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かずれん

 特段何があったという訳でもないし何かを恋花様がしていたわけではない。ただ、これは自分の問題。自分の心が弱いだけの話。そう、私は今言いようのない気持ちでいっぱいだった。恋花様のことをまっすぐに見ることができなかった。隣にいるのに、苦しい気持ちでいっぱいだった。

◇◇◇

「ただいまー」
「お邪魔、します」
 恋花様と久しぶりのお出かけをした。恋花様ご希望のラーメン屋さんの行列に並び、美味しい魚介スープのラーメンを堪能した。それからは、私の筋力トレーニングに関する本のために本屋さんに立ち寄ったり、恋花様が可愛いものを見たいということで雑貨屋さんにも行った。門限を守るために少しだけ駆け足で戻ってきた。ただ、戻るまでのある時間が私の心を陰らせていた。
「いやー、買い物したね。満足満足」
「……これ、一体何なんですか」
「え、どこからどう見たって可愛い置物じゃん。飾るんだけど?」
「……」
 恋花様一人で持ちきれない荷物を持つことになった中の一つ。人並みの感性は持っているつもりですが、恋花様の感性はヘルヴォルの中でもやや独特で。瑤様も少しだけ首を傾げることもあったりする。感性自体に何かを言うつもりもないし、恋花様が気に入ったのならそれがいい。
「これはどこに置けばいいですか?」
「んー、その辺に置いといて」
「面倒くさがって後回しにしないでくださいね」
「あんたはお母さんか」
 恋花様がクスッと笑うけど、正直に言って今はあまり何かを言い返せる気持ちにならない。何とか買い物をしている間も、ご飯を食べている間も取り繕うことはできていたはずだけど。
「さて」
「終わりましたか?」
「うん、一葉が運ぶの手伝ってくれたおかげ。あんがとね」
「いいえ、お気になさらず」
 お礼を口にする恋花様にちゃんと返事はできているだろうか。笑えているだろうか。気づかれていないだろうか。気にしないでくださいと言ったものの、内心は穏やかではいられなくて。早く自分の部屋に戻らないと、何かを恋花様にぶつけてしまいそうで。
「それでは、私は自分の部屋に戻りますね」
「え、早くない?」
「っ、私も買った本などを早く片付けて明日の予習をしたいので」
 不思議そうに私を見る恋花様から視線をドアに向け、動揺を隠して部屋を出ようとする。
「それでは」
「なんか言いたいことないの?」
「言いたいこと、ですか」
 ドキリとする。背を向けた今、恋花様の顔を見ることができない。声が震えそうになる。
「ありませんよ、そんなの」
「本当に?」
「本当です」
 恋花様の声は怒ってはいない。だけど、弾むような声でもない。何かを確認するような声。私にまっすぐ届けられる声。
「ウソばっか。一葉ずっと気にしてんじゃん……あたしが買い物途中で話してた……あの子のこと」
「っ!」
 ドクン。戦闘でも激しくならない鼓動の音が私の中で響く。気づかれてた、いつから。どこから。いや、まだ大丈夫です。まだ恋花様には。
「そんなことありませんよ」
「……ね、知ってる?」
「? 何が、ですか?」
 気づかないでくださいと願いながら返事をすると、疑問を投げかけられて。恋花様の意図が分からず少しだけ振り返って。すると恋花様の瞳とぱっちり目が合って。ふ、と細められる恋花様の目。
「一葉ってさ、嘘つく時に目が少しだけ上の方、向くんだよ」
「!?」
 恋花様から告げられた内容に今度こそ完全に恋花様に振り返ってしまった。やっと目が合った、と口にする恋花様の顔を見るけども、自分の心を見透かされたことが驚きで頭に何も入ってこない。カードゲームなら誰にも思考を読ませることはないのに。恋花様にも、私の心を知られることはなかったのに。
「……いったい、いつから」
「うーん、と」
 考え込む恋花様の返事を待つ間、どくどくと鳴り響く自分の心臓がうるさくて。こんなに拍動を感じるなんて、都庁戦かそれ以上かもしれなかった。
「あの子と話し始めて……ううん、あたしとの距離が近づいてから、かな」
「っ」
「違う?」
 違うと聞きつつも確信を持っていそうな恋花様と、違うと言いたいけどそれを言いたくないと思ってしまった私。それでもここまで確信を持たれているのに否定をしても肯定しているようなものだったし、それに恋花様の言葉で自覚をしてしまったから。認めるしか、なかった。白旗を大人しくあげる。
「……その、通りです」
「そうそう、素直に認めな?」
 認めてしまったからこそ、今度は違う意味で恋花様を見ることができない。なんでこんな子どもみたいな気持ちを消化できなかったのか。それをよりにもよって恋花様ご本人に指摘されてしまうとは。恥ずかしくて恋花様の部屋だとわかっていたけれど、しゃがんでしまう。
「怒ってないからさ、もう全部出しちゃいな? あたししか聞いてないんだからさ」
 そんな私に恋花様は同じようにしゃがみこんでくれる。優しい声が私の心を溶かしていく。脳裏に浮かぶのは、私がモヤモヤを抱いた瞬間。恋花様と親しげに話していた、名前も知らない彼女のこと。
「……随分と親しげなんですね。あの人と」
「だって知り合いだもん、普通だって」
「距離だって、近くて」
「友達だったらあれくらいの距離になるって」
 そう言って笑う恋花様に、他意がないのは分かっている。恋花様だからこその友人関係だとも。エレンスゲ以外にご友人がいることも。私たちだけの人間関係だけではないことも。だけど。
(あの時は距離が近かった)
 落ち着かなかった。私たちヘルヴォルだけの、そして私だけの距離ではなかったのかと。堰を切ったようにあふれる私の思いを恋花様は静かに聞いてくれていた。どのくらい話しただろうか。自分でも随分勝手なことばかり口にした気がする。
「ね、一葉」
「……なんですか、恋花様」
 こっち向いて。そんな恋花様の声につられるようにやっと顔を上げる。多分相当に情けない顔をしている私と、そんな私を見つめている恋花様。怒っている様子はないけれど、今の恋花様の気持ちを知るのが少し怖い。だってたくさん自分勝手な思いを打ち明けた。怒ってないかと思うと同時に、たくさん思いを吐き出して、私の奥底に眠っていた気持ちも顔を出す。自分がこんな気持ちを持っていたなんて思いもしなかった。恋花様やご友人に抱いた、この気持ちは。
「ヤキモチ、焼いた?」
「そう、ですよ」
 恋花様に指摘されて、改めて自分が抱く感情がヤキモチであることを、嫉妬したことを実感する。そして子どもじみたものを恋花様に知られてしまったことも、すごく申し訳ない気持ちになってしまう。せっかくの楽しい時間が。買い物もできて、ご友人とも話せて。楽しかった恋花様の思い出を。最後の最後に私が嫉妬をぶつけてしまうなんて。
(未熟すぎる……)
 ヘルヴォルのリーダーだとか、リリィとしての序列が一位だとか。そういう以前の話だ。人としてやってはいけないことだ。ましてや、私は恋花様の恋人……なのに。恋花様が今の恋花様たりえるのは、今までの恋花様に関わってきた方々のおかげでもあるというのに。
「一葉」
「……」
 そう思っていると、とても優しい声で名前を呼ばれて。私が困惑していると、恋花様は揶揄うどころか……目を細めて嬉しそうにしていて。そんな反応をされるとは思ってなくて、困惑していると。
「一葉もヤキモチ、焼くんだね」
 なんて、私の心を溶かすようなあたたかい声が耳を震わせる。そういうところが、恋花様のずるいところだ。私がどうしても敵わないと思ってしまう、飯島恋花様のずるい部分。
「恋花様はずるいです……!」
「ごめんごめん」
 だから、それも隠すつもりだったのに溢れてしまう。でも、それすら恋花様はなんて事のないように受け止めてしまう。たった一つ、歳が離れているだけなのに。一つしか、離れていないのに。そんな私の名前を再び恋花様が呼んで、私がなんですかと質問をすると。
「一葉は自分の恋人のことを信用できない?」
 そう、尋ねてきて。信用、という二文字が私の中で反芻される。恋花様のことは、信用というよりは信頼に近いところもあって。それは私のリーダーとしての立場からしても、恋人の立場からしても。メンバーのことをよく見て、私の至らない部分を助けてくれて。だから私はリーダーでいられる。でも、それはあくまでヘルヴォルのリーダーとして。ただの相澤一葉としては。
「信用しているからこそ、ヤキモチを焼いた自分が情けないだけです」
「心配しなくても……あたしの一番は一葉だよ、一葉の一番があたしのように、ね?」
 自己嫌悪する私の暗い感情を吹き飛ばすぐらい、確信と信頼が宿る声。そんなまっすぐな想いが私に届けられる。向けられる。そんな恋花様の近くに行きたくて。あの人よりも近い距離でそばにいたくて。敵わない、と今日だけで何度思っただろうか、なんてことが頭によぎりつつ私は恋花様に身体を預けに行った。
「お、っと」
「……」
 無言で、しかも突然だったのにも関わらず。恋花様はなんてこともないように私を受け止めた。恋花様の腕が背中に回ってくるのと、私が恋花様の背中に腕を回すのはほぼ同時だったのかもしれない。さっきまでの距離がとても近くなる。買い物をしていた時よりも、恋花様の部屋に入った時よりも。
「甘えんぼさんだね」
「……」
 恋花様の細い指が私の頭に触れる。何度も繰り返し指が触られる度に、大丈夫だと教えてもらっているような気持ちになる。固くなった相澤一葉が、ただの私になっていく。
「今は、ただの私……なので、いいんです」
「わかってるよ」
 ぽんぽんと心地よいリズムが私を打つ。目を閉じて、恋花様に身を委ねる。そうだ。今はただの相澤一葉だから。少しだけ、ほんの少しだけ。恋花様に甘えよう。嫉妬も、自分でなんとかできるようになるまでは。
「そういうの、隠さないでくれないかな」
「すみません……」
「怒ってないから、もう少し素直に教えてくれると嬉しいかな」
「善処、します」
「うん、善処したまえ」
 再びリズムよく背中に響く音を聞きながら、私はゆっくりと目を閉じた。
 いろんな私がいる。リーダーとしての私。それから、恋花様の隣にいる私。どっちも私だから。だから、恋花様に抱いたヤキモチも私の必要なもの。
 はじめまして。私の知らなかった、初めての私。
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