Recombination
昨夜もまた、不思議な夢を見た。
夢の中の俺は相変わらず「マスター」を護るという使命感を抱いているものの、その人は手の届かない所にいて思念を送ることしか叶わない。
そんな不甲斐無い我が身を呪いつつ、ただ見守るばかりの日々を送っていたある日、とてつもなく大きな力に襲われた。
護るべきその人は追う間も許されない程あっという間に消し飛ばされて、やがて俺自身も光の粒となり、原始の海に放り出された。
夢中で光の海を泳ぐうち、気がつくと俺ひとつだけだった光の粒は4つに増えていて、俺たちは溢れ出る光の渦に流されながら「あの場所」へ辿り着いた。
そこはどこか現実離れしたような暖かさに包まれた場所で、祭殿では色素の薄い髪をした少年がひとりで祈りを捧げている。
その姿は自分がこれまで見てきたどんな者よりも美しく神聖で、懐かしい誰かに似ていた。
「マスター」
思わず口をついてでた呼び名に、少年がこちらを振り向く。
目が合うと、無性に胸が苦しくなった。
彼は間違いなく"あの方"と繋がっていると、本能的に感じたのだ。
やっとここまでたどり着いた…けれど、俺たちに再びマスターと出会う事が許されるのだろうか…?
「許されるわけがない。2度も過ちを犯しているのだから。」
後ろ髪を引かれる思いを断ち切って、俺たちは再び光の渦に身を投げようとした。"あの方"とよく似たその少年の姿を拝めただけでも幸せだったと言い聞かせながら。
しかしその時
「大丈夫ですよ。」
少年が祭壇から降りてこちらへ歩み寄る。
俺たち4つの光の粒をそっと掌に乗せると、慈しむように包み込み、遠くへ離れて行こうとするのを止めた。
「また、側にいて差し上げてください。大丈夫。あなた方の負った傷も後悔も、全てやり直す事ができるでしょう。私達は、あの頃よりもはるかに強くなったのですから。」
少年の穏やかな声を聞いた途端、パァンと弾かれるように飛ばされて………
…そこでようやく目が醒めた。
――――――
いったい、何の記憶だろうか?
あんなに現実離れした夢だというのに、何故か昨日の出来事のように鮮明で、身体の隅々までその記憶が刻まれている。
冷たい水で顔を洗い、ぼんやりと霞がかかったような頭を現実世界に引き戻すと、俺はホテルの部屋を出た。
夢はあくまでも夢であり、今は目の前にある仕事に集中しなければ。
全米屈指のエリート校がいつくも軒を連ねる学園都市ボストン。
今回のアメリカ出張の目的は、この街の有名工科大学に所属する若手研究者と新事業の立ち上げについて打ち合わせをすることだ。
待ち合わせ場所として指定されたのは学生街のとあるカフェ。こぢんまりとした佇まいだが中は思ったより広く、清潔感のある店だった。
店内の古びたインテリアはアンティークとまではいかないがどれもよく磨かれて、つややかな丸みを帯びている。それなりに歴史のある店のようだが、決して入りにくい雰囲気はなく、むしろ居心地が良い。
入り口で案内された席に座ると、窓際のテーブルには留学生かそれとも地元の学生なのか、大学生くらいの若い2人がそれぞれに参考書を開いたり昼食をとったりしていた。
席に着くと、赤茶色のウェーブがかかった髪のウェイターがオーダー用のタブレット持ってやってきた。
「オリジナルコーヒーがお勧めですよ。当店は豆が自慢なんで。」
言いながらメニューを指差すウェイターと目が合った瞬間、なにか見覚えのある顔に思わず「あっ」と小さく声をあげた。いや、声をあげたのはおそらく、俺だけではなかったかもしれない。
一瞬、時が止まったような感覚を覚えた。
「…では、そのコーヒーを…」
「…何か…カスタマイズされますか?」
「お任せで。」
そんな会話を交わしている向こうでカランとドアベルが鳴り、黒い髪の青年が入ってきた。
何故だろうか?その青年が隣のテーブルに案内されたた途端、俺の心の中で「あの方だ!」と言う声がした。
いったい何を意味するのかは分からない。ただこの場にいる人々のなかに、誰か知っている者が、俺の探し求めていた人たちが皆いるような、強い胸の高まりを感じたのだ。
パソコンを開き、打ち合わせの準備をしていると再びドアベルが鳴った。
ゾクリといやな悪寒を感じて入り口に目を向けると、待ち合わせをしていた例の若手研究者が入ってくるところだった。
コトンとマグカップを置く音がした方を見ると、窓側にいた短髪の学生が何か身構えるようなそぶりをみせている。その隣のテーブルで本を読んでいた学生も、蜜色のゆるく束ねた髪を指先で弄びながらブックカバー越しにその男を睨みつけていた。
どうやら何かしらの妖気を感じたのは俺だけではなかったらしい。
異変に気づいたのが自分だけではなかった事に安堵しつつ、その男が平然とこちらへ歩いてくることに心でひどく狼狽えた。
気づいたところで、いったいどうしたら良いのだろうか?ただ何か妖気を感じるというだけで、外見上は間違いなく人間なのだ。
それに、"今の俺"には何も戦う術がない。
男との距離はみるみる縮まり、ついに俺のテーブルまでやってきた。
当然だ。この男は俺と打ち合わせをするために来ているのだから。
俺は平静を装い席を立つと、努めて冷静に男へ会釈した。
「はじめまして」
応えた男の目は間違いなくヒトではない何かを宿しているようで、俺の中で「これ以上近づいてはいけない」という危機感が最大級の警報を鳴らしている。
「お会いできて光栄です」
言いながら男が差し出した手に、思わずたじろいだ。
(だめだ!コレは絶対に、触れてはいけない!!…でも、どうしたら…)
そのとき、不意に隣のテーブルの青年が立ち上がり、ペーパーナプキンを手に俺と男の間へ入った。
「落としましたよ。」
もちろん、俺もその男も、ペーパーナプキンなど落とした覚えは無い。
この青年が俺の危機感に気付いて助けに入ってくれたらしい事はすぐに分かった。
「地霊だ。近寄らないほうが良い。」
なぜ俺が日本から来たと分かったのだろうか?青年は男に悟られぬよう早口の日本語で俺にそう囁くと、男の方へ向かった。
その途端、男の姿勢がグラリと傾いて、あらぬ所から声がした。
「オマエガイイ」
やはり、何者かに操られているのだ。
男は視点の定まらない目で青年に向かい合うと、倒れ込むように青年へ襲いかかった。
ギリギリのところで身をかわした青年の足元に、男が派手な音をたててテーブルごと倒れ込んだ。
騒然となった店内で、それでも男はかまわず起き上がり、再び青年に襲いかかろうとしている。
瞬間的に「させてはならない!」と体が動いた。あの青年にだけは絶対に危害を加えさせてはならない。何よりこの男を招き入れたのは俺だ。これ以上あの男の好きにさせてはならないのだ!
立ち上がった男が青年に振りかぶろうとした瞬間、俺は2人の間に飛び込んだ。
男の両腕がガツンとぶつかる――と同時に、男の体からフッと力が抜けた。男に打たれたその場所から、急に何かが俺の体内へ流入する。
(やめろ!入ってくるな!!)
心で強く抵抗するが、身体が動かない。なす術もないまま、身体中にドロリと霊気が入ってきて、自分の手足なのにまるで感覚がなくなった。
俺の身体はゆらりと操られるように拳を振り上げて、自分の意思に反して今度は俺が青年を攻撃しようとしている。
(やめろ!!…留まるんだ…や…め…)
身体の感覚が無くなるのに続いて、俺の意識も次第に霊気の中へと飲み込まれていく。
――その時、
「外でやってくれ!」
赤茶色の髪のウェイターが俺の胸ぐらを掴み、開け放たれた窓の外へ投げ飛ばした。
あのウェイター、なんて力だ。投げ飛ばされた衝撃のおかげで、消えそうになっていた俺の意識が少しだけ留められた。だがそれも束の間、意に反して動く体は、ひどい渇きで人間のパワーを求めている。
「やっと自由になれたのだ!もっと力を!…アイツが欲しい!」
俺の口から、俺ではない何者かの咆哮が噴き出す。
次第に押し消されていく意識の中で、俺は体内に入った"それ"の意図を知った。
それは古くからこの地に巣食う地霊だった。
土地の発展とともに各地から人々が集まり、この地は豊かになった。しかし、人の心とは常に全てが善いものであるとは限らない。互いに高めあい、競い合うなかで生じる妬み嫉みはネガティブなパワーとして増幅し、やがてひとつの意思を持つ。そうして意思を持った地霊は自由を求めてヒトの体に入り込み、動ける足を手に入れると次はより強い者へと憑依する事を望んだのだ。そして今、この地霊が最も欲しているのは、俺の体ではなくあの青年なのだろう――
「どういうつもりだ」
店から出てきたさっきのウェイターが俺の前に足を大きく広げて立ちはだかり、低く唸った。
(どうもこうもない。俺の体が勝手にした事だ。知るか!!!)
軽く腕を振っただけのはずが、地霊に侵された俺の一撃はウェイターの厚い胸板に鈍く刺さり、面白いほどによく飛んだ。
呼吸が乱れてうずくまっているウェイターを鼻で笑い、一瞥をくれてやる。
なるほど、今の俺は随分といい身体を手に入れたらしい。だが望むのはコレじゃない。アイツだ。あの青年の身体が欲しい…!!
俺は再び、店内へと足を向ける。
「おい、待てよ」
なんだ、さっきの学生か。窓辺にいた若い2人のうち1人だ。その手に構えている傘は武器のつもりか?野暮ったい。そんな物で今の俺に勝てるわけがない。だが良いだろう、とびきりブザマな泣き面にさせてやる。
ほんの揶揄い遊びだ。俺は店内へ向かう足を止め、青年に向き合った。
その途端――
不意に後ろから足の低い位置を掬われて、俺の視界は一瞬でドシンと地に落ちた。
クソ、2人がかりだったか。後ろからもう人、長い髪を緩く束ねた学生が俺の足下にしがみついている。
間髪入れず、正面にいた学生が俺の上体に飛びかかり、顔面から強く地面に打ちつけられた。
拘束を振り払おうと蹴り上げた革靴が、ガツンと足下の学生の頬に当たった。耳元で、上体を押さえつけている学生の呼吸が荒くなるのが感じられた。だが、それでもなお二人とも俺から離れる様子が無い。
「フフッ、なんだよ。涙目じゃないか。」
「――っ!うるさい!これ以上店内に近づくな!」
「おい離れろ!俺が足も押さえるからお前は何か武器か拘束ができるものを…」
「お前ら。なぁ、ィいいかげんにしろォォオオッ!!!」
勢いよく身体を起こすと、腹の底から湧き上がる妖気で邪魔くさい2人を吹き飛ばした。
ゾクゾクする。この程度でこんなに力が出るのだから。この身体、なんというパワーだ!早くあの青年の身体に乗り移りたい!
ようやく起き上がったウェイターと若い学生の2人。肩で息をしながら、3人の男たちは尚も店の前で俺の行く手を阻んでいる。
どうやら絶対に中の青年には合わせないつもりらしい。
良いだろう。所詮この身体も仮初のもの。最終的にあの青年の身体さえ手に入るなら、どれだけ傷つこうと使い捨てても構わない。
さっき押し倒された時にできた口内の出血をペッと吐き出すと、俺は再び地を蹴った。
――――
時間で言えばほんの僅かな間だっただろう。
しかし、気がつけば俺を含む4人とも全身泥だらけになって激しく絡み合っていた。
周囲で野次馬の悲鳴が聞こえるが、知った事では無い。
そのとき――
太陽の中から放たれたかのような強いエネルギーで、絡み合っていた4人の身体は一瞬にしてに引き放された。
ばさりと何かを翻して颯爽と現れたその男は…その男は…何だ?何か熱い物が、胸の奥深くをチクリと刺す。
「!!マスター…!」
俺の声か、それとも他の3人の誰かの声なのか、誰が言ったかは分からない。ただその響きはとてつもなく懐かしく悲しくて、切なかった。
「ヴゥゥ…オマエが…ホシイ…」
そうだ。この身体の主なんて知ったことか。俺がほしいのは、オマエの身体ダ!!!!!
ありったけの妖気を背に飛びかかったが、タキシードの指先から放たれた何かが命中し、俺は…いや、俺の中にいたソレは、勢いよく体外へ叩き出された。
「…っ!ガハッ!…ッ…ハァ…ハ…」
……俺は一体、何をしていたんだ?
全身が鉛のように重い。
ぼんやりと霞む視界の先で、タキシードを着た彼が俺の体外に出た地霊へ最後の一撃を加えるところだった。
あの方は…そう…
「…マス…ター…」
自分の身体を取り戻して、全身に激しい痛みと疲労感を自覚した途端、俺は再び意識を失った。
――――
眠りの中で、またあの夢を見る。
…そうだ、俺はマスターを探していたのだ。探しているのは俺だけではない。何者にも変えがたい、強い絆で結ばれた仲間たち…ネフライト、ジェダイト…ゾイサイト…。
あのとき、最後に見たのは冷たい石の部屋。変わり果てた仲間達の姿と、暖かな銀水晶の光、だったような気がする。
果たしてそれは「夢」だったのだろうか?
……
…
追憶と夢の堺が定まらない意識の中で、その光とよく似た温かな何かを感じて目を開けた。
「大丈夫か?」
見慣れない天井へピントが合う前に、懐かしい声を聞いて反射的に身体が飛び起きる。しかし、急に動かした体は痛みでとても重く、再びベッドに沈んだ。
「…っ!マスター…」
「まだ少し、このままで。傷は治せたが、貴方のダメージが一番大きいから。」
そう言いながら、黒い髪の青年は俺の身体に触れそうで触れない距離で手をかざす。不思議なことに、彼が手をかざすとそこから痛みが消えていった。
「…他の3人は…?」
「隣の部屋にいる。ここはあのカフェの2階だ。」
目を閉じて、その手の主に意識を集中させると、酔いが覚めたかのように数時間前の記憶が蘇ってきた。
俺は…打ち合わせに来たカフェで、ヒトではない何かが現れて…。「地霊だから近寄るな」と助け舟を出してくれた青年に、アイツが襲いかかろうとしたから守らなければと思ったんだ。
彼こそがマスターだったと、本能的に感じたから…。
それなのに俺は、守るどころかアイツに身体を乗っ取られて、"また"マスターを危険に晒してしまった。
「…マスター」
「思い出してくれたのか?」
深く吸い込まれそうな色をした瞳だった。
乾ききった砂の上へ水が流れ込むように、今までの夢の理由が満たされていくのがわかった。
「驚いた。こんなところで会えるなんて。」
「…お会いできて…光栄です。」
冷静さの中に喜びを押し留めてただひと言、そう応えることしかできなかった。
こんな不甲斐ない姿で再会するだなんて。
ワケもなく視界が潤んでくるのがますます情け無くて、耐えきれず片腕で顔を覆った。
「夢みたいだ。」
俺の身体に手をかざしながらマスターが語り出す。俺はそのまま、じっと彼の声に耳を傾けていた。
「空港で襲われて、うさを独りにしたまま俺の身体は一度滅びてしまったのに、再びやり直せる事ができた。
それだけでも奇跡だと思っていたのに、またこうしてお前達に会う事ができるなんて。
本当に、夢みたいだ。」
ええ、存じております。貴方が滅びる直前まで、ずっと近くで見守っていたのですから。
どんな日も、どんな敵が現れても、俺たちは思念を送ることしかできなかった。ずっと悔しくて仕方なかった。
「ここへ来る前、エリオスに会ったんだ。」
エリオス?ああ、あの少年か。
「本当は、もしやり直せるのだとしたら留学なんて行かなければ良かったのかもしれないと、ずっと後悔していたんだ。
あんな大きな戦いをうさ一人に背負わせてしまった自分が不甲斐無くて、もどかしくて。
でも違った。
たとえ肉体が滅びても、スターシードを奪われてしまっても、オレたちは小さなその核の中で祈る事を辞めなかった。…祈る事しか出来なかった、とも言えるけれど。
そうして祈り続けることで、オレたちの想いはうさの心の中で強く輝き、彼女の原動力になっていた。もし、オレたちが祈ることを辞めてしまっていたら、うさはオレたちに『また会える』と信じることをやめて、あの戦いの結末は違っていたかもしれない。
でも、例えどんなかたちになろうとも、星が輝き続ける限りオレたちは何度だって新しい未来を作っていけるんだ。だからセーラームーンは無敵の力を手に入れることができた。そうして、オレたちも――」
マスターの手を通じて、あのセーラームーンの最後の戦いのビションが流れてくる。
まばゆい光に満ち溢れた銀河の果て、星の生まれるところ。ギャラクシーコルドロンと呼ばれるその場所で、スターシードを奪われたタキシード仮面は為す術もなく身を投げられて、原初の海に溶かされた。
しかし、想いだけは誰にも溶かすことはできなかった。光の中で仲間たちと強く願い続けることで、彼らの星は少しも欠けることなくその姿を保ち続けたのだ。彼らが選んだとおり、そのままの星の姿で帰るために。
(…そうか。そういうことか。)
俺の中で、これまで幾度となく見ていたあの夢の記憶が次々と結びついていく。
俺たちは、前世から転生し、記憶を取り戻した時には手遅れだった。自らの力不足を悔やむ間も無く巨大な力に支配され、ついに石となってしまったあの頃、俺たちも同様に祈る事しか出来なかった。でもその想いは、決して俺たちの一方的なものではなかったのだ。
「うさを一人にしてしまって初めて、オレもお前たちと同じ景色を見たような気がする。
これまで色々な敵が現れたけれど、その度にお前たちの祈りに助けられていたんだな。
どんなに離れていても、どんなかたちになろうとも、オレたちは決して独りではなかった。その事に気づいてからずっと、いつかまたお前たちと共に生きる未来を信じていたんだ。」
その顔は、はるか昔の記憶に残るプリンス・エンディミオンの面影を残しつつ、それだけではないパワーを秘めていた。
(ああ、この方だ。
俺が…俺たちが探していたあの方に、ようやく会えたのだ。)
隠していたはずの涙は、いつのまにか清々しく心の蟠りを洗い流していた。
「ずっと…ずっと探しておりました。」
マスターの目も潤いを帯びていたことに、今さらながら気づいた。
「オレも。話したいことが沢山あるんだ。」
――新しい歴史が今、動きはじめた。