猫っ毛の女の子

宮女に扮したゾイサイトは、一世一代の試験を課されていた。

〜月のパレスに紛れ、宮殿の庭園にのみ生えるバラをひとつ、持ち帰ること。〜

これまで、数多くの密偵をさせられてきた。その実績と能力が認められた唯一の機会。
声変わり前の今しかできない、彼だけに特別に課された試験だ。

これが成功したら、騎士の位を約束されている。
しかし、万が一失敗した場合には…
否、失敗は許されない。両国の関係を揺るがす事態である。
腰に納められたサシェの薬は、「そうなる前に自害せよ」との指示を意味しているのだ。


積荷に身を隠して月のゲートを通過すると、長い髪を解いた。
たちまちその姿は"ふわふわの亜麻色の髪の少女"へと変貌する。
スゥ、と一呼吸すると、少女になりきるスイッチを入れた。

神聖なパレスの中に入るためには検閲を潜らねばならない。しかし、唯一東の門だけは限られた者達だけが使用するため警備の目が僅かに少なく、内部の者であると欺くことができれば入り込める可能性はゼロではない…はず。

宮女の1人に近づくと、にっこり笑って話しかけた。
魅力的な容姿と話術は誰の懐にも入る隙を与える。
若い宮女は突然現れた猫っ毛の女の子に戸惑いつつも、親しげに話す内容から新しく入った同僚のひとりなのだろうと判断した。
しかし…

「何を、お探しなのですか?」

ふいに現れた短い青い髪の宮女が、2人の会話に自然に入り込み、にっこりとゾイサイトの顔を覗き込んだ。
傍目には少女達の何でもないおしゃべりのような空気を纏ったまま、しかし青い瞳がゾイサイトをじっと捕らえて離さない。

ドキンと鼓動が速くなり、彼女のかけた言葉に戦慄を覚えた。
どうしたの?でも、何を話しているの?でもなく、何を『探している』?と、さりげなく核心を突いている。宮中の者では無いと悟っての言葉だ。

ーーまずい!

咄嗟に逃げ出そうとするゾイサイトだったが、彼女は素早く手を掴み、くるりと身を翻した。
たおやかなその仕草は、まるで2人が手を繋いで仲良く戯れているかのように見えただろう。
「ここは危険です。今はまだ、走ってはいけません。」
小さな声でそっと話しかけると、私についてきて、と、目で合図した。

他の少女たちよりも少し幼いけれど、立ち振る舞いからして位の高い子なのだろうか。彼女に連れられ歩く道すがら、大人たちが深々と頭を下げている。
王宮の、それもかなり内部の者にこの事が知れたとなればもう国に帰る事はできない。
歩きながら逡巡していたゾイサイトがついに覚悟を決めたその時、繋がれていた手がピタリと歩みを止めた。

「この扉を開けるとパレスの内部に入れます。
 ーそれを、お預かりしても宜しければ」

腰のサシェを指差し、口元だけが微笑んでいる。少しだけお話をお聞かせいただけませんか?などと言いながら。

なんと隙のない少女なのか。
気がつけばそこは袋小路。もはや逃げることも自害することも許されない。
絶望感に肩を落とし、言われるがままサシェを差し出す。
その様子に、彼女は少し安心したようだった。



「突然の無礼を失礼いたしました。ここは安全です。あなたがここへ来た目的を、教えていただけませんか?」
パレスの中庭を抜け、小さなガゼボに着くと彼女は何かを確認し、話を切り出してきた。

「…ありがとうございます。まずは不敬をいたしましたことをお詫び申し上げます。」
ーー何故だろうか。吸い込まれるような青い瞳に見つめられると、何もかも話してしまいたい気持ちになる。

「なぜ、私を侵入者と知りながらこのようなお心遣いを?」

「月の者がこのような手でパレスに入ろうとするとは考えられませんし、悪意のある来訪であれば私の友人が気配を察していたはずですから。
 あなたの様子を伺うに…何かしらの事情がおありなのかと。」

預かったサシェをキュッと握り締めながら思慮深く労わる眼差しはとても優しく、ゾイサイトの心を暖かく包み込む。
この子はおそらく、本気で私の事を心配してくれている…そう感じると、ゆるゆると張り詰めていたものがほぐれて涙腺が緩んだ。

或る人からここのバラを取ってくるよう命じられたこと。その「試験」という名目の元に退路を断たれていること。しかし自分にも、いつかは一人前の大人になって大切な人を守りたいという望みがあったこと…

話しながら、無意識のうちに想いが溢れてくる。
短い人生、大人達に翻弄されながら必死で生き抜くうち、気がつけばこんな大事を遣わされるようになっていた。
もう戻る事はできないであろう故郷の景色を思い浮かべながら、それとよく似た、美しい花の咲き乱れる中庭が涙で滲んだ。

「ありがとう、話してくれて。」
しばらく静かに話を聞いていた彼女は、それだけ言うとそっとゾイサイトの背中に手をあてた。

「どうしたの?大丈夫そ?」
いつからそこに居たのだろうか。
カサリ、と植え込みの向こうからもう1人、茶色いポニーテールの少女がやってきて青い髪の少女の隣に腰を下ろした。

「ええ、心配ないわ。この子、あなたの育てたここのバラがとてもお気に入りみたい。」

青い髪の子にそう言われると、その子は嬉しそうに腰に提げていたポプリから花びらを一枚取り出し、どうぞ、とゾイサイトに渡してくれた。

「これで、貴方の痛事は少し減るでしょうか?」

月のパレスでしか見ることのできない品種。それもパレスの者によって丁寧に加工された、おそらく地球の人間の誰一人として見た事が無い貴重な一枚。
課された課題に対してこれ以上の証拠に勝るものはないだろう。

驚きと、まだ夢の中にいるかのような出来事に、ただひと言お礼を呟くのが精一杯だった。


——

「ここから先は、お一人で。どうぞお気をつけて。」

パレスを出て、迎えの者と待ち合わせをしている森の入り口に向かうまで、怪しまれないようにと青い髪の子は一緒に居てくれた。

いつか、また会える日が来るだろうか?
その時にはきちんとお礼がしたい。
もし、私が一人前の大人になれたなら。
ーーいや、必ずなってみせよう。大切な人を守る事のできる、立派な騎士に。

そう心に誓い、帰路についた。
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