ヘルヴォル
- (ようれん)『大丈夫』の魔法をかけて -
「……」
──だめだ、落ち着かない。
今日はヘルヴォルは外征もなし、哨戒活動もなし。完全オフの日という、とても珍しい日だった。こんな日は外に出かけたい気持ちがあるんじゃないかな。例えば、そう。
「……雨じゃなければね」
──私は平気だけど。
外に出たい一葉や藍はしょんぼりしていたな。特に一葉はバイクに乗って出かけたかったみたいだし。藍もたい焼きを買いに行きたがっていた。千香瑠が焼くことを伝えたらご機嫌になっていたっけ。
──でも、私は。
いつもだったら藍を見て微笑ましい気持ちになっていたけれど。今日だけはそういう気分になれなかった。
だって、恋花の元気がなかったから。
私しか知らない恋花の姿。きっと他のみんなも何かを気づいていそうだけど、何も言っている姿を見たことがないし、聞かれたこともない。それはいつか恋花からみんなに言えたらいいなとは思う。それよりも。
「……恋花」
端末をじっと見つめるも、メッセージが届く様子は微塵もない。待ちきれなくて起動して、新着メッセージを問い合わせるも何も新しいメッセージはない。
──心配。
口にしなくても、さっきから何もできていないことが恋花を心配する証拠だった。部屋の中をそわそわしていたし、くまのぬいぐるみを抱っこしてみても全然落ち着かないし。
──迷っていたら、だめだ。
こういう時に恋花は迷ったりしない。目の前の相手のために、できることを全力でやる。それが私の知る恋花だから。だから。
──行こう。私が恋花だったなら。
きっと、私を待っているだろうから。
「……恋花」
思ったよりも足早で歩いた私はあっという間に恋花の部屋の前までやってきた。何度も訪れた部屋だけど、マナーとしてのノックを数回。いつもだったら元気な返事が返ってくるけど、今日は待っても返ってこない。
──やっぱり。
呼んでねって言っても、滅多に呼んでくれることはない。これでも友達になった頃よりは頼ってくれるようになったと思うけど。
「恋花、入るね」
一応断りを入れて、ドアノブを回す。静かに開けて、ゆっくり部屋の中に入る。両手で丁寧にドアを閉めて、部屋の中に視線を向けると──そこには、天気のせいで辛そうな表情を浮かべた恋花が横になっていた。
「恋花、きたよ」
「……よう……?」
ベッドの上から聞こえた、覇気がなく、ぼんやりとした恋花の声。元気がなくて、しぼんだ風船のような、細い声。それを聞くたびに胸が苦しくなる感覚になる。それだけ天気が悪くて、恋花もしんどいのだから。
「うん、私だよ。ごはん食べた?」
「……ゼリーなら、さっき」
「そっか、わかった。他に食べたいものとかある?」
「今は、いい」
大好物のラーメンを食べに行こうとも言わない恋花は、私の予想以上に今回の天気でかなり弱っていた。歯がゆい思いでいっぱいになる。ここまで梅雨が長引くと洗濯とか、任務とか色々影響も出てしまうし。何より仕方がないとはいえ、こんな風に恋花がしんどくなるのは私が嫌だった。
「……ごめん、よう」
「なにが?」
努めて気にしていない声を出す。いつもだったら、私の色んな感情を気づく恋花だけど、天気で参ってる時は、自分を責めるようで。ごめんの意味に気がついてしまう私も大概なのかもしれないけれど。たった一言すら、私には言えないのがもどかしかった。
「あたし……いつも、ようのこと、頼ってばっか」
「逆。私がいつも恋花を頼っているんだよ」
「……あたし、よーの力になってる?」
「……もちろん」
私の方が、恋花にいつも助けてもらってばかりだよ。そんなことを密かに思う。
──早く梅雨、あけてくれないかな。
じめっとした天気はそれだけでしんどい気持ちになっちゃうんだけど、私は早く恋花がいつもみたいに何の憂いもなく元気な姿を見せてほしい。梅雨があけないと恋花の体調も安定しないところがあるから。
「……」
「……」
私が恋花みたいにたくさん話題を知っていてお喋りだったらよかった。恋花はいつだって、その人に合わせた話題をふって楽しく会話をしている。その姿を羨ましいと何度も思った。だからといって私が恋花みたいになれるかというと難しい。恋花も『瑤はあたしにはないいいところがあるよ』って言っていた。
──言いたいけれど、迷っている。
言葉にすればたったの六文字。だけど、私は安易にその言葉を言えないと思っている。だって。
──しんどい恋花に『大丈夫』なんて、言えないよ……。
頭が痛いのかもしれなくて。身体が重くてだるいのかもしれなくて。天気で左右される身体のしんどさや辛さをを誰よりも知っているけれど、誰にも言わずに一人で耐えて。そんな恋花が大丈夫なわけがない。
「……う」
「……っ」
一番大変なのは、恋花なんだから。
今までだったら、遠慮していた。でも、私は恋花だからになりたいから。
「恋花」
声は震えていなかったかな。顔は変になってないかな。そんなことを微かに思う。恋花はなあに、と弱った声で私の名前を呼んだ。
「私に……何かできること、ある?」
「……」
半分見えるグレーの目がゆっくりと私を捉える。恋花の頼みなら、行列ができそうなお店に何時間でも並ぶつもりだし、できることならかなえてあげたいと思った。
「よう」
「なに?」
私はあなたに何ができる?
何をしたらいいの?
「……『大丈夫』って、言って」
「!」
電気が走る。よりにもよって恋花がしてほしいことは。私にしか、できないことだった。おそるおそる確認する。
「……本当にそんなことでいいの? りんごだって、千香瑠ほどじゃないけど上手にむけるんだよ?」
「……いい、りんごより、ようの大丈夫がほしい」
「っ」
──恋花、ずるいよ。
しんどくてたまらないはずなのに。お願い、と訴える目は真剣そのもの。私はその中に、少しの遠慮を見つけてしまう。
──今は、遠慮なんてしないで。
私はなんでもするよ。そんな思いを込めて、ゆっくりと恋花の頭に触れた。栗色の髪がふんわりしている。
「……わかった」
今だけは、恋花のために。
「大丈夫、大丈夫だよ恋花。天気がよくなったら、すぐに恋花も元気になるから」
「……うん」
ぎゅ、と苦しげだった眉の力が少しだけ弱まった気がする。
「大丈夫だよ。今は安心して? 私が絶対そばにいるから」
「……う、ん」
不安なときは、いつでも私を呼んで。絶対に駆けつけるから。どこにいたって、何をしていたって。
頭に響かないように、優しい力で恋花の頭に触れる。
「……大丈夫、恋花は大丈夫だよ」
「……ぅ、ん」
根拠も何もない、大丈夫の六文字しか繰り返さない私。それを恋花は安心したように目を閉じている。そして、ひとつ吐息を出した恋花は、ぽつり。
「よーの手……ほっとする、なぁ」
「……うん、私がいるから。大丈夫だよ、恋花」
ふにゃ、と少しだけ恋花の表情が緩んだ気がする。
「……恋花、少し眠ろう? そうしたら、ちょっとは具合がよくなるかもしれない」
「……う、ん」
少しだけ目を開けたけれどすぐに瞼が下がりかけた恋花は、少しだけ眠りたくなさそうに見えた。それに気がついたのは、きっと私が恋花をよく見ていたからだ。どうしたの、と促すと。
「……よー、部屋に帰らない、よね」
「……」
──帰らないよ。
心配してたんだ。そして、不安だったんだね。大丈夫だよ。私は恋花のそばにいるよ。気持ちが伝われ、と願いながら所在なさげに開いていた恋花の右手をそっと左手で握った。
「大丈夫、私は恋花のそばにいる」
「……うん」
「だから、安心して……ね?」
「……ん」
きゅ、と握り返された私の手。力なんてこれっぽっちも入っていなくて、すぐにするりと解けてしまいそう。だけど、私はそんな恋花の手が離れないようにした。
「…………」
「……寝た、かな」
「…………すー、すー……」
本当に誰に聞かせるまでもない小さな私の声が一つ。部屋の中に溶けていく。
そして、やっぱり……恋花の手から力が抜けていって、予想通りの展開になる。だから、起こさないように気をつけながら力を込めて恋花の手を握った。私より、少しだけ細くて頑張り屋で、色んなことを守ってくれる、大好きな手を。
「…………」
──効果、あるかな。
ふと眠る恋花のために、もう少し私にしかできないことはないかと考えたとき、一つの案が私の中で閃きを放った。
──ブレイブで、しんどいのを軽くできないかな……。
私のレアスキル『ブレイブ』は触れた相手の精神的安定をもたらすもの。ルナティックトランサーの対になるもので、負のマギを浄化する力がある。だからといって、今の恋花は負のマギに汚染されているわけじゃないし、恋花のレアスキルはフェイズトランセンデンス。特に私の力が必要なものでもない。
だけど。
──できることは、少しでもしたいから。
「…………よし」
小さく気合いを入れる。効くかどうかわからないけれど。
──ブレイブ。
私の左手と恋花の右手の触れ合っているところをパス経路として効果が発揮される。もちろん、負のマギなんてこれっぽっちも恋花の身体の中にあるはずもなく、浄化なんてやっぱりできないかな、と微かに思った瞬間。
「…………」
「……ぁ、」
──恋花、笑った?
さっきまで、どこか苦しげで辛そうだった恋花だけど。ブレイブをかけたら、大丈夫って言ったときよりも。右手で恋花をさすったときにも。どんなときよりも力が抜けて、眠れているように感じたから。
──よかった。
ほっとして、私はひっそりと息を吐き出す。誰に知られるわけでもなかったけれど、よかったという安堵の気持ちを抱いて。
「……今度、みんなでてるてる坊主作ろうか、そして早く梅雨とバイバイしよう」
「…………」
聞こえているわけがない。恋花は今、夢の世界の住人になっているんだから。だからこれは、きっと私の見間違いなのかもしれないけれど。恋花が笑ったように見えたんだ。そして。
──みんなでたくさん作るわよ!
そんなことを言って音頭をとる姿が脳裏に浮かんできた。その姿が私の一番見たい恋花の姿だったから。
「早く元気になって。それで、元気になったらラーメン食べに行こう」
「…………すー……くー……」
穏やかに眠る恋花に私にしか聞こえていない約束を静かに交わし、もう一度、起こさないように気をつけながら優しく手を握りしめたのだった。
「……」
──だめだ、落ち着かない。
今日はヘルヴォルは外征もなし、哨戒活動もなし。完全オフの日という、とても珍しい日だった。こんな日は外に出かけたい気持ちがあるんじゃないかな。例えば、そう。
「……雨じゃなければね」
──私は平気だけど。
外に出たい一葉や藍はしょんぼりしていたな。特に一葉はバイクに乗って出かけたかったみたいだし。藍もたい焼きを買いに行きたがっていた。千香瑠が焼くことを伝えたらご機嫌になっていたっけ。
──でも、私は。
いつもだったら藍を見て微笑ましい気持ちになっていたけれど。今日だけはそういう気分になれなかった。
だって、恋花の元気がなかったから。
私しか知らない恋花の姿。きっと他のみんなも何かを気づいていそうだけど、何も言っている姿を見たことがないし、聞かれたこともない。それはいつか恋花からみんなに言えたらいいなとは思う。それよりも。
「……恋花」
端末をじっと見つめるも、メッセージが届く様子は微塵もない。待ちきれなくて起動して、新着メッセージを問い合わせるも何も新しいメッセージはない。
──心配。
口にしなくても、さっきから何もできていないことが恋花を心配する証拠だった。部屋の中をそわそわしていたし、くまのぬいぐるみを抱っこしてみても全然落ち着かないし。
──迷っていたら、だめだ。
こういう時に恋花は迷ったりしない。目の前の相手のために、できることを全力でやる。それが私の知る恋花だから。だから。
──行こう。私が恋花だったなら。
きっと、私を待っているだろうから。
「……恋花」
思ったよりも足早で歩いた私はあっという間に恋花の部屋の前までやってきた。何度も訪れた部屋だけど、マナーとしてのノックを数回。いつもだったら元気な返事が返ってくるけど、今日は待っても返ってこない。
──やっぱり。
呼んでねって言っても、滅多に呼んでくれることはない。これでも友達になった頃よりは頼ってくれるようになったと思うけど。
「恋花、入るね」
一応断りを入れて、ドアノブを回す。静かに開けて、ゆっくり部屋の中に入る。両手で丁寧にドアを閉めて、部屋の中に視線を向けると──そこには、天気のせいで辛そうな表情を浮かべた恋花が横になっていた。
「恋花、きたよ」
「……よう……?」
ベッドの上から聞こえた、覇気がなく、ぼんやりとした恋花の声。元気がなくて、しぼんだ風船のような、細い声。それを聞くたびに胸が苦しくなる感覚になる。それだけ天気が悪くて、恋花もしんどいのだから。
「うん、私だよ。ごはん食べた?」
「……ゼリーなら、さっき」
「そっか、わかった。他に食べたいものとかある?」
「今は、いい」
大好物のラーメンを食べに行こうとも言わない恋花は、私の予想以上に今回の天気でかなり弱っていた。歯がゆい思いでいっぱいになる。ここまで梅雨が長引くと洗濯とか、任務とか色々影響も出てしまうし。何より仕方がないとはいえ、こんな風に恋花がしんどくなるのは私が嫌だった。
「……ごめん、よう」
「なにが?」
努めて気にしていない声を出す。いつもだったら、私の色んな感情を気づく恋花だけど、天気で参ってる時は、自分を責めるようで。ごめんの意味に気がついてしまう私も大概なのかもしれないけれど。たった一言すら、私には言えないのがもどかしかった。
「あたし……いつも、ようのこと、頼ってばっか」
「逆。私がいつも恋花を頼っているんだよ」
「……あたし、よーの力になってる?」
「……もちろん」
私の方が、恋花にいつも助けてもらってばかりだよ。そんなことを密かに思う。
──早く梅雨、あけてくれないかな。
じめっとした天気はそれだけでしんどい気持ちになっちゃうんだけど、私は早く恋花がいつもみたいに何の憂いもなく元気な姿を見せてほしい。梅雨があけないと恋花の体調も安定しないところがあるから。
「……」
「……」
私が恋花みたいにたくさん話題を知っていてお喋りだったらよかった。恋花はいつだって、その人に合わせた話題をふって楽しく会話をしている。その姿を羨ましいと何度も思った。だからといって私が恋花みたいになれるかというと難しい。恋花も『瑤はあたしにはないいいところがあるよ』って言っていた。
──言いたいけれど、迷っている。
言葉にすればたったの六文字。だけど、私は安易にその言葉を言えないと思っている。だって。
──しんどい恋花に『大丈夫』なんて、言えないよ……。
頭が痛いのかもしれなくて。身体が重くてだるいのかもしれなくて。天気で左右される身体のしんどさや辛さをを誰よりも知っているけれど、誰にも言わずに一人で耐えて。そんな恋花が大丈夫なわけがない。
「……う」
「……っ」
一番大変なのは、恋花なんだから。
今までだったら、遠慮していた。でも、私は恋花だからになりたいから。
「恋花」
声は震えていなかったかな。顔は変になってないかな。そんなことを微かに思う。恋花はなあに、と弱った声で私の名前を呼んだ。
「私に……何かできること、ある?」
「……」
半分見えるグレーの目がゆっくりと私を捉える。恋花の頼みなら、行列ができそうなお店に何時間でも並ぶつもりだし、できることならかなえてあげたいと思った。
「よう」
「なに?」
私はあなたに何ができる?
何をしたらいいの?
「……『大丈夫』って、言って」
「!」
電気が走る。よりにもよって恋花がしてほしいことは。私にしか、できないことだった。おそるおそる確認する。
「……本当にそんなことでいいの? りんごだって、千香瑠ほどじゃないけど上手にむけるんだよ?」
「……いい、りんごより、ようの大丈夫がほしい」
「っ」
──恋花、ずるいよ。
しんどくてたまらないはずなのに。お願い、と訴える目は真剣そのもの。私はその中に、少しの遠慮を見つけてしまう。
──今は、遠慮なんてしないで。
私はなんでもするよ。そんな思いを込めて、ゆっくりと恋花の頭に触れた。栗色の髪がふんわりしている。
「……わかった」
今だけは、恋花のために。
「大丈夫、大丈夫だよ恋花。天気がよくなったら、すぐに恋花も元気になるから」
「……うん」
ぎゅ、と苦しげだった眉の力が少しだけ弱まった気がする。
「大丈夫だよ。今は安心して? 私が絶対そばにいるから」
「……う、ん」
不安なときは、いつでも私を呼んで。絶対に駆けつけるから。どこにいたって、何をしていたって。
頭に響かないように、優しい力で恋花の頭に触れる。
「……大丈夫、恋花は大丈夫だよ」
「……ぅ、ん」
根拠も何もない、大丈夫の六文字しか繰り返さない私。それを恋花は安心したように目を閉じている。そして、ひとつ吐息を出した恋花は、ぽつり。
「よーの手……ほっとする、なぁ」
「……うん、私がいるから。大丈夫だよ、恋花」
ふにゃ、と少しだけ恋花の表情が緩んだ気がする。
「……恋花、少し眠ろう? そうしたら、ちょっとは具合がよくなるかもしれない」
「……う、ん」
少しだけ目を開けたけれどすぐに瞼が下がりかけた恋花は、少しだけ眠りたくなさそうに見えた。それに気がついたのは、きっと私が恋花をよく見ていたからだ。どうしたの、と促すと。
「……よー、部屋に帰らない、よね」
「……」
──帰らないよ。
心配してたんだ。そして、不安だったんだね。大丈夫だよ。私は恋花のそばにいるよ。気持ちが伝われ、と願いながら所在なさげに開いていた恋花の右手をそっと左手で握った。
「大丈夫、私は恋花のそばにいる」
「……うん」
「だから、安心して……ね?」
「……ん」
きゅ、と握り返された私の手。力なんてこれっぽっちも入っていなくて、すぐにするりと解けてしまいそう。だけど、私はそんな恋花の手が離れないようにした。
「…………」
「……寝た、かな」
「…………すー、すー……」
本当に誰に聞かせるまでもない小さな私の声が一つ。部屋の中に溶けていく。
そして、やっぱり……恋花の手から力が抜けていって、予想通りの展開になる。だから、起こさないように気をつけながら力を込めて恋花の手を握った。私より、少しだけ細くて頑張り屋で、色んなことを守ってくれる、大好きな手を。
「…………」
──効果、あるかな。
ふと眠る恋花のために、もう少し私にしかできないことはないかと考えたとき、一つの案が私の中で閃きを放った。
──ブレイブで、しんどいのを軽くできないかな……。
私のレアスキル『ブレイブ』は触れた相手の精神的安定をもたらすもの。ルナティックトランサーの対になるもので、負のマギを浄化する力がある。だからといって、今の恋花は負のマギに汚染されているわけじゃないし、恋花のレアスキルはフェイズトランセンデンス。特に私の力が必要なものでもない。
だけど。
──できることは、少しでもしたいから。
「…………よし」
小さく気合いを入れる。効くかどうかわからないけれど。
──ブレイブ。
私の左手と恋花の右手の触れ合っているところをパス経路として効果が発揮される。もちろん、負のマギなんてこれっぽっちも恋花の身体の中にあるはずもなく、浄化なんてやっぱりできないかな、と微かに思った瞬間。
「…………」
「……ぁ、」
──恋花、笑った?
さっきまで、どこか苦しげで辛そうだった恋花だけど。ブレイブをかけたら、大丈夫って言ったときよりも。右手で恋花をさすったときにも。どんなときよりも力が抜けて、眠れているように感じたから。
──よかった。
ほっとして、私はひっそりと息を吐き出す。誰に知られるわけでもなかったけれど、よかったという安堵の気持ちを抱いて。
「……今度、みんなでてるてる坊主作ろうか、そして早く梅雨とバイバイしよう」
「…………」
聞こえているわけがない。恋花は今、夢の世界の住人になっているんだから。だからこれは、きっと私の見間違いなのかもしれないけれど。恋花が笑ったように見えたんだ。そして。
──みんなでたくさん作るわよ!
そんなことを言って音頭をとる姿が脳裏に浮かんできた。その姿が私の一番見たい恋花の姿だったから。
「早く元気になって。それで、元気になったらラーメン食べに行こう」
「…………すー……くー……」
穏やかに眠る恋花に私にしか聞こえていない約束を静かに交わし、もう一度、起こさないように気をつけながら優しく手を握りしめたのだった。