ジンジャーエールが満ちるまで
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だが、話はそれで終わらなかった。
それから数日して、またもやイルミに呼び出しを食らった。
『話があるから来て』、なんて言うだけで詳しくは何も教えてくれない彼の連絡に、もしかして今度こそ結婚決まった報告か?嫁紹介か?なんて勘繰りながら、またもや仕事の合間を縫って昼時のアーネンエルベに向かう。しかし、結局なんだったのかよくわからなかったこの間の件もあって、私は少し彼の呼び出しに胡散臭さを感じていた。私だって暇じゃないんだぞ、と思う反面、いやいや今度こそ何かしらの報告だろうと思う気持ちもあり、そろそろと歩みを進めた。
扉を開けると、ちりんとベルが鳴った。マスターは私を見て、奥の座席に視線をやった。そちらへ目を向けると、イルミはもうすでに座って待っていた。やはりそこには嫁的な第三者はいなかったけれど。
「や」
「イルミ……今日は何の用件なの?」
「うん、少しね。座ったら?」
「…………。」
「何してるの?座りなよ」
「う、……はい」
神妙な雰囲気さえ持って着席を促すイルミ。嫌味まで言ったのに伝わっていないようなので、物議の視線を向け着席を拒否したが、威圧されたので私はすごすごと彼の真正面に座った。
タイミングを合わせて、マスターが注文を取りに来たので、やはり私はジンジャーエールを頼んだ。イルミもまた、「彼女と同じものを」と言った。すぐさまマスターがジンジャーエールを運んで来てくれ、イルミはそれを「飲みなよ」と促した。飲まなかったらそれはそれで何か言われそうなので、やはりストローを差してそれを数口飲んだ。イルミも、それに口を付けた。それもまた彼らしいと思ったが、今日は飲むんかいと心の中で突っ込んだ。
「そ、それで。話っていうのは……」
「うん。驚かないで聞いてほしいんだけど」
「いやもう逆に驚かせてほしいですよこっちは」
しかし今日こそはこの目の前の青年から結婚の二文字が飛び出るもしれない。そうなったらそれはそれでこっちのテンションのアップダウンがついていかないので、一応口元を抑えながら、はらはらした気分でイルミの次の言葉を待った。
「俺、実は勉強出来ないんだよね」
「…………………へー……お勉強ですか……」
しかし、彼の口から出た言葉は、やはり“結婚”の二文字ではなかった。
「ウチってさ、一般教養も色々叩き込まれるんだけど、昔からそういうの嫌いでさ」
「……ま、まあ、勉強は誰でも嫌だよね」
「本当は文字の読み書きくらいしか出来ないんだけど」
「そ、そう……それは気付かなかったかも」
「驚いた?」
「そりゃまあ、……うん……」
驚いたは驚いたけど、そういう驚きじゃない。想像以下の、というより想定外すぎる告白に対する驚きだ。虚をつかれたような気分だった。
「それで」
「え?」
「俺が学に乏しいということを知った訳だけど。どう思うの?」
「どう、とは……」
人には向き不向きがあるし、それは勉学や運動とかそういうものでも個性が示されるわけだから、学に乏しいという告白をされても、そうですか私もですという言葉しか口に出ない。というか、坊ちゃんが勉学や訓練を拒否した場合って執事さんはどうするのだろうか。イルミは下々の者への対応は辛辣なので、言い聞かせても絶対言うことなんか聞かなさそう。執事さん、大変だったろうなあ。それはそれで、勉強できるできないとかそういう物差しで彼を見たことがなかった。学歴なんてお互いに無い訳だし。
「まあ、なんというか」
「うん」
「私も勉強は出来ないけど。それはそれとしてイルミは立派に働いてるし、それでもいい、んじゃないかなあ……」
「そう?」
「あ、うん。私はそう思うけど」
いやいやいやいやそんなことより結婚報告は?と思いながら彼の様子を伺っていたが、イルミは、「あーよかった。不安だったんだよね」と言って両の手を合わせた。先ほどよりも緩んだ彼の目元。
「イルミは、お家のためなら勉強でも訓練でも文句言わずに打ち込むタイプだと思ってた。意外な一面もあるんだね」
「ははは。さっきのは、嘘だよ、嘘」
「やっぱり嘘かい!!」
いやもうなんとなくわかってたけどやはりイルミの口から出まかせのようだった。嘘臭く笑うイルミにツッコミをして、私は大きく溜め息を吐いた。
「あの、何でしょうかこれ。意図が読めないんですが。一瞬でもそうなんだと納得してしまった自分が憎い……」
「信じたの?俺が頭悪いと本気で思い込んだならそれはそれで失礼な話だよね」
「いやだから、イルミがそう言うから信じたのに……」
「謝ってよ」
「ええ〜……」
めちゃくちゃ理不尽な理由で謝罪を要求してくるイルミに若干のサイコパスを感じながらも「頭悪いと思い込んですいません」と謝る。素直に謝罪をしたので、彼は「仕方ないな」
と踏ん反り返った。
いや、なんですかこれ。イルミなりの引っ掛けか何か? 私は何に付き合わされてるの?なんかの試練?意味がわからなくて困惑している私に構わず、イルミはスッキリした顔で伝票を持って、「さてと」と立ち上がった。いや、さてとって。ちょっと待て待て待て。
「え、イルミさん?どこに行くの?」
「俺は別の用事をすませて帰るけど」
「え?ええ?……あの、用件は?私はなんでここに呼ばれたの?」
「用件は終わったよ」
「いやだから、どこに用件あったの!?」
「会計は済ませとくから。それじゃあね、アメリア」
「ええ!?ちょ、まっ」
「また」
そして本当にさっさと会計をして店を立ち去ったイルミ。呆気にとられ、颯爽と去るその後ろ姿が見えなくなったところで、私は我に帰った。
「だから……なんだったの……?」
状況を把握するために店内を見回すと、グラスを磨くマスターと目が合った。しかしマスターはいつもの通り何も言わずに、手元の作業へと戻った。私はせっかく頂いたジンジャーエールを残すと失礼と思い、自分のジンジャーエールだけを飲み干した。イルミのグラスを見やると、いつのまにか空になっていた。残された氷が、所在なさげにひたすら日差しに透かされて溶けていくさまを見て、まるで私のようじゃないかと思わずにいられなかった。
*