♡SS〜シルバー・ミレニアム
「どこ行ってたの?」
パレスが眠りにつく夜半過ぎ。こっそり帰ってきたところをマーズに呼び止められて、ギクリと硬直した。
ネフライトと会ってた…だなんて、このタイミングでは言えない。
しどろもどろに言い訳したけれど、眉根を下げて「困ったもんだわ」と苦笑する顔はどうやら怒ってはいないみたい。彼女も、密かに恋をしてる事をあたしは知っている。
「ーもうこんな時間なのに。あの人何とかしてあげてよ。ああなってしまうともう貴女にしか扱えないわ」
ため息混じりに言うマーズの様子から、また何かマーキュリーが根詰めているんだなと察しがついた。
真面目すぎるんだよね。あの子は。
こんな時はだいたい書庫か自室の机にかじりついているはず。
そう思って書庫に足を向けたんだけど…うん、確かにこれはひどい。
積み上げられた大量の資料…の中に埋もれるように、沢山の栞を挟みながらコンピュータに何かを打ち込むあの子の姿。
横顔からでも明らかに睡眠不足が見てとれる。
ポンと肩をたたくと小さな悲鳴をあげて飛び上がった。
よっぽど集中してたんだろうか。
肩越しにも分かる冷えきった身体。
こんな寒くて乾燥した部屋にいつからいたの?
まだ終わってないと駄々こねる彼女を強引に連れ帰ると、シャワーでも浴びて身体を温めてくるよう伝えて暖かいスープ作ってあげた。
あの様子ではたぶん、夕食もまともに食べてないから。
------
「なぜ、月と地球の人間は通じてはいけないのかしら。」
浴室から出てきたマーキュリーにスープを渡すと、彼女は「ありがとう」と大事そうに両手で持って話し始めた。
「プリンセスにあの方とお会いするのをどうしてダメなのかと聞かれて私、答えられなくて。」
「それで地球の事を調べていたの?」
湯気が頬を温めて、さっきより大分顔色は良くなったみたいだ。
まだ熱くて飲めないのか、頷きながらフゥフゥしている仕草はなんだかかわいい。
「やはり、月と地球の人間が通じてはいけないんだわ。あの人たち、敵になるかもしれない。でもそれを説明できる根拠がないの。」
「敵かも?なんで?」
あたしには、エンディミオンを一途に守護するネフライトたちがそんな悪い奴らとは思えないんだけど。
そうなんだけど…と同意はしつつ、マーキュリーは今まで調べてきた月と地球の歴史やそれぞれの王国の制度、そこから考えられる二国間の隔たりや憂慮されている事などを長々と話してくれた。でも、難しくて結局どうして彼らが敵という考えに結びつくのか、あたしにはいまいちピンとこない。
それは気の遠くなるような太古の昔から定められた掟。誰が何故そう決めたのかも分からないし、いくら聡明な彼女でもそう簡単に辿り着ける答えは無いのかもしれない。
「少し休みなよ。ベッド貸すから。」
話が落ち着いた頃合いを見て、空になったカップを受け取った。
時計の針はとっくに深夜と呼べる時刻を過ぎている。
昨日も寝てなかっただろうし明日も朝から公務があるのに、これ以上夜更かしするのはよくない。本当に。
ーーって、言ってるそばからまたポケコンを取り出してるし。
いいかげん寝なさいって。今何時だと思ってるの?
その目のクマ、何とかしなよ!
ぽすんと毛布ごと抱き包んで、一緒にベッドへ倒れ込んだ。
何をそんなに焦っているの?
寝られないなら一緒に寝てあげるから。
腕の中で考え事をするマーキュリー。こうして2人でベッドに潜ると、幼い頃を思い出す。不思議だね。毛布を被ると自然に、2人とも素直な気持ちになれるんだ。
「…あの人と一緒になると落ち着かないの」
「あの人って?こないだも一緒になった、あいつ?」
図星だ。一瞬ドキンと身体を硬らせて、躊躇いがちにうん、と頷いた。
「目を合わせてはいけない気がするの。なのに、勝手に視線があの人を追ってしまう。」
「意図してなくても、彼の声が耳に入ってきてしまったり?」
「そう。何故かしら。地球からの使者があるたびに今日は来てるのかなって、気になって…」
「それで気がつくとあいつの事ばっか考えてる、とか?」
「ええ。いつか冷静な思考ができなくなって、間違った選択をしてしまうのではないかと不安になる」
(……マーキュリー…!それは恋だよ。)
心の中でくつくつとこそばゆくなる笑いを堪えて、うんうんと話を聞いてあげる。
「大抵の邪気は早くからマーズが察しているはずなのに、マーズは何も感じないって。…!ねぇ、まさか、私にだけ何かを仕掛けているのかしら!?これもあの人たちの策!?いけないわ。やはりプリンセスが危ない!次に地球へ行こうとされるまでに何か手を打たないと…」
また起きて調べ物でもしようとするから慌てて押さえ込んだ。
「ちょ、ちょっと待って。心配なのは分かるけど、考えすぎじゃない?」
「でもっ!」
「寝不足だよばか」
腕の中でパタパタと逃げ出そうともがいている細い身体をつかまえて、つい口から出てしまった、一番彼女に似つかわしくない言葉。
こんなに冷静さを失っている彼女も珍しい。
あー、この子はこんなふうに恋に落ちるんだ。昔からずっと一緒にいたけれど、初めてだよ。こんなマーキュリーを見たのは。
柔らかく触れる手足はホカホカと暖かくて。本当はとっても眠いんでしょ?
「分からないの…ちがう…」
ふるふると首を振る彼女の頭を抱き寄せると、図らずもジュピターの胸元に額を擦り付けるように潜り込んでしまうマーキュリー。なんだか甘える子猫みたいだなと思った。
あたしにしか見せない甘えた姿。
もし、この子の恋が実ったら…こんなふうに腕の中に抱けるのはあたしだけじゃなくなっちゃうのかな?なんてね。
ちょっとだけ寂しいような、でも、その時が来たら誰よりも頼れる味方となって背中を押してあげたいとも思う。
「大丈夫なんじゃない?『大抵の邪気は早くからマーズが察してる』んだから。」
「…そう…そうなのかしら…」
そうだよ。
とりあえず寝なよ。
どーしても心配なら、今度の護衛はあたしが一緒に行ってあげるから。ね?
そう言い終わるより先に、胸元からすうすうと寝息が聞こえてきた。