かずれん
恋花様は時々とても不器用になる。
そんなことを本人に言おうものなら、いくら恋花様といえど怒りを浮かべて迫ってくるからよっぽどじゃないと言える人はいない。
親友である瑤様や……私、とか。
──瑤は今更っていう感じもあるし、一葉は……言わせんな、ばか。
恋花様曰く、私と瑤様は方向性が違う特別らしい。特別で言うと藍や千香瑠様も恋花様にとっては当てはまる存在だけど、そもそも二人は恋花様に不器用と口にはしないようだ。
──ばか、かぁ。
恋花様はよく私のことを『ばかずは』と口にする。文字通り、私の名前とバカを組み合わせたものらしい。初めて聞いた時には私のことかと首を傾げたりした。どうしてそういうことを言うのか尋ねたところ。
──一葉は賢いけど、ばかなの。
──うん。
やっぱり、わからない。
ただ、そういう事を口にする時の恋花様は……決まって優しい顔をしている。バカと言われても私がそこまで不快に思わないのは、きっと恋花様の声音と表情によるところが大きいんだろう。まぁいいか、と思ってしまうあたり私も大概なのかもしれない。
瑤様と千香瑠様が言うには、私はかなり恋花様に『甘い』らしい。そんなことはないはずだけどな。
でも、もしかしたらお二人の言う通りなのかも。
──だって。
「……ん……」
──また、この体勢だ。
他でもない恋花様が、私の左腕を枕にして眠っていた。いつも右側で一括りにしている栗色の髪の毛は、恋花様と私の腕の下敷きになっている。その栗色はカーペットのように広がっているのが視界の隅に映っていて、キレイだなと思わせた。
「……久しぶりに見たかもしれない」
私の懐で安心して眠る恋花様。もちろん警戒されているとか、信頼されていないということはない。断言してもいいし、否定できるぐらいなら一人でギガント級を倒したっていい。私がこの姿を見るのが久しぶりなのは、ただ一つの理由。
「お互い、忙しかったからなぁ……」
同じレギオンと言えども、私は隊長であり、恋花様は私を支えてくれる副隊長。報告書の作成、戦略の検討や改善、訓練メニューの考案など、朝から寝るまでにやることがありすぎる。
もちろん、私と恋花様は学年も違うし、当然ルームメイトなどではない。ヘルヴォルだからといって同室になるという特例が認められるわけでもない。ただ、用事がある時だけ、どちらかの部屋で夜をすごすことがあるだけ。
「……かず、は」
「……はい、私ですよ」
むにゃむにゃと何かを呟いていた恋花様が、たどたどしい言い方で私の名前を口にした。目はまだ閉じられたままの、小さな寝言だった。その響きがいつもより幼く聞こえたこと、そして夢の中でも私という存在が恋花様の中で大きいこと。それらの事実が、私はとても嬉しかった。
──私の前では力を抜いてほしい。
序列は下だけど、一個上の先輩として譲れないものがあると語っている恋花様。時に迷う私の背中を支えてくれるのが恋花様だった。私はそんな恋花様の力になりたかった。ヘルヴォルの頼れる仲間としてだけでなく、相澤一葉という一個人を頼ってほしかった。
だから、こうして恋花様と時々布団を同じくして眠ることが特別な時間だった。
「……すー、すー……」
「……どんな夢を見てるのかな」
私が出てきたってことは、何か訓練でもしているのかな。それともヘルヴォル皆で何か楽しいことをしているのかな。
私もよくヘルヴォルで何かをしている夢を見る。トレーニングだったり、ピクニックだったり……ヒュージと戦っているものだったり。リリィとしての責務、命懸けで全うする任務。欠ける恐怖がないわけじゃない。それは私だけじゃなく、恋花様たちも同じかもしれない。だけど、私たちはリリィだから。人々の生活を守るために、戦う存在だから。
「……守ります」
私のことを守ってくれる、大切なあなたのことを。起こさないようにそっと栗色に触れる。手入れに念を入れているらしい髪の毛は、私でもわかるくらいにツヤがあって、指通りが心地いい。無意識とわかってはいても私の手が触れるたび、嬉しそうな吐息をこぼしてくれるのがこんなにも幸せだなんて。誰が想像できただろうか。
一回、二回と夢中になっていく。
「……ん、ぅ……かず、は……?」
──しまった。
私は小さく後悔の念を抱く。そう思う間にも、恋花様は瞼を開けようとしていた。
「すみません、起こしてしまいましたか」
第一声はそれに尽きる。ベッドの上の時計を見れば、まだ起床時刻には早いというもの。いつものくせで私が早く覚醒しただけで、恋花様を付き合わせることはないというのに。いつだったか、戦術のシュミレーションで恋花様のお部屋にお邪魔して寝落ちしてしまった翌日の朝。あの時は休みだけど規則正しくと口にした私に対して、お休みだからゆっくりしようよと諭してきた恋花様。
──結局、恋花様の言う通りになったっけな。
恋花様に捕まった私は起き上がったベッドに再び沈み込んで、その日は二人して二度寝をしてしまった。だけど、その日は今までで一番、調子がよかったんだ。
──今はあの時と、逆だけど。
力を抜いてほしいというのは今しかできないことだから。起き上がろうとした恋花様を、私は右腕で抱き寄せた。
「……起きなくて、いいの?」
「今日はお休みですから」
私が恋花様を抱き寄せたことで自然と近くなった距離。右腕は恋花様の体を、そして恋花様の頭を落とさないように左腕を頭に添えた。至近距離になったことで、恋花様の香りで満たされていく。ただ、今は私が幸せを感じるのではなく、恋花様にゆっくりしてもらう時間にしたいんだ。
「……めずらしいね、一葉がそーゆーこと、言うの」
「……これから、もっとそんな日を増やします」
「いーよ、べつに」
「!」
そう言った恋花様がすり、と私の胸に甘える仕草をしてきた。思わぬ行動に、私の心臓が大きく音を立てた。
──飛び出してしまいそうだ……!
こういう時は今までなら素数を途切れるまで数えていたけど、今は数えるどころの話じゃない。自分で恋花様を抱きしめた上に、党の恋花様から過去最大級の甘えを示されて、抱きしめた腕を解いてしまいそうになる。でも、そんなことをしたい気持ちはこれっぽっちもない。
──むしろ、逆だ。
「……恋花様」
「なーに?」
初めてじゃないけど、少し緊張する。もしかしたら私の心音が恋花様に聞こえているのかもしれない。
──それなら、それでいいかも。
「……もっと抱きしめて、よろしいですか」
「……ぎゅっとして、ほしい」
「わかりました」
顔を私に近づけたから恋花様の顔が見えなくなったけど、ちらりと見えた左耳は……赤く染まっていた。
──あなたのことが、好きです。
「……ん」
「苦しく、ありませんか」
抱き寄せた状態から、さらに距離を近づけると、距離はほとんどゼロになる。だから恋花様の顔が見えなくなるのは当然の結果だった。
──まぁ、問題はないかな。
もぞ、と私の腕の中で動く恋花様を感じられるから。お布団と私と恋花様の体温がほどよく混ざりあって、あったかい。
「苦しくないよ、へーき」
「よかったです」
「……一葉」
恋花様からの返事を聞いて、ほっと一息。そしてそこからのお呼ばれに、意識を恋花様に全集中する。朝のゆっくりとした時間と静かな室内で、時計の音だけが大きく聞こえた。
「……みんなには内緒だからね」
「絶対に誰にも言いませんよ」
「……じゃあ、もう少しだけこのままでいようよ」
「起きなくていいんですか?」
内緒もなにも、こんな私にしか見せない恋花様のことは誰にも言うつもりなんてない。それはそれ、これはこれ。私にだって大事にしたい人のことを内緒にしたい時はあるんだから。
「……あったかいから、もうちょっと」
「……あったかいですもんね」
「うん」
滅多に甘えない人の心をほどくのは、私の役目。誰にも譲るつもりはない。恋花様が苦しくないように気をつけつつ、抱きしめた腕に力を込めた。
恋花様はそれに気がついて、笑い声をあげた。
その声がさっきよりもほんの少し、幸せそうに聞こえたのだった。
そんなことを本人に言おうものなら、いくら恋花様といえど怒りを浮かべて迫ってくるからよっぽどじゃないと言える人はいない。
親友である瑤様や……私、とか。
──瑤は今更っていう感じもあるし、一葉は……言わせんな、ばか。
恋花様曰く、私と瑤様は方向性が違う特別らしい。特別で言うと藍や千香瑠様も恋花様にとっては当てはまる存在だけど、そもそも二人は恋花様に不器用と口にはしないようだ。
──ばか、かぁ。
恋花様はよく私のことを『ばかずは』と口にする。文字通り、私の名前とバカを組み合わせたものらしい。初めて聞いた時には私のことかと首を傾げたりした。どうしてそういうことを言うのか尋ねたところ。
──一葉は賢いけど、ばかなの。
──うん。
やっぱり、わからない。
ただ、そういう事を口にする時の恋花様は……決まって優しい顔をしている。バカと言われても私がそこまで不快に思わないのは、きっと恋花様の声音と表情によるところが大きいんだろう。まぁいいか、と思ってしまうあたり私も大概なのかもしれない。
瑤様と千香瑠様が言うには、私はかなり恋花様に『甘い』らしい。そんなことはないはずだけどな。
でも、もしかしたらお二人の言う通りなのかも。
──だって。
「……ん……」
──また、この体勢だ。
他でもない恋花様が、私の左腕を枕にして眠っていた。いつも右側で一括りにしている栗色の髪の毛は、恋花様と私の腕の下敷きになっている。その栗色はカーペットのように広がっているのが視界の隅に映っていて、キレイだなと思わせた。
「……久しぶりに見たかもしれない」
私の懐で安心して眠る恋花様。もちろん警戒されているとか、信頼されていないということはない。断言してもいいし、否定できるぐらいなら一人でギガント級を倒したっていい。私がこの姿を見るのが久しぶりなのは、ただ一つの理由。
「お互い、忙しかったからなぁ……」
同じレギオンと言えども、私は隊長であり、恋花様は私を支えてくれる副隊長。報告書の作成、戦略の検討や改善、訓練メニューの考案など、朝から寝るまでにやることがありすぎる。
もちろん、私と恋花様は学年も違うし、当然ルームメイトなどではない。ヘルヴォルだからといって同室になるという特例が認められるわけでもない。ただ、用事がある時だけ、どちらかの部屋で夜をすごすことがあるだけ。
「……かず、は」
「……はい、私ですよ」
むにゃむにゃと何かを呟いていた恋花様が、たどたどしい言い方で私の名前を口にした。目はまだ閉じられたままの、小さな寝言だった。その響きがいつもより幼く聞こえたこと、そして夢の中でも私という存在が恋花様の中で大きいこと。それらの事実が、私はとても嬉しかった。
──私の前では力を抜いてほしい。
序列は下だけど、一個上の先輩として譲れないものがあると語っている恋花様。時に迷う私の背中を支えてくれるのが恋花様だった。私はそんな恋花様の力になりたかった。ヘルヴォルの頼れる仲間としてだけでなく、相澤一葉という一個人を頼ってほしかった。
だから、こうして恋花様と時々布団を同じくして眠ることが特別な時間だった。
「……すー、すー……」
「……どんな夢を見てるのかな」
私が出てきたってことは、何か訓練でもしているのかな。それともヘルヴォル皆で何か楽しいことをしているのかな。
私もよくヘルヴォルで何かをしている夢を見る。トレーニングだったり、ピクニックだったり……ヒュージと戦っているものだったり。リリィとしての責務、命懸けで全うする任務。欠ける恐怖がないわけじゃない。それは私だけじゃなく、恋花様たちも同じかもしれない。だけど、私たちはリリィだから。人々の生活を守るために、戦う存在だから。
「……守ります」
私のことを守ってくれる、大切なあなたのことを。起こさないようにそっと栗色に触れる。手入れに念を入れているらしい髪の毛は、私でもわかるくらいにツヤがあって、指通りが心地いい。無意識とわかってはいても私の手が触れるたび、嬉しそうな吐息をこぼしてくれるのがこんなにも幸せだなんて。誰が想像できただろうか。
一回、二回と夢中になっていく。
「……ん、ぅ……かず、は……?」
──しまった。
私は小さく後悔の念を抱く。そう思う間にも、恋花様は瞼を開けようとしていた。
「すみません、起こしてしまいましたか」
第一声はそれに尽きる。ベッドの上の時計を見れば、まだ起床時刻には早いというもの。いつものくせで私が早く覚醒しただけで、恋花様を付き合わせることはないというのに。いつだったか、戦術のシュミレーションで恋花様のお部屋にお邪魔して寝落ちしてしまった翌日の朝。あの時は休みだけど規則正しくと口にした私に対して、お休みだからゆっくりしようよと諭してきた恋花様。
──結局、恋花様の言う通りになったっけな。
恋花様に捕まった私は起き上がったベッドに再び沈み込んで、その日は二人して二度寝をしてしまった。だけど、その日は今までで一番、調子がよかったんだ。
──今はあの時と、逆だけど。
力を抜いてほしいというのは今しかできないことだから。起き上がろうとした恋花様を、私は右腕で抱き寄せた。
「……起きなくて、いいの?」
「今日はお休みですから」
私が恋花様を抱き寄せたことで自然と近くなった距離。右腕は恋花様の体を、そして恋花様の頭を落とさないように左腕を頭に添えた。至近距離になったことで、恋花様の香りで満たされていく。ただ、今は私が幸せを感じるのではなく、恋花様にゆっくりしてもらう時間にしたいんだ。
「……めずらしいね、一葉がそーゆーこと、言うの」
「……これから、もっとそんな日を増やします」
「いーよ、べつに」
「!」
そう言った恋花様がすり、と私の胸に甘える仕草をしてきた。思わぬ行動に、私の心臓が大きく音を立てた。
──飛び出してしまいそうだ……!
こういう時は今までなら素数を途切れるまで数えていたけど、今は数えるどころの話じゃない。自分で恋花様を抱きしめた上に、党の恋花様から過去最大級の甘えを示されて、抱きしめた腕を解いてしまいそうになる。でも、そんなことをしたい気持ちはこれっぽっちもない。
──むしろ、逆だ。
「……恋花様」
「なーに?」
初めてじゃないけど、少し緊張する。もしかしたら私の心音が恋花様に聞こえているのかもしれない。
──それなら、それでいいかも。
「……もっと抱きしめて、よろしいですか」
「……ぎゅっとして、ほしい」
「わかりました」
顔を私に近づけたから恋花様の顔が見えなくなったけど、ちらりと見えた左耳は……赤く染まっていた。
──あなたのことが、好きです。
「……ん」
「苦しく、ありませんか」
抱き寄せた状態から、さらに距離を近づけると、距離はほとんどゼロになる。だから恋花様の顔が見えなくなるのは当然の結果だった。
──まぁ、問題はないかな。
もぞ、と私の腕の中で動く恋花様を感じられるから。お布団と私と恋花様の体温がほどよく混ざりあって、あったかい。
「苦しくないよ、へーき」
「よかったです」
「……一葉」
恋花様からの返事を聞いて、ほっと一息。そしてそこからのお呼ばれに、意識を恋花様に全集中する。朝のゆっくりとした時間と静かな室内で、時計の音だけが大きく聞こえた。
「……みんなには内緒だからね」
「絶対に誰にも言いませんよ」
「……じゃあ、もう少しだけこのままでいようよ」
「起きなくていいんですか?」
内緒もなにも、こんな私にしか見せない恋花様のことは誰にも言うつもりなんてない。それはそれ、これはこれ。私にだって大事にしたい人のことを内緒にしたい時はあるんだから。
「……あったかいから、もうちょっと」
「……あったかいですもんね」
「うん」
滅多に甘えない人の心をほどくのは、私の役目。誰にも譲るつもりはない。恋花様が苦しくないように気をつけつつ、抱きしめた腕に力を込めた。
恋花様はそれに気がついて、笑い声をあげた。
その声がさっきよりもほんの少し、幸せそうに聞こえたのだった。
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