本編
昔々、虐められっ子がおりました。彼女はその日も妖が出るという森に連れられ、町の身分高い子供に虐められて泣いておりました。その時です。颯爽と現れたキイチという名の男が彼女を助けてくれたのです。
彼女は元気を取り戻し、努力し、立派な忍になりましたとさ。そして今では男の横にいるのです。めでたしめでたし。
「――という訳なのさ!」
豊は大分語っていたが、要約すればそんな風だ。鬼壱が鬼である事を誤魔化し、少し美化されたお話。その美化も或いは、豊にとって本物だったのかもしれないが。
どちらにせよ話を真に受けた少年達は、おお~、ときらきらとした瞳で鬼壱を見た。
それが彼にとってとてつもなく心地悪い。
いつの間にか茶を煎れ終えた篠子が戻っていて、ちゃぶ台にそれを載せると、ゆっくりと向かいに座った。
「あの日以来豊が泣かなくなったと思ったら、そう言う事だったのね……」
話し声は大体聞こえていたのだろう。篠子は頬に手を添え、憂いた表情でそう言った。
豊が軽く構われているのは知っていたが、相手の身分が身分だったし、森にまで連れていかれる程深刻な虐めだとは思っていなかった。出来る事はしてあげたつもりだが、その出来る事などたかが知れていた。
申し訳なく目を伏せる篠子に、豊は「もう昔の話だし!今は超強いし!」と必死に慰める。
「……有難う、豊。……キイチ君、だったわよね」
そんな豊にお礼を言った後、篠子は鬼壱に向き直った。
「今はこの子達、そんなに粗末な物も着ていないでしょう」
先程から自由気ままに騒いでいる子供達。あまり気にしていなかった鬼壱は改めて彼らに視線を巡らせてみると、どの子供の着物も昔の豊のような襤褸ではなかった。勿論それほど高価なものではなさそうだが、町の平民とそう変わらない。
「豊がね、毎月お金を入れてくれるの。本当は忍者なんて危ない仕事せずにいてくれた方が嬉しいのだけど、おかげで皆に、私だけが支えていた生活よりずっと良い暮らしをさせてあげられるの」
豊も大切だが、他の子供達も大切なのだ。篠子は複雑な気持ちを抱えつつも、本当に豊に感謝している。
その気持ちが伝わって、豊がえへへっと頭を掻いた。
豊の暢気な様子に篠子と鬼壱が目を合わせ、絆された大人の二人は苦笑した。
「……とっても良い子よ。大切な子なの。誰にも振り向かないそんなあの子が、見初めた相手だもの」
篠子は座布団から席を外し、その後ろにすっと座る。
そして、静かに手をつき頭を下げた。
「神居篠子、心からのお願いです」
豊もこれには目を見張る。子供達でさえも真剣な空気がわかったようで、その瞬間辺りはしん、としていた。
「豊を、大切にしてやって下さい」
そろそろ陽が暮れる。そう言う事で、夕食を勧めようとした篠子を先手打って振り切り、お茶だけをご馳走になって出てきた。
養育屋敷を出てからというもの豊はるんるんと跳び跳ねながら道を進んでいた。話が終わってからは遊ぼうとねだる子供達に付き合ったのに、全く疲れなど見当たらない。
屋敷の皆にはまだ鬼だとは言っていないけれど、鬼壱を連れていって認めてくれた。それが豊には凄く嬉しい事だった。
豊の心は少し満たされて、何か第一歩を踏み出せた気持ちになったのだ。
対称的に鬼壱は何も言わず、静かに豊の後をついていた。表情は窺えない。それは裏通りの人気のない場所まで歩いてきても、変わることはなかった。
ここから更に歩いて何度か曲がれば、また活気のある大通りに出る。そうしたら、少し高いけれど美味しい甘味処に行こう。そう考えて豊は進んだ。
「……?」
しかし、急に鬼壱が立ち止まる。
その気配を察した豊も立ち止まって振り返った。
「――どうして」
「へ?」
強い声。暗くもあった。
「どうして俺をあんな所へ連れていった」
まだ大通りまでは届かない淋しい道に、鬼壱の声がただ響く。
豊の体はそれにびくりとして、目が開いた。
「どうしてって、私の大好きなキーちゃんに家族を紹介したかったからだよ」
「あいつらの親を殺した妖をか!?」
ばっと顔をあげた鬼壱は、いつもの呆れて、でも優しい表情とは全く違う顔をしていた。
少なくとも、豊が一歩後退りしてしまうような。
確かに鬼壱は妖だ。
それでも、豊は本当に、大好きな人である鬼壱に家族を紹介したかった。それが第一だった。
その気持ちが、妖である事に勝ってしまった。
そもそもこの気持ちがある限り、いつかはしなければならない事だ。
そのため豊は精一杯できる事を考えて、新たな変化の術を修行して、実行したつもりだった。
しかし、鬼壱はどうしてもあの看板を見た時から、あの中にいる者達に関わってはいけないと思った。
養育屋敷。殆どが、親や兄弟を、妖に殺された人間の集う場所。
その妖と知ったら。
別に直接手を下していなくても、強い憎しみにそんな区別はつかない。
豊もそういった人間であったが、こうして普通に接しているのは彼女が異質だっただけだ。
人間というだけでも問題だったが、それでも豊が普通の家庭であったら。そして彼女の家族なのだから、同じようにずれた明るさを持っていて、妖に少しでも抵抗がなければ。むしろ豊に気圧されるのが心配だと愚かにもそう思った。
現実。本当に愚かな考えだった。
「……本当に紹介したかったんだよ。確かにあの子達は妖には憎しみを持ってると思う。でも鬼壱は私の好きな人だし、人を襲わない」
「そういう問題じゃない。襲わなくたって、憎いと思う奴は憎いんだ」
「家族への紹介だって、いつかしなきゃいけない事じゃん」
「だから!お前の大切なあいつらに、いつか豊の好きな人間が実は妖だって言わなきゃいけないなら!
――俺の事を忘れればいい」
突っぱねられたって、まだ望みはあるとか根は絶対嫌われてないとか、振り向かせてみせるという根性とか。
そう言ったものが、この風音と彼の表情に否定されるような。そんな瞬間。
「もうお前には会わない。冗談でも何でもない。もう森には来るな」
「え……え?き、キーちゃ……」
豊の時が止まってしまったように動けない。
その間に鬼壱は妖術を使うと、辺りの景色と共にしゅうっと雲に包まれて、豊がはっきりと見回せるようになる頃にはすっかり消えてしまった。
彼女は元気を取り戻し、努力し、立派な忍になりましたとさ。そして今では男の横にいるのです。めでたしめでたし。
「――という訳なのさ!」
豊は大分語っていたが、要約すればそんな風だ。鬼壱が鬼である事を誤魔化し、少し美化されたお話。その美化も或いは、豊にとって本物だったのかもしれないが。
どちらにせよ話を真に受けた少年達は、おお~、ときらきらとした瞳で鬼壱を見た。
それが彼にとってとてつもなく心地悪い。
いつの間にか茶を煎れ終えた篠子が戻っていて、ちゃぶ台にそれを載せると、ゆっくりと向かいに座った。
「あの日以来豊が泣かなくなったと思ったら、そう言う事だったのね……」
話し声は大体聞こえていたのだろう。篠子は頬に手を添え、憂いた表情でそう言った。
豊が軽く構われているのは知っていたが、相手の身分が身分だったし、森にまで連れていかれる程深刻な虐めだとは思っていなかった。出来る事はしてあげたつもりだが、その出来る事などたかが知れていた。
申し訳なく目を伏せる篠子に、豊は「もう昔の話だし!今は超強いし!」と必死に慰める。
「……有難う、豊。……キイチ君、だったわよね」
そんな豊にお礼を言った後、篠子は鬼壱に向き直った。
「今はこの子達、そんなに粗末な物も着ていないでしょう」
先程から自由気ままに騒いでいる子供達。あまり気にしていなかった鬼壱は改めて彼らに視線を巡らせてみると、どの子供の着物も昔の豊のような襤褸ではなかった。勿論それほど高価なものではなさそうだが、町の平民とそう変わらない。
「豊がね、毎月お金を入れてくれるの。本当は忍者なんて危ない仕事せずにいてくれた方が嬉しいのだけど、おかげで皆に、私だけが支えていた生活よりずっと良い暮らしをさせてあげられるの」
豊も大切だが、他の子供達も大切なのだ。篠子は複雑な気持ちを抱えつつも、本当に豊に感謝している。
その気持ちが伝わって、豊がえへへっと頭を掻いた。
豊の暢気な様子に篠子と鬼壱が目を合わせ、絆された大人の二人は苦笑した。
「……とっても良い子よ。大切な子なの。誰にも振り向かないそんなあの子が、見初めた相手だもの」
篠子は座布団から席を外し、その後ろにすっと座る。
そして、静かに手をつき頭を下げた。
「神居篠子、心からのお願いです」
豊もこれには目を見張る。子供達でさえも真剣な空気がわかったようで、その瞬間辺りはしん、としていた。
「豊を、大切にしてやって下さい」
そろそろ陽が暮れる。そう言う事で、夕食を勧めようとした篠子を先手打って振り切り、お茶だけをご馳走になって出てきた。
養育屋敷を出てからというもの豊はるんるんと跳び跳ねながら道を進んでいた。話が終わってからは遊ぼうとねだる子供達に付き合ったのに、全く疲れなど見当たらない。
屋敷の皆にはまだ鬼だとは言っていないけれど、鬼壱を連れていって認めてくれた。それが豊には凄く嬉しい事だった。
豊の心は少し満たされて、何か第一歩を踏み出せた気持ちになったのだ。
対称的に鬼壱は何も言わず、静かに豊の後をついていた。表情は窺えない。それは裏通りの人気のない場所まで歩いてきても、変わることはなかった。
ここから更に歩いて何度か曲がれば、また活気のある大通りに出る。そうしたら、少し高いけれど美味しい甘味処に行こう。そう考えて豊は進んだ。
「……?」
しかし、急に鬼壱が立ち止まる。
その気配を察した豊も立ち止まって振り返った。
「――どうして」
「へ?」
強い声。暗くもあった。
「どうして俺をあんな所へ連れていった」
まだ大通りまでは届かない淋しい道に、鬼壱の声がただ響く。
豊の体はそれにびくりとして、目が開いた。
「どうしてって、私の大好きなキーちゃんに家族を紹介したかったからだよ」
「あいつらの親を殺した妖をか!?」
ばっと顔をあげた鬼壱は、いつもの呆れて、でも優しい表情とは全く違う顔をしていた。
少なくとも、豊が一歩後退りしてしまうような。
確かに鬼壱は妖だ。
それでも、豊は本当に、大好きな人である鬼壱に家族を紹介したかった。それが第一だった。
その気持ちが、妖である事に勝ってしまった。
そもそもこの気持ちがある限り、いつかはしなければならない事だ。
そのため豊は精一杯できる事を考えて、新たな変化の術を修行して、実行したつもりだった。
しかし、鬼壱はどうしてもあの看板を見た時から、あの中にいる者達に関わってはいけないと思った。
養育屋敷。殆どが、親や兄弟を、妖に殺された人間の集う場所。
その妖と知ったら。
別に直接手を下していなくても、強い憎しみにそんな区別はつかない。
豊もそういった人間であったが、こうして普通に接しているのは彼女が異質だっただけだ。
人間というだけでも問題だったが、それでも豊が普通の家庭であったら。そして彼女の家族なのだから、同じようにずれた明るさを持っていて、妖に少しでも抵抗がなければ。むしろ豊に気圧されるのが心配だと愚かにもそう思った。
現実。本当に愚かな考えだった。
「……本当に紹介したかったんだよ。確かにあの子達は妖には憎しみを持ってると思う。でも鬼壱は私の好きな人だし、人を襲わない」
「そういう問題じゃない。襲わなくたって、憎いと思う奴は憎いんだ」
「家族への紹介だって、いつかしなきゃいけない事じゃん」
「だから!お前の大切なあいつらに、いつか豊の好きな人間が実は妖だって言わなきゃいけないなら!
――俺の事を忘れればいい」
突っぱねられたって、まだ望みはあるとか根は絶対嫌われてないとか、振り向かせてみせるという根性とか。
そう言ったものが、この風音と彼の表情に否定されるような。そんな瞬間。
「もうお前には会わない。冗談でも何でもない。もう森には来るな」
「え……え?き、キーちゃ……」
豊の時が止まってしまったように動けない。
その間に鬼壱は妖術を使うと、辺りの景色と共にしゅうっと雲に包まれて、豊がはっきりと見回せるようになる頃にはすっかり消えてしまった。