萌えるゴミ
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『貴女は殺しても死にそうにない』
何故か、その言葉が脳裏を過った。それはあいつの最高の皮肉。事実、あいつに評されたのは私以外にアイザック=ネテロだけだった。わたしにもその言葉を向けたあいつの真意はよくわからないけれど、何故かその一言が脳裏に焦げのようにこびり付いて離れない。キザったらしいストライプの上等なスーツ。いやに姿勢の良いその背筋が、その一言とともに鮮やかに目の裏に浮かび上がるかのようだった。
「……こんなときまで何なのよ、本当」
「どうかされましたか。班長」
「いいえ。なんでもありません」
飛行場へと向かう搬送車は道々の砂利の上を黙々と走る。男だらけのむさ苦しい車内。しかし皆、確固たる各区語を胸に平静にも沈黙を守っていた。まるで凛々しい戦士のようだ。わずかな振動をゆりかごのように感じながら、私は窓へ額をくっ付けた。遮断された車窓の向こうからじんわりと伝わる太陽光のぬくもりを穏やかに、私たち医療班はこれより死地となるやもしれない国に入り込もうとしているというのに、誰一人泣き言を漏らす者はいなかった。
死の病とも形容されるその感染症が世界各地で顔を覗かせ、早数月。感染経路を辿るととある小国家の離島からの発生源と発覚し、そこでは既に国人口の13%にもあたる数千人の人々が同様の症状の後に亡くなっており、漸くの非常事態宣言により国際的医療介入する事態となった。プロハンターからも感染症・医療・災害対応に特化した人員が割かれることとなり、私もその一人として同行が決定したのは実に短期間のことであった。既にその小国家は空港・海航・鉄道ほか全ての入国経路が閉鎖となり事実上の鎖国となったが、国内外における罹患後死亡者数は増多の一途を辿っている。各製薬会社が挙って作っている抗ウイルス薬は知り得た情報では試験段階に過ぎず、特効となるようなものではない。それが完成するのを待つよりは何故このような潜伏期間の長く激唱化の速い致死的なウイルスが出来上がってしまったのか経路を辿る必要があるとの判断を下したのは師匠のサンビカ=ノートンだ。
彼女が考えるに、これはただの感染症流行ではなくウイルスを作り上げた何者かがいるとの考えであるらしい。実際、そのウイルスには自然界に存在しない遺伝子構造があることが判明したのは最近のことであり、これは極秘情報にあたる。
前線の医療捜査班として
「班長殿も物思いに耽ることもあるのですね」
「うるさい」
「かと思えばご機嫌斜めですか」
私の直属の部下であるササキは、悠長にもそんなことを言って微笑んだ。この男はいつも平穏な男だ。こんな状況でさえ和やかに笑って、突然帽子を脱いだかと思えば「班長殿とのピクニックのためにほら、散髪をしたのですよ。いかがですか?」と冗談まで飛ばした。いつもの彼の調子に呆れながらも私は適当に「前よりずっと男前になったわ」と返事をすると、ササキはいつもの糸目をさらに細くさせて「それはよかった」と目尻に皺を作った。
「私は班長殿のご機嫌取りをするのが務めですから」
「馬鹿。本当にピクニックに来たんじゃないのよ」
「身構えていては疲れるだけでしょう?」
「そうかもしれないけど。……ねえ、ササキ。あなた、ほんとうにこんなとこに来て良かったの。ご家族は……」
私たち医療捜査班は有志で結成された部隊だ。有能な人員は選抜されたとしても拒否撤退は可能であり、ここにいる隊員達には事前同意を得ている。ササキに声を掛けたのは私だった。彼には家族がいるということもわかっていたが、補佐を務めてもらいたいと考えた時に思い浮かんだのは真っ先に彼だった。ササキはその時、二の言葉もなく『声を掛けるのが遅いですよ』と笑って待ってくれていた。
それ以来、彼に真意を尋ねるのが少し怖かったから避けていた気持ちがどこかにあるというのは、否定しない。こんなところまでササキを連れてきてしまってから聞くべきことじゃないというのもわかっているが、本地に乗り込む前にどうしても知っておくべきと思ったのだ。ササキはやはりいつものように微笑んだのだが、その先の言葉は突拍子のないものだった。
「家族はおりません」
「は?」
「私には家族はおりませんよ」
「いや、いないって……奥さんも子供もいたじゃない」
「もうおりません」
ササキはそう言って、帽子を被り直した。その目尻に笑い皺を刻みながらも、どこか神妙な面持ちであった。
「家族は最初からないものと思って私はここへ来た。ですから貴女は、存在しない私の家族のことなんて心配しなくて良いんです」
ササキの生い立ちをいつしか前に聞いたことがある。彼は両親にぞんざいに育てられた人間だった。だからこそ彼は自分の家族を第一に考えている筈だった。愛した人たちが最初からいなかったなんてそうはいくものではないのに、彼は笑って「それに、御転婆な班長殿には私が側に付いていなければね」と言うのだった。
「ありがとう。あなたに遠慮をするのはいい加減やめるわ」
「そうしてください。……班長殿こそ、残してきたものは無いのですか」
残してきたもの。
両親・兄弟には遺言ともなるものを書いた。私が死んだら届く仕様になっている。司法士も雇って死後の役所手続きもした。万が一帰還した時のために家は残しているけれど不要な家財は片付けたし、水道もガスも電気も止めてきた。面倒臭いから大して掃除はしなかった。もし誰かに部屋に入られでもしたら汚いと思われないか妙に不安だ。けどもう知るものか。お世話になった隣近所には出張するとだけ伝えた。仲の良い友人には連絡だけして、会うのは止めた。ベランダに置きっぱなしのベンジャミンは枯れてしまうだろうが、一応最後の水やりをしてやった。こっそり趣味だった二次創作版物もしっかり処理した。あとは、何か残っていただろうか。
『貴女は殺しても死にそうにない』
ーーー……思いつくものは、何も無い。
「……何も無いわ。たぶん、きっと」
「そうですか」
それだけ答えると、ササキはそれ以上何も言及せず帽子を深く被り直し、組んだ両腕に顔を埋め搬送車の揺れに身を任せるかのように静かに息を整えるのだった。車内は再び神聖な沈黙が漂った。一行は、もうしばらくして空路を往く船の待つ空港への到着を待つのだった。
空港は一般客の受け入れを遮断しているためおそらく静寂なものなのだろうとばかり想像していたが、存外にも政府関係者・他の災害担当班・医療物資・搬送者などが複数滞在しており、各各の担当業務を遂行すべく働き蟻のように往来を行き来している。しかし、それぞれが直轄の制服・作業服を身に纏っており、またその躍起もあるためか雰囲気は物々しいものがあった。ピクニックだなんて比喩しようものなら刺を刺されてしまうかもしれないな、と思いながら、私は各員へ搭乗手続きと物資や現地での流れについて最終確認をするよう指示を出した。これから果たすべきことが山ほどある。これは任務でもあり義務でもある。隊員達の命を預かる身として導くのは私で、班のルールも私だ。
「班長。全員の準備が整ったことを確認しました」
「そう。じゃあ、ゲートへ行きましょう」
隊員達は指示に従い、大きな荷物を背負ってゲートへと歩き出す。私とササキも重たい荷物を抱え、ゲートの入場を待つ人々の最後尾に並んだ。厳かに列を組みその順番を待つ最中、「班長殿」とササキはなぜか普段よりも小声で私に囁いた。
「何?」
「私から改めてお聞きしたいのですが」
「言ってみなさい」
「貴女は本当に良いのですか?」
思わずササキへと振り替えると、彼の薄い瞼から覘く瞳がまるで真実を射抜くかのような鋭さで私を見つめていた。その言葉は、さっき私がササキに尋ねた一言だ。彼はその疑問を丸々私にも返した。『I do,And you?』。私の胸の奥底で燻っていた曇りを、わかっているかのように。「何を言うかと思えば」と、震えた声で返してしまったことを少し後悔した。
「今なら引き返せますよ」
「何が言いたいの。覚悟なら出来ているわ」
「本当に?」
「後悔しているとでも?私を怒らせたいの、ササキ」
「いいえ。ただ……間に合わないことになってはいけないと思っただけです」
「それなら……!」
「やあ、ご一同。初っ端からいざこざですか?」
場にそぐわぬ声色の高い男の声が響く。ここにいるはずのないその声。嫌いな声。けれど、今となっては何故か、懐かしく感じる声。
「パリ、ストン……」
「駆け出しから躓くなんて幸先が知れていますね」
「あなた、どうしてここに」
「当たり前じゃあないですか。同志が死地に旅立つという時に見送りもしないような男ではありませんよ、僕は」
「……相変わらず、嫌な奴ね」
眉を顰めるも、パリストンは余計爽やかな顔で応えるだけだった。
十二支の逸話を聞いたことがある。年始の神様への挨拶のために招待された動物たち。猫を欺いた鼠が一番に到着して、遅れてしまった猫は十二支から省かれてしまったという伝記。この男はまさにその鼠のような男だった。十二支んの子。人を欺くのが趣味のような、真っ当に偽善を主張する厄介な性質で、パリストンとは幾度も衝突をした。
「ハンター協会直属ノートン管轄下医療捜査班長、だそうですね。大層な肩書きだ」
「意外ね。私の活動の事なんて何も知らないと思っていたわ」
「そんな事はありませんよ。貴女が役目をいかにして果たすのか見ものですから」
「その言葉そっくりお返しするわ。協会に従事する者としての務めを怠っているのはどちらかしらね」
「おや、何か勘違いをしているようだ。僕はささやかながらハンターとして同志達の裏方を支えている、微力ながらね」
「その同志達があなたのせいで何人消えたのかしらね。私もあなたに消されそうになったし」
活動範囲が違えど、パリストンは幾度か私を排除しようとする動きを匂わせていた。パリストンの嫌らしいところは、その足跡を残さない事。何度もその暗躍から逃れては協会へと抗議していたが、証拠不十分と訴えは退けられてしまっていた。勿論パリストン本人も、一度たりとも認めようとはしなかったのだが、この時だけは違った。
「ええ。……今度こそ、僕の目の前から消えてくれるんですね」
パリストンは、そう言って伏し目に呟いた。
いつものように絶対に認めたりしないと思っていただけに、パリストンのその返事に、私は声がつまった。
「……何よ、いまさら。どうして認めるの」
「最期だからですよ。貴女を消してしまいたい。そう、認めて欲しかったんでしょう」
ササキはいつの間にか、黙って私の側を離れていったようだった。私とパリストンは、雑踏の騒めくなか立ち尽くす。最悪なこの男と世界に二人きり残されたかのように、周りの人々の喧騒が静まり返るかのような感覚に囚われた。
「……何なのよ。冥土の土産って訳?」
「そう。言っておきたかったんです。貴女が本当にこの世から去る前に」
「…………」
「貴女が目障りだった」
「…………」
「貴女が邪魔で仕方なかった」
「…………」
「貴女が鬱陶しくて堪らなかった」
「…………」
「消えてしまえば良いと、心から望んでいた」
いつもの嘘くさい笑みもなく、後ろ手に組む癖も解いて、パリストンはこれまでに見た事のないような真摯な瞳でただ私を見つめていた。
「殺しても死にそうにないと、ずっと想っていた」
ーーーパリストンが幾度となく私に向けたその言葉。それはパリストンの最高の皮肉だと、そう思っていた。けれど、それは少し違っていた。
「……パリストン」
航空機の轟音が、あいつの名を呼ぶ私の声を掻き消した。運命が裂かれる音というのは、こういう音なのかもしれない。体を揺さぶるかのような振動と、耳障りな轟音。駆け抜ける豪風。裂けんばかりの太陽の強い日差し。
憎んだりもした。思い返せば腸を煮えくり返すようなことばかりで、今でも許せないとさえ思う。
けれど今、パリストン=ヒルは死地に行こうとする私を見送ろうとしている。私を消すためにここへ来たのではない。最期の別れを言いに来たのだ。第三者からすればさぞ嫌味たらしいことだろう。態々見送りに来て『死にそうにない女だと思っていた』なんて、死ねと言っているようなものだ。けれどそれは少し違うのだ。あいつの本性を知る人間だけにしかわからない微妙なニュアンス。私をこの世界から消したいと願っていたのはきっと事実なのだろうが、このような結末は本意ではない。
きっとパリストンはこう思っている。ーーー僕が消したかったのに、と。
パリストンは暫しの沈黙の後、ふっと霞のように笑った。自嘲の笑みのように感じられた。
「ですが、この船に乗るというのならば僕が手に掛ける必要もないということですね」
「そう。諦めるってわけ?」
「心配しなくとも、貴女がそれでも死ななかったら殺しに行きます」
「あきれた。あなたってほんとうにしつこくて陰湿ね」
「それだけ貴女が気になって仕方が無かったということです」
「それが口説き文句だったらぞっとしないわ」
パリストンは私を嫌っていて、私もパリストンを嫌っている。そういう啀み合う関係だと思っていた。
けれど死の手前、ようやくわかった気がした。幾人もの人々が私達の周囲を行き交うように、縁だとか運命だとか、人間にそういう目には見えないものがあるとするのならば、私とパリストンの縁が今ここで絶たれようとしている。それは静かな足音で、死という姿で、鋏で糸を切るかのように。
これでようやくパリストンとの縁が終わるのだ。あれだけ願っていた。もう一生あいつに関わりたく無いと。目にするのも嫌だった。だから関係が切れる時は清々するだろうと思ったのに。
何故なのだろうか。今では、とても寂しい。
目に入れるのも嫌だった男が目の前に立っている。
けれど今は、ーーー大嫌いなあいつしか目に入らない。
「曲がりなりにも人善的な行いを遂げようと死にに行くのですから、貴女に相応しいお似合いの最期ですよ」
「……あのね。期待しちゃいなかったけど、なんか他にもっと言うこと無いの?頑張ってとかそういう……あー、もういい」
何を期待してるんだか、と考え直した。頑張って、なんて嘘くさい応援を言う男ではなかった。そんな言葉を貰ったとしても、嫌な思い出になるだけだ。
『連絡します、飛行船艦ヴァルキリーは時刻二○時、定刻にて出発予定。各員手続きの上速かに搭乗をお願いします。繰り返し連絡します。飛行船艦ヴァルキリーは……』
抑揚のないアナウンスが、私を指名して呼んでいるかのようだった。時刻は迫っていた。私は唇を噛み締めて、パリストンに背を向ける。
「もう、行くわ」
「そうですか」
パリストンは、素っ気なく答えた。それが私達の行き着いた答え。
それで終わりだと思った。
「待っています」
だが、パリストンの透る声が私の背中に投げ掛けられた。私は思わず、足を止めて息を飲んだ。それは思いもしなかった言葉。あれだけ私を殺そうとしていた男の、けれど私の生還を望む、矛盾の交錯した言葉。
「貴女は何度手に掛けようとしても死ななかった。ーーーだから、こんなことで呆気なく死んでもらっては堪らないんですよ」
振り返ると、パリストンはどこか歯痒いような表情をして私を見ていた。まるで自分の思い通りにならない子供のように、拳を握って、眉間に皺を寄せている。
死ぬんじゃない、と、ただそれだけ。
生きて帰ってきて欲しい、と、それだけ言えばいいのに。
そんな一言でさえきっと上手く伝える事ができない。
何もかも歪んだ表現しか出来ないこの疎ましい男に、私は笑って応えた。
これまで勘違いをしていたのは私だ。パリストンが私を殺したいと思っていた理由。それは自身も気づいていない、心奥の深く深く。私がパリストンを嫌う理由。
「……そうだ。あなたに一つ言い忘れてた事があったわ。万が一死んだら伝えられないから、今ここで言っておこうかしら」
「文字通り、最期の言葉ですか」
「そうかもね。だからよく聞きなさい」
きっと、最初で最期。
もう二度と会う事はないだろう。
だから、最期に会えて、本当によかった。
「ーーーパリストン=ヒル。私、あなたのこと愛してた」
何と無く気恥ずかしくて、誤魔化すように笑った。パリストンはというとやはり突然の言葉に驚いたのだろうか、目を丸くして虚を突かれたような表情をしていたが、そのうちに唇を結んで、目頭を緩ませた。
「僕もです」
パリストンはそう答えて、笑みを浮かべた。それはこれまでに見た事のない、とても穏やかな笑みだった。
『繰り返し連絡します。飛行船艦ヴァルキリーは時刻二○時、定刻にて出発予定。飛行船艦ヴァルキリーは間も無く出発予定。各員手続きの上速かに搭乗をお願いします。……』
ヴァルキリーが呼んでいる。私は荷物を背負い直して、パリストンに背を向け歩き出した。きっと、あいつも私に背を向けて歩き出しているのだろう。何と無く、それがわかった。
*
ゲートを暫く歩き進むと、ササキが壁にもたれて私を待っていた。
「キスは良いのですか?」
「……見ていたのね」
「おや、今更ですね。私はずっと貴女を見ていましたよ」
ササキは狐目をさらに細くさせて私を伺った。彼は分かっていたのだろう。ササキが私に投げかけた『本当に良いのか?』という言葉はこの意味だった。
「安い三文映画ならキスくらいしたかもね。でもこれは現実。私達は未知の病原菌に関わって世界と己の命運を天秤に賭けようとしているんだから浮かれていられないわ」
「現実は優しくないですね」
「それとこれとは別ってことよ。……でも、そうね、全く無関係って話でも無いのかしら」
「どういう意味ですか?」
「なんというか、こういう時、女は強くなれるの」
ササキは目を丸くさせたが、「それは頼もしい」と唇を吊り上げた。
「貴女の前にヴァルキリーも散るでしょう」
「散ってもらっては困るわ。私達が勝利を得るまではね」
ゲートが開かれ、外気が温く頬を叩く。ヴァルキリー船艦の鉛のような無機質な瞳が私を捉えた。重いエンジンの地響き。吹き荒ぶ轟音。ヴァルキリーが私達を待ち構えている。死を囁くかのように。世界か、己か。天秤に掛けたとして、落ちるのはどちらか。それは、別の未来の話。
ヴァルキリーが死ねと囁く