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本編

 陽が照りつける真昼は、人が最も活動的な時間。
 確りした子供の何人かは篠子を手伝う為に屋敷の中で、またある者は京古内の友達の下へと。
 そうでない多くの小さな子供達は、養育屋敷の辺りをわいわいと駆け回り花のように明るさを振り撒いている。
 そんな集団の中で一人の少年が、ふと青年の影に気付いた。

「あ、慎之介だ!」

 ぽかん。

 その一言に、声を上げた少年の頭が力ない少女の手で殴られる。
 彼女の背は少年より低く、他の少女にも多いおかっぱの髪と相俟って可愛らしいのだが、瞳がどこか涼しげに感じられ、叱る声色もどこか冷静で大人びていた。

「いってぇなぁ、咲!」

「太一。慎之介“さん”」

「な、なんだよっ」

「慎之介、“さん”」

 咲と呼ばれた少女の静かな圧力に、少年が押される。
 押された少年は礼儀を正そうともせず、咲から視線を逸らすと、ぶうっと唇を尖らせて拗ねた。

「ははは、いいんだよ太一。でも、他の大人には気を付けなくちゃいけないよ」

「慎之介さん、そうやってすぐ太一を甘やかす」

 ふうと溜め息を吐きつつ軽く目を伏せる咲。
 一方の拗ねた少年、太一の頭を慎之介がよしよしと撫でると、太一はすっかり機嫌を直して「流石慎之介!」と調子に乗った。
 咲がまた、全くと困った顔をする。
 まるで大きいお姉さんと弟のようだ。それが面白く、微笑ましい。だからまたついつい慎之介は甘やかしてしまうのだ。
 この二人の差は、たった一歳なのだが。

「豊なら今は昼寝中だぜー。起こす?」

「そうか、いや、いいよ」

 いつも通り養育屋敷には急に来ただけで、約束などしていない。恐らく昨夜は仕事だったのだろう。疲れて昼寝をしている豊を起こしたくはなかった。
 勿論太一も、慎之介がそう答えると知ってて振っている。

「豊も乱暴者の癖に、持て持てだよなー。慎之介はこうやっていっつも来るし、“キイチ”を連れてくるし」

「太一」

 ぽかん。

 咲の腕が先程より早く太一の頭を狙う。
 何せ慎之介は鬼壱の話を聞くよりもずっと前からよく屋敷に来ては豊と話しているのだ。こうして太一を含む子供達の事も気に掛けてくれる。
 流石の太一も、首を振るう咲と慎之介を見て失言に気付き、やべっと漏らした。
 ……これには慎之介も苦笑する。こんな子供達にまで気を使われるとは。

「ははは。……いいんだ、いいんだよ。でも太一に咲も、その“キイチ”という人には会ったのかい」

「おう、会ったぜ!家に来たんだ。慎之介より長い髪してて、体もちょっとがっちりしてた。多分喧嘩は強いだろうな。あ、でも着てる物は慎之介の方がずっといいぜ」

 頭の方で手を組んで朗らかに言った。
 子供だから素直なのか太一だからなのか、慎之介を褒める点が着物である事に、咲がまた微妙な顔をした。

 兎も角咲も太一も慎之介が好き。だが、鬼壱も悪い奴でなかったし、豊の選んだ人だ。気に入ったのだろう。
 二人の評価に酷い点はなかった。
 そしてそれに続けて咲も、鬼壱の評価を加える。

「突然連れてきたから、あまり詳しくはないけれど、良い人そうだった。豊を助けてくれたのがきっかけみたいだし。でも、慎之介さんも頑張って」

 変化しているかの判断が付きにくいその表情で、ぐ、と拳を握って応援する咲。
 太一と同じくどちらじゃなけりゃ、と言うのはないが、大人な咲には目の前に居る慎之介を一先ず応援しない訳にはいかなかった。
 有難う、と慎之介は二人の子供の気遣いに頭を撫でるが、ふと手が止まる。

「……いや。……咲、豊が助けられたのがきっかけ?一体いつ、誰に襲われたんだ!」



「小さい頃。森で虐められた時、だそう」



 こぉん、と。
 時の止まるような、鐘が綺麗に歪んだような音。ほんの少しの間、それが慎之介の心に響いた気がした。
 ぎり、と小さな音を立てて握られる拳。
 頭を、胸を襲う物理的でない傷み。

「……そうか」

「慎之介?どうしたんだよ、何か思い当たる節でもあった?」

「……。悪いね、二人とも。今日は帰るよ。ああ、そうだ。これを皆で食べると良い」

 様子の変わった慎之介を二人は不思議そうに見詰めるが、懐から取り出された一袋のお菓子を受け取ると、太一はもう不思議など吹き飛んだようにやたらと喜ぶ。
 咲も素直に受け取り礼を言うが、追及できないまま、変わらぬ表情で別れを告げる慎之介を見ていた。



 幾つもの家を通り過ぎる。
 その間に聞こえる賑やかな音は、慎之介には殆ど聞こえていなかった。思考が音を遮っていた。
 過去と後悔と想う人の画はそれだけで頭の中を埋め尽くす量があった。

(そうか。それなら僕にとやかく言う資格はないのかもしれないな)

 目を少し伏せて、また回想する。
 しかし、もうすぐ家に着くと言うところで慎之介の足が止まった。
 自らの手で自然と押さえていた口元。そうして隠された表情は、焦りと驚愕に侵されていた。
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