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かずれん

「……恋花って呼んでくれなきゃ、やだ」
 向き合うあたしと一葉の間には無言。ケンカをしているわけじゃないんだけど、あたしは至って真剣そのもの。対して一葉はというと。
「……ぅ」
「早く、一葉」
 いつもの強気な姿勢はどこへやら。これでもかってぐらい恥ずかしがっている。いや、そんな一葉もかわいいんだけど。今回ばかりはそうも言ってられない。
「……れ、」
「……」
 固唾を飲むあたし。きゅっと口に力を込めた一葉。そして。ようやく開いた一葉の口からは。
「恋花..........様」
 あたしの名前、の後につけられた敬称。さっきまでの緊張した空気が一気に抜けていく。かなり期待してたんだけど。どうして。
「なーんで様付けちゃうの!?」
「む、無理ですよ! ずっと呼んでたものをいきなり変えられませんよ!」
 心の底からのあたしの叫び。それを真っ当に受けた一葉は、あたしに負けじと叫び返してきた。確かにそうだよ。ずっと呼んでたもんね。恋花様って。その呼び方を否定はしないし、一葉なりの敬意っていうこともわかってる。でも、さ。
「相澤一葉さん」
「……なんでしょうか、恋花……、様」
「……」
 わざとじゃない、十分すぎるほどにわかってる。一葉がそんな子どもみたいなことをしないって。
「また、言った」
「う、すみません……」
 ジト目を向けるのは悪くない。なんせ呼んでくれないんだもん。あたしの名前を。敬称をつけずに。呼び捨てをしてくれないんだ。呼んでよって言ってるのに。それに。
「この前の出撃では呼んでくれたのに.......」
「そ、その時は咄嗟というかなんというか、緊急時だから仕方ないじゃないですか!」
 前に出撃をした時、思いのほかヒュージの数が多くて、行動中に孤立してしまったあたし。レアスキルを使うほか突破できる方法が浮かばなくて。マギ切れを起こして、ヤバいって思った時。
「恋花!!」
 闇を切り裂くようなまっすぐな声。一葉の声があたしを呼んだ。ただ、いつもと違ったのは。一葉があたしの名前を、呼び捨てしたこと。
「大丈夫ですか!?」
 そして抱きかかえられたことも鼓動を大きくさせていた。だって。嬉しかったんだもん。一葉があたしを呼び捨てしてくれたことが。単なる先輩と後輩の関係じゃないから。それなのに、一葉はというと。
「恋花様」
 あれ以来。あたしを様付けするばかりで。
「恋花さ、ま」
 いくらお願いしたって。
「れ、恋花、……様っ」
 一度だって呼び捨てで呼んでくれやしなかった。そこに関してはあたしもかなり意地になってる自覚はある。それはそれとして、今こそは呼んでほしい。緊急時だったから呼べたのなら。
「じゃあ今緊急時! はい呼んで!」
「恋花様!」
「だからなーんで!」
 手を叩いて、今が緊急時と設定して。呼んでと言えば、間髪返される敬称付きのあたしの名前。一葉、違う。違うって。
「な、なんでと言われても! 恋花様は、恋花様じゃないですか!」
「そうだけど! 確かにあたしは恋花だけど!」
 普段の一葉らしいリーダー風な空気は一切感じられない。今、あたしの目の前にいるのは。あたしが好きだと思った、飯島恋花が特別な関係でいたいと願った一葉。でもね、一葉。
「そのあたしが呼び捨てで呼んで、って言ってるんだから呼んでってば!」
「それはできません!」
「なんでさ!」
 力強く否定の意を表されて、なんとも言えない気持ちになっちゃう。ねぇ、一葉。
「あたし達の関係はなんなのさ!」
「こ、恋人ですよ!」
「っ!」
 思わず出たあたしの気持ちに高速ストレートを容赦なく投げ入れてくる一葉。わりかし、いや。かなりの自爆したのわかってるのかな。わかってしまったらもう言わなくなっちゃうかもしれないから言わないでおこ。恋人だってわかってくれているのなら、それはいいと思うから。だからこそ、思っちゃうんだ。
「……恋人なら、呼び捨てしてくれたっていいじゃん」
「それは」
 小さな願い。あたしの中に生まれたワガママ。瑤みたいな友達から呼んでもらうのとは全然違う。恋人だから。一葉だから呼んでほしい。
「外にいる時とか、ヘルヴォルのみんなといる時とか……任務中とかはわかってるよ」
「……はい」
 いくら特別だからって。あたしの気持ちと、リリィとしての務めや他人の目を混ぜこぜにするほど一葉との関係性に甘んじてるわけじゃない。状況を見てないわけじゃない。だから。
「……二人っきりの時ぐらい、呼び捨てしてくれたって。いいじゃんか」
「……そう、ですね」
 多分、今あたしは間違いなく一葉を困らせている。子どもみたいに自分の感情を拗らせて、一葉本人に八つ当たりみたいなことをしちゃって。でも、あたし、呼んでくれて嬉しかったんだよ。
「申し訳、ありません」
「……知らない」
 あたしの部屋だから、どうにも出ていくことをしたくなくて。飛び出すのも、誰かに見られてしまうことを考えると選択肢からなくなって。謝る一葉に素直になれなくて。拗ねる仕草でしか、今の気持ちを伝えることができなかった。ぷい、と一葉に背中を向ける。だけど。
(何やってんだろ、あたし)
 一葉より一個だけだけど年上なのに。リーダーだけど年下の一葉にちゃんとしないといけないのに。
「ごめん、かず」
「れ、」
 どうにもあたしが悪いのに、やっぱり謝んなきゃと一葉に声をかけるのと、一葉が何かを言いかけた言葉が。ちょうどパズルのピースがはまるようにカチ、とぶつかったような気がした。
「ご、ごめん。何か言いかけたよね、先……言って、一葉」
「い、いえ……私よりも、その……」
 そっぽを向いて、向き合って。小さかった心臓の音が、少しずつ大きくなっていく。あたしの謝罪は、いいから。
「一葉が、先に言って。お願い」
「……」
 こんな時こそ勇気を出さなきゃいけないんだろうけど。カッコ悪いな、あたし。だけど、一葉はさっき何を言いかけたのか、気になったのも事実だったから。そこをどうしても、聞きたいと思ってしまった。
「練習は、していたんです」
「……れん、しゅう?」
 一葉の言葉を繰り返す。練習ってなんの。訓練バカの一葉が練習をすることって。そんな思いでいっぱいになる。そう思うあたしの気持ちを知らず、一葉の告白は頷きと一緒に再開された。
「ですから、その……」
「……」
 顔を赤らめて、でも何かを言おうとしていて。それをあたしはじっと待った。多分、今口を挟んじゃいけない。そんな風に感じたから。
「呼び捨ての、練習を……していたんです」
「……え」
 言葉となった一葉の想いに思わず声が出てしまう。練習、していたって。今、呼び捨ての練習って言ったの。あたしの、聞き間違えなんかじゃ、ないよね。
「ですから、その。自然に名前を呼べるように。恋人らしく……したいと、思っているので」
「っ」
「気軽に呼んでほしいという気持ちは、伝わっていました。ですが、私にはそれはできなかったんです」
 知らなかった一葉の一面が今、ようやくわかってきたような気がする。それと同時に自分の気持ちでいっぱいだったあたしの青さに恥ずかしい気持ちにもなる。
「この前の出撃の時は……必死だったのもあります。必死だったからこそ、咄嗟に呼んでいたから。そういう時ではない状況で呼びたいと、より思うようになったんです」
「……うん」
 ゆっくりとあたしに想いを伝えてくれる一葉。言葉が静かにあたしの中に染み込んで、あたたかい気持ちを抱かせてくれる。
「ですが、その……ヘルヴォルの前や、任務中はやはりいつも通り呼ばせていただきたいのです」
「どうしてか、聞いてもいい?」
「……私が、公私を混ぜないようにするため。そう言うと困らせてしまうかもしれませんが」
「……そんなことはない」
 首を横に振って一葉にあたしの気持ちを示す。あたしもそれは思っていたから。現を抜かすことは、立場的にも許されることはないから。あたし達が、これからのエレンスゲを変えていくんだから。あたし達が先頭で守っていくんだから。
「ただ、呼びたい気持ちはとても強くなっていて」
「う、うん」
 強い一葉の視線に、頬に熱が集まるのがわかる。そんなあたしに呼応するかのように、一葉の顔も赤らんでいって。
「ですから……二人きりの時だけ、呼ばせてください……れ、恋花、っ」
「!!」
 二人きりの時だけ。その直後に告げられたあたしの名前。敬称付きじゃない、あたしの名前はとても小さな声だったけれど。ちゃんと聞こえた。胸が熱くなる。
「……もう一回」
 気がつくと、あたしはもう一度呼んでとお願いをしていた。練習をしてくれていたあたしの名前を。一葉の口から聞きたくて。
「れ、恋花」
「もう一回」
「れ、恋花……っ」
 緊張した声音。震える一葉の唇。子どもみたいに繰り返すあたし。暖房なんかいらないくらい、体はとても熱を帯びて。
「もう、一回」
「恋花……!」
 あたしも一葉につられるように声が震える。嬉しいのか、困ってるのか。自分でもよくわからない。ただ一つはっきりしているのは、もっと一葉にあたしの名前を呼んでほしいということ。様、なんてつけずに。恋人らしくしたいということだった。
「一、葉」
「も、もうだめです!」
 もっと呼んでほしくて一葉の名前を呼んだら、制服のリボンと同じくらい赤くなった一葉からのストップ。走り始めた途端ストップをかけられた気分になったあたしは不満を隠せなくて。
「……ケチ」
「ケチと言われようと、そんな目で私を見ても! 今日はもう言いません」
 年上らしさとか、今はいいや。あたし自身がここまで呼び捨てにこだわるとは思ってもいなかったけど。本音がこぼれ出るも恋人の気持ちは変わらないらしい。でも、気になること、言ったよね。
「今日、は?」
「……そうですよ」
「っ」
 はっきりとした肯定。まっすぐな目。心臓が大きく、一葉に聞こえそうなぐらいの音を立てる。聞こえてはいなさそうで安心はしたんだけど、一葉がふと真剣な表情になるものだから、あたしの心臓は一際うるさくなってしまった。
「……二人きりの時は、もっと呼べるよう、善処……します」
「っ」
 声から、瞳から。一葉の本気が伝わってくる。本当に予想外なことすら起こしてくれるリーダー兼恋人は。どこまでも真面目で、超がつくほどに優しくて。
「だから、今日はおしまいです。いいですか……恋、花」
「……うん、わかった」
 善処してくれるのなら、もういいよ。外では拗ねないから。無理に呼んでって言わないから。だけど、二人きりの時は。
「たくさん呼んでよね」
「……わかりました」
 荷が重いなんて言わせないよ。一蓮托生とか、運命共同体とかいくらでも言い表せそうな気もするけど。
(これからずっと、一緒なら)
 今日だけじゃないから。明日も明後日も。もっとたくさん、あたしの名前を呼んでもらおう。その分、あたしも気持ちを込めて一葉の名前を呼ぶから。だって。
 特別な人から呼んでもらう自分の名前は。どんな愛してるよりも大切な意味を持っているって。それを今日、知ることができたんだから、ね。
「ね、一葉」
「……なんでしょうか。れ、恋花」
「……大好き、だよ」
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