼間は力が弱っていて、夜までは眠っていると言われている。
どうせ出てきやしないのだ。
「どうして私だけ虐めるの……」
ひょろりとした細長い少年が答える。彼の家は大地主で、農家と言えど中堅の商家にも負けない金持ちだ。
「だーかーらー、そりゃあお前が弱っちいからだろ!」
太めの少年は武家の長男らしい。態度だけは立派に偉そうなものだった。
「泣き虫な豊クンだもんなぁ。俺の家だったら、お母様の方が泣いてるぜ」
そして平凡な体型をした少年は何も言わずにふんと鼻で笑った。少年は町でも数えるほどの商家の息子だった。
その三人になにか言われる度、少女の高い泣き声が森に響く。
それを煩いと思う者がいた。
四人のいる入口より少し奥、樹の上で寝ていた男はその声で目を覚ます。
とん、と樹から降りてその音源に向かう。
そして草を掻き分け、四人の子供を見つけた。
(煩いのはこの餓鬼共のせいか)
ちっと心の中で舌打ちした男は、一歩前へ踏み出る。
「おい、眠れないんだが」
四人が此方を向いて目を開き、硬直した。
誰もいないはずの森で人がいたから。初めの硬直はそれだったかもしれない。
しかし男の容姿は、低い位置で一つに束ねた真っ赤な髪。瞳は金色で、開いた口から覘く鋭い牙が、子供達の目からは強調したように見えた。そして尖った頭の角に耳。
男はただ煩いと正直に伝えただけだったが、子供達にとっては。
「――お、鬼だぁああ!!」
「妖が出たぁぁああ!奥で眠ってて起きないんじゃなかったのかよぉおお」
「ひぃぃ、やめろ赤衛門!掴むな!」
泣き虫と少女にあれだけ言っていたのに、泣いて逃げようと友人の袖を掴む少年。
「早く逃げるぞ!」
「慎之介も、待ってくれ!!」
それでも三人はなんとか駈け出して、泣きながら逃げ帰っていった。
――残されたのは、固まって動けない一人の少女。
少年達をぼうっとした瞳で見送った後、鬼がふっと横を見ると、まだ残っている少女と視線がかち合った。
「……お前は逃げないのか」
「……貴方は私を食べないの?」
「「……」」
お互いに、沈黙。
本当は少女だってまだ怖かったし逃げたかった。
でも、座り込んで泣いていた所に怖い妖が来て、立ち上がれなくなっていたのだ。
もう喰われてしまうのだろう。
そう思ったが、鬼はそれを聞いただけで、一向に襲って来ようとはしない。
暫しの沈黙の後、鬼が頭を掻いて話始めた。開いた口には相変わらず鋭そうな牙が輝いていた。
「あー……俺は、人間を襲う気はない。大半は人間を襲うが、まぁ、こういうヤツもいる」
「……ホント?」
おず、と少女が聞いてくる。
「嘘だと思うなら、今の内逃げておけよ。喰われるぞ」
「や、やっぱり食べるの?」
「あー!!だからー……」
泣き声はいつの間に止んだが、これはこれで面倒だ。鬼は頭を抱えた。
人間の肉は美味いらしく、その上他の食料や色んな道具、宝石も持っていて、襲う妖が大半だ。
それに襲った妖が逆に殺されたり、向こうもこちらの住み処を奪ったりと、恨みもある。
だが鬼にとっては面倒だし、食料は森にあるで物で事足りる。何も困ってはいなかった。
ただ静かに適当に暮らして、趣味の狩りだったり釣りだったり、妖術の修行だったりが出来れば、それで幸せだと思っていたのだ。
だから襲わないのは本当なのだが。
「あーもう!兎に角お前は襲わない。でもお前は怖いだろうからここから去れ!以上!!」
「……じゃ、じゃあ怖くない!」
「はあ?」
「じゃあ、貴方の事、怖くない!」
ぴっと手を上げて、少女は高らかに何を言っているのか。
流石の鬼も目を丸くした。
「あ、いやあの、だからな。俺は鬼なんだぞ」
「お、襲わないなら、私を助けてくれた優しいひと……鬼です!」
人と言ってから慌てて鬼と直す。
男は確かに人ではなく鬼だが、突っ込み所はそこではなくて。
「助けたァ?」
「虐められていた所を、助けて貰いました!」
「いや、俺はただ眠かっただけで」
助けたつもりなどなかった。それにした事と言えば草木の影から顔を覗かせて、眠れないと言ったくらいである。
動かなかった体をゆっくりと起こして、少女は立ち上がる。まだ震えはあるものの、怖さは和らいでいるようだった。
「震えてるようだし、怖いなら無理しなくていいんだぞ!と言うか帰っておけよ!」
「だから、私は怖くないです!」
耳にキーンと来る叫び声。
幸いにして他の妖は噂通り、すっかり夜に向けて深く寝こけているし、もっとずっと奥にいるはずだから、よっぽどの事がないと起きない。
まずこんな子供一人では。
しかし鬼壱にとっては不幸だったのか、幸せだったのか。
「わ、私、神居豊(かむい ゆたか)と言います!宜しくお願いします!」
ばっ。と勢いよく頭を下げた少女。
「あ、俺は鬼壱(きいち)……って違う!俺は妖お前人間!何やってるんだよ」
「まずは、お友達から……!」
「はァ?!」
その時はただ勢いのせいで、少し可笑しな言い方になってしまったのだが……時は過ぎ、やがて本当にお友達“から”になってしまうなど。今の二人に知る由はない。
しかし、多くの人々がいるからこそ、目の行き届かない場所も事もある。
それがこの人気のない下町の端だった。陽もあまり当たらずじめじめしたそこでは、町を覆っているはずの塀の一部が妖(あやかし)に壊され、大人はともかく、子供は無理をすれば通れるぐらいの穴が空いている。
その穴を通り、町から少し離れた森に、四人の子供が集まっていた。
ただし、位置や姿勢的に見て、三人と一人といった様子である。
「豊の癖に弱虫だなー。もう泣いてんのかよ!」
「男の癖に泣くなよな」
「しかも貧しい格好してよぉー」
程度はそれぞれ違うが、それなりの身なりをした少年三人が、小さく座り込んで泣く少女を囲っていた。安く簡素な服から覘く細い腕、小さくても柔らかそうな体、長い金の髪、なにより可愛らしい顔は間違っても男ではない。
それなのに少女を男の癖にと詰(なじ)るのは、少女が豊という名前だからだ。少女にとっては大切な名でもまるで男のようであると。その上貧しい格好をしていると、三人の少年は一人の少女を虐めていたのである。
この妖が住むと言われている森に、少女を呼び出して。
場所や時間が変わる事はあれど、それはいつものことで、中でもこの森は都合が良かった。
下町を出た場所で、確実に豊を知る人間は来ない。その上世の中で恐れられている妖も昼間は力が弱っていて、夜までは眠っていると言われている。
どうせ出てきやしないのだ。
「どうして私だけ虐めるの……」
ひょろりとした細長い少年が答える。彼の家は大地主で、農家と言えど中堅の商家にも負けない金持ちだ。
「だーかーらー、そりゃあお前が弱っちいからだろ!」
太めの少年は武家の長男らしい。態度だけは立派に偉そうなものだった。
「泣き虫な豊クンだもんなぁ。俺の家だったら、お母様の方が泣いてるぜ」
そして平凡な体型をした少年は何も言わずにふんと鼻で笑った。少年は町でも数えるほどの商家の息子だった。
その三人になにか言われる度、少女の高い泣き声が森に響く。
それを煩いと思う者がいた。
四人のいる入口より少し奥、樹の上で寝ていた男はその声で目を覚ます。
とん、と樹から降りてその音源に向かう。
そして草を掻き分け、四人の子供を見つけた。
(煩いのはこの餓鬼共のせいか)
ちっと心の中で舌打ちした男は、一歩前へ踏み出る。
「おい、眠れないんだが」
四人が此方を向いて目を開き、硬直した。
誰もいないはずの森で人がいたから。初めの硬直はそれだったかもしれない。
しかし男の容姿は、低い位置で一つに束ねた真っ赤な髪。瞳は金色で、開いた口から覘く鋭い牙が、子供達の目からは強調したように見えた。そして尖った頭の角に耳。
男はただ煩いと正直に伝えただけだったが、子供達にとっては。
「――お、鬼だぁああ!!」
「妖が出たぁぁああ!奥で眠ってて起きないんじゃなかったのかよぉおお」
「ひぃぃ、やめろ赤衛門!掴むな!」
泣き虫と少女にあれだけ言っていたのに、泣いて逃げようと友人の袖を掴む少年。
「早く逃げるぞ!」
「慎之介も、待ってくれ!!」
それでも三人はなんとか駈け出して、泣きながら逃げ帰っていった。
――残されたのは、固まって動けない一人の少女。
少年達をぼうっとした瞳で見送った後、鬼がふっと横を見ると、まだ残っている少女と視線がかち合った。
「……お前は逃げないのか」
「……貴方は私を食べないの?」
「「……」」
お互いに、沈黙。
本当は少女だってまだ怖かったし逃げたかった。
でも、座り込んで泣いていた所に怖い妖が来て、立ち上がれなくなっていたのだ。
もう喰われてしまうのだろう。
そう思ったが、鬼はそれを聞いただけで、一向に襲って来ようとはしない。
暫しの沈黙の後、鬼が頭を掻いて話始めた。開いた口には相変わらず鋭そうな牙が輝いていた。
「あー……俺は、人間を襲う気はない。大半は人間を襲うが、まぁ、こういうヤツもいる」
「……ホント?」
おず、と少女が聞いてくる。
「嘘だと思うなら、今の内逃げておけよ。喰われるぞ」
「や、やっぱり食べるの?」
「あー!!だからー……」
泣き声はいつの間に止んだが、これはこれで面倒だ。鬼は頭を抱えた。
人間の肉は美味いらしく、その上他の食料や色んな道具、宝石も持っていて、襲う妖が大半だ。
それに襲った妖が逆に殺されたり、向こうもこちらの住み処を奪ったりと、恨みもある。
だが鬼にとっては面倒だし、食料は森にあるで物で事足りる。何も困ってはいなかった。
ただ静かに適当に暮らして、趣味の狩りだったり釣りだったり、妖術の修行だったりが出来れば、それで幸せだと思っていたのだ。
だから襲わないのは本当なのだが。
「あーもう!兎に角お前は襲わない。でもお前は怖いだろうからここから去れ!以上!!」
「……じゃ、じゃあ怖くない!」
「はあ?」
「じゃあ、貴方の事、怖くない!」
ぴっと手を上げて、少女は高らかに何を言っているのか。
流石の鬼も目を丸くした。
「あ、いやあの、だからな。俺は鬼なんだぞ」
「お、襲わないなら、私を助けてくれた優しいひと……鬼です!」
人と言ってから慌てて鬼と直す。
男は確かに人ではなく鬼だが、突っ込み所はそこではなくて。
「助けたァ?」
「虐められていた所を、助けて貰いました!」
「いや、俺はただ眠かっただけで」
助けたつもりなどなかった。それにした事と言えば草木の影から顔を覗かせて、眠れないと言ったくらいである。
動かなかった体をゆっくりと起こして、少女は立ち上がる。まだ震えはあるものの、怖さは和らいでいるようだった。
「震えてるようだし、怖いなら無理しなくていいんだぞ!と言うか帰っておけよ!」
「だから、私は怖くないです!」
耳にキーンと来る叫び声。
幸いにして他の妖は噂通り、すっかり夜に向けて深く寝こけているし、もっとずっと奥にいるはずだから、よっぽどの事がないと起きない。
まずこんな子供一人では。
しかし鬼壱にとっては不幸だったのか、幸せだったのか。
「わ、私、神居豊(かむい ゆたか)と言います!宜しくお願いします!」
ばっ。と勢いよく頭を下げた少女。
「あ、俺は鬼壱(きいち)……って違う!俺は妖お前人間!何やってるんだよ」
「まずは、お友達から……!」
「はァ?!」
その時はただ勢いのせいで、少し可笑しな言い方になってしまったのだが……時は過ぎ、やがて本当にお友達“から”になってしまうなど。今の二人に知る由はない。