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本編

「嘘、だよね。嘘だもんね」

 抱える膝に突っ伏した顔。
 それでも先程の出来事は嘘になんかならない。間違いなく、あの心の傷みは、事実だ。
 豊は数少ない独り部屋を与えられていて、屋敷に戻ってからもその顔を皆に見せずに済んだ。
 部屋までは平然そうな顔をして、戸を閉めてからは、全ての感情を吐き出した。

 泣いてはいない。
 涙も出ない。

 彼女にできるのは、鬼壱が数日後にひょっこりと姿を現してくれる事を願う事だけだった。
 そんな子供の喧嘩のように簡単に終息する話ではないとしても。

(……元気な顔してなくちゃ)

 豊は顔を少しだけ上げ、気持ちを改めようと軽く頬を叩いた。
 この部屋から出れば子供達や篠子がいる。それに明日は昼に忍者の集まりがある。
 例え気持ちの澱みが消えきれなかったとしても、他の人間にこんな表情を見せるわけにはいかない。
 もう弱いままの豊ではないのだから。元気で強い豊なのだから。




 翌日、逢魔ヶ刻でも夜更けでもない昼。忍者集会所には、こんな時間ならば数える程しかいないはずの忍者が大勢集まっていた。
 とは言え最近こういった集まりが多い。その中身は大半、見回り担当の変更であったが。
 豊はその事をぼんやりと考えながら門を潜った。

「おはよー、豊」

「燐姐……おはよう」

 中に入った所でぽんと肩を叩かれ、同時に気安い声を掛けられる。その安心する中低音の声は、豊に笑いかける燐のものだった。

「最近集まりが多いね」

 信頼する燐相手だからか、心の中で疑問が多くを占めていたのか(勿論一番多いのは鬼壱に対する気持ちだが……)ふとそう口に出していた。
 すると燐は頭を掻きながら驚きの言葉を告げる。

「まあね、仕方ないさ。近々上級の忍勢による妖の一斉討伐が計画されてるって話だからね」

「え?」

 初めて聞く話だが、言われてみれば豊にも納得はできた。
 最近多かった見回り担当の変更は何だか先輩達の穴埋めのようだと思っていたし、集会所に来る度自分より偉い忍者達がばたばたしていた。今も人の往来が激しい程だ。
 今日の集まりも恐らくはいつもと同じような話だから、落ち込んでいる間は少し暇な場所がいいなあなんてぼうっと考えた自分を、豊は少し恥ずかしく思う。

「最近慌ただしかったろう。あんた強いけど、頭の回りや他人のこと探るのは上手くないもんね。ま、この様子だと、あたし達が直接駆り出される心配はなさそうだよ」

 そんな様子を不安と勘違いしたのか、燐に笑顔でわしわしと頭を撫でられて、豊の気持ちも柔らかく解れた。
 だが、それにしても、上級忍者による妖の一斉討伐。
 鬼壱は豊が心配せずとも恐らく上手くやって逃れるだろうが……どこか不安になるのは仕方がない。

『もう森には来るな』

 ――それでも豊は伝えには行けない。

 心の中には靄が掛かりなりながらも自分達より偉いの男が部屋にやってくると、いつもの場所に座り、いつもの話を聞いた。靄を取る隙はなかった。
 内容はやはり次の見回りの担当。
 そして、燐に先程聞いた森の妖へ攻撃すると言う計画について。
 燐からは具体的な日を聞けなかったが、作戦の日は近く、新米や中堅の忍者にも伝えなければいけないと思ったようだ。

 実行するのはやはり上級の忍者達や腕の立つ剣士達で、彼らは今までも少しずつ京古の外の妖を退治していたが、今回は狙いをはっきりと、それも森の奥まで進行すると言う。
 元より妖と人間はいがみ合う仲だ。いつだって機会があればそうしたかったのだろうが、一掃する程の物資の余裕がなく戦況は変わらなかった。それが今回、どうにか物資が集まって急遽計画されたものらしい。
 急遽と言っても今までの進行と比べたら、だ。上層部は最近ずっと計画の為に動いていた。激しい争いになるだろう。

「森の奥地には普段遭う妖以上に危険な妖もいる。よってお前達下級の者は、普段通り町を見回りをしてもらう。ただし、上手く我々から逃げた妖が町に入り込むかもしれん。いつも以上に気をつけて任に当たれ」

「「「はい!」」」

 部屋にぴっと通った若い声が一斉に、前にいる男に向かって揃って響く。それを受け取ると、男はもうこの話は終わりだと切り上げて、いつも通りに懐から紙を取り出した。

「では、それぞれの担当区域を伝える――」

 男が二人ずつ名前を読み上げ、一纏まり読むとそこまでが奇数日の南の区域担当だと告げる。班員にその区域での諸注意や班員の長所欠点など色々と伝えると、また次の班の名前を読んでいく。
 豊は偶数日の北西の担当。同じく燐も北西の担当だと告げられて内心喜んだ。勿論その場では燥(はしゃ)がず、決まり文句のような言葉を真剣に聞いた。

 集まりを解散させられたのは鐘八つ頃。まだ帰るには少し時間がある。
 ついでに練習も欠かせないため……と言うより今回は気を紛れさせる為と気を引き締める為なのだが、訓練場に寄った。
 豊が帰る頃にはまた集会所に今日の見回り担当である忍者達が集まっていて、空はすっかり橙と紫が入り交じる不思議な空色になっていた。
 何もない今日は丁度、夕飯時だ。
 養育屋敷に着くと、訓練場でも紛れ切れなかった気持ちを抑えるため、門の前ですう、はあ、すう、と深呼吸をする。そして門を潜り、いつも通り扉を大袈裟に開けた。

「……たっだいまー」

「豊!お帰りー!篠母ちゃん、豊帰ってきたよ、飯ーっ」

 豊を待っていたのだかご飯を待っていたのだかわからない少年の背に向けて、豊はひっそりと微笑むと、元気な声を上げて彼を追った。

「私を置いてご飯なんて、百億光年早ーいっ!」
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