本編
金平糖を全て食べ終えて一息吐くと、今度はまた豊が先導して見慣れた町をぐるりと廻った。大通りの店を見ていくだけでも一日では足りないだろうが、豊はその横に入った細かな路地の店を廻っていく。
そうするとすぐに時間は経ち、鐘の打ち付けられる音が七度、町中に響いた。
それは、もう少しで陽が暮れるという報せ。
「もうそろそろ、時間だな」
「えー。まだまだ京古の町には色々あるのにぃ。……まあ、お店が閉まっちゃうし仕方ないか」
今まで楽しそうにしていた豊は、途端につまらないと口を尖らせた。
それでも納得する豊に、鬼壱は鐘の音が拡散していった空を見つめてから、静かに首を振った。
「違う。お前の勤めが始まる時間だろって意味だ」
表面では認めずともやはり楽しかったし、新鮮であったのは事実だ。けれどここは人の町で、豊は忍者。鬼壱は鬼だ。その事実も、あの時を報せる鐘で思い返された。
幾ら変化していたとしても、夜も更け、大勢の忍者が警戒している中で彷徨けるほど鬼壱は愚かではない。一方の豊も勤めの支度をしなければならないはずだ。
当たり前の事なのに、二人の間には数秒だけ重たい空気が流れた。
「……。それでも私、もっと鬼壱と居たいって思っちゃうよ」
「馬鹿言うな、折角手に入れた職を手放す気か」
それが真剣な冗談であるとお互いわかっている。
けれどその冗談とぎゅっと握られた手が、少しだけ嫌な空気を払拭した。
「俺は適当に帰るぞ。じゃあな」
「あ、待ってキーちゃん、お見送りだけでもするよっ!」
さっと踵を廻らした鬼壱の後を追ってぱたぱたと駆ける豊。
それを確認した鬼壱の歩が、どことなくゆっくりになる。
そこからの空気はいつも通り明るくて、空き家の裏にあった塀を人ならざる業で越えていく鬼壱に、豊は精一杯の笑みで手を振って見送った。
陽が橙になって闇に溶ける少し前。
鬼壱と別れた後に忍者の出で立ちをした豊が扉を開けたのは、忍者集会所だった。
町の中心部にある城には勿論見劣りするけれど、広く幾つもの大きな施設が入った立派な場所。実力さえあれば成れる国でも有数の職業、忍者。その活動拠点でもある。
「あっ、お疲れ様で……す……?」
豊の開けた扉から、挨拶を交わす間もなく人がばたばたと忙しなく駆け抜けていく。奥の方からも素早い足音が聞こえた。
豊が忍者になってから三年程経つが、まだまだ下っ端であるため、あまり大事な要件は任されていない。今日も豊の仕事は普段通りの見回りだが、何やら一部では忙しい人達もいるらしい。
そう思いつつ、ここ数週間の見慣れた光景を通り過ぎて、今日の見回り組が集まる部屋へと向かった。
定められた部屋に入るとまだ定刻ではないものの、既に何人もの忍者が集まっていた。
担当場所や日程は事前に決められており、仕事当日のこの部屋はただの待合室のようなものだ。皆仲の良い者達と話し込んだり、術の復習や本を開いて眺めている。
豊はその中に見知った一人の女性を見つけて、嬉しそうに駆け寄っていった。
「あ、燐姐!こんばんは!」
「ああ、豊。こんばんは。今日もあんたは元気だね」
「えへへ。それだけが取り柄だもんっ」
硬そうな短い橙の髪、年の割には平らな胸にさらしのみ。一応その上にも淡い色の着物を着てはいるのだが、衿は大きく開いている為それがはっきりと覘ける。袖も肘の少し上で切れており、着物の中でもかなり露出している方なのに、色気というよりは豊の名前ほどに男らしい服装という印象の女性。
この八岡燐(はちおか りん)は豊の五つ上で、年下からはよく姉御と慕われている人だ。 無論、豊も慕っている。
ただし忍者としての位は同じ。つまり同僚でもあった。上に上がるには五年でも越えられない壁があるのだ。
「燐姐今日は何処だっけ?」
「あたしは西の地区だね。豊は?」
「私南だ……そっか、今日は一緒の区域ですらないんだね。残念」
がっくりした豊は、今日一緒に共にするだろう相棒をちらりと見る。それなりの人数がいるとは言え、精鋭である忍者の数は限られる。視界に映した今日の相棒は、数度行動を共にした相手だった。
「まあ、またそのうち一緒に組める機会が来るさ。それよりも……今日も確り町を守るよ!豊!」
「うんっ!」
給金が良いから。昼間の自由が利いて鬼壱と会えるから。出自を問われないから。忍者になった理由は色々あった。けれど勿論、この町を、家族を守りたいと言う気持ちもある。だから豊は燐に、大きな声ではっきりと返事をした。
そうこう話している内に時間が来て、偉い忍者が豊達に見回りを命じる。
外は闇が深まった、静かでひんやりと風の通る夜。
灯し油に囲まれた集会所の部屋とは違う。
その空気が豊を始めとした忍者達の気持ちを引き締めた。
見回りは広い京古町を区域ごとに分担し、更に数人から二人組で区域内を分担する。豊が任されたのは、その立っている湯屋の屋根から見渡せる一帯であった。
「……今日はここら辺には何もいないみたいだね」
「そうね。いつまでも、そうだといいんだけど」
組んだことがあるとは言え、あまり親しいと言える間柄でもない忍者から返しが来て、少しだけ目の開きを大きくする豊。暗さもあってか、あちらは豊の些細な驚きには気付いていないらしい。
忍たるもの静かに正確に遂行せよ。そんな心情の持ち主で無くてよかったと思いつつ、豊はこくりと頷いた。
豊の前では何事もなく、夜が薄く明けていく。
どこか澄んだ気になる空が、見回りの終わりを告げていた。
そうするとすぐに時間は経ち、鐘の打ち付けられる音が七度、町中に響いた。
それは、もう少しで陽が暮れるという報せ。
「もうそろそろ、時間だな」
「えー。まだまだ京古の町には色々あるのにぃ。……まあ、お店が閉まっちゃうし仕方ないか」
今まで楽しそうにしていた豊は、途端につまらないと口を尖らせた。
それでも納得する豊に、鬼壱は鐘の音が拡散していった空を見つめてから、静かに首を振った。
「違う。お前の勤めが始まる時間だろって意味だ」
表面では認めずともやはり楽しかったし、新鮮であったのは事実だ。けれどここは人の町で、豊は忍者。鬼壱は鬼だ。その事実も、あの時を報せる鐘で思い返された。
幾ら変化していたとしても、夜も更け、大勢の忍者が警戒している中で彷徨けるほど鬼壱は愚かではない。一方の豊も勤めの支度をしなければならないはずだ。
当たり前の事なのに、二人の間には数秒だけ重たい空気が流れた。
「……。それでも私、もっと鬼壱と居たいって思っちゃうよ」
「馬鹿言うな、折角手に入れた職を手放す気か」
それが真剣な冗談であるとお互いわかっている。
けれどその冗談とぎゅっと握られた手が、少しだけ嫌な空気を払拭した。
「俺は適当に帰るぞ。じゃあな」
「あ、待ってキーちゃん、お見送りだけでもするよっ!」
さっと踵を廻らした鬼壱の後を追ってぱたぱたと駆ける豊。
それを確認した鬼壱の歩が、どことなくゆっくりになる。
そこからの空気はいつも通り明るくて、空き家の裏にあった塀を人ならざる業で越えていく鬼壱に、豊は精一杯の笑みで手を振って見送った。
陽が橙になって闇に溶ける少し前。
鬼壱と別れた後に忍者の出で立ちをした豊が扉を開けたのは、忍者集会所だった。
町の中心部にある城には勿論見劣りするけれど、広く幾つもの大きな施設が入った立派な場所。実力さえあれば成れる国でも有数の職業、忍者。その活動拠点でもある。
「あっ、お疲れ様で……す……?」
豊の開けた扉から、挨拶を交わす間もなく人がばたばたと忙しなく駆け抜けていく。奥の方からも素早い足音が聞こえた。
豊が忍者になってから三年程経つが、まだまだ下っ端であるため、あまり大事な要件は任されていない。今日も豊の仕事は普段通りの見回りだが、何やら一部では忙しい人達もいるらしい。
そう思いつつ、ここ数週間の見慣れた光景を通り過ぎて、今日の見回り組が集まる部屋へと向かった。
定められた部屋に入るとまだ定刻ではないものの、既に何人もの忍者が集まっていた。
担当場所や日程は事前に決められており、仕事当日のこの部屋はただの待合室のようなものだ。皆仲の良い者達と話し込んだり、術の復習や本を開いて眺めている。
豊はその中に見知った一人の女性を見つけて、嬉しそうに駆け寄っていった。
「あ、燐姐!こんばんは!」
「ああ、豊。こんばんは。今日もあんたは元気だね」
「えへへ。それだけが取り柄だもんっ」
硬そうな短い橙の髪、年の割には平らな胸にさらしのみ。一応その上にも淡い色の着物を着てはいるのだが、衿は大きく開いている為それがはっきりと覘ける。袖も肘の少し上で切れており、着物の中でもかなり露出している方なのに、色気というよりは豊の名前ほどに男らしい服装という印象の女性。
この八岡燐(はちおか りん)は豊の五つ上で、年下からはよく姉御と慕われている人だ。 無論、豊も慕っている。
ただし忍者としての位は同じ。つまり同僚でもあった。上に上がるには五年でも越えられない壁があるのだ。
「燐姐今日は何処だっけ?」
「あたしは西の地区だね。豊は?」
「私南だ……そっか、今日は一緒の区域ですらないんだね。残念」
がっくりした豊は、今日一緒に共にするだろう相棒をちらりと見る。それなりの人数がいるとは言え、精鋭である忍者の数は限られる。視界に映した今日の相棒は、数度行動を共にした相手だった。
「まあ、またそのうち一緒に組める機会が来るさ。それよりも……今日も確り町を守るよ!豊!」
「うんっ!」
給金が良いから。昼間の自由が利いて鬼壱と会えるから。出自を問われないから。忍者になった理由は色々あった。けれど勿論、この町を、家族を守りたいと言う気持ちもある。だから豊は燐に、大きな声ではっきりと返事をした。
そうこう話している内に時間が来て、偉い忍者が豊達に見回りを命じる。
外は闇が深まった、静かでひんやりと風の通る夜。
灯し油に囲まれた集会所の部屋とは違う。
その空気が豊を始めとした忍者達の気持ちを引き締めた。
見回りは広い京古町を区域ごとに分担し、更に数人から二人組で区域内を分担する。豊が任されたのは、その立っている湯屋の屋根から見渡せる一帯であった。
「……今日はここら辺には何もいないみたいだね」
「そうね。いつまでも、そうだといいんだけど」
組んだことがあるとは言え、あまり親しいと言える間柄でもない忍者から返しが来て、少しだけ目の開きを大きくする豊。暗さもあってか、あちらは豊の些細な驚きには気付いていないらしい。
忍たるもの静かに正確に遂行せよ。そんな心情の持ち主で無くてよかったと思いつつ、豊はこくりと頷いた。
豊の前では何事もなく、夜が薄く明けていく。
どこか澄んだ気になる空が、見回りの終わりを告げていた。