2018~2020
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【愉楽が始まり終わりへ転ぶ】
・可楽 バッドエンド系 痛ましい表現が多い
甘さの欠片も無い
・鬼殺隊夢主
・積怒もいる
――カカカッ! ほうら、儂をもっと楽しませてみせろ!!
愉悦を這わせた高笑いが夜の森を駆けた直後。地表が突風で抉り取られる。
木々の間に通す縫い針のごとく走り抜けた女――白木ひまりは息を殺し、茂みの影に潜んでいた。
荒く乱れた呼吸を飲み込んで。
足を取ってくる己の恐怖と怯えを意識の外側へ追いやろうとする。
「(なんなの。なんなのよ……?
これが、上弦ってこと? 嘘でしょう?)」
口に出して、言葉を吐き捨てたいのを堪えた。
堪え切れなければ発見される可能性が高まるのだ。
ただでさえ愉悦の声が聞こえてすぐに身を隠したというのに自ら潰すような真似をするわけにはいかない。
発見されればひまりの命は無いのだから――
――ただ単に、運が悪かったという他無い。
事はただの仕事であった。
鬼殺隊の隊士として役割を果たし、そして次の仕事へ向かう。
その次の仕事へ向かう道中に、地獄かと見紛う不運に巡り合ったのだ。
縄張りにしていたのか移動の最中だったかのかはひまりには分からない。
立涌花菱模様が特徴的な左右非対称の着物と。その印象を塗り変えるほど怯える翁。
気配の隠し方が上手く、角と頭部を見なければ鬼とすら認識出来なかっただろう。
ひまりが遭ってきた今までの鬼と比べると気配の静かさが“異常”と言っても良い程なのだ。
“桁が違う”。
見つけられたのはほとんど奇跡だとひまりは思う。
まさか気を抜いて不意に振り返れば影に蹲る姿を見つけるとは誰も思うまい。
そして瞬時に頚を狙えば――二人に分裂するなんて、尚のこと思うまい。
翁と同じ仕立ての着物の錫杖鬼と、上半身を曝け出している天狗染みた扇鬼。
錫杖鬼が何か苛ついた声で静かに命令していたのをひまりは聞いた。
が、直後にひまりは扇鬼に吹き飛ばされた。
扇を振り上げただけで発生した風に飛ばされ……今、逃げている。
この風を操る扇鬼が兎角厄介であった。
扇を振るうだけで風と圧力で岩肌が捲られる。木々がひしゃげ、根から持っていかれる。
鍛えた人間の足でも範囲から飛び出すのがやっとの広範囲。
それが夜、森林の闇の中から遠距離で飛んでくるのだ。
その異能もまた厄介だが、特に厄介なのは扇鬼の“性質”である。
扇を振るい高笑いする様は加減をしているように見えるのに、執拗なほどに突風を起こした。
好戦的且つ、享楽的な性質。
ひまりは己が遊ばれていると判断する。
でなければ、“上弦の鬼”と判断せざるを得ない男が己ごとき殺せないわけが無いと。
遊ばれていると認識すれば、矜持が怒りを呼び起こす。
恐怖する自らを律した。
ひまりは考察する。それが生き残るための道筋だと。
「(生き残り、情報を隊へ報告する。そうすれば例え上弦でも対策を取れるかもしれない……
……こんなに絶望的な力の差で、どうやって?)」
考えろ、考えろと。逸る心を巡らせていれば。
ひまりの真横すぐ傍で風が木々を捥ぎ取っていった。
それに「ひっ」と。律していた恐怖が彼女の喉に小さく引きつった声を出させた。
「――そこかァ!!」
まずい。“来る”。
肌で感じる気配と空気の流れ。死の確信。
動かなければ、自分は潰し殺される!!
確かな直感にひまりの足は動き、体を飛び跳ねさせた。
直後、風が今まで居た場所を木々ごと潰す。
意識は保たれている。間に合った。己は生きている。
安堵するのも一瞬で。すぐにもう一度駆け出し、早く逃げ出さなければと気を引き締め――
――知覚した痛みに甲高い悲鳴を上げる。
「ッ、い、痛、……!! あし、足、が、……!?」
避けきれなかった。
左足が風の圧力で折れたようだ。
無事だった右足と両手で受け身を取る。
這い蹲ってでも、すぐに対処が取れる体勢に復帰を試みようとすれば、月明かりに人影が映ったのが見えた。
「隠れて遊ぶのはもう終いか?」
居る。
今、後ろに。己の後ろに。
自分を追い詰めようとしていた扇鬼が居るのを感じる。
含んだような笑い声。
それを聞くだけで心が折れてしまいそうであった。
“どうする?” 頭に過る恐怖を孕んだ問い掛けをひまりは己へ科した。
まず、自分一人では確実に仕留めることは不可能。
ならば勝利するための条件は?
最低でも情報を持ち帰る。
しかし、ひまりの相方の鴉が吹き飛ばされ叩き付けられたのを見た。
生死の確認はしていないが……期待することは出来ない。
共に居た錫杖鬼が見逃すとは思えない。
紙に書き残して情報を鴉にもっていかせる、という苦肉の方法は使えないと判断。
つまり情報を持ち帰るためには、ひまりが生き残ることは必須条件で。
どうすれば、どうすれば……?
走馬灯のような一瞬の思考回路。生き残る術を模索していれば、背後の鬼が嗤った。
「なんじゃ、つまらん。もう諦めたか?」
「――!! 諦めて……たまるか!!」
挑発を素直に受け、奮起する。
無事な足を支えにし、刀を構えた。
改めて向き直り、鬼を視界に入れる。
やはり扇の鬼。高笑いの印象とは違わず、好戦的な笑みを浮かべている。
気分が高揚しているのか、彼はちろと舌を見せた。『楽』の文字がある。
「そうこなくてはなぁ」
その楽の文字を体現するかの様。楽しそうな声音でひまりの奮起を喜ぶように嘲った。
延々と追い詰められ、下に見られ……落ち着いていられるわけも無く。
ひまりは叫ぶ。
「笑ってられるのも……今の内よ!!」
そのまま斬り掛かる――かと、思われた。
「おお?」鬼の口から一驚したような声が上がる。
ひまりは斬り掛かる構えで間合いに飛び込み、すぐに身を翻して無理矢理折れた足を振り抜いた。
圧力で折れた足からは少なからずとも血が出て――鬼の顔に掛かる。
斬り掛かる錯覚をさせた上で目潰しを行い、そのまま鬼の頚へ刀を――
「カカカッ! 小賢しいのう。しかしその程度の小細工で攻撃の気配が分からぬ儂ではないぞ」
寸でのところで、刀を持つ手を掴まれた。
「っ、このっ!!」咄嗟に離れようと腹に蹴りを入れようとすれば、開いた片腕で受け止められる。
「足癖の悪い娘だな ほら、どうした? もっと力を入れてみせろ!」
「……っ!!」
「おっとすまんの。この足は折れた足か!
激痛であろうに無理に動かしたか? 声も出なくなったか!!」
鬼の言う通りであった。
激痛がひまりの足を責めたてる。
声を出すことすら叶わないほど息が詰まっていた。
ひまりは挑発に乗るように見せても、無茶のことを仕出かしたことに変わりない。
呼吸が未熟なひまりでは、足を囮にするなど自滅行為でしかなかった。
――それでも、どうせ死ぬかもしれないのならば
「――絶対に、諦めてやらない!!」
怒りの衝動で、今度は右足を振り上げる。
掴まれたままの右腕と同じく掴まれたままである折れた足を逆に利用してやることにした。
脳が焼けるほどの激痛。今は脳が興奮で痛みを忘れさせる。
何の武器も無いと思われた意味の無い右足。
草履から――仕込みの刃物が飛び出した。
鬼の頚へ右足が喰い込む。
彼が不意を取られたような表情を晒すのをひまりは見た。
――とった!!
ひまりはその確信を持った。
「――カカカッ!半分まではいけたのお、頑張ったものだ!」
「……嘘でしょう……?」
刃が途中で、止まった。頚が――硬過ぎる。
ほんの一瞬の攻防の直後。掴まれた腕に力を込められ、放り投げられた。
今度は受け身も取れない。
放り投げられる一瞬で片腕も折られたからだ。
転がるひまりは痛みと共に違和感を覚えていた。
刃物が通らないほどの硬い頚。ひまりには、あまりにも遠い強さの世界だった。
それなのに――“あまりにも素直に攻撃を喰らっていなかったか?”という違和感。
まさか、まさか。
「楽しいのう、時にはこういうのも悪くはない」
――“今までのも全て、遊ばれていたのか?”
疑念が、纏わりついて離れない。
表情を歪ませて転がっていたままのひまりへ、鬼がカラカラと笑いながら距離を縮めてくる。
ゆっくり、ゆっくりと。
多少なりとも喰い込んだ頚は、もはや一滴の血の跡すら残していない。
傷は再生された。
力は及ばず、しかもただ遊ばれていただけだという確信。
近付いてくる鬼へひまりは、矜持を汚された怒りの目で睨めつけるしか出来ない。
鬼はにんまりと目元を笑わせ、這い蹲ったひまりを見下ろした。
「おお、そうだ。面白いことを思いついたぞ! 娘、名は何という?」
「…………?」
何故、名を聞くのか。
この鬼にとって、それは重要なことなのだろうか。
気を取られて考えてしまうのも、続く痛みで掻き消されてしまう。
訝しみ、怪しむ目で沈黙する反応を見るや否や、顔を横に振って大袈裟に溜め息を吐いた。
「喋らんか。まぁ良い。後々聞くとしよう。それでも言わぬならそれはそれじゃ!」
「…後々……? ですって?」
後があるというのか? 今、この状況で?
ひまりからすれば、敗北が確定した己は喰われると定められたも同然だ。
それなのに、『後々』? 一体どういう了見だと。
何にしても彼女は諦める気は毛頭無かった。
立ち上がろうと試みれば、鬼は楽しそうに笑う。
その表情すら挑発されているようで、嫌であった。
傍に転がっていた刀を握り、振り上げようとする。
「おっと。まぁまて!!」
止める言葉が掛けられる。顔が慌てているようにも見えた。
好機だと思い、渾身の力を込めて地に足を着け、闘う意志のまま動く。
「待つものか、今、頚を……」
己を奮い立たせる言葉が途中で止まる。
更なる疑問が、ひまりの中で過ったからだ。
――この鬼、今どこへ視線をやって『待て』と言った?
私の、う しろへ ――
「いつまでやっておる馬鹿者」
雷鳴と共にひまりは、眼球の奥の奥で火花が弾けたのを感じた。
*
――意識の糸が繋がったばかりのひまりの朧な認識は男二人の声を耳にする。
異様に頭が痛んだ。血管が収縮している……というよりも、皮膚が引っ張られている痛みだ。
同時に上半身が浮いている不安定さ。足に重心が集中しているのに頭と首で体重を支えているような……
「ん? ほら、もたもたするから起きてしまったではないか」
「もたついていたのはお前だろうが可楽」
視界がぼやと霞掛かってまともに見えないが、どうやら扇の鬼と錫杖鬼が何かを話しているようだ。
扇鬼の声が己の上からする。
自身は髪を引っ掴まれて持ち上げれているようであった。
ひまりは思う。私は狩られた雉か何かかと。
ずれた文句が心に浮かぶのは、意識が覚束ないからだろうか。
頭皮が引っ張られ痛んだが、気にすることも出来ない。
それ以上に体中に走るぴりついた痛みと腕と足……
至る所が痛んでいたから。
まだあの世に行ってないのは分かったが、何故己は生きているのだろう。
不意に湧いた疑問。
朧気な意識の外から笑い声が聞こえた。
「なぁ、この女しばらく飼わぬか?」
この声は、己が今まで相手していた扇の鬼か。
“飼う”とは一体……まさか、自分のことか? 恐ろしい想定をしてひまりは痙攣している指を動かし、引っ張り上げられている痛みの原因を剥がそうと手を伸ばした。
無論、そんなことで簡単に剥がれるわけもなく。
硬い手の甲に爪を立てるだけで。
彼女の小さな抵抗を扇の鬼――可楽と呼ばれていた――が冷やかした。
「腕と足がこうなっても往生際が悪い! 捻り潰すのも楽しく感じてしまったのじゃ
たまには面白いじゃろうて 良いだろう?」
「許すわけなかろうが、とっとと喰ってしまえ」
「ケチくさいことを抜かさんでも良いだろうが」
「可楽……お前、始めから儂の話を聞く気が無いな」
「はて、儂には何のことかわからんのお?」
「耄碌したか。混ざれば儂らの知らぬところで怯え切られ喰われてしまうが関の山じゃ」
「儂らが出てこれる程度には力があるのじゃ。どうせ怯えて表に出てこぬ。
しばらくは楽しめるだろうて?」
「わざと斬られておる癖に屁理屈を言いおって……腹立たしい。
飼うなど抜かすならまず腕を捥げ 刀を握れなくしてしまえ」
「ひっ」喉から怯えて攣った声が漏れる。
ひまりには内容は会話している内容の半分は意味を理解出来なかった。
が、“腕を捥げ”なんて単純な言葉を噛み砕くのは容易。
残酷……いや、合理的な命令を下す錫杖の鬼へ笑い声が反論した。
「それはつまらぬ。抵抗が面白いからこうやって残してやっておるのだ」
「ハァ……ならば身包みを剥がして鋼の類全てを吹き飛ばせ
お前の気紛れで頚をとられることになるなぞ考えただけでもおぞましいわ」
「言われんでもそうするわ! カカカッ!」
錫杖鬼の声がこれ見よがしに溜め息を吐いている。
可楽が待ってましたと言わんばかりの声色で楽しそうに答えたのを聞き、ひまりは絶望する。
言われた通りのままのことをするのだろう。
なんたる辱めか。
「ま、待って 」
「そう怯えるな これから長い付き合いになるだろうて」
――それは私が死ぬまでか、殺されるまでか、それとも……“人として終わる”というとこまでか
今にも心を砕こうとする抱えきれない絶望の予感。
それは肉体も精神も限界を迎えていたひまりの意識を簡単に千切れさせてしまった。
ひまりの意識が黒ずむ。
ぼたりと涙を落とすのを笑う声が最後であった。
終わらない愉楽の夜が早く終われと願い、呪いながら気を失った。
終わるのは、いつか。
執筆2019/01/12
・可楽 バッドエンド系 痛ましい表現が多い
甘さの欠片も無い
・鬼殺隊夢主
・積怒もいる
――カカカッ! ほうら、儂をもっと楽しませてみせろ!!
愉悦を這わせた高笑いが夜の森を駆けた直後。地表が突風で抉り取られる。
木々の間に通す縫い針のごとく走り抜けた女――白木ひまりは息を殺し、茂みの影に潜んでいた。
荒く乱れた呼吸を飲み込んで。
足を取ってくる己の恐怖と怯えを意識の外側へ追いやろうとする。
「(なんなの。なんなのよ……?
これが、上弦ってこと? 嘘でしょう?)」
口に出して、言葉を吐き捨てたいのを堪えた。
堪え切れなければ発見される可能性が高まるのだ。
ただでさえ愉悦の声が聞こえてすぐに身を隠したというのに自ら潰すような真似をするわけにはいかない。
発見されればひまりの命は無いのだから――
――ただ単に、運が悪かったという他無い。
事はただの仕事であった。
鬼殺隊の隊士として役割を果たし、そして次の仕事へ向かう。
その次の仕事へ向かう道中に、地獄かと見紛う不運に巡り合ったのだ。
縄張りにしていたのか移動の最中だったかのかはひまりには分からない。
立涌花菱模様が特徴的な左右非対称の着物と。その印象を塗り変えるほど怯える翁。
気配の隠し方が上手く、角と頭部を見なければ鬼とすら認識出来なかっただろう。
ひまりが遭ってきた今までの鬼と比べると気配の静かさが“異常”と言っても良い程なのだ。
“桁が違う”。
見つけられたのはほとんど奇跡だとひまりは思う。
まさか気を抜いて不意に振り返れば影に蹲る姿を見つけるとは誰も思うまい。
そして瞬時に頚を狙えば――二人に分裂するなんて、尚のこと思うまい。
翁と同じ仕立ての着物の錫杖鬼と、上半身を曝け出している天狗染みた扇鬼。
錫杖鬼が何か苛ついた声で静かに命令していたのをひまりは聞いた。
が、直後にひまりは扇鬼に吹き飛ばされた。
扇を振り上げただけで発生した風に飛ばされ……今、逃げている。
この風を操る扇鬼が兎角厄介であった。
扇を振るうだけで風と圧力で岩肌が捲られる。木々がひしゃげ、根から持っていかれる。
鍛えた人間の足でも範囲から飛び出すのがやっとの広範囲。
それが夜、森林の闇の中から遠距離で飛んでくるのだ。
その異能もまた厄介だが、特に厄介なのは扇鬼の“性質”である。
扇を振るい高笑いする様は加減をしているように見えるのに、執拗なほどに突風を起こした。
好戦的且つ、享楽的な性質。
ひまりは己が遊ばれていると判断する。
でなければ、“上弦の鬼”と判断せざるを得ない男が己ごとき殺せないわけが無いと。
遊ばれていると認識すれば、矜持が怒りを呼び起こす。
恐怖する自らを律した。
ひまりは考察する。それが生き残るための道筋だと。
「(生き残り、情報を隊へ報告する。そうすれば例え上弦でも対策を取れるかもしれない……
……こんなに絶望的な力の差で、どうやって?)」
考えろ、考えろと。逸る心を巡らせていれば。
ひまりの真横すぐ傍で風が木々を捥ぎ取っていった。
それに「ひっ」と。律していた恐怖が彼女の喉に小さく引きつった声を出させた。
「――そこかァ!!」
まずい。“来る”。
肌で感じる気配と空気の流れ。死の確信。
動かなければ、自分は潰し殺される!!
確かな直感にひまりの足は動き、体を飛び跳ねさせた。
直後、風が今まで居た場所を木々ごと潰す。
意識は保たれている。間に合った。己は生きている。
安堵するのも一瞬で。すぐにもう一度駆け出し、早く逃げ出さなければと気を引き締め――
――知覚した痛みに甲高い悲鳴を上げる。
「ッ、い、痛、……!! あし、足、が、……!?」
避けきれなかった。
左足が風の圧力で折れたようだ。
無事だった右足と両手で受け身を取る。
這い蹲ってでも、すぐに対処が取れる体勢に復帰を試みようとすれば、月明かりに人影が映ったのが見えた。
「隠れて遊ぶのはもう終いか?」
居る。
今、後ろに。己の後ろに。
自分を追い詰めようとしていた扇鬼が居るのを感じる。
含んだような笑い声。
それを聞くだけで心が折れてしまいそうであった。
“どうする?” 頭に過る恐怖を孕んだ問い掛けをひまりは己へ科した。
まず、自分一人では確実に仕留めることは不可能。
ならば勝利するための条件は?
最低でも情報を持ち帰る。
しかし、ひまりの相方の鴉が吹き飛ばされ叩き付けられたのを見た。
生死の確認はしていないが……期待することは出来ない。
共に居た錫杖鬼が見逃すとは思えない。
紙に書き残して情報を鴉にもっていかせる、という苦肉の方法は使えないと判断。
つまり情報を持ち帰るためには、ひまりが生き残ることは必須条件で。
どうすれば、どうすれば……?
走馬灯のような一瞬の思考回路。生き残る術を模索していれば、背後の鬼が嗤った。
「なんじゃ、つまらん。もう諦めたか?」
「――!! 諦めて……たまるか!!」
挑発を素直に受け、奮起する。
無事な足を支えにし、刀を構えた。
改めて向き直り、鬼を視界に入れる。
やはり扇の鬼。高笑いの印象とは違わず、好戦的な笑みを浮かべている。
気分が高揚しているのか、彼はちろと舌を見せた。『楽』の文字がある。
「そうこなくてはなぁ」
その楽の文字を体現するかの様。楽しそうな声音でひまりの奮起を喜ぶように嘲った。
延々と追い詰められ、下に見られ……落ち着いていられるわけも無く。
ひまりは叫ぶ。
「笑ってられるのも……今の内よ!!」
そのまま斬り掛かる――かと、思われた。
「おお?」鬼の口から一驚したような声が上がる。
ひまりは斬り掛かる構えで間合いに飛び込み、すぐに身を翻して無理矢理折れた足を振り抜いた。
圧力で折れた足からは少なからずとも血が出て――鬼の顔に掛かる。
斬り掛かる錯覚をさせた上で目潰しを行い、そのまま鬼の頚へ刀を――
「カカカッ! 小賢しいのう。しかしその程度の小細工で攻撃の気配が分からぬ儂ではないぞ」
寸でのところで、刀を持つ手を掴まれた。
「っ、このっ!!」咄嗟に離れようと腹に蹴りを入れようとすれば、開いた片腕で受け止められる。
「足癖の悪い娘だな ほら、どうした? もっと力を入れてみせろ!」
「……っ!!」
「おっとすまんの。この足は折れた足か!
激痛であろうに無理に動かしたか? 声も出なくなったか!!」
鬼の言う通りであった。
激痛がひまりの足を責めたてる。
声を出すことすら叶わないほど息が詰まっていた。
ひまりは挑発に乗るように見せても、無茶のことを仕出かしたことに変わりない。
呼吸が未熟なひまりでは、足を囮にするなど自滅行為でしかなかった。
――それでも、どうせ死ぬかもしれないのならば
「――絶対に、諦めてやらない!!」
怒りの衝動で、今度は右足を振り上げる。
掴まれたままの右腕と同じく掴まれたままである折れた足を逆に利用してやることにした。
脳が焼けるほどの激痛。今は脳が興奮で痛みを忘れさせる。
何の武器も無いと思われた意味の無い右足。
草履から――仕込みの刃物が飛び出した。
鬼の頚へ右足が喰い込む。
彼が不意を取られたような表情を晒すのをひまりは見た。
――とった!!
ひまりはその確信を持った。
「――カカカッ!半分まではいけたのお、頑張ったものだ!」
「……嘘でしょう……?」
刃が途中で、止まった。頚が――硬過ぎる。
ほんの一瞬の攻防の直後。掴まれた腕に力を込められ、放り投げられた。
今度は受け身も取れない。
放り投げられる一瞬で片腕も折られたからだ。
転がるひまりは痛みと共に違和感を覚えていた。
刃物が通らないほどの硬い頚。ひまりには、あまりにも遠い強さの世界だった。
それなのに――“あまりにも素直に攻撃を喰らっていなかったか?”という違和感。
まさか、まさか。
「楽しいのう、時にはこういうのも悪くはない」
――“今までのも全て、遊ばれていたのか?”
疑念が、纏わりついて離れない。
表情を歪ませて転がっていたままのひまりへ、鬼がカラカラと笑いながら距離を縮めてくる。
ゆっくり、ゆっくりと。
多少なりとも喰い込んだ頚は、もはや一滴の血の跡すら残していない。
傷は再生された。
力は及ばず、しかもただ遊ばれていただけだという確信。
近付いてくる鬼へひまりは、矜持を汚された怒りの目で睨めつけるしか出来ない。
鬼はにんまりと目元を笑わせ、這い蹲ったひまりを見下ろした。
「おお、そうだ。面白いことを思いついたぞ! 娘、名は何という?」
「…………?」
何故、名を聞くのか。
この鬼にとって、それは重要なことなのだろうか。
気を取られて考えてしまうのも、続く痛みで掻き消されてしまう。
訝しみ、怪しむ目で沈黙する反応を見るや否や、顔を横に振って大袈裟に溜め息を吐いた。
「喋らんか。まぁ良い。後々聞くとしよう。それでも言わぬならそれはそれじゃ!」
「…後々……? ですって?」
後があるというのか? 今、この状況で?
ひまりからすれば、敗北が確定した己は喰われると定められたも同然だ。
それなのに、『後々』? 一体どういう了見だと。
何にしても彼女は諦める気は毛頭無かった。
立ち上がろうと試みれば、鬼は楽しそうに笑う。
その表情すら挑発されているようで、嫌であった。
傍に転がっていた刀を握り、振り上げようとする。
「おっと。まぁまて!!」
止める言葉が掛けられる。顔が慌てているようにも見えた。
好機だと思い、渾身の力を込めて地に足を着け、闘う意志のまま動く。
「待つものか、今、頚を……」
己を奮い立たせる言葉が途中で止まる。
更なる疑問が、ひまりの中で過ったからだ。
――この鬼、今どこへ視線をやって『待て』と言った?
私の、う しろへ ――
「いつまでやっておる馬鹿者」
雷鳴と共にひまりは、眼球の奥の奥で火花が弾けたのを感じた。
*
――意識の糸が繋がったばかりのひまりの朧な認識は男二人の声を耳にする。
異様に頭が痛んだ。血管が収縮している……というよりも、皮膚が引っ張られている痛みだ。
同時に上半身が浮いている不安定さ。足に重心が集中しているのに頭と首で体重を支えているような……
「ん? ほら、もたもたするから起きてしまったではないか」
「もたついていたのはお前だろうが可楽」
視界がぼやと霞掛かってまともに見えないが、どうやら扇の鬼と錫杖鬼が何かを話しているようだ。
扇鬼の声が己の上からする。
自身は髪を引っ掴まれて持ち上げれているようであった。
ひまりは思う。私は狩られた雉か何かかと。
ずれた文句が心に浮かぶのは、意識が覚束ないからだろうか。
頭皮が引っ張られ痛んだが、気にすることも出来ない。
それ以上に体中に走るぴりついた痛みと腕と足……
至る所が痛んでいたから。
まだあの世に行ってないのは分かったが、何故己は生きているのだろう。
不意に湧いた疑問。
朧気な意識の外から笑い声が聞こえた。
「なぁ、この女しばらく飼わぬか?」
この声は、己が今まで相手していた扇の鬼か。
“飼う”とは一体……まさか、自分のことか? 恐ろしい想定をしてひまりは痙攣している指を動かし、引っ張り上げられている痛みの原因を剥がそうと手を伸ばした。
無論、そんなことで簡単に剥がれるわけもなく。
硬い手の甲に爪を立てるだけで。
彼女の小さな抵抗を扇の鬼――可楽と呼ばれていた――が冷やかした。
「腕と足がこうなっても往生際が悪い! 捻り潰すのも楽しく感じてしまったのじゃ
たまには面白いじゃろうて 良いだろう?」
「許すわけなかろうが、とっとと喰ってしまえ」
「ケチくさいことを抜かさんでも良いだろうが」
「可楽……お前、始めから儂の話を聞く気が無いな」
「はて、儂には何のことかわからんのお?」
「耄碌したか。混ざれば儂らの知らぬところで怯え切られ喰われてしまうが関の山じゃ」
「儂らが出てこれる程度には力があるのじゃ。どうせ怯えて表に出てこぬ。
しばらくは楽しめるだろうて?」
「わざと斬られておる癖に屁理屈を言いおって……腹立たしい。
飼うなど抜かすならまず腕を捥げ 刀を握れなくしてしまえ」
「ひっ」喉から怯えて攣った声が漏れる。
ひまりには内容は会話している内容の半分は意味を理解出来なかった。
が、“腕を捥げ”なんて単純な言葉を噛み砕くのは容易。
残酷……いや、合理的な命令を下す錫杖の鬼へ笑い声が反論した。
「それはつまらぬ。抵抗が面白いからこうやって残してやっておるのだ」
「ハァ……ならば身包みを剥がして鋼の類全てを吹き飛ばせ
お前の気紛れで頚をとられることになるなぞ考えただけでもおぞましいわ」
「言われんでもそうするわ! カカカッ!」
錫杖鬼の声がこれ見よがしに溜め息を吐いている。
可楽が待ってましたと言わんばかりの声色で楽しそうに答えたのを聞き、ひまりは絶望する。
言われた通りのままのことをするのだろう。
なんたる辱めか。
「ま、待って 」
「そう怯えるな これから長い付き合いになるだろうて」
――それは私が死ぬまでか、殺されるまでか、それとも……“人として終わる”というとこまでか
今にも心を砕こうとする抱えきれない絶望の予感。
それは肉体も精神も限界を迎えていたひまりの意識を簡単に千切れさせてしまった。
ひまりの意識が黒ずむ。
ぼたりと涙を落とすのを笑う声が最後であった。
終わらない愉楽の夜が早く終われと願い、呪いながら気を失った。
終わるのは、いつか。
執筆2019/01/12