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本編

 次の日、豊はまたあの塀の穴を抜けて森へとやって来た。
 もうあの少年三人組はいない。それはそうだ。昼間でも妖が出るとわかった今森に行くはずがないし、その前に置いてきたはずの豊が無事に帰ってきたのだから。
 帰ってこなければ来ないで大変な事になったのだろうが、それの意味する所は、豊が本気を出せば鬼さえ倒せるほどに強い人間という事だ。まさか妖と仲良くなったと思うはずもなく、三人は豊を見た瞬間どこかへ去って行った。

「きーいーちーさーん」

 豊の目からすれば誰もいない、ただ奥へと広がる森。そこへ、両手で集積した声を届ける。

 ……。無音。

 数秒待ってもあの鬼がやって来ないと知るや、豊はむっとして、その後に思い切り叫びまくった。

「鬼壱さぁーん!きーいーちぃー!キーちゃあああん」

「誰がキーちゃんだ」

 ばしっ。

 キーちゃんと叫んだ所で、豊の頭が軽く叩かれる。
 患部を擦りながら豊が後ろに振り向くと、そこには確かにいた。昨日見たあの赤い髪。綺麗な金の瞳が、呆れながらもこちらを見ている。
 彼と出会った事はやはり、夢ではなかったのだ。

「……キーちゃん」

「だからその呼び方はやめろ」

 ひたすらに叫んで勝手に出た言葉だったが、思いの外気に入ってしまったらしい。ぽつりともう一度呼ぶと、鬼壱ももう一度注意する。しかしその後のえへ、という笑顔はおそらく、わかっていない顔だ。
 鬼壱は溜息を落とすと、出来るだけ冷たく言い放つ。

「今日は何しに来たんだ」

「……。……?鬼壱に会いに来たんですよ?」

 それは極々当たり前のように。
 そう、友達に会うのに理由がいるだろうか。あったとしてそれは遊ぶとか喋るとか、理由らしくない理由だと、豊は思っていた。

「会ってどうする。昨日も言っただろう。俺は妖、お前は人間だ」

「私も昨日言いました。鬼壱の事は怖くないし、お友達からって!」

「俺は了承していない」

「……りょーしょー?」

 は、とした。
 何だかんだ言い合っているが、彼女はまだ小さな少女だ。難しい言葉はわからない。
 もう何十年も生きてきた鬼壱とは違うのだ。それを相手に言い合いをするなんて……自分の恥ずかしさに、鬼壱は顔を抑える。

「ああ、ええと、俺が納得して、それを許していないって事だ。わかるか」

「はいっ、わかりましたー!」

「そうか。偉いな」

 手を挙げて微笑む豊に、相変わらず面倒なのか、明らかに棒読みの言葉を捧げる鬼壱。しかしそれでも豊は嬉しかったのか、更に可愛らしい笑みを浮かべた。

「偉いですか?」

「……あー、偉いな」

 そう鬼壱が言うと、豊はじいっと鬼壱を見つめる。何も言わずにただうずうずと何かを待ち望んで、見上げている。
 鬼壱にはまるで理解できず、ただ時間が過ぎて行った。
 やがて耐えきれなくなった豊がむーっと頬を膨らませて強請ったのは

「偉い子には頭を撫でてあげるんですよ」

「はァ?」

所謂、よしよしだった。おそらく、家ではそうしてもらっているのだろう。
 着物は随分と貧相だし、肉付きも良くないが、その分愛情をもらっているらしい。
 もう、何だか色々と面倒臭くなった鬼壱は諦めて、わしわしと金の髪を撫でた。
 そんな雑な撫で方でも、豊はまた嬉しそう笑っていた。




 変な少女はまたやって来る。
 いつまで経っても諦めない。
 鬼壱が豊に翻弄されてから、すでに一月が経っていた。
 あの格好からするに家の手伝いで忙しい日もあるのだろう。毎日、とまでは言えないが、しかし鬼壱の印象からすればほぼ毎日。豊は森へとやって来た。
 その時間は短かったり、日が落ちるまでずっといたり。様々であったけれど、頑なに友達になる事を諦めなかった。

「キーちゃん」

 そして、その変な渾名も。

「だからな、それはやめろって言ってるだろ」

「可愛いじゃないですか」

「あのなぁ」

「私は好きですよ、キーちゃん」

 無意識に鬼壱の目が開いて、けれどすぐに元に戻る。
 渾名の響きが好きだと言っているのだ、少女は。そもそもこんなちんけな少女に好きとか言われて、動揺する事がおかしい。情がほんの少し、欠片程度移ってしまったのだろうか。否、きっと吃驚してしまっただけだ。などと、鬼壱は心の内で言い訳をした。

「ところでキーちゃん。キーちゃんは字が読めますか?」

「そりゃ、読めるが」

 人間にとって本は貴重で価値のあるものだ。宝物として金持ちの家に保管されている事もある。それ故人間が本を森の中に投げ捨てるなんて、まずあり得ない。
 だが、宝石や貴金属と違うのは、本能で綺麗だ、価値があるとは思えないという事だ。
 宝を奪った妖が選別した時に、字を読み解き、理解して初めて宝物に成り得る本に価値を感じず捨ててしまう。それは時々ある事だった。その恩恵を与り、鬼壱は字や新しい知識を覚えていた。

「じゃあ、あの、これ教えて貰えませんか?」

 紙屑屋の手伝いでもして手に入れたのだろうか。豊はくしゃくしゃの紙を鬼壱の前で開くとそう言った。
 紙には忍者……妖から町を守る人間について書かれていた。
 それについては何も思わない。鬼壱は元より俺は鬼だから関わるなと豊に言っていたし、自分を守ってくれている者達について知りたいというのは当たり前だ。

「これは忍者について書かれた紙だな」

「忍者!わかります。これをにんじゃって読むんですね」

 次は、次はと視線や言葉でせがんでくる豊。
 それに応えて一単語ずつ区切って読み、説明していく鬼壱。
 全てを説明しきるには時間が掛ったが、ふむふむなるほどと反応を見せつつもまた次を要求してくる豊に、待ったを掛ける機会はなかった。
 それから復唱したり土に字を書いて覚えようとする豊を見て、鬼壱は声を掛ける。

「……なァ」

「あ、はい?」

「何でこれを読もうと思ったんだ?」

「……私、働きたいんです」

 手を止めて、にこっと笑う豊。
 金の髪は相変わらずがさついているのに、振り向く時には印象的に揺れた。

(字を、覚えたかったのか)

 単純に。忍者について知りたいのではなく、偶々手に入った文書がこれだったのだ。
 確かに字を覚えれば、妖ほどではないが字を知る人間の限られたこの世。どこか奉公先として拾ってくれるかもしれない。

「――そうか」

「だから、また何か手に入ったら教えてくださいっ!」

 そう言ってまた勉強を再開する少女に、頭をかりかりと掻いた鬼は何を思ったろうか。
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