この夢小説は、もし乙女ゲームだったらという設定なので、名前変換をすると100倍楽しめます。名前は、〇〇〇・トワイラスの〇の部分が変わります。
4、引き合う運命
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別離のメモを渡してからも、アンヌの元にはひっきりなしにガーからの連絡が来ていた。彼女はもちろんメッセージを開封することなく削除し続け、徹底的に関係を断つことに専念した。そんなことが一ヶ月間も続いたため、タイバーがメモを握りつぶしたことなど知らないアンヌの思いは、淡い恋心からいつの間にか嫌悪に変わっていた。
「あー!!マンダロリアンって、何なの?非常識にも程があるわ」
「お嬢様、マンダロアの殿方は自信家が多いようですから……」
「はぁ?いつからこの銀河では、厚顔無恥を自信家と言うようになったの?」
「まぁ……お嬢様の仰ることにも一理あります」
苛立つアンヌをなだめながら、侍女のレムデリラが紅茶を淹れる。テーブルに飾ってあるカップケーキを齧りながら、総裁は頬杖をついてため息を漏らした。
「……もう、マンダロリアンは結構です」
「ですが、株主総会にはお呼びしないと……」
総会、という言葉にアンヌの眉が反応する。業務上では会わねばならないことをすっかり忘れていたからだ。彼女は珍しく音を立ててティーカップを置くと、無言で立ち上がった。
「どちらへお行きになるのですか?」
「トレーニングルームよ。あの男を叩き斬るための鍛練に行くわ」
そう言い放ったアンヌの額には、確かにくっきりと青筋が立っていた。
一方、マンダロアの総督府も大災害に巻き込まれていた。連絡が全く返ってこないことに対して、ガー・サクソン総督が荒れに荒れているからだ。今日も些細なことで苛立ち、部下を殴り飛ばしていた。部下たちは戦々恐々としながらも、プライドの高いガーに起きた悲劇を噂している。
「総督、最近怖くないか?」
「ああ……何でも、例の美人総裁にフラれたらしい」
「あの30以上年下のだろ?そりゃ無理だろ。あの方も年齢を弁えなきゃ……」
「────おい、お前たち」
部下たちは慌てて口をつぐんだ。同時に、処刑というワードが彼らの脳裏に浮かぶ。ガーは不機嫌そうに唸ると、ドスの効いた声で怒鳴った。
「下らん話をしている暇があれば、さっさと反乱者どもを逮捕しろ!」
「はっ、はい!!」
恐怖がこもった返事を聞いて満足した総督は、ため息を漏らしながら再び総督室へと戻ろうとした。だが、彼はもう一度振り返って部下たちにこう言った。
「それから!!俺は別にフラれたわけじゃないからなっ!!あんな上品ぶった年下の小娘なんて、俺の好みではない!」
捨て台詞のように叫ぶと、ガーは少年のように拗ねて自室へ駆け出した。残された部下たちは、やはりフラれたのかと口々に呆れ果てるのだった。
そんな総督の姿を見て、唯一ほくそ笑んでいる男がいた。もちろんそれは二人の不仲の元凶を生み出した男、タイバー・サクソンだ。彼は兄の姿を思い出しながら、笑いを必死でこらえている。
馬鹿な兄さん。拒まれているとも気付かず、ひたすらメッセージを送り付けてどんどん嫌われてください。そして私はタイミングが良いところで、非常識でストーカーまがいのあんたから彼女を救うんだ。ああ、完璧だ!
こうしてタイバーの目論みなど露知らず、二人の間にはどんどん溝が深まっていった。そして株主総会は、溝が最高潮に深まったタイミングで開かれる羽目になった。
その日、アンヌは朝から不機嫌だった。服装も、ジェダイ時代を彷彿させる程に地味なものだ。そんな状況でも彼女は発着ベイでぎこちない作り笑いを浮かべながら、次々とやって来る株主たちを出迎えていた。
そしてついに、最も会いたくない男が現れた。
「ごきげんよう、ヴァスロイ・サクソン」
アンヌはわざと丁寧な口調で挨拶をすると、冷淡な瞳を伏せて会釈した。ガーの方も、あからさまに不機嫌そうな表情を浮かべながら無言で会釈を返す。そんな二人の様子を眺めていたアルマ夫人は、怪訝そうに眉をひそめてレムデリラに尋ねた。
「レム、これは一体どういうこと?」
「あぁ……ええと……その……」
レムデリラは困惑を見せたが、渋々夫人に事のあらましを説明した。話を聞き終わった彼女は、娘の中に自身の夫に似た頑固さを感じて苦笑した。
「……まるでドゥークー様みたいね」
「ええ、お二人は似ておいでです」
「困ったわ……マンダロアとは友好関係を築いた方が良いのに……」
母の憂慮も知らず、アンヌとガーは総会中も一切視線を合わせないように心掛けていた。もはや徹底した不接触状態を敷く二人に、タイバーまで安堵を通り越して呆れすら覚えていた。
事情を知る誰もが、このまま二人の関係は外交と共に終焉を迎えると思っていた。運命とも言える出来事が、二人を再び結びつけるまでは。
事件は昼下がりに起きた。総会後に提供される食事を振る舞うために回廊を歩いていたアンヌの頭の中は、すっかり食事の段取りで一杯だった。後からついてくる株主たちも、殆どがセレノーの優雅なフルコースランチを心待にしている。
その刹那、彼女の周囲のフォースが揺らいだ。鳥肌が立つ程にはっきりとしているそれは、確かに‘’殺意”と呼ぶものだった。
アンヌは即座にスナイパーの存在と位置を感じ取った。だが、帝国関係者が大勢を占めている前で素早い身のこなしを取ることは自殺行為に等しい。彼女は疾風の速度で思考した。そしてトリガーが引かれた瞬間、誰にも分からぬように少しだけ避けた。急所を外すためだ。
案の定、大戦中に共和国の実験を受け続けたおかげで痛みは殆ど感じなかった。代わりに、その場は完全にパニックに陥った。
傷口が痛むフリをしながら、アンヌは叫んだ。
「皆様、逃げてください!マグナガードたちが、安全な場所へ皆様を避難させます」
こんな時にさえ自分でなく周囲を気遣う姿勢に、ガーの心が不意にときめく。アンヌは焦炎部分が左肩に広がっていくのを感じながらも、ガードたちに来賓の避難を優先させていた。だが無情にも、殺傷力の高いブラスターで撃ち抜かれたのか、徐々に殆ど失ったはずの痛覚が彼女の中で甦ってくる。本物の苦痛に表情を歪めるアンヌを見かねたガーは、ヘルメットを被ると避難指示に逆らって駆け寄った。
「何をしているんですか!?早く逃げてください!」
「馬鹿言うな!お前も逃げるんだ」
「株主様の命が最優先です。私は別に────」
別に後回しで構わない、と言おうとしたアンヌの横をブラスターがかすめる。ガーは自分のリスト・ガントレットに付いてあるシールドを起動させると、アンヌを守るようにかざしながら右手で小型ブラスターを抜いた。彼は戦士の顔つきに戻っていた。それは奇しくも17年前に、俗世に対して無垢なアンヌが恋に落ちた表情と同じだった。
「さっさと行け!」
そう叫ぶガーに心奪われながらも、アンヌはめげずに食らいついた。彼女はブラスターの雨の中でも怯むことなく柱の影に移動すると、格好をつけている還暦に達した戦士に対して怒鳴った。
「ヴァスロイ!あなたはどうして、逐一そんなに私を怒らせるのかしら?天才なの?」
「それはこっちの台詞だ。勝手に俺の連絡を無視しやがって。そんなに俺が嫌なら、面と向かってはっきり言ったらどうだ?」
「あら、渡したメモの内容を無視する人の方がどうかしてると思うけど?」
メモ、という言葉にガーの瞳が動く。全く心当たりが無いからだ。彼は苛立ちを剥き出しにしながらアンヌに怒鳴り返した。
「はぁ?メモだと?俺はそんなものは受け取っていないぞ!」
その返事をアンヌが嘲笑する。
「呆れた!今度は記憶にございません、戦法かしら。面白いわね、いつから陳腐な政治家みたいな言い訳するようになったの?」
「言い訳じゃない。いいか、俺はそんなものを受け取った覚えはない!お前の嬢は、強情の嬢か!」
「な、何ですって?私は確かにあなたの弟さんに預けたわよ!」
その発言に、ガーは目を見開いた。全ての矛盾が音を立てて解を導きだしたからだ。彼は本日何度目かのため息を漏らすと、迎撃しながら冷静に答えた。
「……どうやらお前の大事な伝言は俺の弟が渡しそびれたのか、書類やデータパッドに紛れて紛失してしまったようだ」
と答えたものの、ガーの脳内には明確な答えが出ていた。
タイバーのヤツめ……謀ったな。戻ったらぶっ殺してやる……!!
頭の回るアンヌも、ガーとタイバーの不仲さや会話の流れから真相を悟っていた。彼女は自分の愛する人を疑ってしまったことに罪悪感を覚えながら、項垂れて呟いた。
「ごめんなさい、ガー……」
アンヌの声が悲しすぎて、ガーはそれ以上糾弾する気にはなれなかった。無論、悪いのはタイバーの方だからだ。彼は哀しげに笑いながらアンヌの方を見て言った。
「……いいんだ。それより、後でどんな内容だったのかを教えてくれ。まぁ、予想はつくが────」
余所見をしたガーのすぐ脇を、何かが転がっていった。軽妙な金属音が響く。小型爆弾だった。
「アンヌ、危ない!!」
彼は咄嗟にアンヌの方へ飛びかかると、爆発範囲から離脱するためにジェットパックの出力を最大に振った。
すんでのところで助かった総裁は、空中でガーの腕にしがみつきながら尋ねた。
「ありがとう……これからどうするの?」
「奴らの狙いはお前らしい。望み通り来客たちに迷惑を掛けたくないなら、このまま宮殿から逃げるしかない」
「ええ、その方が良いかも」
アンヌが頷くと同時に、スピーダーバイクの爆音が響いた。二人が振り返ると、そこにはざっと20名程度の暗殺者たちが迫っていた。
「……嫌な予感がする」
「大賛成ね」
ガーはアンヌを抱えたままその場を飛び去ると、コムリンクをオンにして部下たちに呼び掛けた。
「こちらヴァスロイ・サクソン。待機中のインペリアル・スーパーコマンドーに告ぐ。大至急座標3F-7Uへ向かってくれ、総裁が危ない」
『承知しました。到着まで10分ほど要しますが……』
「馬鹿!こっちはギリギリなんだ!!全く……」
愚痴を溢しながらも、ガーはブラスターで追手を着実に始末していた。齢60を超えても尚衰えない射撃の腕に、アンヌは懐かしさを感じた。
ガーが指定した場所は、迎撃にはもってこいの場所だった。岩場に隠れながら、彼はアンヌを守るようにしゃがみながら応戦し始めた。だが元軍師だった彼女の目には、多勢に無勢であることは明らかだった。
アンヌは決意を固めると、ドレスの裾を捲り上げてベルトで脚に固定していたブラスターを取り出した。目のやりどころに困る突然のサービスに、ガーの視線が泳ぐ。
「なっ、なっ、何をしているんだ!?」
「私も戦います。援護してください!」
庇護欲を打ち砕かれたガーは、目を丸くしながら令嬢を見た。
「おっ、おい、逆だろ!お前が俺を援護しろ!」
戦士の悲痛な声を無視して、アンヌは単身岩影から飛び出した。そしてフォースの恩恵を受けながら、目にも留まらぬ速さで敵を射止め始めた。唖然とする総督を置いて、彼女は岩影に戻るとにこりと微笑んだ。
「ね、案外上手いでしょ?」
「……認めるが、危なっかしい!」
そんなやり取りをしているうちにも、敵は着々と集合していく。ガーは然り気無くアンヌを抱き寄せると、もう一度部下に連絡を取った。
「お前たち、今どこに居るんだ?」
『ヴァスロイ、間もなくそちらへ到着します!もう少し持ちこたえてください!』
「おい、それが出来れば連絡なんてしてないぞ!!くそっ……」
ここまでか。ガーの脳裏に敗北という二文字が浮かぶ。普段の彼なら早々に離脱している。だが、何としてでもアンヌだけでも助けなくてはという思いが、いつもの卑怯なガー・サクソンを封印していた。彼はついに接近戦を挑んできた敵の前に飛び出すと、唸り声を上げながら殴りかかった。
しかし、かつての最強の戦士も多勢に無勢だった。彼は複数人に殴り付けられると、そのまま後方へと投げ飛ばされた。そして地面に頭をぶつけた衝撃で、そのまま意識を失ってしまった。アンヌは絶体絶命の危機に瀕し、その場へ駆け寄るとヘルメットを外して必死にガーの名を呼んだ。
「ヴァスロイ?ヴァスロイ・サクソン?……ガー!?ガー!!ねえってば!起きて!!私を助けてよ……」
呼び掛けも虚しく、ガーの目蓋は閉じたままだ。アンヌは背後にじわじわと殺意が迫ってくるのを感じ、静かに目を閉じた。肩の痛みは徐々に激しさを増していたが、そんな事はもはやどうでもよかった。
彼女は立ち上がると、ブラスターを棄ててもう一度ドレスの裾を捲った。それから伸縮タイプのエレクトロ・スタッフを取り出すと、暗殺者たちに向けて起動させた。彼らは標的の戦闘能力についての報告を受けていなかったため僅かに狼狽したが、直ぐに身構えた。そしてアンヌも、右手を下にして左手を背に回して武器を構える。フォームII、マカシの型だ。
一人が発砲する。だが、既にアンヌの姿は無かった。代わりにフォースの力を借りて瞬発的に移動した彼女は、電極を突き出して一人仕留めた。更に八の字にスタッフを回し、周囲の敵を一網打尽にした。
一発もブラスターが当たらない様子に業を煮やした暗殺者たちは、ついに肉弾戦を挑んだ。だが、どんなナイフ捌きも伝説のジェダイには敵わない。アンヌは飛び掛かってきた男の脛を蹴り飛ばすと、首に電極を突き刺した。それから素早く宙返りすると、残りの敵にもリズム良くエレクトロ・スタッフをお見舞いした。
静寂がその場を包む。戦いが終わったのだ。暗殺者たちの遺体の真ん中でアンヌは座り込んだ。炎焦していたはずの傷口からは、悪化を物語るように止めどなく鮮血が溢れている。流石に苦痛に耐えきれず、彼女は呻き声を漏らしながらエレクトロ・スタッフを元のスティック状に戻した。それからふらつく足取りで、ガーの元へと歩きだした。
「ガー……」
視界が揺らぐ。そして全てが闇に落ちていった。
ガーが目を覚ましたのは、それから数分後の事だった。彼は酷い耳鳴りと頭痛を振り切りながら立ち上がると、全てが終わっていることに驚いた。そして自分の直ぐそばでうつ伏せになって倒れているアンヌを見つけ、慌てて駆け寄った。
「アンヌ、大丈夫か?アンヌ……?」
抱き起こした手に、ぬるぬるとした何かがべっとりと付いた。血だった。ガーはこの時初めて、ブラスターで撃たれた傷から血が出ることを知った。青ざめた横顔を抱き締めながら、彼はようやく辿り着いた部下たちに叫んだ。
「誰か!緊急手当てを頼む!アンヌが……アンヌが……」
傷口からは、押さえても押さえても湧き水のように血が溢れ続けた。ガーは必死に愛する人の名を呼び続けたが、反応が返ってくることはない。
「そんな……やめろ……嫌だ……アンヌ……まだ俺……愛してるって言えてないんだぞ……」
また、同じことを繰り返すのか。ガーの全身に、自分の手から全てが溢れ落ちていく感覚が広がっていく。愛してる。その言葉を言えない辛さは、もう二度と味わいたくなかった。
この人は、あいつの代わりなんかじゃない。
医療班の手で運ばれていくアンヌの手を握りながら、彼は心の底からそう思った。面影がきっかけだったとしても、今は違った。その事実に気付かせてくれたのは、皮肉にも目の前の大切な人を失おうとしているこの状況だ。
「アンヌ……死ぬな。勝手に死ぬなんて、俺が許さない!」
「総督、下がってください」
「アンヌ!!死ぬなっ……!!絶対、死ぬな!生きてくれ!!」
その叫びが、アンヌに届いたかは分からない。だが、ガー・サクソンという男の何かを変えたことは確かだった。
アンヌは深淵の縁にいた。いや、正確には深淵へと落ち続け付いた。
使命も、オーダーも、夢も希望も、親友も、師も、教えも、弟子も全て失った自分に、何が残っているのか。彼女は疲労感に圧されて目を閉じた。
振り返ると、自分の人生はオビ=ワンに見出だされたことで一気に加速した。その手を取ったお陰で、師はもちろんのこと、アナキン、アソーカ、タリシベス、レックス……様々な出会いを経験できた。そして皮肉なことに、最愛の人であるガー・サクソンともだ。
潜入任務先で事故のような出会いを果たした時、アンヌから封印し続けてきた少女としての感情が溢れ出した。それは今でも鮮明に思い出せるだけでなく、思い出したいと願える唯一の記憶だった。淡くて甘酸っぱい初恋の風が、ときめきも情熱的な愛も知らない胸に吹き込んだのだ。
それからは毎日が幸せだった。必然あるいは運命とも呼べる偶然を繰り返すうちに、二人は雑用係と上官から、部下と上官へと距離を縮めていった。だが、距離が縮まるほどにアンヌの心は沈んでいった。
本当は、ジェダイなんて辞めてしまいたかった。しかしそれは、出来なかった。何故なら、アンヌはブレイン・オブ・ザ・リパブリックだったから。大戦の命運を決める兵器だったから。
彼女の想いは、決して通ることはない。自身も、その現実をしかと心得ていた。
だからこそ、アンヌは幸せになることを諦めていた。あの手を取って、その先へと行くことは出来なかった。
望んだ未来は、決して訪れない。二度と、永遠に。
アンヌは文字通り、全てを手放そうとした。だが、その時だった。
深淵の遥か遠くから、声が聞こえてきた。懐かしく、寂しい声だった。
その人は、彼女の名を繰り返し呼んでいる。生きろと、願いをかけている。
その声に、抗うことはできなかった。
一縷の望みに、アンヌは手を伸ばした。深淵から抜け出す力がまだ自分に残っていたことに驚きながらも、全力でもがいた。
選びたい未来に、もう一度だけ進む勇気を得るために。
目覚めたアンヌは、目の前に一番会いたかった人の顔があることに喜びを感じた。
「アンヌ……痛いところとか……無いか?」
「ん……無い……かな」
ガー・サクソンは両目に涙を湛えながら、愛する人の身体を抱きしめた。その暖かさが昔と変わっていないことが、純粋にとても嬉しかった。
感情がある。今の彼女にとって、それは禁忌ではなく生きている証のように思えた。
身体をゆっくりと起こすと、母やレムが号泣している姿が目に入る。アンヌが穏やかに微笑んでいると、突然ガーが膝を折って何かを差し出した。
「……アンヌ、良ければこれを受け取ってほしい」
それは、ガーがデパートで注文したハーバリウムだった。色とりどりの花が眩しくて、アンヌは息を呑んだ。
「その……これには花言葉があって……ああ……いや、それはもういい。要約すると、こうなるんだ」
ガーは真っ直ぐな瞳を向けながら、大きく息を吸い込んだ。そして、少年のように想いを告げた。
「アンヌ、俺の女になれ」
非常にマンダロリアンらしい告白に、アンヌは目を丸くした。だが、それは決して不快感を伴う驚きではなかった。むしろ彼らしく力強い言葉に、安堵と幸福を感じていた。
ハーバリウムを抱きしめながら、アンヌは少し考えた。それから17年間想い続けてきた男に少女のような笑みを向けて、こう答える。
「────ありがとう。あなたの気持ち同様、大切にするね」
こうして、二人は木漏れ日の暖かい昼下がりに結ばれた。
この幸せが永遠に続くことを切に願いながら。
「あー!!マンダロリアンって、何なの?非常識にも程があるわ」
「お嬢様、マンダロアの殿方は自信家が多いようですから……」
「はぁ?いつからこの銀河では、厚顔無恥を自信家と言うようになったの?」
「まぁ……お嬢様の仰ることにも一理あります」
苛立つアンヌをなだめながら、侍女のレムデリラが紅茶を淹れる。テーブルに飾ってあるカップケーキを齧りながら、総裁は頬杖をついてため息を漏らした。
「……もう、マンダロリアンは結構です」
「ですが、株主総会にはお呼びしないと……」
総会、という言葉にアンヌの眉が反応する。業務上では会わねばならないことをすっかり忘れていたからだ。彼女は珍しく音を立ててティーカップを置くと、無言で立ち上がった。
「どちらへお行きになるのですか?」
「トレーニングルームよ。あの男を叩き斬るための鍛練に行くわ」
そう言い放ったアンヌの額には、確かにくっきりと青筋が立っていた。
一方、マンダロアの総督府も大災害に巻き込まれていた。連絡が全く返ってこないことに対して、ガー・サクソン総督が荒れに荒れているからだ。今日も些細なことで苛立ち、部下を殴り飛ばしていた。部下たちは戦々恐々としながらも、プライドの高いガーに起きた悲劇を噂している。
「総督、最近怖くないか?」
「ああ……何でも、例の美人総裁にフラれたらしい」
「あの30以上年下のだろ?そりゃ無理だろ。あの方も年齢を弁えなきゃ……」
「────おい、お前たち」
部下たちは慌てて口をつぐんだ。同時に、処刑というワードが彼らの脳裏に浮かぶ。ガーは不機嫌そうに唸ると、ドスの効いた声で怒鳴った。
「下らん話をしている暇があれば、さっさと反乱者どもを逮捕しろ!」
「はっ、はい!!」
恐怖がこもった返事を聞いて満足した総督は、ため息を漏らしながら再び総督室へと戻ろうとした。だが、彼はもう一度振り返って部下たちにこう言った。
「それから!!俺は別にフラれたわけじゃないからなっ!!あんな上品ぶった年下の小娘なんて、俺の好みではない!」
捨て台詞のように叫ぶと、ガーは少年のように拗ねて自室へ駆け出した。残された部下たちは、やはりフラれたのかと口々に呆れ果てるのだった。
そんな総督の姿を見て、唯一ほくそ笑んでいる男がいた。もちろんそれは二人の不仲の元凶を生み出した男、タイバー・サクソンだ。彼は兄の姿を思い出しながら、笑いを必死でこらえている。
馬鹿な兄さん。拒まれているとも気付かず、ひたすらメッセージを送り付けてどんどん嫌われてください。そして私はタイミングが良いところで、非常識でストーカーまがいのあんたから彼女を救うんだ。ああ、完璧だ!
こうしてタイバーの目論みなど露知らず、二人の間にはどんどん溝が深まっていった。そして株主総会は、溝が最高潮に深まったタイミングで開かれる羽目になった。
その日、アンヌは朝から不機嫌だった。服装も、ジェダイ時代を彷彿させる程に地味なものだ。そんな状況でも彼女は発着ベイでぎこちない作り笑いを浮かべながら、次々とやって来る株主たちを出迎えていた。
そしてついに、最も会いたくない男が現れた。
「ごきげんよう、ヴァスロイ・サクソン」
アンヌはわざと丁寧な口調で挨拶をすると、冷淡な瞳を伏せて会釈した。ガーの方も、あからさまに不機嫌そうな表情を浮かべながら無言で会釈を返す。そんな二人の様子を眺めていたアルマ夫人は、怪訝そうに眉をひそめてレムデリラに尋ねた。
「レム、これは一体どういうこと?」
「あぁ……ええと……その……」
レムデリラは困惑を見せたが、渋々夫人に事のあらましを説明した。話を聞き終わった彼女は、娘の中に自身の夫に似た頑固さを感じて苦笑した。
「……まるでドゥークー様みたいね」
「ええ、お二人は似ておいでです」
「困ったわ……マンダロアとは友好関係を築いた方が良いのに……」
母の憂慮も知らず、アンヌとガーは総会中も一切視線を合わせないように心掛けていた。もはや徹底した不接触状態を敷く二人に、タイバーまで安堵を通り越して呆れすら覚えていた。
事情を知る誰もが、このまま二人の関係は外交と共に終焉を迎えると思っていた。運命とも言える出来事が、二人を再び結びつけるまでは。
事件は昼下がりに起きた。総会後に提供される食事を振る舞うために回廊を歩いていたアンヌの頭の中は、すっかり食事の段取りで一杯だった。後からついてくる株主たちも、殆どがセレノーの優雅なフルコースランチを心待にしている。
その刹那、彼女の周囲のフォースが揺らいだ。鳥肌が立つ程にはっきりとしているそれは、確かに‘’殺意”と呼ぶものだった。
アンヌは即座にスナイパーの存在と位置を感じ取った。だが、帝国関係者が大勢を占めている前で素早い身のこなしを取ることは自殺行為に等しい。彼女は疾風の速度で思考した。そしてトリガーが引かれた瞬間、誰にも分からぬように少しだけ避けた。急所を外すためだ。
案の定、大戦中に共和国の実験を受け続けたおかげで痛みは殆ど感じなかった。代わりに、その場は完全にパニックに陥った。
傷口が痛むフリをしながら、アンヌは叫んだ。
「皆様、逃げてください!マグナガードたちが、安全な場所へ皆様を避難させます」
こんな時にさえ自分でなく周囲を気遣う姿勢に、ガーの心が不意にときめく。アンヌは焦炎部分が左肩に広がっていくのを感じながらも、ガードたちに来賓の避難を優先させていた。だが無情にも、殺傷力の高いブラスターで撃ち抜かれたのか、徐々に殆ど失ったはずの痛覚が彼女の中で甦ってくる。本物の苦痛に表情を歪めるアンヌを見かねたガーは、ヘルメットを被ると避難指示に逆らって駆け寄った。
「何をしているんですか!?早く逃げてください!」
「馬鹿言うな!お前も逃げるんだ」
「株主様の命が最優先です。私は別に────」
別に後回しで構わない、と言おうとしたアンヌの横をブラスターがかすめる。ガーは自分のリスト・ガントレットに付いてあるシールドを起動させると、アンヌを守るようにかざしながら右手で小型ブラスターを抜いた。彼は戦士の顔つきに戻っていた。それは奇しくも17年前に、俗世に対して無垢なアンヌが恋に落ちた表情と同じだった。
「さっさと行け!」
そう叫ぶガーに心奪われながらも、アンヌはめげずに食らいついた。彼女はブラスターの雨の中でも怯むことなく柱の影に移動すると、格好をつけている還暦に達した戦士に対して怒鳴った。
「ヴァスロイ!あなたはどうして、逐一そんなに私を怒らせるのかしら?天才なの?」
「それはこっちの台詞だ。勝手に俺の連絡を無視しやがって。そんなに俺が嫌なら、面と向かってはっきり言ったらどうだ?」
「あら、渡したメモの内容を無視する人の方がどうかしてると思うけど?」
メモ、という言葉にガーの瞳が動く。全く心当たりが無いからだ。彼は苛立ちを剥き出しにしながらアンヌに怒鳴り返した。
「はぁ?メモだと?俺はそんなものは受け取っていないぞ!」
その返事をアンヌが嘲笑する。
「呆れた!今度は記憶にございません、戦法かしら。面白いわね、いつから陳腐な政治家みたいな言い訳するようになったの?」
「言い訳じゃない。いいか、俺はそんなものを受け取った覚えはない!お前の嬢は、強情の嬢か!」
「な、何ですって?私は確かにあなたの弟さんに預けたわよ!」
その発言に、ガーは目を見開いた。全ての矛盾が音を立てて解を導きだしたからだ。彼は本日何度目かのため息を漏らすと、迎撃しながら冷静に答えた。
「……どうやらお前の大事な伝言は俺の弟が渡しそびれたのか、書類やデータパッドに紛れて紛失してしまったようだ」
と答えたものの、ガーの脳内には明確な答えが出ていた。
タイバーのヤツめ……謀ったな。戻ったらぶっ殺してやる……!!
頭の回るアンヌも、ガーとタイバーの不仲さや会話の流れから真相を悟っていた。彼女は自分の愛する人を疑ってしまったことに罪悪感を覚えながら、項垂れて呟いた。
「ごめんなさい、ガー……」
アンヌの声が悲しすぎて、ガーはそれ以上糾弾する気にはなれなかった。無論、悪いのはタイバーの方だからだ。彼は哀しげに笑いながらアンヌの方を見て言った。
「……いいんだ。それより、後でどんな内容だったのかを教えてくれ。まぁ、予想はつくが────」
余所見をしたガーのすぐ脇を、何かが転がっていった。軽妙な金属音が響く。小型爆弾だった。
「アンヌ、危ない!!」
彼は咄嗟にアンヌの方へ飛びかかると、爆発範囲から離脱するためにジェットパックの出力を最大に振った。
すんでのところで助かった総裁は、空中でガーの腕にしがみつきながら尋ねた。
「ありがとう……これからどうするの?」
「奴らの狙いはお前らしい。望み通り来客たちに迷惑を掛けたくないなら、このまま宮殿から逃げるしかない」
「ええ、その方が良いかも」
アンヌが頷くと同時に、スピーダーバイクの爆音が響いた。二人が振り返ると、そこにはざっと20名程度の暗殺者たちが迫っていた。
「……嫌な予感がする」
「大賛成ね」
ガーはアンヌを抱えたままその場を飛び去ると、コムリンクをオンにして部下たちに呼び掛けた。
「こちらヴァスロイ・サクソン。待機中のインペリアル・スーパーコマンドーに告ぐ。大至急座標3F-7Uへ向かってくれ、総裁が危ない」
『承知しました。到着まで10分ほど要しますが……』
「馬鹿!こっちはギリギリなんだ!!全く……」
愚痴を溢しながらも、ガーはブラスターで追手を着実に始末していた。齢60を超えても尚衰えない射撃の腕に、アンヌは懐かしさを感じた。
ガーが指定した場所は、迎撃にはもってこいの場所だった。岩場に隠れながら、彼はアンヌを守るようにしゃがみながら応戦し始めた。だが元軍師だった彼女の目には、多勢に無勢であることは明らかだった。
アンヌは決意を固めると、ドレスの裾を捲り上げてベルトで脚に固定していたブラスターを取り出した。目のやりどころに困る突然のサービスに、ガーの視線が泳ぐ。
「なっ、なっ、何をしているんだ!?」
「私も戦います。援護してください!」
庇護欲を打ち砕かれたガーは、目を丸くしながら令嬢を見た。
「おっ、おい、逆だろ!お前が俺を援護しろ!」
戦士の悲痛な声を無視して、アンヌは単身岩影から飛び出した。そしてフォースの恩恵を受けながら、目にも留まらぬ速さで敵を射止め始めた。唖然とする総督を置いて、彼女は岩影に戻るとにこりと微笑んだ。
「ね、案外上手いでしょ?」
「……認めるが、危なっかしい!」
そんなやり取りをしているうちにも、敵は着々と集合していく。ガーは然り気無くアンヌを抱き寄せると、もう一度部下に連絡を取った。
「お前たち、今どこに居るんだ?」
『ヴァスロイ、間もなくそちらへ到着します!もう少し持ちこたえてください!』
「おい、それが出来れば連絡なんてしてないぞ!!くそっ……」
ここまでか。ガーの脳裏に敗北という二文字が浮かぶ。普段の彼なら早々に離脱している。だが、何としてでもアンヌだけでも助けなくてはという思いが、いつもの卑怯なガー・サクソンを封印していた。彼はついに接近戦を挑んできた敵の前に飛び出すと、唸り声を上げながら殴りかかった。
しかし、かつての最強の戦士も多勢に無勢だった。彼は複数人に殴り付けられると、そのまま後方へと投げ飛ばされた。そして地面に頭をぶつけた衝撃で、そのまま意識を失ってしまった。アンヌは絶体絶命の危機に瀕し、その場へ駆け寄るとヘルメットを外して必死にガーの名を呼んだ。
「ヴァスロイ?ヴァスロイ・サクソン?……ガー!?ガー!!ねえってば!起きて!!私を助けてよ……」
呼び掛けも虚しく、ガーの目蓋は閉じたままだ。アンヌは背後にじわじわと殺意が迫ってくるのを感じ、静かに目を閉じた。肩の痛みは徐々に激しさを増していたが、そんな事はもはやどうでもよかった。
彼女は立ち上がると、ブラスターを棄ててもう一度ドレスの裾を捲った。それから伸縮タイプのエレクトロ・スタッフを取り出すと、暗殺者たちに向けて起動させた。彼らは標的の戦闘能力についての報告を受けていなかったため僅かに狼狽したが、直ぐに身構えた。そしてアンヌも、右手を下にして左手を背に回して武器を構える。フォームII、マカシの型だ。
一人が発砲する。だが、既にアンヌの姿は無かった。代わりにフォースの力を借りて瞬発的に移動した彼女は、電極を突き出して一人仕留めた。更に八の字にスタッフを回し、周囲の敵を一網打尽にした。
一発もブラスターが当たらない様子に業を煮やした暗殺者たちは、ついに肉弾戦を挑んだ。だが、どんなナイフ捌きも伝説のジェダイには敵わない。アンヌは飛び掛かってきた男の脛を蹴り飛ばすと、首に電極を突き刺した。それから素早く宙返りすると、残りの敵にもリズム良くエレクトロ・スタッフをお見舞いした。
静寂がその場を包む。戦いが終わったのだ。暗殺者たちの遺体の真ん中でアンヌは座り込んだ。炎焦していたはずの傷口からは、悪化を物語るように止めどなく鮮血が溢れている。流石に苦痛に耐えきれず、彼女は呻き声を漏らしながらエレクトロ・スタッフを元のスティック状に戻した。それからふらつく足取りで、ガーの元へと歩きだした。
「ガー……」
視界が揺らぐ。そして全てが闇に落ちていった。
ガーが目を覚ましたのは、それから数分後の事だった。彼は酷い耳鳴りと頭痛を振り切りながら立ち上がると、全てが終わっていることに驚いた。そして自分の直ぐそばでうつ伏せになって倒れているアンヌを見つけ、慌てて駆け寄った。
「アンヌ、大丈夫か?アンヌ……?」
抱き起こした手に、ぬるぬるとした何かがべっとりと付いた。血だった。ガーはこの時初めて、ブラスターで撃たれた傷から血が出ることを知った。青ざめた横顔を抱き締めながら、彼はようやく辿り着いた部下たちに叫んだ。
「誰か!緊急手当てを頼む!アンヌが……アンヌが……」
傷口からは、押さえても押さえても湧き水のように血が溢れ続けた。ガーは必死に愛する人の名を呼び続けたが、反応が返ってくることはない。
「そんな……やめろ……嫌だ……アンヌ……まだ俺……愛してるって言えてないんだぞ……」
また、同じことを繰り返すのか。ガーの全身に、自分の手から全てが溢れ落ちていく感覚が広がっていく。愛してる。その言葉を言えない辛さは、もう二度と味わいたくなかった。
この人は、あいつの代わりなんかじゃない。
医療班の手で運ばれていくアンヌの手を握りながら、彼は心の底からそう思った。面影がきっかけだったとしても、今は違った。その事実に気付かせてくれたのは、皮肉にも目の前の大切な人を失おうとしているこの状況だ。
「アンヌ……死ぬな。勝手に死ぬなんて、俺が許さない!」
「総督、下がってください」
「アンヌ!!死ぬなっ……!!絶対、死ぬな!生きてくれ!!」
その叫びが、アンヌに届いたかは分からない。だが、ガー・サクソンという男の何かを変えたことは確かだった。
アンヌは深淵の縁にいた。いや、正確には深淵へと落ち続け付いた。
使命も、オーダーも、夢も希望も、親友も、師も、教えも、弟子も全て失った自分に、何が残っているのか。彼女は疲労感に圧されて目を閉じた。
振り返ると、自分の人生はオビ=ワンに見出だされたことで一気に加速した。その手を取ったお陰で、師はもちろんのこと、アナキン、アソーカ、タリシベス、レックス……様々な出会いを経験できた。そして皮肉なことに、最愛の人であるガー・サクソンともだ。
潜入任務先で事故のような出会いを果たした時、アンヌから封印し続けてきた少女としての感情が溢れ出した。それは今でも鮮明に思い出せるだけでなく、思い出したいと願える唯一の記憶だった。淡くて甘酸っぱい初恋の風が、ときめきも情熱的な愛も知らない胸に吹き込んだのだ。
それからは毎日が幸せだった。必然あるいは運命とも呼べる偶然を繰り返すうちに、二人は雑用係と上官から、部下と上官へと距離を縮めていった。だが、距離が縮まるほどにアンヌの心は沈んでいった。
本当は、ジェダイなんて辞めてしまいたかった。しかしそれは、出来なかった。何故なら、アンヌはブレイン・オブ・ザ・リパブリックだったから。大戦の命運を決める兵器だったから。
彼女の想いは、決して通ることはない。自身も、その現実をしかと心得ていた。
だからこそ、アンヌは幸せになることを諦めていた。あの手を取って、その先へと行くことは出来なかった。
望んだ未来は、決して訪れない。二度と、永遠に。
アンヌは文字通り、全てを手放そうとした。だが、その時だった。
深淵の遥か遠くから、声が聞こえてきた。懐かしく、寂しい声だった。
その人は、彼女の名を繰り返し呼んでいる。生きろと、願いをかけている。
その声に、抗うことはできなかった。
一縷の望みに、アンヌは手を伸ばした。深淵から抜け出す力がまだ自分に残っていたことに驚きながらも、全力でもがいた。
選びたい未来に、もう一度だけ進む勇気を得るために。
目覚めたアンヌは、目の前に一番会いたかった人の顔があることに喜びを感じた。
「アンヌ……痛いところとか……無いか?」
「ん……無い……かな」
ガー・サクソンは両目に涙を湛えながら、愛する人の身体を抱きしめた。その暖かさが昔と変わっていないことが、純粋にとても嬉しかった。
感情がある。今の彼女にとって、それは禁忌ではなく生きている証のように思えた。
身体をゆっくりと起こすと、母やレムが号泣している姿が目に入る。アンヌが穏やかに微笑んでいると、突然ガーが膝を折って何かを差し出した。
「……アンヌ、良ければこれを受け取ってほしい」
それは、ガーがデパートで注文したハーバリウムだった。色とりどりの花が眩しくて、アンヌは息を呑んだ。
「その……これには花言葉があって……ああ……いや、それはもういい。要約すると、こうなるんだ」
ガーは真っ直ぐな瞳を向けながら、大きく息を吸い込んだ。そして、少年のように想いを告げた。
「アンヌ、俺の女になれ」
非常にマンダロリアンらしい告白に、アンヌは目を丸くした。だが、それは決して不快感を伴う驚きではなかった。むしろ彼らしく力強い言葉に、安堵と幸福を感じていた。
ハーバリウムを抱きしめながら、アンヌは少し考えた。それから17年間想い続けてきた男に少女のような笑みを向けて、こう答える。
「────ありがとう。あなたの気持ち同様、大切にするね」
こうして、二人は木漏れ日の暖かい昼下がりに結ばれた。
この幸せが永遠に続くことを切に願いながら。