ロイド・スチュワード四世

 私の名前はロイド・スチュワード四世。

 スチュワード・ドール、つまり人工知能搭載人型ロボット執事タイプであり、アンドロイドだ。

 私を製造したのは世界屈指の某アンドロイドメーカーで、同社製造の執事タイプアンドロイドとしては第四作目にあたる。

 一家庭につき、一アンドロイドと言われる時代だ。アンドロイドは人間の生活に深く浸透し、最早、必要不可欠な存在となっている。
 
 そのため、アンドロイド産業の競売戦争も熾烈しれつを極め、各社は他社より一歩でも抜きん出ようと、日夜、研究・開発に心血を注ぎ、互いにしのぎを削っている。

 そんな中、他の追随を許さないほどの性能を誇ると謳われた私たちロイド・スチュワード四世の脆弱な部分を改良した新型五世が発売され、四世わたしたちはついに型落ちした。

 発売から二年ほどが経過した今となっても、ロイド・スチュワード五世は世界トップクラスのアンドロイドと称されており、その性能の前では私たち四世など産まれたばかりの赤ん坊のように無力だと聞く。
 
 さらに五世は性能ばかりではなく、よりボディ外見にもこだわったとの噂を耳にした。
 
 耳にしたというのはこういった五世の情報は本社ホストコンピューターに問い合わせたところで、極秘扱いになるのか応えてはくれない。本社ホストコンピューターにも私たち四世に対する気兼ねというものがあるのかもしれない。

 だが、そんな気遣いは無用なのだ。なぜなら、お嬢様がこんな私を必要としてくださるのだから──。

「山田太郎」

「はい、何でしょうか。お嬢様」

 恭しく下げた頭を戻すと、お嬢様が下唇を尖らせていた。

 これは何かしらのお褒めのお言葉をおかけして、ご機嫌を取らなければならない。
 
 人間とは褒められて伸びる生物だ。以前、褒め言葉の選択を誤ったばかりにお嬢様を不愉快な思いにさせてしまったことがある。その失敗の経験を生かすときがきた。

 失敗は成功の母。本社ホストコンピューターにそういう言葉がある。

「これはまた海洋生物であるタコそっくりのお見事な『ものまね』でございますね」

「はあ? タコのものまねなんてしてないけど」

 お嬢様はますます下唇を突き出され、とてもユニークなお顔になられた。これはますます気分を害されてしまった表情だ。私は再び言葉の選択を誤ってしまったことに気がつく。

 また新しい情報を本社ホストコンピューターに送らなければならない。「年頃の若者の間ではタコのものまねではなく、『ひょっとこ』のものまねが流行っている」と。

「そんなことよりも、いつまでも玄関に立っていられると家に入れないんだけど」

「これは失礼いたしました」

 私が半身を引き、お嬢様にお入りいただくよう促すとお嬢様の後ろに少年の姿があった。

 なかなかに恰好よく、イケメンと呼ばれるグループに入るのだろう。年の頃は十五歳になられたお嬢様と同じくらいであるから、ご学友だろうか。

「彼はレン君。同じクラスなの。今日は勉強を教えてもらうために来てもらったのよ」

「お勉強会を開かれるとは流石お嬢様。先日のテストは赤点をお取りになっておられましたから、追試のご対策でございますね」

 お嬢様の名誉を守るため、私はお嬢様の耳元でささやいた。すると形のよい小さな耳があっという間に紅葉を連想させる真っ赤なお色に変わられた。

「わかっているなら、はっきり言わないでよ。あとで部屋に何か飲み物を持ってきて、二人分よ」

「かしこまりました」

 お嬢様に続いて、二階へ上がろうとしたレン様は私を一瞥するなり、「あっ」と大きな声を上げた。

「未だにロイド・スチュワード四世を使っているのか。僕の家はロイド・スチュワード五世だよ。君の家も早く五世の導入を検討した方がいい。データ処理も速いし、何せ、コミュニケーションが断然スムーズだ」
 
「私は四世で満足しているわ」
 
「ふうん。じゃあ、リコールはした?」
 
「リコール?」
 
「知らなかったのかい」
 
 レン様はお嬢様に哀れむような視線を向けた。
 
「四世はリコール対象なんだよ。だから、僕の家では五世に買い換えたんだ。まだだったら早くリコール申請した方がいい。まさか、保証書をなくした訳じゃないよね?」
  
「あのね、レン君」
 
 お嬢様はレン様に背を向けられ、階段をお上がりになった。そして振り向かれる。
 
「あたし、リコールなんて興味がないのよ。それに五世の顔が全くタイプじゃないわ。うちのロイド・スチュワード四世の方が断然イケメン」
 
「ふうん」
 
 レン様は納得いかないと言わんばかりの声を洩らした。
 

***


 ──美味しい紅茶を入れるコツはポットとカップを湯通しし、予め温めておくことにある。するとお湯を注いだ際に茶葉の旨味成分が驚くほど抽出される。
 
 私は脳内メモリーに最初から記憶プリインストールされている執事としての一般教養に従い、十分湯通ししたカップに紅茶を注ぐ。
 
「味なんて大して変わらないじゃない。みんなそんな面倒なことやってないわよ」
 
 お嬢様はそう仰っていたけれど、ほんのひとさじの一手間が味に驚くべく変化を与えるだから、やらない手はないのだ。
 
 その証拠に旨味成分が十分に抽出された紅茶は真っ赤な色になるのだ。まるで、お嬢様が上気されたときの耳と同じお色。
 
 私はうっかり弛みそうになる口元を真一文字に結び直す。
 
 目ざとい、いいえ、神経が細やかな奥様が私の些細な一挙一動を見逃さずご指摘されるのを恐れたからだ。
 
「あら、どうしたの? 今の表情はどういう意味?」
 
 私のあるじである奥様はお嬢様とよく似た澄み渡った夜空のような瞳で穏やかに微笑まれる。
 
 後ほど、お嬢様がご自分の意志で勉学に励まれていることを奥様にご報告しなくては。きっと喜ばれるはずだ。
 
「美味しくなあれ、美味しくなあれ」
 
 ふたつのカップに紅茶を注ぎ終えると、最後に私は魔法の言葉を唱えた。


***


 紅茶セットをトレーに乗せ、お嬢様のお部屋のドアをノックしようとしたとき、仔猫の鳴き声を聞いた気がした。

 ご近所で野良猫が仔猫を産んだとお嬢様が仰っていたから、お部屋にお招きしたのかと思ったが、違った。
 
 今度はハッキリと言葉になって耳に届いた。
 
「いや! 山田太郎助けて!」
 
 お嬢様の悲鳴だ。
 
 私はすぐさま室内に飛び込んだ。
 
 するとレン様がお嬢様をカーペットの上に押し倒し、覆い被さるようにして、尖らせた唇を近づけようとしていた。

 これは──。

 私はすぐに理解する。
 
「おやめくださいませ、レン様」
 
 客人に対して失礼ではあるが、背に腹は代えられない。私はレン様をお嬢様から無理やり引き離し、お嬢様を背中で隠すようにしてお守りする。
 
「痛えな。ノックもなしに入ってくるんじゃねえよ、四世!」
 
 壁に軽くめり込まれたレン様は乱暴な言葉を乱暴な口調で取り扱った。
 
「お嬢様が嫌がられているではございませんか」
 
「嫌がるだって? 誘ったのはそっちだろうが。部屋に呼ぶってそういうことだろ!」
 
「あたしは勉強を教えて欲しかっただけよ!」
 
「オレのことを好きだから、部屋に呼んだんじゃねえのかよ」
 
「違う、勝手に勘違いしないで!」
 
「ふざけんな!」
 
「おやめください」
 
 レン様がお嬢様に掴みかかろうとするのを私は制止する。お嬢様に指一本触れさせてはいけない。お嬢様をお守りし、お育てするのが主のご指示なのだ。
 
「レン様」
 
「ンだよ」
 
 私の発した低い声にたじろいだレン様の体から怒りのエネルギーが弱まったのを確認して、私は伝える。
 
「嫌がられている女性に『ひょっとこ』のものまねをご披露されるのはおやめくださいませ」
 
「「はあ?」」
 
 どういうわけかお嬢様とレン様が呆れ声を重ねられた。
 
「ひょっとこのものまねでございましたら、このロイドがお付き合いいたします。さあ、どうぞ、ご存分にご披露くださいませ」
 
 レン様は唇を戦慄わななかせた。
 
「馬鹿にすんのもいい加減にしろよ、このポンコツアンドロイドが!」
 
 そして、再び増幅した怒りのエネルギーをお嬢様に向けた。
 
「リコールは義務なんだぞ、リークしてやるからな!」
 
 逃げ去るようにしてレン様はお帰りになった。
 
「はて、私は何かレン様のお気に触るようなことをしたのでしょうか」
 
 お嬢様を振り返ると、私の衣装の裾をぎゅっと握られていた。
 
「どうかなさいましたか?」
 
 お嬢様は無言でかぶりを振られる。

 私はお嬢様にこのような態度を取らせてしまっている自分の落ち度を探す。ドアの前には無惨に割れたティーセットが転がっているではないか。
 
「申し訳ございません、執事でありながらノックもせず室内に入ったあげく、ティーセットを壊してしまうとは私の失態でございます。レン様のひょっとこのものまねも──」

「ひょっとこなんてどうだっていい。こういうときは『お怪我はございませんか、お嬢様』って訊ねるのものなの。あたし怖かったんだから!」

 突然、お嬢様の瞳から宝石の雫がキラキラと溢れ落ちた。それを恥じらうようにお嬢様は私の胸に額を押しつけられた。

「でも助けてくれてありがとう」

 お嬢様の涙声にすっかり狼狽フリーズした私は、知り得る|情報《知識》の中から一番適した「痛み入ります」、そう応えるのが精一杯だった。


***

 
 ご夕食後、お嬢様のご希望で紅茶の準備を整えていると、珍しくダイニングにお嬢様が顔を出された。
 
「せっかくだから、山田太郎に紅茶の入れ方を教えてもらおうかな」 
 
「かしこまりました」

 お嬢様は私がお教えした通り、新調したばかりのティーセットを湯通しし、茶葉を入れ、熱湯を注がれた。

 時間ぴったりで茶葉を蒸らしたあと、カップに注げば、旨味成分が抽出された真っ赤な紅茶のできあがりだ。
 
「湯通しって面倒くさくないの?」 

「こうして湯通しすることで、お嬢様に美味しくお飲みいただけるとあらば、私は一向に手間を惜しみません」
 
「そう」
 
「私はこのように一見すると単なる手間のようにも見える人間のプロセスを大切にする習慣が好きでございます。もどかしくも慎ましいプロセスに込められいる時間や気持ちを想像すると思考回路プログラムにはない……人間で例えますと宇宙の謎を解き明かしたいと願う気持ちに似ているような気がします」
 
「物好きなアンドロイドね」

 それからお嬢様は紅茶に視線を落とし、嬉しいような悲しいような顔で微笑まれた。

「最後に『美味しくなあれ、美味しくなあれ』でしょ? ママがいつも口にしていたおまじない」

「さようでございます。そちらのおまじないでようやく完成でございます」

 お嬢様は二つのカップにをリビングまでお持ちになり、ひとつはご自分のお席に、もうひとつは棚に飾られた写真立ての前にそっと置かれた。

 写真にはお嬢様と同じ紺碧の瞳をした女性が微笑まれている。

 私の主、奥様だ。

「ママ。今ね、山田太郎に紅茶の入れ方を教わったのよ」
 
 私もお嬢様にならい、掌を合わせて、奥様の写真に話しかける。本日の勉強会の一件はお嬢様が涙を流されていたので、奥様へのご報告は控えさせていただいた。

「奥様。お嬢様が大変お上手に入れられました紅茶でございます。天国の一番見晴らしのよい場所で、お嬢様のお姿をご覧いただきながら、お召し上がりください」

 奥様はお嬢様が十歳の頃にお亡くなりになり、その日以来、私は奥様のご命令通り、お嬢様をお育てし、お守りしている。

 ご自分で入れられた紅茶を一口召し上がったお嬢様がソーサにカップをお戻しになりながら、小さな溜息を吐かれた。

「どうかなさいましたか」と私がお訊ねすると、お嬢様はご不満な表情をされたまま、

「味は悪くないんだけど、でも、どうしてかな。やっぱり、山田太郎の入れてくれた紅茶が一番美味しいわ」
 
「お褒めに預かり大変光栄でございます」 
 
「あたし、一番好き。山田太郎が、ロイドが、入れてくれる紅茶が、大好き」

 大好き──。

 そのときだ。
 
 私の思考回路プログラムは完全に停止フリーズし、体温バッテリーは熱を持ち始めた。
 
 それはまるで身体ハードウェアのどこかで得も言われぬ異常が生じているかのようだった。
 
 しかし、故障による危機感を抱く前に、おかしなことに春の日差しに包まれるような安堵感を感じてしまったのだ。
 
 この異常をなんと表現すればよいのか、本社ホストコンピューターに問い合わせてみても、満足のいく回答は得られそうもない。

 やはり四世は五世に比べて劣っているのだろう。
 
 私は自分の老朽化型落ちを認めざるを得ないのだ。

 紅茶色に変わられたお嬢様のお耳を拝見して、私はそんなことを思った。
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