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かずれん

 朝の気配を感じて目を開く。するとそこは見慣れた寝室だった。カーテンが初夏の風を受けて緩やかに動いていて。今何時だったかと頭を働かせたとき。
「あ、れ……?」
 ふと、鼻がいい香りをキャッチした。甘くて、私が何度も吸い込んだ匂い。それは私がおいしいと口にしたもの。作るよりも食べるのが好きなあの人の、私のために作ってくれる最高のごちそう。
「恋花様……」
 ちょっぴり甘めで、少し焦げ目がついたような香ばしい匂い。
 そんな匂いが漂ってくるということは、当然ながら作っている人は恋花様に他ならない。普段は私の方が早くて、恋花様の寝顔を見ていることが多いのに。どうしてか土曜日の朝だけは、私よりも恋花様の方が早かった。
「……」
 時間を見れば、遅すぎるわけではないけれどまだまだ早朝とも言える時間。少しだけ待ってくれてても良かったのに。
「起こしてくれても、よかったのに」
 当然ながら恋花様に届くわけがない私の声。小さく頭を振って、軽く目を覚まさせる。よくよくシーツを触ってみると、恋花様が起きてからかなり時間が経っていて。私の寝ていたところは未だに温いのに、恋花様の寝ていた部分はシーツの皺しか残っていなかった。
「……ん」
 ぐう、と匂いにつられてお腹が空腹を主張して。体の方は正直ですね、と思いつつ、ベッドの布団を軽く直して寝室を後にした。

 そうして、スリッパを履いてキッチンに向かうと恋花様は鼻歌を奏でながら朝食の準備を行っていた。手元には二人分のフレンチトースト。そして、インスタントのスープが入ったであろうスープマグ。いい香りがして、一刻も早くと体が求めている。だけど、それ以上に。
(私は)
「……」
「……ふふ。どうした一葉」
「……」
 音を立てずに背後に近づき、無防備にさらされる恋花様の背中にそっと抱きついていた。
「あたしがいなくて寂しかったか~?」
「……」
 恋花様も怒るわけでもなく、からかいをもって私に笑いかけている。それが少しだけ悔しくて、余裕のある恋花様がずるくて。
「朝、どうしていないんですか」
 自分でも子どもみたいなことを口にしてしまう。自分だけが恋花様を特別に想っていて、自分だけが好きなんじゃないかとか。そんなことを考えてしまう。そうじゃないのは、私が一番分かっているのに。
「そりゃ、朝ごはん作るためじゃん。朝起きたらすぐに食べたいっしょ?」
「それは、そうですけど」
 ぎゅう。正論にぐうの音も出ない私。伝わりませんか、私の気持ち。らしくないことは分かっていたけど、恋花様のお腹に回した腕の力を少しだけ強くする。からからと恋花様が笑った。
「珍しく甘えんぼさんだね」
「……恋花様、だからです」
「できれば、様をつけずに言ってほしいんだけどな」
「……」
 二人きりの時は敬称を外してほしい。そう言われたけれど、外すと途端に何を恋花様に言えばいいのか分からなくなって。藍に話すとはまた違うから。
「うぅ……」
「うそうそ。無理しなくていいよ」
 だって、それでこそ一葉だし。そう言われてしまう私は、そこでまた悔しさを感じる。たった一つの年の差が、ここまでもどかしく感じるなんて。
「善処、します」
「善処、頑張りな」
 ずっと抱きついたままで話す私達。恋花様も離せとは言わなくて、私も今はなんとなく恋花様から離れたくなくて。作業を終えたらしい恋花様の手が私の手に重なった。
「あったかい、ですね」
「……それは一葉のおかげ、かな」
「そうですか」
「離れる? 朝食、できたし」
「……」
 恋花様の熱。あったかくて、優しくて。時々背中を押してくれる、私の盾。
「あたしのフレンチトースト、食べるでしょ?」
「……当たり前じゃないですか」
「素直でよろしい」
 ほら、早く。急かす恋花様に腕を解くと、向かい合う形になる私達。立って並ぶと私の方が少しだけ背が高くて、恋花様の方が少しだけ低い。だけど、私にはない魅力があって、頼りになって、私にとっての特別な人で。
「じゃあ、挨拶」
「そうですね」
 少しだけ赤くなった恋花様の耳。
「おはようございます、恋花様」
「ん、おはよ。一葉」
 きちんと朝の挨拶を交わして仕切り直し。どちらともなく近づいて、今度は正面から恋花様を抱きしめた。
「あったかいです」
「あっ、そ」
 名残惜しさを感じつつ、今度こそと体を離す。並んだお皿に二人分の朝食。大好きな人と食べる、最高の朝食が今から始まる。
 いただきましょう、恋花様。
「いただきます」
「いただきまーす!」
 フレンチトーストが冷めないうちに。
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