インパーフェクト・ワールド
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
身長180cmに及ぶ高身長且つ、鷲鼻の女性。学園では彼女もまた有名だ。ハンター学園生徒会執行部、クロロ=ルシルフル会長を頭とした蜘蛛の手足。役職は会計、名をパクノダ。特質系に属するその能力の詳細を知る者は、生徒会内部でもまた限られる。会計担当であるため、学園の諸費用を知る生徒会役員であり、それ即ち財布の紐を握っているということと同義である。同好会費や部費を削減され、会計筆頭としてパクノダに多少なりとも私怨を持つ者は多い。
「盗み聞きとは人が悪いですよ?……クロロ会長」
ツカサが去った姿を見届けたその後に、パクノダは静かに口を開いた。校舎棟の影。そこから顔を出したのはクロロ=ルシルフル。彼もまた、パクノダと同様にツカサの気配を嗅ぎ付けていた。クロロは壁に背を凭れ、戯けたように手を広げた。
「気付いていたか、パク。気配は消していたんだが」
「あれだけ見張られていたらわかります」
「見張るなんてそんなつもりは無いよ」
「あら、そうでしょうか?ツカサ=ブライスの記憶。私が思わずそれを口にしようとしたら、あなたは視線で“黙秘しろ”と威圧をしたでしょう。どうしてあの子に隠すのですか」
「俺には生憎、パクのような記憶能力はなくてな。何の事だか」
「とぼけても駄目です」
クロロは、緊張を解くようにフッと笑った。そして目を細めて、腕を組む。「パクには敵わないな、昔っから」と呟いた。パクノダはそんな様子のクロロに呆れたように溜め息をついた。
「会長。あなたは身内に甘い、それが弱点ね。気を付けないといつか足元を掬われますよ」
「甘いか?十分気を付けているつもりだが」
「本来なら生徒会に副会長は二名も必要ない、そうでしょう。それに一年のヒソカ=モロウの生徒会所属も、私はあまり賛成していません」
「手厳しいな、パクは。だが奴については賛成意見なんか期待しちゃいないさ」
「一年生の生徒会入りはシャルナーク、そしてヒソカ=モロウとツカサ=ブライス。現生徒会に反感を持つ者は多いし、それだけじゃなく、教職員や校長の反感さえも煽るのでは?」
今回の抗争もそうだ。生徒会に遺憾を抱く者達の矛先が向いた結果とも言える。フィンクスやフェイタン、マチが特攻役を買っているが、力で捩じ伏せれば学園の統治が永続するというものでもない。統治には力も必要だが、何よりも支持が必要だ。これまではクロロの推薦で幾重にも生えた蜘蛛の手足のように数を増やしてきたが、また身内数が増えるという事にこれまでは沈黙していた選挙管理委員会も遂に口を出してきた。その対策として挙がった名が、ツカサ=ブライス。だが、副会長となる者が彼女である必要は何処にもない。またその資格もない。何故なら彼女は弱かった。自分が声を掛けるまで気配に気づく様子も一切なかった。力もなければ、言葉も達者ではない。まるでいたいけな、年相応の少女だ。
クロロ、パクノダの反論の弁を口元にどこか笑みさえ浮かべて、黙って耳にしていた。
「会長、どうしてあの子が必要なのです」
「パク。俺がツカサを傍に置きたい理由は他にもある」
「それは蜘蛛のための選択?それとも、個人的な理由かしら?」
「どういう意味だ?」
「そのままの意味よ、クロロ」
あの子が欲しいのでしょう。
甘いだけの誘い文句でいざないながら、彼女を取り込もうとしている。まるでかつて失くした手足を食らって養分にするかのように。しかしその根底には彼の目論見と策と、独占欲。でも、それだけなら簡単よ。あなたは食らって満足するの?自らの手足になったところで、満足するの?そしてツカサ=ブライス、あの子が蜘蛛の手足となるだけで、満足すると思うの?あの子がハンター学園に居る理由。それはいずれ、時を越えることを願うもの。それをあなたは、わかっているの?
パクノダの問いにしばらく考え込むように無言でいたが、沈黙の後にクロロは真顔で返した。
「蜘蛛の為ーーー」
そして次に、フッと微笑んだ。まるでその言葉を打ち消すかのように。
「ーーーとも言い切れない、と認めておこうか」
「……意外。認めるのね」
「嘘でもそう言わなければパクは納得しないだろ?」
「あら、失礼ね。そうでもないわよ」
「どうだか。こういう時の女は認めさせたがるものだからな」
「何か言いました?会長」
「コホン。いや、別に。何でもない」
苦笑いで誤魔化すクロロをパクノダは納得のいかない表情で見つめていたが、「それならいいんですが」と踵を返してフィンクス達の元へと歩き出した。今、クロロ=ルシルフルから得られる解答はきっとそれだけだと、彼女は察した。
「会長ォ、こっちは片付いたぜ」
「ああ。ご苦労、皆。手を煩わせたな」
フィンクスがお掃除を終えたとばかりに手を叩き払って、遠くからクロロに声を掛ける。その様子から勿論、こちらの一方勝ちで抗争も覚めやりつつあるようだった。フィンクスだけで抗争は片がついたようで、マチやフェイタンはその様子を見ていただけであった。が、意気揚々とクロロに勝利の報告をするフィンクスに、フェイタンは横槍を刺すように毒気付く。
「といてもフィンクスだけがゴミ相手に一人で暴れてただけね。ゴミ掃除係よ」
「フェイてめぇ、誰がゴミ掃除係だよコラ」
「事実を言たまでよ」
「言葉に気を付けろ。お前の鈍刀じゃ手に余りそうだったから先に片付けてやったのによ」
「誰がナマクラね」
「俺とお前、どっちがゴミ掃除係に相応しいか白黒付けるか?あ?」
フェイタンはその挑発に呼応するかのように、その小柄な体にはやや大きめの制服の隙間から、スッと自身の半身ほどはある刀を取り出した。フィンクスは指折りしながら、頭に昇ったままの血を再度滾らせる。まるで闘い足りない、とでも言うかのような好戦的な笑みが、その期待を物語っていた。しかし。
「ちょっと、アンタら。会長の前で会員同士の喧嘩はやめな」
マチが二人の間に立ち入るように阻んだ。彼女の制止もあってか、フェイタンとフィンクスは闘気を萎めた。「チッ、しゃーねーな」とフィンクスは唇を尖らせ、フェイタンは無言で刀を下ろした。
「マチ、悪いな。いつも助かってるよ」
「悪いと思うなら会長から一言この馬鹿共に言ってくれれば助かるんだけど。なんでアタシがこいつらのお目付役なワケ?もしかして、次入ってくる女もアタシが面倒見るの?」
「いや、ツカサはシャルに任せる。マチは引き続きこいつらのお目付を頼む」
「いや頼むっていうか。そもそもお目付役を降りたいんだけどね、アタシは」
「そう言うな。お前にしか頼めない」
マチはその一言に少し考え込んだが、「会長にそう言われるとね」と、溜め息を吐いた。彼女は続けて口を開いた。
「ねえ。ツカサ=ブライス、だっけ。その子、どんな子なの?フィンやフェイみたいに面倒掛かるタイプじゃないだろうね」
「戦闘では確実に劣るし自ら喧嘩吹っかけるような奴じゃないさ」
「ふーん。じゃ、頭が回るの?」
「否、そうでもない」
「じゃあなんで蜘蛛に入るワケ?」
「……あ?ツカサ=ブライス?生徒会に入んのか?」
突然、フィンクスのすっ飛んだ声に、マチは腕組みをして飽きれ顔になった。
「フィン、あんたね。連絡来てただろ」
「んなのちまちま見ねーよ。へえ、そいつは面白ぇな」
「知ってるの?」
「ああ、ちょっとな。まあ腕もアタマも無え女だが、悪くないと思うぜ」
「あんたが賛成してもね」
「じゃあマチ、お前は反対だってのかよ」
「別に、そうとは言わないよ。会長が決めた事なら余計な口出しはしないけど」
「その女、ただの替え玉ね。この間、選挙管理委員会から注意受けた。その布石よ」
「ふーん。替え玉、ね」
マチは眉を釣り上げて、訝しんむようにクロロを伺った。
「何だ、不服か?」
「別に……ただ、それだけじゃないような気がして」
そして「ま、勘だけどね」と、マチは付け足した。クロロは伏し目にも表情を変えることはなかった。
「ーーーあなた達。ここで話していても仕方ないわ。さ、戻りましょう」
助け舟を出すかのように、パクノダの鶴の一声がその場を攫った。各々、その声に応じてホームへと足を向ける。パクノダに目線を向けると、彼女は声にこそ出さなかったがやはり同じくクロロを伺っていた。そして何も言わず、彼女もまた他の手足と同様に歩みを向けた。
そんな彼らの後ろ姿を眺めながら、クロロは想いを馳せる。
そう。それだけじゃない。
彼女を蜘蛛に誘う理由、それは第一に選挙管理委員会の追求を退く為でもある。しかしパクノダの言う通り、それだけならばツカサである必要なんかない。しかし手足として迎え入れようと考えたのは、彼女のある理由からだ。それをパクノダは記憶を通して見た。
しかし。それだけでもない。
パクノダは全てを知ってはいない、そしてきっとその全貌を察してもいないだろう。俺も少し気付くのが遅かったのだから。一見した時はわからなかった、名前を聞いてようやく彼等を思い返した。その経緯、これまで何をしていたのか、どこに居たのか、なぜここに居るのか。
そして、既にもう故人となっている事も。
「ーーー……ツバサ」
そうか。死んだのか、お前。
クロロは影から青空を仰ぎ見た。
浮雲がぽつり、ぽつりと、いくつか揺蕩う。輪郭線を描く白い雲達は、いつしかその姿を少しずつ大気に削られ、遂には消えて無くなった。残ったのは僅かな霞と、突き抜けるような青い壁。
*
「ハイ、これね」
「何ですかこれ」
「生徒会選挙の演説文」
「わー……」
皆さん、こんにちは!生徒会副会長に立候補させていただきました1年A組ツカサ=ブライスです。生徒会に立候補した動機は、この学園を変えたいと思ったからです。私は、この実力主義の学園を志望して入学しました。入学当初は、そんな学園でやっていけるかとても不安でした。しかし実のところ、皆さんとても親切で優しく、この学園がより大好きになりました。しかし、私はまだ1年生で、こういった中心となって動くような仕事をしたこともありません。でも今までの自分を乗り越えて見たいと思いました。また、ハンター学園は良いところがたくさんあります。私は、もっともっとこの学園の長所を伸ばしていけるような活動に携わりたいと考えています。先輩方・諸先生方に迷惑をかけてしまうかもしれませんがなるべく足をひっぱらないように自分の力を出し切り全力で取り組みます。そしてハンター学園をより素晴らしい学校としていきたいと思います。どうか私に応援の清き1票をお願いします!
「あー……なんというか、」
「何?」
「ものすごくスタンダードなスピーチだね」
嘘八百とはこのことだろう。いやまあ、全部嘘ってわけでもないし、本当ってわけでもない。実に巧妙。学園を変えたいだの、親切で優しいだの、今までの自分を乗り越えたいだの、全力で取り組みますだの。正にスタンダードとも言える、差し障りのない内容。引っ掛かるような部分もなければ、印象的な部分もない。
シャルナークは「まあ、そうかもね」と苦笑いを浮かべて続けた。
「ツカサの場合、あまり目立つようなタイプの生徒でもないから印象付けるような内容はやめておいたんだ。出来レースだし、票を競うような相手もいないしね。あまり印象的な演説文であっても悪目立ちする可能性もあるから、起伏もない平坦な内容のものでいい。それであればきっと流れ票を三分の一程度なら獲得できると思う」
「三分の一?」
「ああ、対票の相手がいなければ、投票は賛同票となるんだ。簡単に言うと、この人が副会長でいいですよ、って賛同する票のことね。それが全体投票数の三分の一を満たせば当選ってこと」
「そんな少なくていいの?」
「ウチの学園はそもそも分母となる投票数が少ないことが多いからさ。文句を言ってくるような連中もいるけど、実の所、生徒会自体には興味のない連中が大半ってところかな。あ、そーゆーのハンター学園選挙管理規定にも載ってるから」
全体投票数の、三分の一。それくらいならば、頑張れば私にも票を獲得できそうだ。
まあ、確かに。ハンター学園に入学してくるような人達だから、人のことも学園のこともさほど気にかけちゃいないだろう。生徒会の演説を聞くなんて以ての外、投票なんてちまちまとしたことする生徒の方が逆に言えば奇特とも言える。
「けど、なんか、……これでいいのかな」
「何、文句でもあるの?考えてあげただけ感謝してほしいんだけど」
「あ、いややや、違う違う。別に不満だって言いたいわけじゃないよ」
「じゃあ何が言いたいわけ?」
私の反応を伺ってか、少しむっとするシャルナーク。慌てて訂正した。不満じゃない。むしろ感謝してる。こんなぽっと出の私に演説文なんてものまで用意してくれたんだから。さすが参謀、ルシルフル会長の次期右腕といったところだ。
不満じゃなくて、ただ、私は。
「……演説ってものなんてしたことないから、こういうものなのかな、って思っただけ」
ただ私は、心から思ってもないことをそんなにも堂々と発表できるのだろうかと、自分を疑心に思うのだ。そして、自分なんかの演説で誰かを振り向かせることができるのかというのもすごく不安だ。自分を信じられない、というか。きっとルシルフル会長なら、このようなスタンダードな演説文でも誰かを惹き寄せられると思う。それだけの魅力があの人にはある。けれど、私はどうだろう。そんなカリスマ性なんてないし、魅力もなければ美しくもない。
「あのさ、私……」
「不安かもしれないけど、心配することないよ。ツカサはただ壇上でこれを読めばいい。票の流れはこっちでも操作してるし、こんなものは形式上に過ぎないんだから」
「……そう、だね」
でも、こんな私を、誰が良いと思ってくれるのだと思う?
シャルナークについそう漏らそうかとも思ったが、私は口を噤んだ。やめておこう。こんな相談なんかしたって彼にはどうしようもないことだし、きっと興味もないかもしれない。それに、彼の言う通りに振る舞えば、間違い無いのだから。
「それに、立候補者には推薦状もある」
「推薦状?あ、ルシルフル会長が用意してくれるって言ってたやつ?でも、私がルシルフル会長の推薦を受けてもいいの?」
選挙管理委員会からルシルフル独裁政権をやめなさいって御達しが来たから、部外の私に席を空けたんだよね、たしか。表向きは私はルシルフル会長の身内じゃないってことで。実際は裏で手を繋いでる癒着関係にありますけど。めちゃめちゃオファー受けましたけどー。
「うん。だからクロロ以外の人の推薦状だよ」
「え、会長以外の推薦?」
「そう。見つけたんだ」
推薦状?そんなものを私のために書いてくれる人なんて心当たりもなければ鼻にも引っかからない。誰だろう、私のために推薦文なんて描いてくれる人。私の数少ない、本当に五本指程度しか数えられない友達・知り合いのうちの誰かということになるけれど。そんなのジュリア、ヒソカ、シャルナーク、そしてルシルフル会長くらいだ。ジュリアは生徒会選挙に出ること自体も内緒にしているから、その線は無いだろう。ヒソカ・シャルナークはともに生徒会立候補するのだから、同じ立候補者に推薦文を書くなんてそんな変な話は無いし。となるとルシルフル会長?いやでも今シャルに会長以外のひとだって言われたし。え、まったく思いつかない。
「シャル、それどちら様からの推薦なの?」
「知りたい?」
「あ、うん、まあ。知りたい知りたい」
「まあ教えないんだけど」
「えーっ」
しかし彼はまったく教えるつもりなんて無さそうに、爽やかに笑った。
「な、なんで?」
「まあ当日のお楽しみって事かな」
「全然お楽しみじゃないんですが。えー気になるよー」
「そんな知りたい?」
「まあ、そりゃ、うん。ご挨拶くらい行きたいし」
推薦文をわざわざ書いてくれるんだから、その前に菓子折り持ってご挨拶くらいには伺わないと、というのが筋だろう。そうでもなければ無礼とも思われかねない。
シャルナークはそれを聞いて、なぜか少し眉を顰めた。まるでそれが誰であるか言い憚れるかのように、少しだけ口を尖らせ、また視線を泳がせた。
「教えたところでそれは出来ないよ」
「え、それって」
スフィンクス先輩みたいなソッチ系のヤバい人だからとか、そういうこと?
スポンサーがマジでソッチ系だとしたら、いよいよこの生徒会ヤバいんじゃないだろうか。腹が黒いにも程がある。暗躍の二文字が頭に浮かんだ。癒着って本当にあるんだなあ。もしかして私、片足つっこんでる?もしや悪の組織の片棒担ぎかけてる?
妙にハラハラしながらシャルナークを伺うと、彼は「とにかく、ナイショ」と誤魔化すかのように私の頭を小突いた。
「ま、とにかく今日の要件はそーゆーこと。ちゃんと来週の選挙までにスピーチ練習してきてね。宿題だから。いい?ツカサ」
「あ、うん……」
「何さ」
「なんか先生みたい。シャルナークせんせい」
「褒め言葉なの?それ。あんまり喜ばしく思えないんだけど」
シャルナークは眉を八の字に曲げて、ついでに口も八の字に曲げた。私は「褒めてるほめてる」とフォローするもそれが彼にどれだけ受容されただろうか。納得のいっていない表情は変わらない。
「他の会員も手の掛かる奴らだからこんな役回りばかりだよ」
「それって、やっぱり頼りにされてるってことだよ。さすが次期副会長」
「一応ツカサもそうなる予定ではあるんだけど」
「…………私、本当になるの?皆本気?」
「今更何言ってんのツカサ」
「いやなんか、ドッキリじゃないかと思うよ普通これ」
私、ツカサ=ブライス、15歳!ハンター学園1年生!大事なネックレスを失くして、プリン牛乳をぶっ掛けちゃった金髪の男の子・シャルナークに出会い、向かった先は生徒会室。そこで突然、学園のカリスマ・クロロ生徒会長に誘われて、生徒会に入ることになっちゃったの!友達のジュリアに内緒にしなくちゃいけないし、選挙演説もしなくちゃいけないし、も〜タイヘン!でもやるっきゃない!なるようになるよね!天国のお兄ちゃん、私がんばるから、どうか見守ってて!
……これまでを要約するとこんな感じになる。いやこんなお話ありますか。少女漫画のようではないですか。なんか壮大なドッキリなように感じられてならない。ドッキリだとしても何の意味もないけど。だから、少しだけシャルナークやルシルフル会長を疑っている気持ちもある。
「どうにも本気のように見えなくって。ほんとなのかな、って。……え、ーーー」
その時突然、ぐい、と手を引かれた。
シャルナークの右手が、私の左手を握りしめている。その思いもよらない力強さに、完全に気を抜いていた私は彼の間合いに飛び込むかのように、その胸元に居た。私の額が、彼のまさに心臓のあたりに小突いた。シャルナークはとても身長が高い。そしてこの距離で、体格差という男女の違いを、改めて実感したような気がした。突然のことで心臓が跳ね上がったままだが、彼はそれをわかってしまっただろうか。そして、彼の心臓はどうなのだろうか。少なくとも、握られた手は、湿り気を帯びている。
そのまま状況が理解できず固まっていたが、おずおずと上を見上げると、シャルナークの緑色の瞳と視線がかち合った。その瞳は不思議な色の虹彩を放っていた。こんなにも暗くて深い、そして美しい緑色の瞳を、やはり私は昔に見たことがあるような気がした。
「俺が嘘ついてるように見える?」
そのいつもの彼の笑みには、少し色があるかのように感じられた。不敵でいて、そしてまるで魅惑的だ。唇の端を僅かに吊り上げ、大きな瞳も僅かに細める。目元の涙袋が柔らかそうだった。まるで誘惑を受けているかのような感覚に陥る。
そんなことない、とブンブンと無理に首を振る。そのまま瞳を外して仕舞えばいいのに、どうしてか目を外すことが出来ないのだ。昔からそれを知っているような気がして、懐かしくて。彼は問い詰めてきた。体をよじらせたが、彼の強い力でそれは引き止められた。今度は少し、意地の悪い顔をしている。
「み、見えません」
「じゃあ信用してくれるよね」
「あ、はい、も、もちろんです」
「これからは俺の雑、相棒になるんだからさ」
「ちょっと待って、今雑用って言いかけた?」
「……そんな事言わないよ?」
えー嘘だよ、この人今絶対雑用って言いそうになったよ。相棒なんて絶対これっぽっちも思っちゃいないよ。シャルナークは笑みを絶やさないが、妙な威圧を掛けてくる。そんな彼をどれだけ訝しもうがそのスタンスを崩しはしないようだった。
もちろん、彼の上に立つつもりも横に並んで奮闘する力も能力も私にはないので、ゆくゆくは雑用もしくは下僕に成り下がる覚悟でいるつもりだけど。あ、それ以前にルシルフル会長の手下だった。
「……あ、あのー」
「ん?」
「なんだか、その、キョリが近いような気がするんですが」
「そう?」
信用するってちゃんと言ったのに、なかなかその手を離してもくれないし力も緩まない。息のかかりそうな、この接近戦。私は彼の目を見ては逸らしてを繰り返した。余談だが、人間はレム睡眠とノンレム睡眠を定期的な周期を繰り返して睡眠を取っている。そしてレム睡眠というのは体は休んでいるが脳は活動している状態であり、その時に見ている夢に合わせて急速眼球運動をいうものをするらしい。まさに私は今、急速眼球運動を覚醒しながら体現しているといっても過言ではないほどキョロキョロキョロキョロと不審に目を動かしているに違いなかった。いやこんな美形が視界の80%を占めてりゃ目の納めどころもない。
「シャルくん。その、そろそろ離れようか」
「何で?」
「いや何でって」
「名前呼びはしてるのになんかまだ余所余所しいよね、ツカサ」
「そ、そう?」
「うん。だから距離詰めたらいいのかなって思ってさ」
「そういう心の距離感は名前で呼び合うようになったからってすぐに埋まるものではなくて時間をかけて徐々に埋まっていくものであって物理的な距離じゃないと思うんですけどとりあえず私の眼球が動きすぎて痙攣しかけてます」
「どう、距離埋まった?」
「あっこの人全然私の話聞いてない」
二人だけの、生徒会室。その静けさがここになって異様に敏感に感じられた。
好奇心がのぞく緑色、その睫毛は綺麗に生え揃ってしぱしぱと開けたり閉じたりをしながら、私を見る。白い肌はこうして間近に見ると、ほどよく日焼けしているように見えた。もしかしたら、シャルは引きこもったりとかするとルシルフル会長以上に色白な肌質なのかもしれない。前髪が、私のそれと重なりそうなほどに擽る。そして、その柔かな唇が開いた。
「……なんかさ」
「は、はあ」
「見覚えがある気がするんだよね」
「え?」
「ツカサの目。ずっと昔に」
シャルナークはどこか不思議そうに小首を傾げつつも私の瞳を凝視する。私の目に見覚えがあるといっても、大して珍妙な目でもないし極めて大衆的な黒目なのでそれは気のせいだと私は思った。太陽にあたると透き通って琥珀色みたいだと兄に言われたことはあるけど、人種的にそれは当然性があるし、やはり珍しくとも何ともない。
しかし。何故かシャルナークにそう言われて、忘れかけていた彼方の奥で、心が呼び覚まされるかのように踊った。私もそうだ。彼の瞳に、私も見覚えがある。けど、それがいつどこで出会ったものなのか、まったくわからない。思わぬ共通点だとは思ったが、出会っていたはずは無いだろう。
「普通の目ん玉ですけど」
「まあ、そうなんだけどさ」
「シャルナークの瞳は綺麗だね」
「そう?」
「うん。何ていうか、抹茶色」
「…………それ、濁ってるってこと?」
にこやかにも苛立ちを含めた彼の笑顔に、私は慌てて首を振った。しまった。こういう時はもっと宝石とか綺麗なもので例えるべきだった。エメラルドのような瞳だね、とかなんとか。だが確かに、彼と知り合いになって最初の印象から今の印象は確かに濁った。それがつい喩えに出てしまったようだ。パクノダさんに『バカ素直だから損をすることも多いわね。嘘をつくのが下手』と言われたことが脳裏を過ぎった。占い、めっちゃ当たってる。
「へえ。俺の目は濁ってる、そう言いたいんだ?」
「ちょ、ま、違う、違います」
「スピーチ原稿まで準備させた相手に言うかな、それ」
「い、いや、その……」
「推薦状も探し出すのに苦労したのに」
「え?」
推薦状を、……“探し出した”?
不思議な物言いだが、つまりは、私の推薦をしてくれる人を見つけたってことだろうか。それとも、本当に推薦状を探し出して見つけた、そういう意味だろうか。
怒れるシャルナークを他所に別の事を考えたらそれさえもお見通しだったようで、ガッと顔を掴まれた。ぐぐぐ、と割と容赦のない力でまたもや彼と顔を突き合わせる。顔の肉に彼の指がまあまあ食い込んでいる。私乙女なのに。
「こら、人のこと怒らせといて他の事を考える余裕があるの?」
「いたたった、痛いです痛い割と痛い」
「なんならツカサの目も濁らせてあげようか」
それは、つまりアレか?私の目ん玉に目潰しなり何なりして視界を曇らせてやろうとか、そういう暗喩だろうか。さすがにそれは勘弁被りたい。
「すいまひぇんすいまひぇん」
「そのまま動かないで」
と、威圧的な言葉。そして、何故かシャルの顔が再び近付いてくる。
今度は、さっきよりも、もっともっと近くに。
「……え、あの、しゃ、」
「黙って」
彼の牽制に、そのまま口を閉じた。
というより、あまりにも唇が近くて黙らざるを得なかった。そして、そのまま伏し目になるシャルナーク。鼻先がぶつかり合いそうなところまで、彼の顔が迫る。彼の吐息が、私の前髪に掛かった。
って、ちょっと待って。これってもしかして、もしかしなくても、あれじゃないか。陰キャ歴15年人生初のき、き、きーっ、きっ、きっ、……キッス、を。まさかこんなところで。こんな相手と。
いつもならば笑みを浮かべた彼の唇は、何故か今は真面目に結ばれていた。顔に添えられた、暖かな手。しかしそれよりも私の顔の方が、体温は高いだろう。心臓がどんどんと脈を打ち、沸騰しそうなほど頭に血がのぼる。彼の手は先ほどより力が緩んだのに、今なら避けられるのに、どうして私の体は固まったかのように指先一つ動かない。まるで時が止まったかのように。ほら、あと5センチで、もうくっ付いてしまう。あと4センチ。3センチ、……。
「ーーーなんてね」
「へ……」
という彼の言葉で我に返った。彼との距離はわずか3センチで引き止まり、シャルナークはまたもや悪戯な笑みを浮かべていた。「冗談だよ。距離、縮んだだろ?」と微笑むこの人はまるで小悪魔のようだ。いや、純粋に悪魔でいいかもしれない。
私は勝手にドギマギしていたというのに、この人はきっと何とも思っていない。それはこの無邪気な笑顔が証明していた。私の経験の無さが露呈しただけの結果となった。陰キャ歴15年は伊達じゃない。男の子と手を繋いだこともなければ、顔を近づけた事もないのだ。からかわれた、ということが屈辱的というよりは、期待してしまった生娘のような自分がまるで恥ずかしく思えた。
シャルナークからバッと離れ、私は即座に荷物を抱えた。先ほどの不思議な硬直はすでに解けていた。
「きょきょきょ今日はかか、帰る!」
「え?待ってツカサ、これから他のメンバーが、」
「ごご、ごめん!ままっま、また!」
顔から火が出そうなほど私の顔は真っ赤だろう。それを見せないように顔を俯いて生徒会室の出入口まで駆けて、思いっきり扉を開けた。
「うぉっ!?あ!?」
「ひぇっ、し、ししし失礼しました!」
「ちょ、待て、てめーーー」
丁度扉の向こう側に誰かがいたようで危うく接触寸前であったが、私はその人の制止も振り切ってその場を走って逃げた。少し聞き覚えのあるような声だったが、そんなことは気にしていられない。ただ、火照った顔の熱を下げるため、廊下を駆け抜け、ガーデンを駆け抜け、校門まで駆け抜けたが、それでもどうしてか、顔の熱はそう簡単に引いてはくれないようだった。
その日の夜は、とにかくアイスを何個も口にした。しかしなかなか昇った体温は下がらない。お風呂には水を張った。頭から冷水を滝行さながらに何分間も被るが、やはり頰の熱は帯びたまま。仕方なく、夏入りの未だ肌寒い夜であったが、窓を全開にして毛布も被らず床に着いた。
「……くしゅん」
次の日、私は見事に風邪を引いたのだった。
*
「……今の、ツカサ=ブライス、だったよな」
「あ、フィン。おかえりー」
スカートを翻し、真っ赤な顔で走って去っていったツカサを見遣り、フィンクスが生徒会室の中を伺うと、そこにいたのはシャルナーク一人であった。彼はひらひらと手を振り、「ケンカは無事終わった?お疲れ様」と何食わぬ顔で立っていた。
「あれ、他の連中は?」
「会長達はそのまま来週の選挙の件で選挙管理委員会まで顔出しに行ったぜ。って、いやいやおい、お疲れってよ。お前何してたんだよ」
「え?取り立てては何もしてないけど」
「何も、ってなあ。今のツカサ=ブライスだろーが。明らかに狼狽えてどっか行ったぜ」
「いや、ホントに何も。強いて言えば、ただ確かめただけだよ」
「確かめた?」
何を、と促すと、シャルナークは腕を組み顎に手を当て、ヤツにしては珍しく少し物言いを考える素振りをした。
「んー。何て言うか。経験があるのか確かめたっていうか」
「はあ?」
「初めてなのかなーって。なんとなく、気になったから」
経験?初めて?ちょ、おい、それってまさかよ。
「シャルよ。お前、手当たり次第にも程があるだろ。あいつお前のタイプでもねーだろ」
「いやだから何もしてないって、フィン」
「ま、どっちだって良いけどよ。それで?」
「ん?」
「どっちかわかったのか」
シャルナークは少々あっけにとられていたが、次にクスクスと笑い、「想像つくでしょ?」と言った。まあ、さっきの慌てようを見たらお察しという所だろう。あのバカ素直な性格。損をするタイプの愚直さ。
この男とは、相性が悪い。
「……あいつをからかうのは程々にしとけよ、シャル」
「驚いた。フィンが女の子を擁護するなんて」
「気色の悪い言い方すんな」
「フィン、なんだかカレシみたいだね」
「んだとコラ。つーかよ、そういうお前こそ何でだよ。いつもならンな事気にしねえだろ」
「え、そうかな?そんなつもりないけどなぁ」
「……あー、そうかよ」
シャルナークは、強烈な茜色に照らされ逆光となってその姿を夕日の中に消した。「フィン、なんか変な事言うね」と、けらけらとこちらをからかって笑うその黒影は、まるで悪魔のようだ。言ったろ、ツカサ=ブライス。天使みたいな顔して俺より怖え悪魔がいるって。お前、なんだかわからねえがその悪魔に気に入られたようだぜ。
これまで奴は、女という生き物に対してそういう興味を示さなかった。女が生娘だろうが阿婆擦れであろうが、気に留めたことなどなかった。そんな男が、ツカサ=ブライスに限って、それを確かめた。ただの気紛れかもしれない。ただの遊びかもしれない。
だが、自覚が無い。
この男の気付かない心の奥内で、何かが起きている事だけは、確かのように思えた。
「……こりゃ、難儀かもな」
「ん?何か言った?」
「何でもねーよ」
フィンクスのそのぼやきは、幸いにもシャルナークには届かなかった。
慌てふためきながら学園を走り去るツカサ=ブライス。シャルナークとフィンクスは、彼女のその間抜けな後ろ姿を面白半分に眺めながら、壁面ガラスの向こう側、夕焼けの日差しに、ただただ身を焦がすのだった。
距離3センチメートル
*
11/11ページ