あまいお菓子をあげましょう
レオナルドのポケットには、いつも一口大の幸せが詰まっている。
色とりどりのカラーセロファンに包まれたラムネや飴玉、賽の目を模った箱に入ったキャラメル、口に入れるまで何が入っているのか分からないふわふわの一口マシュマロに、糖衣をつけて解けにくくした七色の粒チョコレート。
ぶかぶかの上着に、隠れて見えないズボンのポケットに、いつだって色んな駄菓子が隠れている。
その恩恵に一番与っているのは、レオナルドの体に引っ付いて移動していることの多い音速猿だった。
「ん、ソニック。どしたの?」
事務所に詰めて書類を纏めているレオナルドの腕に纏わりついた音速猿は、キーキー鳴きながら期待の眼差しで眼を煌かせていた。
メープルの葉っぱみたいな小さい手が膨らんだポケットを指差したので、レオナルドはははあ、と小さく頷いた。
「お前、目ざといなぁ。ハイハイ、分かったよ」
付箋で一杯の書類の山を一度デスクの上に戻し、レオナルドは上着の右ポケットをごそごそと弄る。
お茶が入ったので休憩でも、とティーセットの準備を始めたギルベルトと、仲間からの電話を丁度切ったばかりのスティーブンは、何とはなしにその光景を眼の端で捉えてしまった。
毎日毎日血生臭い戦闘とかび臭い書類整理ばかりしているわけではないが、気の詰まるような出来事が多いのが《ライブラ》だ。
そんな中にあって、少年と小動物のセットは良い意味で浮いていて、つい目に止まってしまうことが多い。
本人たちにそのような意図は無いはずだが、彼らの一挙一動は余りにも普通で、ありきたりで、目に優しい光景だった。
心和む癒しを求め、自然と二対の視線は同じところへと向いた。
レオナルドはこぶしを入れた分膨らんだポケットから慎重に中身を引っ張り出すと、音速猿の目の前でそっと開いて見せた。
「はい、チョコバナナマシュマロどーれだ?」
成熟しきらない少年の、まだ頼りない手のひらに零れんばかりに乗った小さな包み。
一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、もっと、もっと、それよりたくさん。
数を数えているのか、音速猿の頭がこくん、こくんと上下した。
パッと見て中身の知れるようなありがちなものもあれば、中が透けて見えない銀色に包まれたものもある。
音速猿が目に留めたのは、透明な小分け袋に包まれた白のふわふわ。
特別ものめずらしくも無い駄菓子。マシュマロだ。
ありきたりな書体で『マシュマロ』としか印字されていないシンプルなパッケージの、見た目には同じ様に見えるそれは三つ有り、音速猿は視線を行ったりきたりさせている。
「ちなみにバナナのは一個しかないから、当ててみ」
言動から察するに、きっとその味が音速猿の好物なのだろう。
音速猿はレオナルドの膝に飛び乗って、真剣そうな眼差しをしてうんうんうと唸りだした。
一つ一つに鼻を寄せ、くんくんと匂いを嗅いでいるのだが分からないらしい。
いろんな種類の菓子が一つの山になっているせいで、匂いがごちゃごちゃに混ざっているのだろう。
どれがなに? おいしいやつ、どれ?
音速猿は時折何かを期待したようにレオナルドを見ては、目の前に並べられたお菓子の山に手を伸ばしかけては止める。
みぎ、ひだり、いやいや、まんなか……と見せかけてひだり。ううん、やっぱみぎ?
言葉なくとも雄弁な音速猿は、レオナルドの服の袖を引っ張って首を傾げる。
きゅう、と甘えるように鳴く声はめずらしく、それは文句なしに可愛かった。
女子供じゃ有るまいし、キャーキャー騒ぐほどでもないが、小動物の愛くるしい姿は誰の目から見ても和むものだ。
ギルベルトはうっかり紅茶を蒸らし過ぎないように時計を気にしつつ、スティーブンはスマホを片手に弄びつつ、しっかり視線を一人と一匹に向け続けていた。
「俺もどれがどれだかは分かんないぞー。昼前だから全部食べるのは無し、約束だかんな」
一つだけだぞ、と指を立ててレオナルドがジェスチャーすると、瞳を潤ませた音速猿がその指に飛びついた。
ぷらんぷらんと揺れる白い毛玉を、小さい手がそっと撫でる。
手つきは優しくても、レオナルドは意外と頑固者で『一つだけ』を譲らない。
音速猿はとても賢い生き物なので、レオナルドがそれを曲げることはそうそう無いだろう事を理解していそうなものだが、どうだろう。
スティーブンはスマホのカメラを起動させたい気持ちを抑え、息を詰めてその光景を見守った。
散々毛並みを撫でられて、折れたのはやはり音速猿だった。
レオナルドにこしょこしょと指で体中を撫で回されて、体はふにゃふにゃ。
とても気持ちよさそうな表情を浮かべている。
仕方ない、言われたとおりにしてやんよ。
ふんす、と鼻息を荒くしながら真ん中のマシュマロを指で指した。
「はいはい、じゃあ答えあわせー」
音速猿が選んだマシュマロ一つを除いて、残りの菓子はデスクの上にばらばらと落ちていく。
味も素っ気も無いコピー用紙の上に降る色とりどりの包みは目に鮮やかだ。
レオナルドの手に一つだけ残ったマシュマロは、外装を剥がされて音速猿の前に差し出された。
「どーぞ、めしあがれ」
「キキッ!」
普段はあまり声を上げない音速猿が短く鳴いた。
いただきます。
そんな声が聞こえるようだった。
人間なら一口で消えてしまうような駄菓子は、音速猿の口には半分。
もぐ、と噛み切った断面からは、とろりと落ちる茶色のチョコレートが覗いていた。
「はは、残念でした」
どうやら目当てのものとは外れたらしい。
半カケになったマシュマロを睨み付けながら、音速猿は口の中のそれをむぐむぐ咀嚼している。
「そんな顔すんなよ、チョコも美味いじゃんか」
レオナルドは不満たらたらの音速猿の顔に残り半分を近づけてやるが、口の中が空になってもそれを食べようとはしない。
それどころか両頬を膨らせて地団駄を踏む。
レオの膝の上で、じたばたじたばた。
やだやだ、バナナがいい。たべたかった、バナナのマシュマロたべたかった!
チョコじゃだめ、バナナ、バナナ!
もしも人間の言葉が使えたなら彼はそんな風に言ったに違いなかった。
明らかに機嫌が直滑降した音速猿を見、レオナルドは困ったように頬を掻く。
「ヘソ曲げんなよー、またおやつ時にやるか、んぐっ……!」
あっ、
……っと、思わず声を出しそうになるほどの速さだった。
音速猿がレオナルドの手から残りのマシュマロを奪い取ったかと思えば、半開きの口の中にそれを勢いよく詰めこんだ。
急に口の中に物を詰めこまれたレオナルドはというと、見えてはいても避けられなかったらしく、咽そうになる衝動に耐えながらやわい菓子を必死に噛み砕いている。
ぐっふ、ぐ、っう、う……、むぅ、もぐもぐ、ごくん。
予期せず喉を通っていくこそばゆさ、息苦しさ、予期せず広がる安っぽい甘みにレオナルドがもんどりを打っている間、音速猿はさも楽しげに膝の上で跳ねていた。
「っ、……ソニック!」
なんとか咀嚼しきったレオナルドがぴょこぴょこ跳ねる小さな友人に向き直って眉を吊り上げたが、そこへタイミングよく白磁のカップが差し出される。
「レオナルド様、お茶が入りまして御座います。よろしければどうぞ」
「あ、どうもデス。ありがたく頂きます」
喉にむず痒さのあるレオナルドは、何の疑問もなくギルベルトの差し出したそれを手に取った。
湯気の立ち上るカップの縁にそっと唇をよせて、少しずつ喉を潤す。
鼻にぬける上品な香りと、すっきりとした甘み。
なんでもそつなくこなす執事が仕える主のように教養などないから、ありきたりな言葉しか出てこないのだけれど。
「美味しいです、ギルベルトさん」
細かい味の良し悪しだとかは、レオナルドには分からない。
美味しいものは、ただ
美味しいと、ありきたりな言葉で伝える術しか知らないレオナルドは、笑顔でギルベルトにそう言った。
なんのてらいも無い純粋な賛辞を聞き、ギルベルトは目元に皺を寄せてにこりと笑う。
「それはよう御座いました。甘いものと一緒にとると一層美味しくいただけますので」
「うーん、確かにお菓子との相性抜群っすね……あんまマシュマロ味わう暇なかったけど」
口の端についた粉砂糖をぺろりと舌でなめとりつつ、レオナルドはまだ不服そうにしている音速猿をじっと見つめる。
目当ての味が食べられなくても、それが不服で残り半分をレオナルドに押し付けたとしても、デスクの上に散らばっている他のお菓子をうらめしそうに眺めていたとしても、音速猿がそれに手をつける様子はなかった。
いたずら好きなレオナルドの小さな友だちは、決して手放しに良い奴と褒めることは出来ないけれど、わきまえるところはきちんとしている。
小さな手がレオナルドの薄い腹の肉をちみちみと抓っているのはいっそ無視するとして、『一つだけ』の約束はきちんと守るつもりでいるらしい。
昼食時にいつのまにかサンドイッチのハムだけ抜かれているなんてことはザラだけれども、あらかじめ言い聞かせていればそういう事もないのだし。
そう思うと、レオナルドもつい結んだ手のひらが緩んでしまう。
「……まぁ、『一つだけ』って言ったのは僕の方だしなぁ」
レオナルドは頬を緩ませて笑い、膝に乗っかったままの音速猿のうしろあたまを人差し指でぐりぐりと撫でる。
昨日手入れしてやったばかりの柔らかい毛をくすぐるようにかきまぜれば、不機嫌そうに細められた音速猿の眼がとろり、潤んだ。
ほんの一瞬だけ恨みがましそうな視線が刺さったけれど、本当に呼吸一つ分の間も無いくらいの短い時間にすぎない。
耳の後ろ、ほっぺた、顎の下、流れるように体を滑る。
指全体でつつむように、腹でこすりつけるように、爪先でやさしく。
さっきよりもずっと長く、丁寧に。
なでなで、ごしごし、くるくる。
子猫をあやすような手つきで触れるレオナルドに体をあずけて、音速猿はきゅうきゅうと鳴き声を上げる。
きもちよくてたまらん。
ざんねん、レオナルドの指テクにはかなわなかったよ。
やわっこい体を更にぐにゃぐにゃにして転がった音速猿に脳内アテレコをしながら、スティーブンはその微笑ましい光景を見守った。
なんだか笑えてくるくらい、何にも無くて穏やかな午後だ。
こんな日に仕事漬けになっているのも馬鹿らしく、美味しい紅茶を飲みながら何か甘いものでも摘みたくなるくらいに。
たとえばそう、口の中が甘ったるくなるようなチョコレート。
歯にくっついてわずらわしいキャラメル、食べた気がしないような、安っぽいマシュマロ。
レオナルドがポケットに隠して持ち歩く、色とりどりの甘いお菓子たち。
普段はわざわざ好んで食べたいとも思わないような駄菓子でも、レオナルドの手から渡されるそれは妙に美味しそうに見えるのだ。
はい、どうぞ。
その言葉には、何か不思議な魔法がかかっているに違いない。
「ソニック。どっちか選んでいいよ」
くてんと膝の上で大人しくなった音速猿に、レオナルドがやさしい声音で話しかける。
そうして、机の上にちらばったマシュマロを二つつまみ上げ、目の前にかざした。
ぱち、ぱち、と瞬きをした音速猿は、ゆっくりとレオナルドに視線を合わせる。
「ただし俺と半分こな。さっきお前のやつ半分食べちゃったからさ」
そう言ったレオナルドの手から小さな袋をひったくった音速猿の表情は、瞬く間にきらきらと明るくなった。
うんうんと何度か頷き、レオナルドと自分の顔を交互に指差して、最後に二つのマシュマロの内、一つを掴む。
そうして、お伺いを立てるようにレオナルドの顔をちらりと見上げた。
「うん、ソニックが選んだほうで良いよ」
その後の行動は、それこそ眼にも留まらぬ速さだった。
空の袋がかさかさ音を立てて宙を舞うのと、弾んだ声が聞こえるのはほとんど同時。
一口大の小さなマシュマロは、あっというまに半分こ。
少し潰れた断面から、独特の甘い匂いが立ち上る。
「キキィ~!」
「ああこら、もう行儀悪いったら……あ、やったな。当たりだぞー」
人工着色料と香料バリバリ、体に良いか悪いかと聞かれたら多分後者。
薄い黄色のチョコレート、バナナチョコをくるんだ甘い甘いマシュマロを両手に持った音速猿がくるくると回り、軽やかなステップを踏んだ。
花が咲く、星がきらめき、ハートは乱舞で音符が跳ねる。
誰の目にも見えないけれど、ファンタジックな幻が音速猿の周りを包んでいるように感じられた。
普段ここまで顕著に感情表現をすることはそうそう無いので、余計そう見えるのだろう。
そんな音速猿を見ていると、差し出された半カケのマシュマロはレオナルドの目にも特別なもののように見えてくる。
「大げさだなぁ、もう……やっぱりそれ全部食べちゃっていいぞ。代わりにおやつの分は俺がもらうから、前渡し」
あれほど頑固に言い含めたのに、全身で喜びを表している音速猿を見ていると結局自分のほうから折れてしまった。
つくづく甘いなぁと思いはするが、後々調整するならそれでまぁいいかと思ってしまう。
レオナルドは一度こうと決めたら頑固だけれども、それと同じくらい、自分の懐に入ったものに対して甘いのだ。
にこにこ笑うレオナルドは、大切な友だちが喜んでくれるのならそれだけで嬉しいと本気で思っているし、そのため自分の事は二の次でも全然構わないお人よしである。
だから、音速猿がレオナルドの言葉にムッとしたこともきっと気付かなかっただろう。
この先もきっと、気付かないのだろう。
美味しいもの、うれしいこと、レオナルドは自分の持つそれを誰かに分けて幸せになれる事を知っているくせに、自分が誰かからそうされるという可能性を、すっかり思考の外へやっているのだ。
ただ与えるだけでなく、分かち合うという喜びは猿にも理解できるくらい単純なものなのに。
自分のためを思ってくれた、その言葉が嬉しかったのに。
「……ンギィ」
しかたないやつだなぁ。
音速猿がそう言ったかどうかは不明である。
けれども、一人と一匹の様子を眺めていたギルベルトとスティーブンは、小さな肩を落としてしょんぼりした様子の音速猿の心の声がそう訴えてくるように感じられて仕方なかった。
「え、なに。急にどうした?」
急に気落ちした音速猿を心配したのか、レオナルドが両手でそっと持ち上げる。
目と目を合わせるように、顔の前まで持ち上げて、それから。
「ぅあ」
空いた口の中に、ぽいっと放りこまれるマシュマロ。
さっきみたいに無理矢理でなく、自然に、優しく、口の中に入ったそれをレオナルドは反射的にかみ締めた。
それをきちっと見届けてから、音速猿も自分の口に残りの半分を放り込む。
一人と一匹はまったく同じ動きで、むぐむぐ、もぐもぐ、咀嚼する。
たった一口にも満たないものだから、あっという間の事だった。
「ん、まい」
そうだろ~! とばかりに親指を立てるハンドサインをした音速猿は、レオナルドのてのひらからジャンプして頭の上に飛び乗る。
そのままご機嫌な様子でグルーミングまではじめてしまうものだから、ちょっとした休憩が随分と長引いてしまった。
「すみません、スティーブンさん。書類の整理、お昼前までに終わらせるって約束したのに」
頭の上に音速猿を乗っけながら、レオナルドが心底申し訳なさそうな顔で言う。
「ちょっとくらいかまわないさ。別に特別急ぐことでもないし、俺も癒されながら休憩できたから」
あえて主語をぼかしてスティーブンが返すと、レオナルドが首をかしげて不思議そうにする。
一緒に頭の上に乗った音速猿も傾いて、落っこちそうになるのを慌てて手で支えていた。
「まぁ……そうだな、申し訳なく思ってるなら、僕にも何か一つ分けてくれよ。君たち見てたら、なんだか無性に甘いものが欲しくなってね」
色とりどりのカラーセロファンに包まれたラムネや飴玉、賽の目を模った箱に入ったキャラメル、口に入れるまで何が入っているのか分からないふわふわの一口マシュマロに、糖衣をつけて解けにくくした七色の粒チョコレート。
「はい。こんなもので良ければ、どうぞ」
そういってレオナルドが分けてくれる小さな幸せは、手のひらに載せても余るくらいだ。
どこにでもあるような、安っぽい駄菓子は胸に染みるようで、スティーブンは小さく感嘆の息を吐く。
忘れかけたありきたりの日常は、何処かへ置いてきてしまった懐かしい感覚は、とびっきりに甘い味がするのだと知る。
「うん、うまいな」
一度口にしたらやみつきになる。
それは、あまい、あまい、幸せの味。
色とりどりのカラーセロファンに包まれたラムネや飴玉、賽の目を模った箱に入ったキャラメル、口に入れるまで何が入っているのか分からないふわふわの一口マシュマロに、糖衣をつけて解けにくくした七色の粒チョコレート。
ぶかぶかの上着に、隠れて見えないズボンのポケットに、いつだって色んな駄菓子が隠れている。
その恩恵に一番与っているのは、レオナルドの体に引っ付いて移動していることの多い音速猿だった。
「ん、ソニック。どしたの?」
事務所に詰めて書類を纏めているレオナルドの腕に纏わりついた音速猿は、キーキー鳴きながら期待の眼差しで眼を煌かせていた。
メープルの葉っぱみたいな小さい手が膨らんだポケットを指差したので、レオナルドはははあ、と小さく頷いた。
「お前、目ざといなぁ。ハイハイ、分かったよ」
付箋で一杯の書類の山を一度デスクの上に戻し、レオナルドは上着の右ポケットをごそごそと弄る。
お茶が入ったので休憩でも、とティーセットの準備を始めたギルベルトと、仲間からの電話を丁度切ったばかりのスティーブンは、何とはなしにその光景を眼の端で捉えてしまった。
毎日毎日血生臭い戦闘とかび臭い書類整理ばかりしているわけではないが、気の詰まるような出来事が多いのが《ライブラ》だ。
そんな中にあって、少年と小動物のセットは良い意味で浮いていて、つい目に止まってしまうことが多い。
本人たちにそのような意図は無いはずだが、彼らの一挙一動は余りにも普通で、ありきたりで、目に優しい光景だった。
心和む癒しを求め、自然と二対の視線は同じところへと向いた。
レオナルドはこぶしを入れた分膨らんだポケットから慎重に中身を引っ張り出すと、音速猿の目の前でそっと開いて見せた。
「はい、チョコバナナマシュマロどーれだ?」
成熟しきらない少年の、まだ頼りない手のひらに零れんばかりに乗った小さな包み。
一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、もっと、もっと、それよりたくさん。
数を数えているのか、音速猿の頭がこくん、こくんと上下した。
パッと見て中身の知れるようなありがちなものもあれば、中が透けて見えない銀色に包まれたものもある。
音速猿が目に留めたのは、透明な小分け袋に包まれた白のふわふわ。
特別ものめずらしくも無い駄菓子。マシュマロだ。
ありきたりな書体で『マシュマロ』としか印字されていないシンプルなパッケージの、見た目には同じ様に見えるそれは三つ有り、音速猿は視線を行ったりきたりさせている。
「ちなみにバナナのは一個しかないから、当ててみ」
言動から察するに、きっとその味が音速猿の好物なのだろう。
音速猿はレオナルドの膝に飛び乗って、真剣そうな眼差しをしてうんうんうと唸りだした。
一つ一つに鼻を寄せ、くんくんと匂いを嗅いでいるのだが分からないらしい。
いろんな種類の菓子が一つの山になっているせいで、匂いがごちゃごちゃに混ざっているのだろう。
どれがなに? おいしいやつ、どれ?
音速猿は時折何かを期待したようにレオナルドを見ては、目の前に並べられたお菓子の山に手を伸ばしかけては止める。
みぎ、ひだり、いやいや、まんなか……と見せかけてひだり。ううん、やっぱみぎ?
言葉なくとも雄弁な音速猿は、レオナルドの服の袖を引っ張って首を傾げる。
きゅう、と甘えるように鳴く声はめずらしく、それは文句なしに可愛かった。
女子供じゃ有るまいし、キャーキャー騒ぐほどでもないが、小動物の愛くるしい姿は誰の目から見ても和むものだ。
ギルベルトはうっかり紅茶を蒸らし過ぎないように時計を気にしつつ、スティーブンはスマホを片手に弄びつつ、しっかり視線を一人と一匹に向け続けていた。
「俺もどれがどれだかは分かんないぞー。昼前だから全部食べるのは無し、約束だかんな」
一つだけだぞ、と指を立ててレオナルドがジェスチャーすると、瞳を潤ませた音速猿がその指に飛びついた。
ぷらんぷらんと揺れる白い毛玉を、小さい手がそっと撫でる。
手つきは優しくても、レオナルドは意外と頑固者で『一つだけ』を譲らない。
音速猿はとても賢い生き物なので、レオナルドがそれを曲げることはそうそう無いだろう事を理解していそうなものだが、どうだろう。
スティーブンはスマホのカメラを起動させたい気持ちを抑え、息を詰めてその光景を見守った。
散々毛並みを撫でられて、折れたのはやはり音速猿だった。
レオナルドにこしょこしょと指で体中を撫で回されて、体はふにゃふにゃ。
とても気持ちよさそうな表情を浮かべている。
仕方ない、言われたとおりにしてやんよ。
ふんす、と鼻息を荒くしながら真ん中のマシュマロを指で指した。
「はいはい、じゃあ答えあわせー」
音速猿が選んだマシュマロ一つを除いて、残りの菓子はデスクの上にばらばらと落ちていく。
味も素っ気も無いコピー用紙の上に降る色とりどりの包みは目に鮮やかだ。
レオナルドの手に一つだけ残ったマシュマロは、外装を剥がされて音速猿の前に差し出された。
「どーぞ、めしあがれ」
「キキッ!」
普段はあまり声を上げない音速猿が短く鳴いた。
いただきます。
そんな声が聞こえるようだった。
人間なら一口で消えてしまうような駄菓子は、音速猿の口には半分。
もぐ、と噛み切った断面からは、とろりと落ちる茶色のチョコレートが覗いていた。
「はは、残念でした」
どうやら目当てのものとは外れたらしい。
半カケになったマシュマロを睨み付けながら、音速猿は口の中のそれをむぐむぐ咀嚼している。
「そんな顔すんなよ、チョコも美味いじゃんか」
レオナルドは不満たらたらの音速猿の顔に残り半分を近づけてやるが、口の中が空になってもそれを食べようとはしない。
それどころか両頬を膨らせて地団駄を踏む。
レオの膝の上で、じたばたじたばた。
やだやだ、バナナがいい。たべたかった、バナナのマシュマロたべたかった!
チョコじゃだめ、バナナ、バナナ!
もしも人間の言葉が使えたなら彼はそんな風に言ったに違いなかった。
明らかに機嫌が直滑降した音速猿を見、レオナルドは困ったように頬を掻く。
「ヘソ曲げんなよー、またおやつ時にやるか、んぐっ……!」
あっ、
……っと、思わず声を出しそうになるほどの速さだった。
音速猿がレオナルドの手から残りのマシュマロを奪い取ったかと思えば、半開きの口の中にそれを勢いよく詰めこんだ。
急に口の中に物を詰めこまれたレオナルドはというと、見えてはいても避けられなかったらしく、咽そうになる衝動に耐えながらやわい菓子を必死に噛み砕いている。
ぐっふ、ぐ、っう、う……、むぅ、もぐもぐ、ごくん。
予期せず喉を通っていくこそばゆさ、息苦しさ、予期せず広がる安っぽい甘みにレオナルドがもんどりを打っている間、音速猿はさも楽しげに膝の上で跳ねていた。
「っ、……ソニック!」
なんとか咀嚼しきったレオナルドがぴょこぴょこ跳ねる小さな友人に向き直って眉を吊り上げたが、そこへタイミングよく白磁のカップが差し出される。
「レオナルド様、お茶が入りまして御座います。よろしければどうぞ」
「あ、どうもデス。ありがたく頂きます」
喉にむず痒さのあるレオナルドは、何の疑問もなくギルベルトの差し出したそれを手に取った。
湯気の立ち上るカップの縁にそっと唇をよせて、少しずつ喉を潤す。
鼻にぬける上品な香りと、すっきりとした甘み。
なんでもそつなくこなす執事が仕える主のように教養などないから、ありきたりな言葉しか出てこないのだけれど。
「美味しいです、ギルベルトさん」
細かい味の良し悪しだとかは、レオナルドには分からない。
美味しいものは、ただ
美味しいと、ありきたりな言葉で伝える術しか知らないレオナルドは、笑顔でギルベルトにそう言った。
なんのてらいも無い純粋な賛辞を聞き、ギルベルトは目元に皺を寄せてにこりと笑う。
「それはよう御座いました。甘いものと一緒にとると一層美味しくいただけますので」
「うーん、確かにお菓子との相性抜群っすね……あんまマシュマロ味わう暇なかったけど」
口の端についた粉砂糖をぺろりと舌でなめとりつつ、レオナルドはまだ不服そうにしている音速猿をじっと見つめる。
目当ての味が食べられなくても、それが不服で残り半分をレオナルドに押し付けたとしても、デスクの上に散らばっている他のお菓子をうらめしそうに眺めていたとしても、音速猿がそれに手をつける様子はなかった。
いたずら好きなレオナルドの小さな友だちは、決して手放しに良い奴と褒めることは出来ないけれど、わきまえるところはきちんとしている。
小さな手がレオナルドの薄い腹の肉をちみちみと抓っているのはいっそ無視するとして、『一つだけ』の約束はきちんと守るつもりでいるらしい。
昼食時にいつのまにかサンドイッチのハムだけ抜かれているなんてことはザラだけれども、あらかじめ言い聞かせていればそういう事もないのだし。
そう思うと、レオナルドもつい結んだ手のひらが緩んでしまう。
「……まぁ、『一つだけ』って言ったのは僕の方だしなぁ」
レオナルドは頬を緩ませて笑い、膝に乗っかったままの音速猿のうしろあたまを人差し指でぐりぐりと撫でる。
昨日手入れしてやったばかりの柔らかい毛をくすぐるようにかきまぜれば、不機嫌そうに細められた音速猿の眼がとろり、潤んだ。
ほんの一瞬だけ恨みがましそうな視線が刺さったけれど、本当に呼吸一つ分の間も無いくらいの短い時間にすぎない。
耳の後ろ、ほっぺた、顎の下、流れるように体を滑る。
指全体でつつむように、腹でこすりつけるように、爪先でやさしく。
さっきよりもずっと長く、丁寧に。
なでなで、ごしごし、くるくる。
子猫をあやすような手つきで触れるレオナルドに体をあずけて、音速猿はきゅうきゅうと鳴き声を上げる。
きもちよくてたまらん。
ざんねん、レオナルドの指テクにはかなわなかったよ。
やわっこい体を更にぐにゃぐにゃにして転がった音速猿に脳内アテレコをしながら、スティーブンはその微笑ましい光景を見守った。
なんだか笑えてくるくらい、何にも無くて穏やかな午後だ。
こんな日に仕事漬けになっているのも馬鹿らしく、美味しい紅茶を飲みながら何か甘いものでも摘みたくなるくらいに。
たとえばそう、口の中が甘ったるくなるようなチョコレート。
歯にくっついてわずらわしいキャラメル、食べた気がしないような、安っぽいマシュマロ。
レオナルドがポケットに隠して持ち歩く、色とりどりの甘いお菓子たち。
普段はわざわざ好んで食べたいとも思わないような駄菓子でも、レオナルドの手から渡されるそれは妙に美味しそうに見えるのだ。
はい、どうぞ。
その言葉には、何か不思議な魔法がかかっているに違いない。
「ソニック。どっちか選んでいいよ」
くてんと膝の上で大人しくなった音速猿に、レオナルドがやさしい声音で話しかける。
そうして、机の上にちらばったマシュマロを二つつまみ上げ、目の前にかざした。
ぱち、ぱち、と瞬きをした音速猿は、ゆっくりとレオナルドに視線を合わせる。
「ただし俺と半分こな。さっきお前のやつ半分食べちゃったからさ」
そう言ったレオナルドの手から小さな袋をひったくった音速猿の表情は、瞬く間にきらきらと明るくなった。
うんうんと何度か頷き、レオナルドと自分の顔を交互に指差して、最後に二つのマシュマロの内、一つを掴む。
そうして、お伺いを立てるようにレオナルドの顔をちらりと見上げた。
「うん、ソニックが選んだほうで良いよ」
その後の行動は、それこそ眼にも留まらぬ速さだった。
空の袋がかさかさ音を立てて宙を舞うのと、弾んだ声が聞こえるのはほとんど同時。
一口大の小さなマシュマロは、あっというまに半分こ。
少し潰れた断面から、独特の甘い匂いが立ち上る。
「キキィ~!」
「ああこら、もう行儀悪いったら……あ、やったな。当たりだぞー」
人工着色料と香料バリバリ、体に良いか悪いかと聞かれたら多分後者。
薄い黄色のチョコレート、バナナチョコをくるんだ甘い甘いマシュマロを両手に持った音速猿がくるくると回り、軽やかなステップを踏んだ。
花が咲く、星がきらめき、ハートは乱舞で音符が跳ねる。
誰の目にも見えないけれど、ファンタジックな幻が音速猿の周りを包んでいるように感じられた。
普段ここまで顕著に感情表現をすることはそうそう無いので、余計そう見えるのだろう。
そんな音速猿を見ていると、差し出された半カケのマシュマロはレオナルドの目にも特別なもののように見えてくる。
「大げさだなぁ、もう……やっぱりそれ全部食べちゃっていいぞ。代わりにおやつの分は俺がもらうから、前渡し」
あれほど頑固に言い含めたのに、全身で喜びを表している音速猿を見ていると結局自分のほうから折れてしまった。
つくづく甘いなぁと思いはするが、後々調整するならそれでまぁいいかと思ってしまう。
レオナルドは一度こうと決めたら頑固だけれども、それと同じくらい、自分の懐に入ったものに対して甘いのだ。
にこにこ笑うレオナルドは、大切な友だちが喜んでくれるのならそれだけで嬉しいと本気で思っているし、そのため自分の事は二の次でも全然構わないお人よしである。
だから、音速猿がレオナルドの言葉にムッとしたこともきっと気付かなかっただろう。
この先もきっと、気付かないのだろう。
美味しいもの、うれしいこと、レオナルドは自分の持つそれを誰かに分けて幸せになれる事を知っているくせに、自分が誰かからそうされるという可能性を、すっかり思考の外へやっているのだ。
ただ与えるだけでなく、分かち合うという喜びは猿にも理解できるくらい単純なものなのに。
自分のためを思ってくれた、その言葉が嬉しかったのに。
「……ンギィ」
しかたないやつだなぁ。
音速猿がそう言ったかどうかは不明である。
けれども、一人と一匹の様子を眺めていたギルベルトとスティーブンは、小さな肩を落としてしょんぼりした様子の音速猿の心の声がそう訴えてくるように感じられて仕方なかった。
「え、なに。急にどうした?」
急に気落ちした音速猿を心配したのか、レオナルドが両手でそっと持ち上げる。
目と目を合わせるように、顔の前まで持ち上げて、それから。
「ぅあ」
空いた口の中に、ぽいっと放りこまれるマシュマロ。
さっきみたいに無理矢理でなく、自然に、優しく、口の中に入ったそれをレオナルドは反射的にかみ締めた。
それをきちっと見届けてから、音速猿も自分の口に残りの半分を放り込む。
一人と一匹はまったく同じ動きで、むぐむぐ、もぐもぐ、咀嚼する。
たった一口にも満たないものだから、あっという間の事だった。
「ん、まい」
そうだろ~! とばかりに親指を立てるハンドサインをした音速猿は、レオナルドのてのひらからジャンプして頭の上に飛び乗る。
そのままご機嫌な様子でグルーミングまではじめてしまうものだから、ちょっとした休憩が随分と長引いてしまった。
「すみません、スティーブンさん。書類の整理、お昼前までに終わらせるって約束したのに」
頭の上に音速猿を乗っけながら、レオナルドが心底申し訳なさそうな顔で言う。
「ちょっとくらいかまわないさ。別に特別急ぐことでもないし、俺も癒されながら休憩できたから」
あえて主語をぼかしてスティーブンが返すと、レオナルドが首をかしげて不思議そうにする。
一緒に頭の上に乗った音速猿も傾いて、落っこちそうになるのを慌てて手で支えていた。
「まぁ……そうだな、申し訳なく思ってるなら、僕にも何か一つ分けてくれよ。君たち見てたら、なんだか無性に甘いものが欲しくなってね」
色とりどりのカラーセロファンに包まれたラムネや飴玉、賽の目を模った箱に入ったキャラメル、口に入れるまで何が入っているのか分からないふわふわの一口マシュマロに、糖衣をつけて解けにくくした七色の粒チョコレート。
「はい。こんなもので良ければ、どうぞ」
そういってレオナルドが分けてくれる小さな幸せは、手のひらに載せても余るくらいだ。
どこにでもあるような、安っぽい駄菓子は胸に染みるようで、スティーブンは小さく感嘆の息を吐く。
忘れかけたありきたりの日常は、何処かへ置いてきてしまった懐かしい感覚は、とびっきりに甘い味がするのだと知る。
「うん、うまいな」
一度口にしたらやみつきになる。
それは、あまい、あまい、幸せの味。
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