Restart
〜Kunzite〜
このところ、同じような夢ばかり見る。
白く美しい星を見上げながら、宮殿の中で使命感に心を燃やす夢。良からぬものに惑わされ、大切なものを自らの手で傷つけてしまう夢。取り返しようのない事に気づいた絶望感と後悔を背負いながら石になる夢。そして、どこか光に満ちた美しい景色の中で再び剣を持つ夢――。
どの夢も場面は全く違うにも関わらず、俺は一貫して現実世界とは異なる名前で呼ばれていて、命をかけて「マスター」を護ると心に誓っているらしい。
なぜこんな夢ばかり見るのだろう。目覚めるといつも「早くマスターのもとへ行かなければ!アイツらは何処へ行ったんだ?」と心が叫ぶのだが、誰のことなのかが分からない。
もやもやとした気分を振り払うように、俺は仕事場を兼ねているマンションの窓から街を見下ろした。
駅や学校に向かう人、幼稚園バスを見送る親子、商店街のシャッターを開ける人。皆それぞれに新しい1日が始めようとしている。
大通りに出る並木道には1人の女子校生が駆けていくのが見えた。サラサラとした金髪の上に赤いリボンがよく映える。
小さくなってゆくその背を見送りながら、なぜだか分からないが「まもなくあの夢の答えが得られる」という確信だけはあった。
新着メールを開くと、米国の研究者とのアポが取れたという知らせ。その内容に、何か仕事とは別の大きな手応えを感じて思わず小さく頷いた。
運命の歯車が今、動き出す。
〜Nephrite〜
どうしてこんな所でバイトみたいな事をしているのか。今、俺はボストンの片隅にある小さなカフェで働いている。
店主である祖母が嫁いでくる前からあったこの店は、古くからこの町の学生たちの憩いの場となっているらしい。
日本の大学に通う俺にはあまり縁の無い話だが、こちらではセスメタ制といって秋と春の2学期制を採用している大学が多いそうで、今が日本の新年度にあたる。そんな学生や研究者たちが入れ替わり立ち替わりここで食事をとりながら熱心に議論している様子は、何十年も前から変わらない光景として知られている。
…そもそも俺はこんな所で働くつもりなんか無かった。親戚の結婚式に呼ばれたついでに長い夏休み期間を気ままに海外旅行して楽しもうと思っていたのだが、こちらに到着して早々に祖母が身体を壊したのだ。
叔母が引き継ぐまでの数週間で良いからと引き止められ、あっという間にこの店の代理店主みたいな事になってしまったが、俺にだって帰国すれば就活が待っている。
じわじわと減ってゆく長期休暇をこんな所で消費したくはないし、早く役目を終えて出て行きたいとは思うのだが…何故だろう、もう少しここに居たほうが良いと本能的に感じてもいた。
そう、あと少しここで待っていれば、必ずマスターやアイツらに会える気がするのだ。
(――って、誰だそれ?)
漠然と何かを待つ自分を少し可笑しく思いながら、ばあちゃんちの庭で咲いたピンクのバラをカウンターにいけた。
(この色のバラ、好きだったよな。)
誰が…とはよく覚えていないけど、こんな色の花束を手に、満面の笑みを浮かべた懐かしい誰かと見た白い月が頭に焼き付いている。
〜Jadeite〜
家族と共にアメリカへ移り住んだのは、まだ小学生になったばかりの頃。
はじめのうちこそ慣れない異国の文化や英語しか通じない学校生活に苦労はしたものの、今ではすっかりこちらでの暮らしが長くなり、幼い頃に住んでいた日本の景色は記憶の片隅に淡く残る程度だ。
俺は今、ボストンの市内にあるこの大学で寮生活を送っている。
ハーバード大学やマサチューセッツ工科大学、ボストン大学など名だたる名門校が軒を連ねる学園都市では他の大学との交流にも恵まれ、将来の選択肢も広がる。この国での暮らしが長くなったとはいえ、郊外の街から出たことの無かった俺にとっては刺激的な毎日だ。
しかし、大学も2年目となると少しずつ将来の事を意識するようになる。来年には基礎教育課程が終わり特定の専攻に進むが、その先の卒業後を考えて、まもなく進路を選択しなければならない。
寮の友人と話していると皆それぞれにはっきりとした希望を持っているようなのだが、俺にはまだどの道にしても選んだ先が思い浮かばず、進路を決めかねていた。
そんな時、誘われて参加したパーティー会場で珍しく日本語を聞いた。
どこかの学校の留学生なのだろう。肩までの黒い髪をなびかせて、声の主が俺の隣を通り過ぎた――その様子に、胸がキュッと苦しくなった。
今さらホームシックだろうか?しかし、国に帰りたいとか、そういうわけではない気がする。…ただ、いつかはここを出て、護るべき人の所に帰らなくては。
(――護るって、誰を?)
正体の見えない焦燥感を塗りつぶすように、毎日アテもなく学生街を歩き回る。だがそれは決して時間の無駄とはは思えなかった。
まもなく会えるはずだから。
必ず、この街で…。
〜Zoisite 〜
きっかけは、ただ此処から出てみたいと思っただけのこと。
芸術家一家に育ち、家には当たり前のようにグランドピアノがあった。幼い頃からひと通りのレッスンを受け、姉達と同様に付属の大学へ進学すれば良い。…そんなレールを敷かれた進路をこのまま歩み続けて良いのだろうかと、なにか胸の内で燻るものがあった。
昔から勉強は嫌いではなかったから、外部へ進学するとしても選択肢には困らないはず。そんな軽い気持ちで出かけた大学のオープンキャンパスで、心を動かす出会いがあったのだ。
医学部受験を目指しているらしい彼は、同学年の自分から見ても明らかに特別なオーラを纏っていた。
何が違うのかと言われてもすんなり説明はできないが、とにかく「あの方だ」という感覚だけがビリビリと伝わってくる。誰を思い出したのか分からない。でも、とにかく「あの方」の近くにいたいと突き動かされ、気づけば自分も医学部を受験していた。それなのに――。
進学した大学に、彼の姿は無かった。
きっと選んだ大学が違っただけのこと。彼はおそらくどこかで同じように勉学に励み、さらに高みを目指しているのだろう。
そう言い聞かせつつも、いまいち煮え切らない日々。このままここで待っていれば、誰かは知らないが愛しい恋人にも会えるかもしれない。…でも、今のままの自分にそんな資格はあるのだろうか?「あの方」への誓いを忘れて良いのだろうか?
(――いや、「あの方」って誰なんだ?俺は何を思い出そうとしているのだろうか?)
そんな時、学内で設置された基礎教育課程での短期留学プログラムの案内が目についた。行き先は「ボストン」。
その文字に、飛びつくようにエントリーした。なぜだか分からないけど、これで求めていた答えが得られるような気がしたのだ。
このところ、同じような夢ばかり見る。
白く美しい星を見上げながら、宮殿の中で使命感に心を燃やす夢。良からぬものに惑わされ、大切なものを自らの手で傷つけてしまう夢。取り返しようのない事に気づいた絶望感と後悔を背負いながら石になる夢。そして、どこか光に満ちた美しい景色の中で再び剣を持つ夢――。
どの夢も場面は全く違うにも関わらず、俺は一貫して現実世界とは異なる名前で呼ばれていて、命をかけて「マスター」を護ると心に誓っているらしい。
なぜこんな夢ばかり見るのだろう。目覚めるといつも「早くマスターのもとへ行かなければ!アイツらは何処へ行ったんだ?」と心が叫ぶのだが、誰のことなのかが分からない。
もやもやとした気分を振り払うように、俺は仕事場を兼ねているマンションの窓から街を見下ろした。
駅や学校に向かう人、幼稚園バスを見送る親子、商店街のシャッターを開ける人。皆それぞれに新しい1日が始めようとしている。
大通りに出る並木道には1人の女子校生が駆けていくのが見えた。サラサラとした金髪の上に赤いリボンがよく映える。
小さくなってゆくその背を見送りながら、なぜだか分からないが「まもなくあの夢の答えが得られる」という確信だけはあった。
新着メールを開くと、米国の研究者とのアポが取れたという知らせ。その内容に、何か仕事とは別の大きな手応えを感じて思わず小さく頷いた。
運命の歯車が今、動き出す。
〜Nephrite〜
どうしてこんな所でバイトみたいな事をしているのか。今、俺はボストンの片隅にある小さなカフェで働いている。
店主である祖母が嫁いでくる前からあったこの店は、古くからこの町の学生たちの憩いの場となっているらしい。
日本の大学に通う俺にはあまり縁の無い話だが、こちらではセスメタ制といって秋と春の2学期制を採用している大学が多いそうで、今が日本の新年度にあたる。そんな学生や研究者たちが入れ替わり立ち替わりここで食事をとりながら熱心に議論している様子は、何十年も前から変わらない光景として知られている。
…そもそも俺はこんな所で働くつもりなんか無かった。親戚の結婚式に呼ばれたついでに長い夏休み期間を気ままに海外旅行して楽しもうと思っていたのだが、こちらに到着して早々に祖母が身体を壊したのだ。
叔母が引き継ぐまでの数週間で良いからと引き止められ、あっという間にこの店の代理店主みたいな事になってしまったが、俺にだって帰国すれば就活が待っている。
じわじわと減ってゆく長期休暇をこんな所で消費したくはないし、早く役目を終えて出て行きたいとは思うのだが…何故だろう、もう少しここに居たほうが良いと本能的に感じてもいた。
そう、あと少しここで待っていれば、必ずマスターやアイツらに会える気がするのだ。
(――って、誰だそれ?)
漠然と何かを待つ自分を少し可笑しく思いながら、ばあちゃんちの庭で咲いたピンクのバラをカウンターにいけた。
(この色のバラ、好きだったよな。)
誰が…とはよく覚えていないけど、こんな色の花束を手に、満面の笑みを浮かべた懐かしい誰かと見た白い月が頭に焼き付いている。
〜Jadeite〜
家族と共にアメリカへ移り住んだのは、まだ小学生になったばかりの頃。
はじめのうちこそ慣れない異国の文化や英語しか通じない学校生活に苦労はしたものの、今ではすっかりこちらでの暮らしが長くなり、幼い頃に住んでいた日本の景色は記憶の片隅に淡く残る程度だ。
俺は今、ボストンの市内にあるこの大学で寮生活を送っている。
ハーバード大学やマサチューセッツ工科大学、ボストン大学など名だたる名門校が軒を連ねる学園都市では他の大学との交流にも恵まれ、将来の選択肢も広がる。この国での暮らしが長くなったとはいえ、郊外の街から出たことの無かった俺にとっては刺激的な毎日だ。
しかし、大学も2年目となると少しずつ将来の事を意識するようになる。来年には基礎教育課程が終わり特定の専攻に進むが、その先の卒業後を考えて、まもなく進路を選択しなければならない。
寮の友人と話していると皆それぞれにはっきりとした希望を持っているようなのだが、俺にはまだどの道にしても選んだ先が思い浮かばず、進路を決めかねていた。
そんな時、誘われて参加したパーティー会場で珍しく日本語を聞いた。
どこかの学校の留学生なのだろう。肩までの黒い髪をなびかせて、声の主が俺の隣を通り過ぎた――その様子に、胸がキュッと苦しくなった。
今さらホームシックだろうか?しかし、国に帰りたいとか、そういうわけではない気がする。…ただ、いつかはここを出て、護るべき人の所に帰らなくては。
(――護るって、誰を?)
正体の見えない焦燥感を塗りつぶすように、毎日アテもなく学生街を歩き回る。だがそれは決して時間の無駄とはは思えなかった。
まもなく会えるはずだから。
必ず、この街で…。
〜Zoisite 〜
きっかけは、ただ此処から出てみたいと思っただけのこと。
芸術家一家に育ち、家には当たり前のようにグランドピアノがあった。幼い頃からひと通りのレッスンを受け、姉達と同様に付属の大学へ進学すれば良い。…そんなレールを敷かれた進路をこのまま歩み続けて良いのだろうかと、なにか胸の内で燻るものがあった。
昔から勉強は嫌いではなかったから、外部へ進学するとしても選択肢には困らないはず。そんな軽い気持ちで出かけた大学のオープンキャンパスで、心を動かす出会いがあったのだ。
医学部受験を目指しているらしい彼は、同学年の自分から見ても明らかに特別なオーラを纏っていた。
何が違うのかと言われてもすんなり説明はできないが、とにかく「あの方だ」という感覚だけがビリビリと伝わってくる。誰を思い出したのか分からない。でも、とにかく「あの方」の近くにいたいと突き動かされ、気づけば自分も医学部を受験していた。それなのに――。
進学した大学に、彼の姿は無かった。
きっと選んだ大学が違っただけのこと。彼はおそらくどこかで同じように勉学に励み、さらに高みを目指しているのだろう。
そう言い聞かせつつも、いまいち煮え切らない日々。このままここで待っていれば、誰かは知らないが愛しい恋人にも会えるかもしれない。…でも、今のままの自分にそんな資格はあるのだろうか?「あの方」への誓いを忘れて良いのだろうか?
(――いや、「あの方」って誰なんだ?俺は何を思い出そうとしているのだろうか?)
そんな時、学内で設置された基礎教育課程での短期留学プログラムの案内が目についた。行き先は「ボストン」。
その文字に、飛びつくようにエントリーした。なぜだか分からないけど、これで求めていた答えが得られるような気がしたのだ。