遙か6夢(長編)
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柔らかな手触りの良い感触。木漏れ日を見上げた時のように、まなうらで光が断続して瞬く。それらを無視することができず、真琴はゆっくりと目蓋を押し開けた。
「…あさ……」
朝。脳裏で同じ言葉を反芻する。あさだから、おきなきゃ。そう。朝だから、起きる。だって朝は、あさ、は……
「…朝っ!? 〜〜っ!」
覚醒。目をこれでもかというほど見開いて、真琴は飛び起きた。視界が大きく揺れる。襲い来る目眩に額を押さえ、波をやり過ごそうとして数秒。
心臓は不安と焦燥で未だ大きく波打っていた。冷や汗を全身で受け止めながら、思い返すことまた数秒。
今朝はきちんと寝床を出て、ハイカラヤに向かっていたはずだ。歩いている途中でやけに喉が乾いて、今日は暑いのかなと呑気に空を見上げたら、光が眩しくて、なのに視界が暗くなった。記憶はそこまでしかない。おそらく道端で倒れたんだろうと、真琴は当たりをつけた。
「……じゃあ、ここ、どこ?」
寝台から慎重に降りて、辺りを見回す。
小綺麗な部屋。西洋風の部屋は帝都では珍しくないのだろう。部屋の中には先程まで寝ていたベッドとサイドテーブル、机や椅子が簡素に置かれていただけだった。病院の個室の方がまだ物がある。
とはいえ、敷かれた絨毯やカーテンはモダンなデザインであり、消毒液の匂いを思わすものではない。誰かの私邸だろうか、と首を傾げたところで、部屋の外から扉を叩く音が響いた。
「我だ。入るぞ」
「え? あっ…」
「……おお! 目が覚めたのか!」
生成色の細く長い髪に、萌黄色の着物。一見たおやかではあるが、真琴よりもはるかに上背があり、骨格もしっかりしている。……この青年は、あの夜の。
「心配したぞ。ぬしは路端で突然意識を失ったのだ。偶然とはいえ、我が通りかかって良かった。これも運命というものなのだろうな」
手元のお盆をサイドテーブルに置いて、九段はおもむろに急須から湯呑へ緑茶を注いだ。茶を淹れるだけでもその佇まいは優雅で、彼の育ちの良さが伺える。どことなく、立ち居振る舞いがルードハーネを彷彿とさせた。
「……助けていただき、ありがとうございます」
「なんの! 甘味は好きか? 丁度葛切りが手に入ったのだ。気に入ってくれると良いのだが」
「いえ、あの。不躾ついでに申し訳無いのですが、電話を貸していただけないでしょうか? 勤め先に連絡を入れたくて」
「ハイカラヤか?」
ぴしゃりと真琴は固まった。その反応に、九段はただ穏やかに笑みを浮かべるだけ。
「それならもう連絡はしておいたぞ。居合わせた者がハイカラヤの常連でな。ぬしをよく覚えていたそうだ」
朗らかに、まるで誇らしげでもあるその笑顔に邪気はない。昼の陽射しが似合う純粋な瞳。真琴は所在無さげに視線を彷徨かせて、ゆっくりと頭を下げた。
「お手間をかけてすみません。何から何まで、ありがとうございます」
「顔を上げてくれ。居場所は違えど、我らは同志。仲間を助けるのは当然のことだ」
「…………」
真琴は開いた口が塞がらなかった。青年の言葉は想定外であり、青天の霹靂と言っても過言ではなかったからだ。
混乱したまま乱入した愛宕山でのあの夜、真琴は人生で初めて大立ち回りを演じてみせた。暴力こそ手にしなかったが、自分の立場と能力を開示して三つ巴に持ち込んだ。
鬼の一派としてでもなく、軍属でもなく。龍神の神子に仕える一人の人間として。真っ向から対立した。
無論、争いが目的だったのではない。目的は梓、白龍の神子、自分の自由。だがこちらに事を構える気はなくとも、味方ではないことは明白だったはずだ。それが分かるように、友好的な言葉を選びながらも計算高さを滲ませて笑ってみせた。事実、軍人達は警戒して胡乱げにこちらを観察していたし、後半は刀の柄に手をかけていた。それが、仲間。同志。
真琴は目眩がした。そんなことあるかと叫ぶ元気がなくて良かった。顔を隠そうと額に手をやる。
「…む? 大丈夫か? やはり気分が悪いのか?」
背の高い男がこちらを覗き込む気配がする。気遣う言葉に曖昧な返事を返しながら、真琴は混乱する思考回路と戦っていた。
自分の従姉妹も大概だが、この目の前の人物はドがつくお人好しだ。間違いない。同志と呼ぶのは、互いに『龍神の神子に仕える立場』だからだろう。むしろそれ以外に共通点はない。
(っていうかなに、梓はこの人と一緒に行動してるんだよね? え、梓とこの人のコンビ? まずくない?)
鈍感お人好し善人コンビは流石に放っておくと何を始めるか分からない。誰か止める人間はいるのか。軍は何してるんだ。
仮にも自身を介抱した人物に、真琴は散々な評価をしていた。回り回って褒めているつもりでもあるのだが、あまりの衝撃に感謝よりも心配の方が勝ってしまう。二人して怪しい露天で壺を買わされそうだ。
(……だめだ。心配すぎる)
せめて梓と…可能なら白龍の神子とも少し話をしてから、ハイカラヤに向かおう。打診をしようと真琴が顔を上げた時、硬質な音が室内に響いた。扉を叩く音だ。
「構わない。入れ」
言葉に似つかわしくない、やわらかな声音が応答する。間もなく洋室の扉は開かれ、二人の影が姿を現した。
「真琴!」
「おはよう。具合はどうかしら?」
噂をすれば。
凛とした夜と、陽だまりのような穏やかな声音がかけられる。今思い描いていた、龍神の神子達だった。
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