萌えるゴミ
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「ご懐妊です。おめでとうございます、イルミ様、若奥様」
医師はそう言い、恭しく頭を垂れた。真っ暗な部屋の中、ぼんやりと形もなく現れた胎児のエコー画像を取り囲み、その宣告が残響する。私は茫然とした気持ちで診察台の上に縛られる。ひやりとしたプローべが続けて腹の上を滑った。その感覚におぞましさが増す。身体は、凍りついたようだ。意のままに動くことは、今後二度と無いのだろう。
「若奥様。失礼ながら、最終月経はいつ頃でございましょうか」
「確か、先々月の末だったかな。20日だったよ」
医師から私への質問に、代わりにイルミが饒舌に答えた。医師は頷き、「性別は未だわかりませんが、その内にお顔が覗けることでしょう。最終月経から算出すると現在7週といったところです」とカルテに続けて記載する。腹の中の黒いクリオネに、AGE : 7w3d ±1wと年齢が振られた。父親は1人しかいない。頭元に、夫然とした表情で立つこの男だ。長い黒髪を垂らし、光一筋通さない瞳が、涼しい表情で私を見下ろす。イルミ=ゾルディック。この男の体温を知っている。肌を知っている。唇を知っている。何度も何度も、執拗いほどに、望まぬ夜を思い知らされたから。
「お前が突然嘔吐いたりするものだから、何か不具合が出たのかと心配したよ」
私の身体を突如襲った、えも知れぬ不調の正体は悪阻であった。嘔吐しながら、もしやと頭の他所で気付いていた。あのまますべて吐いてしまえたら良かった。食べたものさえ、内臓の何もかも、子宮の中の全てが逆流してしまえば良かった。
「俺の子を妊娠したんだね。嬉しいな」
妊娠、という悪夢のような事実。ついに、私は……。
いつからこんな事になったのだろうか。どうして私は、この男の籠の中で生きることとなってしまったのだろう。以前にヒソカから告げられた『嫌なら死ぬか、彼を殺すかだ』という一言が脳裏を過ぎった。拒否をし続ければ、いつかは諦めてくれるのだろうと思い込んでいた。嫌だ、無理なのだと言い続けていれば、きっとわかってくれるはずだと。やめてくれるはずだと。勘弁してくれるはずだと。見逃してくれるはずだと。イルミ=ゾルディックという人間に残った善意の欠片を少しでも信じてしまっていた。
しかしそれは、愚かで、浅はかな信頼だった。
彼の中には善意も悪意も無いのだ。あるのは目的を達成する思考だけ。それは執着心の延長ともいえる、歪な情愛。私の協力や了解など、必要の無いことだったのだ。
「ねえ。お前も嬉しいだろ?」
「ええ、嬉しい」
その蛇のように冷たい彼の手が私の額を拭い、私の口は、彼に呼応するように勝手に喜びを口ずさむ。
違う。嬉しくなんかない。悔しい。蹂躙されつくして、孕ませて、子どもまで産ませるつもりなんて。こんな。どうかしている。
『その男のどこがいいの?』
好きな人がいた。優しく快活で、素敵な人だった。だからイルミの気持ちに拒否をし続けた。愛していなかったからだ。
『ほら。この男のどこがいい?』
イルミはある日、その人の生首を携えて私の前に現れた。ぼたぼたと落ちる血もお構い無しにそれを私に見せ付けながら、彼は少しもわからないとばかりに小首を傾げた。反面に私はその時、漸く状況を理解した気がした。泥水の上澄みを掬っただけの理解に過ぎないが、彼の世界に干渉するべきでは無かったのだと気が付いた。
その日から、私は彼の世界の中心となってしまった。私の脳天に打ち込まれた禍禍しい針が、逃亡も反逆も自死も出来ないように、彼のその中心から動くことの無いようにと、事実上の束縛をしている。
「まだ子どもは少し早いかなと思ったけど。けどお前も俺との子が早く欲しいと言っていたよね」
「ええ、………………。」
「どうした?」
「……………………。」
違う。ふざけないで。自分の意思で言ったんじゃない。言わされた。もう針の意のままにしか身体は動かない。もう私の意思で身体が動くことは無い。彼がこの呪縛を解かない限り。そして万が一に彼が呪縛を解いたとしても、私はイルミを許したりましてや愛したりなど絶対にしない。
悔しさに、そして後悔に、涙が一筋流れた。生暖かい露が頬の上を伝ってもそれを自身で拭うことはできない。呪縛の上の身体、震える唇を噛みながら、しかしこれだけは止まることは無かった。
「こんナ、ふうに、」
「うん?」
「こんなふう、に、縛り付けて、……何が、楽しいの」
こんなものは、作られた幸せだ。相手を操ってその通りになる事がどうしてそんなにも嬉しいのだ。カップルごっこ。結婚ごっこ。家族ごっこ。すべてイルミが望みの通りに動く私。針人間のまま生きていく私。
「あれ?針の効き目、悪くなったかな」
イルミはあの時と同じように、小首を傾げた。額を撫でる手を脳天に翳す。それと共に私の中で、侵食していたイルミの影が増す。
「やメ、て」
「今度はもう少し強めに調整しなくちゃ」
「おろ、して。ころし、て」
「そんな事しないよ。折角授かった命なのに、酷い事を言うね」
何を講釈垂れて歯の浮くような聖人ぶったことを言う。過去も現在もそして未来も、人殺しのくせに。
しかしもう、私は唇を動かす事さえ出来なかった。意識は保ったまま、針人間として、彼の妻としてまた人形へと戻っていく。心は生きていて、体を喪って。
「これで全部、俺のものになった」
そう言ってイルミは、満足そうに私にキスをした。
深層に押し込まれた私の意識に反して、身体は満面の笑みで彼の口付けを受け入れる。こうして私は、再び人形へと戻っていった。