シリウスと眠る

清潔感のある真っ白なカバーの掛かった枕に顔を埋め、何度目かの寝返りを打つ。昼間散々歩き回って身体はくたくたの筈なのに、妙に頭が冴えてなかなか寝付けない。諦めるように小さくため息をついたチャコは、隣のベッドですやすやと寝息をたてるアルペックを起こさないよう、ゆっくりとシングルベッドから身体を起こした。

ポチャッコ王国を出発して早一ヶ月。チャコとアルペックの二人は、次の王国へと続く国境付近に存在する小ぢんまりとした宿に泊まっていた。
本来であれば先日出発した王国から丸一日ほどで次の王国の国境に到着できるほどの距離のため、出発当初は遅くとも翌日の午後には国境に到着している予定で旅の計画を立てていたのだが……チャコの寄り道とアルペックの好奇心旺盛さが見事に掛け合わさった結果、出発から三日かけてやっと国境に辿り着いたのだ。到着した時にはすでに22時を回っており、道中はしゃいで疲れ切っていた二人はそのまま国境の近くに建てられていた宿に泊まり、明日改めて国境の境目を越えることに決めたのだった。
シングルベッドが二つとサイドテーブルのみ置かれた、コンパクトながら清潔感のある部屋に足を踏み入れた二人は交互にシャワーを浴び、今日食べたラーメンが美味しかったなど他愛ない会話を交わした後それぞれ床に就く。程なくしてやってくるはずの眠気を待ちつつ何度か寝返りを打ったチャコだったが、疲労で重たい身体とは裏腹に待てども睡魔はやって来なかった。

身体を起こしてシングルベッドの縁に腰掛けたチャコは、壁に掛けられた時計へと視線を向ける。カーテンの隙間から差し込む淡い月明かりによって照らされたアナログ時計の針は1時過ぎを指していた。
外の空気でも吸ってこうようか。このままベッドの上でぼんやりしていてもどうしようもないと考えたチャコは、ベッドから足を下ろし備え付けのスリッパへ足を滑り込ませた。
ふと隣のベッドで横になっているアルペックの様子が気になったチャコは、起こさないようにそっとベッドに近づき、おそるおそるアルペックの姿を覗き込んでみる。チャコが使っているベッドの方を向くように横向きになったアルペックは、あどけない寝顔を見せながらぐっすりと眠っていた。規則正しい寝息をたてて穏やかに眠るその姿に、胸がきゅーっとなり鼓動が早くなる。いけないと思いつつも芽生えてしまった欲望に抗えなかったチャコは、すやすやとアルペックが眠るベッドの縁へと静かに腰掛けた。二人分の重みを受け止めたシングルベッドが軋む。ギシリという音が、仄暗い静かな部屋の中にわざとらしく響いた。

「アル……」

起こしてしまわないよう声のボリュームに注意しながら、そっと想い人の名前を口にしてみる。
チャコの声が聞こえたか否か分からないが、アルペックはもぞもぞと身動いだものの、真昼の太陽を閉じ込めたような綺麗な瞳は閉じられたままだ。起こしてしまったらどうしようという気持ちに相反して、眠ったままのアルペックの姿に少しだけ寂しさを感じてしまったチャコは、自身のわがままな感情に嫌気がさした。

アルペックはみんなに優しくて、そのお日さまみたいな笑顔とまっすぐな言葉で多くの人々に愛情を手渡している。そんなアルペックの優しさや誠実さに惹かれ、一緒に旅をしていく中でいつの間にかチャコはアルペックのことを好きになった。アルペックへの気持ちに気付いてすぐの頃はその気持ちを隠し通し、一生想いを伝えることなく大切な友人としてアルペックの隣に立ち続けたいと決意していたチャコだった。しかしその決意も虚しく、最近ではアルペックのひだまりのような笑顔を独り占めしたい、チャコをいろんな場所へと連れて行ってくれるその優しくも力強い腕の中に抱きしめられたいというような、友達以上の関係を望む自身の気持ちに苦しめられることが増えていた。

こんなやましい想いを抱えながら、後ろめたい気持ちでアルペックの隣に居続けるくらいなら、いっそのこと想いを伝えてしまえたらいいんだけどな。
アルペックへの気持ちが溢れ出てしまわぬようこっそりと唇を噛みながら、ふとそんなことを考えてみる。優しいアルペックのことだ、きっとチャコを傷つけないような返事を必死に考えて伝えてくれるだろう。そんなことはさせたくないなと思いつつも、チャコの意思を裏切るようにアルペックへの想いがこぼれ落ちた。

「アル、好き……好きだよ……」

絞り出すような小さな声で呟いたチャコの言葉は、シンと静まり返った部屋の暗闇の中へと消えていく。思わず口にしてしまった自身の言葉を隠すようにパッと口元を押さえたチャコは、慌ててベッドから立ち上がった。
アルペックが眠っているとはいえ、なんであんなことを……チャコの頭の中をぐるぐると後悔が駆けめぐり、次第に視界がにじんでくる。
少し散歩でもして頭を冷やしてこよう。明日の朝、いつも通りの笑顔でアルペックに「おはよう」と言うためにも。靴を履くためにチャコが部屋の入り口へと足を踏み出したその時、空いていた左手が何者かによってそっと掴まれた。

「っ!」

声にならない悲鳴をあげたチャコは、ゆっくりとアルペックが眠っているはずのベッドを振り返る。
仄暗い室内にも関わらずしっかりと確認できるほど顔を赤くしたアルペックが、ベッドに横たわったまま右腕を伸ばし、チャコの左手を握りしめていた。

「あ、あ……」

驚きのあまり頬を真っ赤に染めて何も言えないまま固まってしまったチャコの姿を確認したアルペックは、握っていたチャコの左手を引っ張り、そのまま自身が横たわっているシングルベッドの中へとチャコの身体ごと引っ張り込んだ。何がなんだか分からないままアルペックの腕の中に閉じ込められる。チャコが履いていたスリッパが両足から滑り落ち、床に転がる音が遠くで聞こえた。

「あの、あ、アル……いつから起きてたの……?」
「んー、チャコがベッドに座っちきた時やな?そん時から起きちょった」
「そっか……」

うっかり想いを伝えてしまったという後悔と、急な出来事に混乱し為す術もなくアルペックの腕の中で大人しくしていたチャコだったが、シングルベッドの中でアルペックに抱きしめられているという理解が追いつかない状況に、少しずつチャコの頭は冷静になっていた。

いっそ開き直って、アルペックに想いを伝えてしまおうか。
今からアルにフラれても、明日起きてアルと朝食を共にするまで7時間はある。その間に気持ちの整理をして、何事もなかったように他愛ない会話を交わせればアルも気を遣わないで済むはず。ちょっと腫れてしまうかもしれない自身の瞼をどうするか考える必要はあるが、それ以外は多分問題ないはずだ。

はじめての告白がフラれる前提になるなんて、思ってもいなかったなあ。自虐気味にそんなことを考えつつ決意を固めたチャコは、暗がりの中で一等星のように輝くアルペックの瞳を見つめた。

「アル、あのさ。結構前から起きてたってことは聞こえてたと思うんだけど、俺……アルのことが」
「ストップ!ダメ!!待って!!!」

微かに震えるチャコの声が、アルペックの静止の言葉によって遮られる。
えっ、もしかして告白されるって気がついたの?それでストップされたのなら結構ショックだよ?
多少のショックを受けつつも、遮られた理由を問おうと再び開いたチャコの口が、アルペックの右手でそっと塞がれた。驚きと不服で物申したいところではあるが、アルペックに従って大人しく口を閉じる。それを見て満足そうに頷いたアルペックの右手がチャコの口元から離れ、再び背中へと回り抱きしめられた。

「急にこんなことしてごめんな?チャコ。でも、オレから言わせて欲しい」
「えっ、アル……?」

真剣な表情を自分に向けてくるアルペックの姿に、戸惑いながらも分かったと頷く。
チャコが欲しくて堪らなかった、真昼の太陽を閉じ込めたようなその瞳で、アルペックはまっすぐに見つめ口を開いた。

「オレ、チャコんことがしんけん好き!やけん、オレの恋人になってください!!」
「っ、!なんでそんな……!だってアル、俺のことそういう意味で好きそうな感じ全然なかったのに?」
「ええ!?オレ、めっちゃチャコにアピールしちょったけど!!」
「全然知らなかった……」
「嘘やろ!?」
「本当!ずっとアルに片想いしてると思ってた」
「つまり、オレたち両想いやったんやなあ!」

心底嬉しそうに笑ったアルペックが、こつんと、自身の額をチャコの額にくっ付けてくる。
はらはらと溢れ落ちる涙をそのままに笑い返したチャコは、アルペックの背中へと両腕を回した。

「それで、チャコん返事は?」
「……もちろん、これからもよろしくね?アル!」
「よっしゃー!これからは恋人としてずーっとチャコんこと大事にするって決めたけん、やけん……ずっとオレん傍におっちくれたら嬉しい!」
「あははっ!それ、プロポーズみたいだよ?そんなこと言っちゃっていいの?」
「告白もプロポーズもそげえ変わらんやろ!チャコと一緒におりてえっち意味に変わらんけんな!」

あっけらかんとそう言って笑うアルペックにつられるように、先ほどまでチャコの頬を濡らしていた涙も止み自然と笑みが溢れる。
気は早いかもしれないけれど、いつかアルと恋人以上の関係になる日が来ることを願わずにはいられなかった。

「ふわ、ぁ」

気が抜けてしまったのか。先ほどまで眠れなかったのが嘘のように急な睡魔がチャコを襲い、思わずあくびが出る。

せっかくアルと恋人になれたのだ、今から話したいことがたくさんあるのに。うつらうつらと考えながら、チャコの意識はまどろみの中へ落ちていった。





ふわふわと鼻先をくすぐるような感覚で、アルペックは目を覚ました。

視界の端に映るのは白と黒のやわらかな髪。
聴こえてくるのは規則正しい小さな寝息。

寝起きでぼんやりとしたまま視線を下に向けると、自分の腕の中で穏やかな表情で眠るチャコの姿が目に入った。
疲れているのだろう。すやすやと寝息をたてながらぐっすりと眠り続けるチャコの髪をくしゃりと撫で、起こさないように気をつけながら抱きしめる力を少しだけ強くする。

念願叶って結ばれた恋人との二度寝を楽しむべく、大きなあくびをしたアルペックはチャコのふわふわの髪へと顔を埋めた。
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