超天変地異みたいな狂騒にも慣れて
異界と交わってからの世界は、皮肉なことにあらゆる分野で躍進が目覚しい。
ハイリスクであることは否めないが、三年前であれば考えられなかったような技術が《ヘルサレムズ・ロット》にはわんさかある。
しかもそれが珍しいだとか、貴重であるとかいう感覚が段々と薄れているのだから恐ろしい。
そもそも街そのものが物理法則をひん曲げて、地区ごと別の場所に転移したり、そっくりそのまま同じものがコピーされて増えたり、あるいは消えたりするのがしょっちゅうおこるくらいだ。
それを応用した技術だか秘術を使って空間同士をつなげるポータルを作成する道具がつい最近開発されたらしい。
《外》の人間たちが世紀の大発明だと持て囃すような出来事には間違いないのだが、《H・L》ではなぜか犯罪以上に空間転移を用いたダイナミック鬼ごっこが流行り、金持ち層の間では長い間楽しまれていたようだった。
何でもジャパンの大手ホビー企業と提携して、夏場に子供たちが好んで使うようなドでかい水鉄砲のような形に改良してから、ハイレベルサバゲーとして賞金をかけた大会まで開かれたとか。
生憎とそういったハイソなご趣味に手を出せるほど懐に余裕のないレオナルドは、聞きかじったそれらの情報を自分の中で咀嚼しては『こいつらほんまもんの馬鹿だな』と心中でツッコミを入れるくらいしかできなかったのだけれども。
もっと他にあくどい使い方もあったろうに、好き好んで《H・L》に住むような連中はそういった奇跡のような技術をアホな遊びに使いたがることが多いのだ。
それはそれでこの街《H・L》らしいとも言えて、なんだか妙に納得してしまうのが不思議である。
探そうと思えばいくらでもスゴいものが転がっているが、それ以上にヘンテコなものが溢れているので、目まぐるしく変わっていく情報に押し流されてしまうのかもしれない。
空を自由に飛ぶ道具だとか、プログラミングすれば簡単な作業のできるヒト型アンドロイド、果ては肉体と精神を入替える秘術さえ、金やそれに相当するコストを払い、ある程度のリスクを無視さえすればデバートでも手に入る。
それらを私利私欲のままに使い、世の平穏を脅かそうとした輩は大抵《ライブラ》がどうにかしているため、普通に暮らしている『一般の』住民に比べたら、レオナルドはそういった珍しいものを目にする機会は随分と多かった。
直接赴いた先で目にしたものであったり、頼まれてこなす雑用で纏めた報告書のファイルで見た物など様々あるが、単に量でいうなら圧倒的に後者の方が多い。
武器を用いて直接的に敵と退治するメンバーとは違い、《神々の義眼》を用いた後方支援が主な担当であるレオナルドである。
出来ることが限られているからこそ、レオナルドが自分に出来ることを模索するようになるのも自然な流れだった。
頼まれてもおらず、別途給金が発生するわけでもないのに酔狂な、とザップは言うが、元々記者志望だったレオナルドはデスクワークだって嫌いではないのだ。
組織の中では末端も末端であろうレオナルドに出来る仕事は限られているはずだが、スティーブンやギルベルトが程よく作業を振ってくれるおかげか最近では随分手際も良くなった。
その合間。
休憩中に閲覧を許された資料をぺらぺらと捲りながら、レオナルドは感嘆の息を漏らした。
貼り付けられた解像度の低い写真に視線を向け、ページを行ったり来たり、捲っては戻す。
自分で欲しいとか、何かしたいとかまでは思い至らないものの、それなりに興味はあるのだ。純粋な意味で。
未だに《H・L》の感性に染まりきれないのか、《外》の思考が抜け切らないのか、そういった『めずらしいもの』はレオナルドの心を擽ってやまない。
今まで誰かに喋ったことは一度もないけれど、レオナルドはこの街に当たり前に転がっているそれらが好きだった。
なんといっても、自由すぎる発想、他には無い、という点が良い。
外からやってくる、この街にまだ慣れぬような来訪者《ビジター》でもあるまいし。
そんな事はレオナルド自身、嫌過ぎるほどに思っている。
それでもやっぱり、《ヘルサレムズ・ロット》という非日常が日常と化したこの街は毎日が驚きに満ちていて、レオナルドはその変化に一々反応してしまうのだった。
エンパイアステートビルディングに異界産の蝶々が繭を作った時なんか、千色の糸が絡まってとてつもなく綺麗だったのを良く覚えている。
性能がよすぎる眼のせいか、陽光を受けて目まぐるしく輝く千の色に眩暈さえ感じたけれど、写真に納まってしまえばそれもない。
あれでビルと同じくらいの大きさでなかったら、こっそり持ち帰ってガラス瓶に入れて飾っておきたいくらいだった。
解いた繭が超合金並みの特殊ワイヤーとして紡ぎ直され、宇宙開発事業にも使われているというので、結果としてあの大きさで良かったのだろうけど。
そういえば、蚤タイプの寄生ロボが蔓延したときもあった。
宿主の思考を吸い取り、専用端末にダウンロード。
際限なくコピーすることができるという電脳システムを流用した、テロ用を目的として製作されたはずのそれは『壁』を越えて外にまで持ち出されたので《ライブラ》もてんやわんやだった。
ここぞとばかりに《神々の義眼》を発動させて検索したら、アメリカ大陸からはるか海を越え、東国のアマチュア作家たちがこぞって自分に寄生させていたのだからビックリだ。
政界の要人に寄生させ、重要機密を吸ってやろうと目論んでいた悪の開発者達も、まさか自分の発明がコミックやノベルを脳みそ直で書くためのツールとして使われていたとは思うまい。
苦労して回収したはいいけれど、確かにアレがあれば報告書を一々頭ひねって書かなくても良いのだから便利かもしれない。
かさり、ぺらり、かさ、ぺらぺら。
はあ、なにこれ、すげえなぁ、へんなの。良くこんなん思いつくなぁ。うへぁ。
前線組が小競り合いに借り出されている為、今日の事務所はどこか広く感じられる。
その中に落ちるレオナルドの小さな独り言と紙を捲る音は、もうどれほど続いたことだろう。
あんまりに長いものだから、最初は一緒に眺めていたソニックはすっかり飽きてテーブルの上に転がっている。
時折構って欲しそうに鳴いたり、ぺちんと叩いたりはするものの、レオナルドがおざなりに指先で頭を撫でるだけなので諦めてしまったようだ。
頭とレンジを合体させた異界人、撮ったものを閉じ込めてしまう呪いのカメラ、性別を逆転させてしまう薬。
純粋にヒトの為になるものなんてほとんど無い、ヘンなもの、普通じゃないもの。
そんなものたちも、この街では"あり得ない"事じゃないのだ。
子供が描く荒唐無稽な妄想がそのまま現実になって出てきてしまったようで面白い。
この街に溢れる色んなものを眺めて、観察して、その工程から結果までを楽しむのはレオナルドの数少ない趣味とも言えた。
今みたいな、休憩の合間だっていいのだ。
時間も、場所も、お金も必要ない、密かな楽しみ。
レオナルドにとってのそれは、他人の眼から見ればその様子こそがへんてこに見えるに違いない。
その自覚はあったし、面と向かって言われたこともある。
ただ、他人にどうこう言われたってやめる気がないのだから仕方ない。
余り悪目立ちするのは嫌だから、気にしない人の前でしかやらないけれど。
それこそ、今日みたいに。
「君はほんとに、稀有な少年だなぁ」
レオナルドの独り言と笑い声がぽつぽつと降るだけの事務所に、別の音がふっと沸いた。
ようやっと手にしていた写真から眼を離したレオナルドが、声のするほうへ振り向く。
くすんだ色のマグを片手に自分を眺めていただろうスティーブンと眼が合って、レオナルドは不思議そうに首をかしげた。
《神々の義眼》の希少性なんて、誰よりも詳しく調べているだろう。今更口にするまでもないのに。
「そりゃまぁ、そうでしょうけど。心配しなくても《神々の義眼》みたいなのはそうポンポン出てくるものでもないと思いますよ?」
「ああ、うん。確かにね。でも僕が言いたいのはそういうのじゃなくて……」
意味深な呟きに的外れな返答をよこしたレオナルドに苦笑して、スティーブンは曖昧に言葉を切る。
二人と一匹だけの事務所に流れる空気はいつもより穏やかで、静かだ。
スティーブンの言葉の続きを待つレオナルドが瞬きをすると、青い燐光がほろりと弾けた。
その類稀なるうつくしい色に、言葉さえ吸い込まれてしまいそうになる。
君の目に映るこのヘルサレムズ・ロットは、僕の見るものよりずっと綺麗なんだろうね。
そんなに愛しそうにこの街を見る人間を、俺は他に知らないよ。
きっとそれこそがこの街で一番愉快で、とてつもなく珍しい事だって、君は一生気付かなそうだけれど。
言葉の代わりに飲みかけのコーヒーを呷って、スティーブンは穏やかに微笑むのだった。
ハイリスクであることは否めないが、三年前であれば考えられなかったような技術が《ヘルサレムズ・ロット》にはわんさかある。
しかもそれが珍しいだとか、貴重であるとかいう感覚が段々と薄れているのだから恐ろしい。
そもそも街そのものが物理法則をひん曲げて、地区ごと別の場所に転移したり、そっくりそのまま同じものがコピーされて増えたり、あるいは消えたりするのがしょっちゅうおこるくらいだ。
それを応用した技術だか秘術を使って空間同士をつなげるポータルを作成する道具がつい最近開発されたらしい。
《外》の人間たちが世紀の大発明だと持て囃すような出来事には間違いないのだが、《H・L》ではなぜか犯罪以上に空間転移を用いたダイナミック鬼ごっこが流行り、金持ち層の間では長い間楽しまれていたようだった。
何でもジャパンの大手ホビー企業と提携して、夏場に子供たちが好んで使うようなドでかい水鉄砲のような形に改良してから、ハイレベルサバゲーとして賞金をかけた大会まで開かれたとか。
生憎とそういったハイソなご趣味に手を出せるほど懐に余裕のないレオナルドは、聞きかじったそれらの情報を自分の中で咀嚼しては『こいつらほんまもんの馬鹿だな』と心中でツッコミを入れるくらいしかできなかったのだけれども。
もっと他にあくどい使い方もあったろうに、好き好んで《H・L》に住むような連中はそういった奇跡のような技術をアホな遊びに使いたがることが多いのだ。
それはそれでこの街《H・L》らしいとも言えて、なんだか妙に納得してしまうのが不思議である。
探そうと思えばいくらでもスゴいものが転がっているが、それ以上にヘンテコなものが溢れているので、目まぐるしく変わっていく情報に押し流されてしまうのかもしれない。
空を自由に飛ぶ道具だとか、プログラミングすれば簡単な作業のできるヒト型アンドロイド、果ては肉体と精神を入替える秘術さえ、金やそれに相当するコストを払い、ある程度のリスクを無視さえすればデバートでも手に入る。
それらを私利私欲のままに使い、世の平穏を脅かそうとした輩は大抵《ライブラ》がどうにかしているため、普通に暮らしている『一般の』住民に比べたら、レオナルドはそういった珍しいものを目にする機会は随分と多かった。
直接赴いた先で目にしたものであったり、頼まれてこなす雑用で纏めた報告書のファイルで見た物など様々あるが、単に量でいうなら圧倒的に後者の方が多い。
武器を用いて直接的に敵と退治するメンバーとは違い、《神々の義眼》を用いた後方支援が主な担当であるレオナルドである。
出来ることが限られているからこそ、レオナルドが自分に出来ることを模索するようになるのも自然な流れだった。
頼まれてもおらず、別途給金が発生するわけでもないのに酔狂な、とザップは言うが、元々記者志望だったレオナルドはデスクワークだって嫌いではないのだ。
組織の中では末端も末端であろうレオナルドに出来る仕事は限られているはずだが、スティーブンやギルベルトが程よく作業を振ってくれるおかげか最近では随分手際も良くなった。
その合間。
休憩中に閲覧を許された資料をぺらぺらと捲りながら、レオナルドは感嘆の息を漏らした。
貼り付けられた解像度の低い写真に視線を向け、ページを行ったり来たり、捲っては戻す。
自分で欲しいとか、何かしたいとかまでは思い至らないものの、それなりに興味はあるのだ。純粋な意味で。
未だに《H・L》の感性に染まりきれないのか、《外》の思考が抜け切らないのか、そういった『めずらしいもの』はレオナルドの心を擽ってやまない。
今まで誰かに喋ったことは一度もないけれど、レオナルドはこの街に当たり前に転がっているそれらが好きだった。
なんといっても、自由すぎる発想、他には無い、という点が良い。
外からやってくる、この街にまだ慣れぬような来訪者《ビジター》でもあるまいし。
そんな事はレオナルド自身、嫌過ぎるほどに思っている。
それでもやっぱり、《ヘルサレムズ・ロット》という非日常が日常と化したこの街は毎日が驚きに満ちていて、レオナルドはその変化に一々反応してしまうのだった。
エンパイアステートビルディングに異界産の蝶々が繭を作った時なんか、千色の糸が絡まってとてつもなく綺麗だったのを良く覚えている。
性能がよすぎる眼のせいか、陽光を受けて目まぐるしく輝く千の色に眩暈さえ感じたけれど、写真に納まってしまえばそれもない。
あれでビルと同じくらいの大きさでなかったら、こっそり持ち帰ってガラス瓶に入れて飾っておきたいくらいだった。
解いた繭が超合金並みの特殊ワイヤーとして紡ぎ直され、宇宙開発事業にも使われているというので、結果としてあの大きさで良かったのだろうけど。
そういえば、蚤タイプの寄生ロボが蔓延したときもあった。
宿主の思考を吸い取り、専用端末にダウンロード。
際限なくコピーすることができるという電脳システムを流用した、テロ用を目的として製作されたはずのそれは『壁』を越えて外にまで持ち出されたので《ライブラ》もてんやわんやだった。
ここぞとばかりに《神々の義眼》を発動させて検索したら、アメリカ大陸からはるか海を越え、東国のアマチュア作家たちがこぞって自分に寄生させていたのだからビックリだ。
政界の要人に寄生させ、重要機密を吸ってやろうと目論んでいた悪の開発者達も、まさか自分の発明がコミックやノベルを脳みそ直で書くためのツールとして使われていたとは思うまい。
苦労して回収したはいいけれど、確かにアレがあれば報告書を一々頭ひねって書かなくても良いのだから便利かもしれない。
かさり、ぺらり、かさ、ぺらぺら。
はあ、なにこれ、すげえなぁ、へんなの。良くこんなん思いつくなぁ。うへぁ。
前線組が小競り合いに借り出されている為、今日の事務所はどこか広く感じられる。
その中に落ちるレオナルドの小さな独り言と紙を捲る音は、もうどれほど続いたことだろう。
あんまりに長いものだから、最初は一緒に眺めていたソニックはすっかり飽きてテーブルの上に転がっている。
時折構って欲しそうに鳴いたり、ぺちんと叩いたりはするものの、レオナルドがおざなりに指先で頭を撫でるだけなので諦めてしまったようだ。
頭とレンジを合体させた異界人、撮ったものを閉じ込めてしまう呪いのカメラ、性別を逆転させてしまう薬。
純粋にヒトの為になるものなんてほとんど無い、ヘンなもの、普通じゃないもの。
そんなものたちも、この街では"あり得ない"事じゃないのだ。
子供が描く荒唐無稽な妄想がそのまま現実になって出てきてしまったようで面白い。
この街に溢れる色んなものを眺めて、観察して、その工程から結果までを楽しむのはレオナルドの数少ない趣味とも言えた。
今みたいな、休憩の合間だっていいのだ。
時間も、場所も、お金も必要ない、密かな楽しみ。
レオナルドにとってのそれは、他人の眼から見ればその様子こそがへんてこに見えるに違いない。
その自覚はあったし、面と向かって言われたこともある。
ただ、他人にどうこう言われたってやめる気がないのだから仕方ない。
余り悪目立ちするのは嫌だから、気にしない人の前でしかやらないけれど。
それこそ、今日みたいに。
「君はほんとに、稀有な少年だなぁ」
レオナルドの独り言と笑い声がぽつぽつと降るだけの事務所に、別の音がふっと沸いた。
ようやっと手にしていた写真から眼を離したレオナルドが、声のするほうへ振り向く。
くすんだ色のマグを片手に自分を眺めていただろうスティーブンと眼が合って、レオナルドは不思議そうに首をかしげた。
《神々の義眼》の希少性なんて、誰よりも詳しく調べているだろう。今更口にするまでもないのに。
「そりゃまぁ、そうでしょうけど。心配しなくても《神々の義眼》みたいなのはそうポンポン出てくるものでもないと思いますよ?」
「ああ、うん。確かにね。でも僕が言いたいのはそういうのじゃなくて……」
意味深な呟きに的外れな返答をよこしたレオナルドに苦笑して、スティーブンは曖昧に言葉を切る。
二人と一匹だけの事務所に流れる空気はいつもより穏やかで、静かだ。
スティーブンの言葉の続きを待つレオナルドが瞬きをすると、青い燐光がほろりと弾けた。
その類稀なるうつくしい色に、言葉さえ吸い込まれてしまいそうになる。
君の目に映るこのヘルサレムズ・ロットは、僕の見るものよりずっと綺麗なんだろうね。
そんなに愛しそうにこの街を見る人間を、俺は他に知らないよ。
きっとそれこそがこの街で一番愉快で、とてつもなく珍しい事だって、君は一生気付かなそうだけれど。
言葉の代わりに飲みかけのコーヒーを呷って、スティーブンは穏やかに微笑むのだった。
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