インパーフェクト・ワールド
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「戻ったか」
生徒会室への扉を再び開けると、夕闇の中で、底の知れない黒い瞳が俺を見つめた。まるで待ち構えているようだ、と少しばかり感じた。一つ煌めきのように輝くのは彼女と同じく輝く生徒会長の証である徽章、それだけ。別に見慣れた光景であるのは間違いないのに、何故か今は彼の考えが全く分からないことに惑いを感じた。
「彼女は?」
「帰ったよ」
「そうか。見送りまでさせて悪かったな、シャル」
そう言って執務に戻るクロロに、シャルナークは少し頬を膨らませた。生徒会室、ここは学園内を広く見渡せる。彼女を見送ったことはここから見ていた癖に、何故確認とばかりにそんな事を聞くのか。妙に含みを持たせた言い方、そんな彼は、口元にやはり薄く笑みを浮かべていた。
そしてクロロに苛立ちを抱くのは、それだけじゃない。何故彼女を生徒会に招き入れようとするのか。それも副会長という席。選挙管理委員会の通告を退く数多の方法のなかで、どうしてそれをクロロは選択したのか。それが何故なのか。
それを俺に明かそうとする気配のない彼に。
「クロロ?説明してくれてもいいんじゃない」
「何をだ」
「どうして突然あの子を生徒会に入れようだなんて言い出したの?」
「いけなかったか?」
「そうは言わないけど」
「さっきの話の流れの通りだ。選挙管理委員会からお仲間を引き込み過ぎだと警告された、その対策のために彼女に生徒会に入って貰う。それだけさ」
「本当に?」
「疑っているのか?」
「選挙管理委員会絡みの為だけに彼女を生徒会に招き入れるなんて少しやり過ぎじゃないか。他にも方法はあったはずだ。捨て駒の扱いなら彼女じゃなくてもいいだろ?」
「その言い方だとツカサ=ブライスに入れ込んでいるように聞こえるな」
「茶化すなよ。それに、入れ込んでいるのはクロロの方だ」
クロロは、俺の指摘に少し驚いた顔をした。
彼の中に敷かれた、計算され尽くした軌道。それは一見すると理路整然としたもののように見えるが、そこに通常とは少し違う道筋が立つ。それは彼らしいように見えて、そうではない。その軌道は何かに惹きつけられるように計算を変えた。その何かとは、ツカサ=ブライス。徽章を持つ、もう一人の女の子。
クロロは見開いた瞳を丸くしたまま、考え込むように口元を片手で抑えた。そして、「そうかもしれないな」と小さく呟く。人を惹きつける魅力がある、とツカサに言ったそれは、例外なく彼にも還って来ている。それに彼は無自覚だった。
「俺たちは生徒会である以前に、蜘蛛だ。会長の手足となってこの学園を這い回る。けど、その覚悟がツカサにあるとは思えない。だって彼女はさっき知り合ったばかりの他人だ」
シャルナークがそう捲し立てると、クロロは足を組み直して、もう既に闇の広がる空を見上げて扇いだ。
「……他人か」
何故かその一言を呟く彼は、過去を振り返るかのように遠くに視線を向けていた。空の向こうに彼に何かが見えているのかもわからないが、それについては誰も察しのつくような者は居なかった。
「シズクやコルトピも初期は他人だった。だが今はどうだ?」
「……まあ、そーだけどさ」
「今は他人でも未来はわからない。それに、過去もな」
「クロロ?」
過去もわからないとは、どういう意味だろうか。
今は他人。未来はわからない。過去もわからない?妙に引っ掛かる物言いをするクロロにシャルナークは遂に首を傾げたが、彼はそれについて応える様子は無さそうだった。ただ一つ言えることは、まるでクロロは、懐かしそうだった。例えるならば、幼少期に聞いたきりでタイトルもメロディーも記憶の彼方に忘却していた曲を、たまたま誰かが口ずさんでいたのを皮切りに思い出したかのように。それがツカサ=ブライスだった、そんな様子だ。
「それなら何も、あの子じゃなくても良かったんじゃないの?もう少し仕事の出来そうな駒を選定すべきだと思うけど」
「かもな。だが絆されやすいし扱いやすくて良いじゃないか」
「なら、」
「彼女を生徒会に入れると決めたのは俺だ。不満か?」
「……クロロが決めたからにはその方針に従うけどさ」
「渋っているな。まるでツカサ=ブライスを生徒会に関わらせたくないように聞こえるが?シャル」
クロロの視線が俺を射抜く。「……そうじゃ、ないけど」と、辛うじてそれを俺は否定する事が出来た。不思議にも、当の俺でさえ彼女が生徒会に関わる事を快く思っていない理由がよくわからなかった。部外者だから?他人だから?面倒だから?それとも、ツカサ=ブライスだから?
ただ一つ言えることは、手を振って俺を見送る彼女の姿が、何故か目に焼き付いて網膜からなかなか消え去らない。それが俺を邪魔している。
「ならば構わないだろう。何にせよ、ツカサ=ブライスの生徒会入りは決定事項。他の奴らにも伝達しておけ。来月の生徒会選挙も並行して準備をするように」
「オーケー、わかったよ」
「それと、シャル。ツカサ=ブライスへの推薦状の用意も頼む」
「え?クロロが推薦状を書いたらツカサを立候補させた意味が無くなると思うけど。選挙管理委員会からまた警告もらうんじゃない?」
「否、推薦状は俺名義のものじゃないよ」
「どういう事?」
シャルナークは、目を丸くして俺を見た。
一年生でもあり現時点で特に功労のない彼女を副会長に押し通す為には、推薦が必要だ。だが推薦も、知名度の無い一般生徒のものでは物を言わせるのに弱い。ならば生徒会役員や各委員会長程度の名が欲しい。しかし前者は、シャルナークの言う通りに俺の名で推薦状を書いたとしても選挙管理委員会に不義を指摘されるだろう。後者は、彼女は新一年生であるため委員会に属していないため難しい。
だから、それは俺の推薦ではない。
ならば。
ツバサ=ブライス。
かの徽章の真の持ち主。5年前の生徒会長。
彼女が彼の妹であるならば、恐らくきっと。
「シャル。5年前の生徒会会報、議事録、名簿帳。全て調べろ」
「げっ。な、なんで?」
「ツカサ=ブライスへの推薦状は、恐らくそのどこかにある筈だ」
クロロは妖しく唇の端を吊り上げたが、シャルナークは顔をひくつかせた。
膨大な量の過去生徒会資料が文書貯蔵所にあるが、それをひっくり返して存在するかしないかもわからないたった1枚の推薦状を見つけろというのが根気の要る作業であり、生徒会選挙日まで日数も少ない中まさしく今日から徹夜で居残りかもしれないということは、想像にかたくない事だった。
✱
今日よりも、もう少し寒い日だった。
桜の蕾が膨らむ頃合であったから、三月の中頃。しかしほとんどが枯れ木の枝のような桜。この枯れ木から、いずれ花々が咲き誇ってこの閑散とした太い幹を桃色に美しく染め上げる。春の嘘の前だ。誰もが浮き足立って少しずつ暖かくなる陽気の訪れを喜んでいた。誰もがその木の下に集い、冬の間は一時も見向きさえしなかった桜の枝を眺めるのだ。そんな気の毒なものたちに興味など僕には無かった。それらの隙間を抜けて、ある場所へと向かう。
拓けた土地、枯れ草の混ざった芝が覆い尽くし、点々と十字架が等間隔に並ぶ。
その中の一つ。ぽつんと、小さな墓碑の前。真っ黒な喪服を身に纏う小さな女の子が、そこでずっとずっと、寒さも厭わず座り込んでいた。本当に、ずっと。琥珀色の髪が風に吹かれて乱れても、それを直そうとさえせずに、ただ俯いて座り込む彼女の姿は今でも目に焼き付いている。墓碑には彼女の兄の名が刻まれていた。彼女にとって、その存在は大きかった。何故なら、彼らは二人で一つの家族。それが彼女一人になり、天涯孤独。生涯、天涯孤独。それはもう変えられない。
孤独になった体を慰めるように、自ら掻き抱くその細い指。震えた肩。もう幾日も何も口にしていないだろう。乱れた髪は艶を無くしている。喪服は砂埃でわずかにすすけていた。その小さな体を何時間も寒風に吹き晒したために、肌も唇も乾燥して、口の端は切れており薄ら血肉が割れて見えていた。それでもそこに座り込む。凍て付く風が彼女を責め立てる。それでも尚、そこに座り込む。
悲しいのだと思っていたよ。
苦しみを紛らわせる為だとも。
彼の墓前、その打ちのめされた姿を見せ付け、どうやって生きていけばいいの、と訴えているのだと。
ふと、彼女がこちらに気付いて目を向けた。
その瞳の中には、ただ透き通った世界が拡がっていた。悲しみも怒りも鬱々とした感情の欠片さえ無い。彼の死の原因を憎んだりせず、すべてを受容し、ただあるがままにそこに在る現実を視ている。感情の浮き沈みや善悪さえ無いその透明な琥珀色の瞳。近しい者の死を目の当たりにしたわずか十歳の少女であるのに、波音ひとつない湖面のように、視線は穏やかだった。嫋やかな少女が、そこに居た。
その小さな手のひらの中で、何かが輝いた。
そこに遺されたのは、かの徽章。
彼の胸元に輝いていた、虚しい希望。
「あ、ヒソカ!」
ーーーかつてのその瞳が、僕を捉えた。
晴々とした屋上。給水塔の影に向かうと、彼女は小さな体を更に小さく縮こませて座り込んでいた。まるであの日のように。風に吹かれないようチェック柄のスカートを手で抑えながら、過去と変わらないその視線を僕に向ける。
「やあ、ツカサ」
「やあじゃないんですけど」
「どうかしたのかい?」
「ちょっとここ座ってここ。お話があります」
ツカサは自分の隣を指さした。彼女の指示の通りに、服が触れるか触れまいかの距離にヒソカは腰をかけた。
「話って何かな?緊張するねえ。もしかして愛の告白?それとも、ボクとツカサのリコーダーをすり替えてることバレちゃった?」
「えっ、嘘!? いつの間に……気持ち悪い……」
「……ウソだよ。そんな冷たい反応されると落ち込むねえ」
「な、なんだ嘘かあ。というかよく考えたらこの学園でリコーダーの授業なんか無いし」
「つまらない嘘に引っかかっちゃダメだよ、ツカサ」
「えー……、そんな嘘つく方がどうかしてると思うけど」
「普段から注意散漫だ。キミ授業聞いてないから教科書まっさらだし、当てられてもまともに正答したこと無いよね。もっと真面目に授業受けた方がイイよ、赤点予備軍だろ?」
「う、うるさいなあ、もう!」
どうしてヒソカが私の教科書がまっさらなことを知っているんだろう。
それについて聞こうとしたが、喉につっかえたようにその言葉たちは出てこなかった。ヒソカが頰杖をついて、にっこりとこちらに笑っていたためだ。こうも至近距離でヒソカの顔を眺めることはないため、私は思わず目線を逸らした。きっと少し顔が赤くなってるんじゃないか、と誤魔化すために無理に頬を擦る。しかしヒソカはそれさえも面白そうに笑う。
「まあ、キミの授業での珍回答は面白いんだけどね。だが授業態度としては精々だし、重ねて期末試験で赤点取ったりしたら学園退学だよ?」
「うっ……」
「もう少し頑張らなくちゃね。この学園でやらなくちゃいけないことがあるんだろ?」
ーーー得ようとしなければ何も得られないのさ。
あの時そう言い放ったヒソカの一言は、深く真実であるように感じられた。同い年のはずなのに、助言さえ与えてくれて、彼はずっとずっと大人みたいだ。私のことをすべてわかっているようにさえ見える。けれど私は、彼のほとんどをあまり多くは知らない。
「ねえヒソカ、ヒソカはどうしてこの学園にいるの?」
「もっと強い奴と闘いたいからさ。この学園なら喧嘩は許容されるし、腕の立つ奴は多いしね」
きっとそれは本当だ。けれど今はそれだけじゃない。そんな気がした。
真実の大部分を話すことで、その奥の奥を隠そうとしている。95%本当で、5%の嘘。意味のない嘘の向こうに隠した、意味のある嘘。
「もしかしてだけど、ヒソカ、私のことそんなに信用してない?」
「おや、心外だな」
少しむっとした表情を浮かべて、私はヒソカに怒ってるぞアピールをした。ヒソカにそんなものが通用するかどうかわからないけど。ヒソカは、私が遺憾に思っているその内容をわかっているのだかどうだか曖昧な笑顔を浮かべた。
「どうしてそんなコト言うんだい?」
「生徒会に入ること、わざと黙ってたよね」
そう言うと、ヒソカはつり上がった細目を見張り、驚いた表情をしたが、「その通りだよ」と返事をしてまた笑みを浮かべた。
「やっぱり。ヒソカがいることは聞かされてなかったけど、もしかしてって思ったんだ」
「何故わかったの?」
「ヒソカ言ってたよね、授業免除されてるって。それ生徒会役員の特例でしょ?」
「ああ、それで気付いたんだね」
「それとリュウセイ君の事も。生徒会に入るんだから、ほんとは知ってたでしょ」
「もちろん」
「知ってて知らんぷりしたの?」
「ウン。どっちも悪気はないんだ。ごめんよ、隠してて」
「いじわる。どうしてリュウセイ君のこと知らないフリしたの?」
「だって、……ツカサを取られちゃうかもしれないだろ?」
そう言ってヒソカはまた私ににっこりと笑った。
え、それってつまりこういうことか?私が誰かに取られちゃうのがやだ、ってこと?もしかしてヒソカ私の事好きなの?なんかやらしい。
「や、やだ、ヒソカ。取られちゃうなんて。でも私達、知り合ってまた1ヶ月も経ってないし、そういうのは早すぎるというか……」
「だって君は面白いからね。玩具を取られていい気分はしないし」
「ってそっちかい!」
一瞬でも勘違いした自分が少し恥ずかしい。体育座りした膝の間に頬を埋めて、またもや赤くなった頬を隠した。ヒソカはくつくつと肩を震わせて、大喜利を見たかのように笑った。それは少しだけ、彼に少年らしさを取り戻した。
「まあ、それも理由の一つではあるんだけれどね。でもキミのことを信用していない訳じゃない。……少しだけ、早いかと思ったんだ」
「早い?」
早い、って何がだろう?
首を傾げるが、ヒソカはそれ以上何かを言うつもりも無さそうに無言で笑った。なので私もそれ以上は聞くのは止した。
「……まあいいんだけど。でもとんでもない目に遭ったんだから」
「何があったの?」
「聞いて驚くなかれ。私も生徒会に入りまーす!」
ばばーん、と私は立ち上がってスーパーマンのように右手を振り上げた。
さすがにこの事実はヒソカの鼻を明かすような重大ニュースだ。ジュリアだって眉を八の字に曲げて呆気にとられるに違いない。
しかしヒソカは、しばらく無言で、そして静かに言った。
「それは良かった。じゃあこれからは同じ仲間同士だね」
「…………あれ?驚かないの?」
「驚いているさ、もちろん」
それにしては反応がいまいち薄い。というよりは、それわかってましたけど一応驚いてるフリしてます、みたいな感じさえある。
「もっと驚いてよヒソカぁ」
「驚いてるけどなあ」
「私が生徒会だよ?この私がだよ?」
「まあ、確かにね。クラスでも地味で部活にも入らなければ委員会にも属さないし、ただ学校来て授業受けるだけで勉強熱心でもない、唯一優れてる点は人懐っこいとこだけど悪く言えば警戒心無いし、特に功績も無ければ人望も薄くて特徴に乏しい陰キャの女子生徒であるツカサが生徒会なんてね」
「ヒソカが私をどう思ってるかはよーく分かった」
軽く膝のスネ蹴っても良いレベルにくらいは貶されたと思うぞ、これは。
そのまま本当にヒソカのスネを蹴ってやろうかと思ったが、いやいや、私は生徒会副会長として君臨する立場にあるのだから下々の者には優しくせねば、とぐっと堪えた。まあヒソカもいっしょに生徒会になるんだけどね。
……とはいえ、確かに、ヒソカが言ったような一女子生徒であることには変わりはない。これから生徒会選挙。演説、投票、その先諸々のことを考えるとものすごく憂鬱になってきた。クロロ会長に乗せられて副会長に俺はなると宣言したはいいものの、これ私大丈夫か。
「あーもう、ヒソカがそんなこと言うから、インキャであることを思い出しちゃったよ……生徒会選挙が憂鬱……どうしよー、どんな顔して壇上に立てばいいのー。推薦があるって言ってもさあ」
「キミはそのままでいればいいよ。きっと皆面白がって投票するさ」
「本当にヒソカって私のことを何だと思ってるの?」
「悪い意味で言ってるんじゃ無いんだけどなあ。選挙についてはボクこそ不安だよ。ボク人望薄いから」
……人望が薄いというか皆無に等しいですよ、ヒソカさん。
と、訂正しなかった私は大人になったなあと心の中で自画自賛をした。ケンカ吹っかけられてやり返すのは良いんだけど、ヒソカはそれが度を過ぎてるから入学早々に敬遠されてしまった経緯がある。その時の光景が今でも目に浮かぶ。股間おったてながらケンカするヒソカはハンター学園珍風景の一つだ。ちんだけに。
「ヒソカは推薦ないの?」
「クロロの推薦があるよ」
「あ、じゃあ大丈夫なんじゃない?きっと通るよ」
「まあそうなんだけどね。でもボクこういうの慣れてなくって……人見知りだし……」
「……まさかの小心っぷりを披露されてもにわかには信じ難いんですけど」
人差し指をくっつけあいながらもじもじするヒソカ。人見知りとか絶対に嘘だ。人見知りならケンカなんかしないし、ましてや人様の前で股間なんて立ちません。とはいえ、確かにヒソカが誰かとつるんでることなんて見たことがないので友達が少ないのは真実だろう。
「仕方ないなあ。じゃあ演説の練習にでも付き合ってあげよっか?」
「優しいねェ、ツカサは。でもボクは大丈夫さ。何度か経験はあるしね」
「え?経験あるってどゆこと?ヒソカ、もしかして中学の時も生徒会だったりしたの?」
「ああ、ウーン、そうだねえ……まあそんな感じかな」
「マジで」
驚愕の新事実に私は驚いた。まさかまさか、このヒソカが中学のときも生徒会だったなんて。あー、でも学年に一人はいるよなー、特に向上心があるわけでもないのに何でかわかんないけど生徒会に入り込む奴。まさにその実例がここにいるとは。
「その時はどうしたの?演説とか、そういうの」
「全部適当に取り繕ってくれる人がいたからね。特に困る事は無かったかな」
「それ誰?」
「その時の生徒会長だよ」
「へえ、なかなかやり手っぽい人だね」
「そうだね。そうだと思うよ」
妙に。切れ長の目を少し伏せ、妙に懐かしい顔をして、ヒソカはその人へ思いを馳せる。
ヒソカが素直に人の力量を褒めるだなんて、そんな返しを想像もしていなかった私は目をまん丸に広げて驚いた。
「ヒソカが人をほめるなんて」
「ボクだって人を褒めることくらいあるさ」
「……その人、どんな人だったの?」
「そうだねえ。例えるなら、静かな台風のようだった」
静かな台風。
私は思わず、この真っ青な大空を仰ぎ見た。忍び寄るような乱気流の気配、全てを巻き込みながら移動をする暴風雨。嵐。ヒソカにそこまで言わしめる程の人がいるなんて。
そしてもう一度ヒソカに振り返ると、視線が合った。私の目を見る彼は、その思惑を語る部などはしないが、よりじっと、まるで見定めるかのようだ。というより、私を通して誰かを見ている。期待もあるけれど、少し懐かしげに、淋しげに。
「その人、今、どこで何をしてるの?」
ふと口からこぼれた疑問。
「彼は、」と言ってヒソカは続きを断った。少し困ったような顔をして私を見る。まるで子供が大人を困らせるような質問をしてしまった時のようだ。困らせるような質問をするけれど、それがまた愚かで、その愚かさがこそばゆい。しかし、迂闊なことは言えないけれど、真実も濁しておきたい、そんな両極を釣り合いにかけたような。
そして暫しの沈黙の後に、静かに口を開いた。
「彼は今も待っている」
「待ってる?」
「そう。だからいずれボクは彼の元に帰らなくちゃならない」
「それじゃ……ヒソカがこの学園にいる本当の理由って、闘いたいとかじゃなくて、その人の為?帰らなくちゃって、その人はこの学園にいるんじゃないの?」
「今はいない」
「それ、って、つまり。いつかヒソカは学園辞めちゃうってこと……?」
「それはキミ次第だ、ツカサ」
「え、……私?」
私次第って、どういうこと?
私とその人に関係性なんてあるの?
学園を辞めてまで帰らなくちゃならないって?
その人はどうしてヒソカを待っているの?この世界のどこにいるの?
彼、って誰?
「さて。話しすぎたかな」
ヒソカは春風に乱れた私の髪を梳くように撫でた。疑問が私の中で達浮かぶが、まるで話は終わりだと牽制するかのように彼は立ち上がった。「ヒソカ、」と声を掛けるも、彼は後ろ手に片手を挙げ、背を向ける。
「選挙を心配する必要はないさ。推薦があるんだろう?それに、そうでなくても。定例文のような演説は必要ない。キミはそのままであればいい」
「そのまま、って」
「キミは台風の目のようなものなのだから」
そう、ツカサ=ブライス、キミは台風の目。激動の渦の中心。全てを巻き込みながら物語は進んでいく。
しかしそれに気付くにはまだ早い。
キミがこの学園で何を得るのか。何を為すのか。何を識るのか。
キミは、ボクにとっての今であり、過去であり、そして未来。
この不完全な世界の、唯一の理。
「ーーーだから、ボクを楽しませておくれよ、ツカサ」
そして、世界の要。
「それじゃ、また教室で」とそう言い放ち、ヒソカは呆気なく去って行ってしまった。
話したくないのだろう。否、話す機会ではないのかもしれないし、その必要がないのかもしれない。少なくとも今は。ヒソカが言う事なのだから、もしかしたら嘘かもわからない。種を蒔くように嘘を散りばめて、私をからかっている可能性もある。
しかし、何故だろうか。
今彼が言ったことの中に、明確にはしていないものの、どれ一つとして嘘は無いような気がした。
『この学園でやらなくちゃいけないことがあるんだろ?』
そうでなければ、学園を続けるように示唆するような彼の口振りを、うまく説明出来ないと思うのだ。
肩に触れていたヒソカの残り香が、消え去っていく。
それは何にも例え難く、どこか懐かしさを纏っていた。
肩、指と、髪と、そして服。そのすべてから。
それがどうしてかはわからないけれど、その香りは、私の好きな匂いだった。
過ぎ去りし日を求めて
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