地下鉄南北線

変装も洗脳も得意な方ではある。けれど、これほど大きな規模で「幻の銀水晶研究家の異園教授」を演じるのは初めてだった。
慎重な彼がその日現れたのは、国で一番の蔵書を誇る国立図書館。国中のあらゆる出版物が保管されているこの図書館のシステムに忍び込み、公共の電波に乗せたそれを実行するための下準備として「異園」の実績を書き加える操作をするつもりだった。なのに。

「やはり夜間にするべきだったか」

サーバーに不自然な痕跡が残る可能性を嫌い、敢えて開館時間を狙って来館者に紛れた事が仇となったのか、その日に限って目をつけていた文献ばかり貸出予約がされていた。
ならば電子化された古い蔵書の元データを改竄しようとシステムのハッキングを試みるも、閲覧中だったりして不自然に書き換えることができない。

「徒労だわ」

わざわざこんな所にまで足を運んで、たいした成果が得られなかったなんて。歯痒い思いを抱えて出直そうとしたけれど、なんとなく、吸い込まれるように地下鉄のホームへ足を向けた。
19時過ぎの南北線。新しい路線とはいえ、薄汚い地下鉄。どこもかしこも草臥れた様子の人々ばかり。本当に、こんな人間共の中に幻の銀水晶の在処を知る者がいるのかしら。

何故こんな息の詰まるような地下鉄に乗り込んだのか、自分でもよくわからない。けれど何もしないで帰るのもつまらないし、電車ひとつ分の乗客のエナジーでもいただいて帰ろうか。
そう思いながらシートに腰を下ろした。

動き出した車内、向こうから重たそうな帆布の鞄を下げて、電車の揺れに少し足を取られながらゆらゆらと歩いてくるセーラー服の少女がいた。きっと座る場所を探していたのだろう。偶然、隣の席が空いてるのを見つけてストンと腰を下ろした。

座るや否や、骨董品に触れるかのように大切そうに鞄の中の資料を取り出す彼女。
どうやら同じ図書館にいたらしい。
見れば鞄の中には、鉱石に関する学会等の文献が10冊ほど。限度数ギリギリまで借りてきたな。それに複写サービスで受け取ったのであろう古い文献の写しの束。なるほど、あの図書館しかない資料だと、その選別眼に感心した。

ずいぶん若いけれど、専門家か何かだろうか?
彼女の持ってる文献は、どれもゾイサイトが捏造を加えたいと思っていた物ばかり。
今日、図書館の電子書籍システムが閲覧中になっていてデータが改竄できなかったのもおそらくこの小娘が閲覧していたのだろう。
いっそこの娘ごとさらってしまおうか。

そんな思いがよぎった直後、トン…と、彼女の頭が肩に寄りかかってきた。
電車内の人々からエナジーを奪おうとしていた最中のこと。彼女も他の乗客と同じく、次第にエナジーを奪われはじめて意識を失ったのだろう。

彼女の膝の上で無防備に広げられたままの文献。その上の、大切そうに指で追っていたらしき文字に目が止まった。

「…灰簾石:ゾイサイト」

ーーこの娘はいったい、何を調べて…?

肩に寄りかかった青い髪からふわりと優しい香りがして、なぜか頬が緩んだ。

ーーやめた。

扉が開くと、そっと立ち上がって電車を降りた。
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