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ヘルヴォル

「恋花、そろそろ休憩しよう」
 そんな親友の声に顔を上げると同時に鼻をくすぐった香り。そこには瑤がいて、手には二つのマグカップを持っていた。
「瑤……いつからいたの?」
「いつからかな……多分少しぐらい前だと思う」
 そんな瑤の言葉を聞きながらも、あたしはもしかしたらという思いがあった。なんせあたその親友ときたら、神出鬼没ではないけど、気配を消すのがとても上手い。こっちが集中していたらわからないんだ。
──実際、今回もそうだしなあ。
「? 恋花、どうかした?」
「なんでもない」
 まあ、これだけのことで怒ることでもないし、あたしと瑤の関係はヘルヴォル以前からのもの。いわゆる信頼関係ってやつは折り紙つきなんだし。
「せっかく淹れてくれたんでしょ? ちょうだい」
「わかった」
 机の上に広げていた紙を一旦まとめて端に置いた。瑤の淹れてくれた飲み物をこぼして汚すのも嫌だしね。
──にしても。
「見てたんなら声かけてよ。恥ずかしいじゃん」
「そう? 集中してるから邪魔をしちゃうと悪いかなと思ったからなんだけど」
「むしろ声かけてほしいぐらいだった」
 瑤の気遣いは嫌いじゃない、どちらかというと嬉しい方だ。だけど、考えていたことが気恥ずかしいものだっただけ。
「シュミレーション、考えてたんだ」
「そ。あたし達の連携もスムーズになってできることが増えてきたしね」
 フォーメーションや作戦名なんかは、藍が覚えやすいようにっていうことで動物の名前を使うあたし達。だからといって適当に考えてるわけじゃなくて、こうして日々考案もしている。
「一葉に見せてないの?」
「……まーね、まだあたしの中での考えでしかないし」
「一緒に考えればいいのに」
「リーダーはリーダーで忙しそうだからね」
「そっか」
──見透かされてそう。
 今、二人して思い描いているだろう一葉の姿が浮かんでくる。この前のバレンタインの時の一葉マインドは久々に全力で突っ込んだから忘れていたけどさ。
──エレンスゲのトップなんだもんな。
 ヘルヴォルのリーダーだけではなく、序列の維持ってのも大変そうなわけで。できる限りのことをしたいのは、あたしにとっては至極当然だった。
「……なに」
「ううん、恋花は優しいなって思っただけ」
「あたしの話はいーのっ」
 だめだ、これ以上この話をしていたらあたしの恥ずかしさメーターが振り切れてしまう。具体的には顔が赤くなって、一部にすごく心配される。特に千香瑠とか、一葉とか。
 だから、話題を変えることにした。
「……にしても、何を淹れてくれたの?」
「……コーヒー。と言っても恋花はそんなに苦いの好きじゃないから牛乳を多めにしたよ」
「気遣いありがと」
 なるほど、カフェオレだったか。両手でコップを握ると、コップ越しに温かさが手に伝わってくる。
「飲んでもいい?」
「いいよ、もともとそれは恋花用に作ったんだから」
──それじゃ、遠慮なく。
 あたしは瑤の好意に甘えることにした。熱いから気をつけて、と言われたので息を吹きかけて一口こくり。
──おいし。
 温かさがゆっくりとあたしの中で広がっていく。自然と体の中から空気が出ていく感覚に身を任せていたら、瑤が笑った。
「どうかした?」
「ううん、恋花がおいしそうに飲んでくれるのが嬉しいだけ」
「あたし好みの味だからなのは当然として」
「当然なんだ」
 得意げに、だけど嬉しそうな瑤を見ているとこっちも笑顔になる。もちろんおいしいのはそれだけじゃない。
「瑤が淹れてくれたからに決まってんじゃん」
「そういうもの?」
「そういうもの」
 納得してるかどうかはさておき、本心とは言え照れてしまうなこれ。そう思ったあたしはもう一口、甘めのカフェオレをゆっくり飲み込んだ。そこでふと疑問に思った。大したことではないんだけどさ。
「そういや、瑤は何を飲んでるの?」
「私?」
 こてん、と首を傾げた瑤に頷きを返す。あたしが言ったことが伝わっていないわけじゃなく、無意識なんだろうな。かわいいやつめ、さすがあたしの親友。
「私もカフェオレだよ。少し恋花のやつよりはコーヒー多めにしてるけど」
「ぐぬぬ」
「なんで悔しそうなの」
「……瑤には教えない」
 別に絶対に言いたくないわけじゃない、たしかに悔しいけど。あたしは甘いのが好きなだけだからね。
──それはそれとして。
「でも、瑤って紅茶とか好きじゃなかった?」
「うん、好きだよ」
「あと、緑茶のことも好きだよね」
「よく見てるね」
 そりゃあ親友だもの、とは言わないけど。なんならお互いの方のことなら誰よりも詳しく語れる自信はある、それは瑤も同じだと思う。自惚れでもなんでもなく、これだけはハッキリと言えるもん。
──だからこそ、なのよ。
「別にあたしに合わせなくてもよかったんじゃないの?」
「……合わせてないよ?」
「え、でも同じカフェオレなんでしょ」
 今度も首を傾げたけど明確な気持ちを感じた気がした。同じものが嫌だとかは言うつもりは全くない、ただ他に好きなものもあって、選択肢はあったのにどうしてと思っただけ。すると瑤は持っていたコップを机の上に置いた。そして。
「私はカフェオレも紅茶も、緑茶も好き。ただ、今日はカフェオレを飲みたくなっただけ」
「うん」
 喋りだした瑤の話を静かに聞く。まあ、瑤に限ってあたしに嘘をつく理由もないし。話してくれるのなら変なツッコミとかしなくてもいいもんね。
「だけど、それが理由じゃない」
「……ん?」
「恋花と一緒に飲むこと自体が好きだから。だから私は三つ以外でも好きだよ……もちろん、一緒の飲みものだったら嬉しい気持ちになるけどね」
「……あっそ」
 別に三つ以外も、と続いた言葉はまったくもって入ってこない。それどころじゃないからだ。
──ずるすぎるでしょ……。
 こっちの気持ちを知ってか知らずか、瑤は思いを届けてくれる。噓偽りがないことはあたしが一番わかっているから、澄ました態度を取るしかない。ところがそれを見逃してくれる親友じゃないのが問題かも。
「恋花」
「……なによ」
「もしかして、照れてる?」
 図星すぎるんだけど、それを認めたくはない。だけど、瑤はそんなあたしのこともお見通しな気がする。
「……別に、そんなことないし。気のせいでしょ」
「そっか」
 澄ましたどころか天邪鬼かもしれないのにも関わらず、瑤の雰囲気は変わらない。あたしが瑤を知っているように、瑤もあたしを知っている。それは恥ずかしくもあるけど、同時にそれだけの時間をすごしたっていう証明でもあるから。
──だからってわけじゃないけど、さ。
「瑤」
「……なに?」
「今度も一緒にお茶しよっか」
 あたしがそう言うと瑤はふわっと顔が柔らかくなった。あたしぐらいじゃないとわからないぐらいの。
「うん、する」
 そして、嬉しそうに首を縦に動かした。声も少し弾んでいて、瑤は瑤でわかりやすいなって思う。
「恋花」
「なに?」
 そう思っていたら名前を呼ばれた。その声音が優しかったから、あたしも同じような感じで返すと。
「おいしいね」
「うん、あたしもそう思う」
 おいしい、という四文字がなぜかとてもいいなと思った。だから、あたしはそっと心の中で呟いた。
──ありがと、瑤。
 いい気分転換になった、さすがあたしの大親友、ってね。
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