Reunion

 急速に秋が深まる10月のある日。六本木の商業施設を併設したビルに、銀髪の男が現れた。
 取引先との連絡なのか、携帯を片手に手際良く要件を済ませながら次の現場へと向かう。かつて四天王と呼ばれる騎士だった前世を持つ男だとは誰も知る由もない、見るからに忙しそうなビジネスマンという風貌だ。

――――――

 あのカフェで衛たちと「再会」してから、クンツァイトはそれまで霞を掴むように不明瞭だった自分の中の何かが実態を帯びていくのを自覚していた。
 ――もう暫くここに居たい。今度こそマスターの側で、マスターがマスターらしく笑っていられるように―。
 夏休みが終わり、日本へ帰国する事になったと名残惜しそうに語るネフライトの横顔を見ながら、気がつけば皆それぞれに、そんなような事を考えていたのだ。

「それは本心なのか?…もし、前世からのしがらみなら」
「本心だよ。」
「そうか。でも…」
その気持ちに誰よりも躊躇いを感じていたのは衛だった。それでも。
「今さら水臭いコト言うんじゃないぞ?」
ネフライトが朗らかに笑うと、ジェダイトもつられて頷く。
「そうだよな。俺は純粋に、本心でここに居たいと思っているよ。前世の記憶とか、そういうのは関係なく。」
「だろ?単純に、また一緒にいたいんだよ。俺だって就職も内定取れてるんだし、単位さえ落としてなければ卒業までコッチにいたかったぜ?」
「え、まさか卒業の単位足りてないとか?嘘でしょ?」
「うっさい!色々と事情があったんだよ!」
口を挟んできたゾイサイトの額を小突きながら、照れくさそうに笑うネフライトがこちらに目を向けた。
「そういう事だから、マスターのことは頼むぞ」と、言葉にはしなくとも残る三人に語っているのが分かる。
――そう、これは"今の"俺たちの意思なのだ。前世からの記憶や当時の使命など一切関係のない、今を生きる俺たち自身の願いなのだ。

 「ありがとう。そうだな。今なら彼女の気持ちもなんとなく分かるよ。
 きっと、全てを守りたかったんだ。今度こそ、皆がそれぞれ自分の気持ちに正直でいられるように。」

 ほんの一週間前に出会ったとは思えない四人からの言葉は、胸の奥につかえていた何かを柔く解きほぐすように暖かく、衛の口元を綻ばせた。


 そうとなれば、やるべき仕事は多い。衛の留学が終わるまでボストンに居るために、クンツァイトには新しく部屋を借りてこちらで長く仕事ができる環境を整える必要があるのだ。それからESTAをビザに変更して、アメリカに拠点を置くために、日本に残してきた仕事も整理しなくては。そんな雑多な用事を片付ける「一時帰国」をするため、現在に至る。



――――――

 久しぶりに歩く日本の街はボストンより僅かに暖かく、少し湿った空気が懐かしい。
 エントランスからビルに入ると周囲の日本語がすんなりと耳に入るのは、聴き馴染みのある言語だからだろうか。それとも、思いのほかエントランスに人が居ないからだろうか。

 ………?いや、違う。何かがおかしい。買い物客で賑わう休日の昼間だというのに、中に進めば進むほどガランとして、全く人の気配が無いのだ。

 ――同じくエントランスから入ってきた他の人々も異変に気付き始めたその時――

 「やーん!まだ人がいた!おねがい避けてー!」

 どこか懐かしい声とともに、目の前の床にドカンと何かが落とされた。

「地霊(アレ)だ!!」

 姿を見るまでもなく敵だとわかった。ボストンのあのカフェでの一件以降、何度か遭遇したヒトではない物。衛と、衛の力を借りて変身する事ができるようになったクンツァイトたちが対峙してきた物だ。

 安全な物陰に身を隠すと、地霊に続いてヒラリと誰かが降り立つのが見えた。

「いい加減にしなさいよ!こんな所で暴れられたらこのビル壊れちゃうじゃない!」

 肩に落ちた髪をサラリと後ろに払いのけると、オレンジ色のセーラーカラーが揺れた。風にそよぐ絹糸のようなそれを呆然と見つめながら、クンツァイトは記憶の片隅に眠っていた前世からの記憶が爆発的に目覚めていくのを感じた。

(――セーラー…ヴィーナス!!)

 「ヴォォォ!!」
 地霊が低く唸りながら攻撃を放つなか、上の階で行われていたイベントか何かが終わったのだろう。エスカレーターから、何も知らない人々が次々にエントランスに降りてくる。
 その流れをなんとか留めようと声を上げるも、戦闘中の彼女にとって、突然の出来事に狼狽える無防備な人々の波はそう簡単に制御できるものではない。

「お願い!みんなこっちに降りてこないで!!〜あーっもう!アンタはそっち行くなっつーの!!こら!アンタの相手はこっちよ!」

 ヴィーナスの鎖が地霊の腕を捉えた。しかし彼女自身もまた狼狽する人々に取り囲まれており、思うように動きが取れないでいる。

「キャァっ!」
 地霊が鎖の絡みついた腕を振り上げた。人混みに足を取られ、踏ん張りが効かないでいたヴィーナスは、地霊に巻きつけていた鎖ごと振り飛ばされ、派手な音を立ててカウンターの向こうに叩きつけられた。

(まずい!アイツ、このままでは!!)

 立ち込める煙の向こうで、すぐに立ち上がれずにいるヴィーナスの元へ地霊が歩いていく。周りの人々は、目の前で突然始まった戦闘に為すすべもなく呆然と立ち尽くしている。そんな状況で誰にも傷をつけず、地霊だけを取り押さえてこの場を鎮めるなど到底無理だ。いくら相手が低級な地霊だとしても、彼女独りでは明らかに形成が不利なのだ。
(何とかしなくては)
 クンツァイトは、意を決して胸の前で拳を握った。ボストンで彼らと共に力を得た時と同様に、あの姿に変身するために。
――けれど。

「――っ!クソっ!!出来ない!?」
 いくら試してもクンツァイトの姿は丸腰の青年のままで、あの時の騎士に変身する事ができなかった。
 
「何故だ!?何がいけない!?」
 焦る気持ちを無理矢理に押し止めて、変身できない理由を思い巡らす。

(早くしなくては!何故!何故できないんだ!?
 ボストンで衛たちと戦ったときは出来たではないか!?いったい何が違うんだ!?
 …あの時はマスターが…!そうだ、マスター!マスターの力があったから変身できていたのか!?)

 地霊が再び腕を振り上げようとしている。このままでは、彼女は地霊の攻撃をまともに受けてしまう!
(クソっ!どうしたら…!!俺に力を!!!マスターっ!)

 拳を握り、強く願いながら、これまでの事が走馬灯のように回想された。

 (――マスター…!
 …俺たちは、地球国の四天王。
 純潔と慈愛の騎士という二つ名と共に与えられたこの剣は、大切なマスターをお護りするために…
 …ああ、それなのに、俺たちは何故、二度もメタリアに魂を売ってしまったのか。
 騙されているなんて思いもしなかった。
 全てはマスターのために、揺らぐはずもない忠誠心から選んだ道だったのに。
 …いや、果たして俺たちは、本当に役目を果たしていたのだろうか?
 マスターの御身をお守りする事のみが、俺たちの成すべき全てだったのだろうか?
 …ならば何故、以前からマスターが掟を破ることを黙認していた?
 マスターが、プリンセスを庇ってベリルの剣に倒れたのは…
 マスターが望んでいたのは、ご自身の安全よりももっと深く、大きな未来だったのではないのか?
 プリンセスと、愛する人達と共に、心の底から笑って過ごす事ができる未来だったのではないか…
 ……だとしたら……。)


 「全てを守りたかったんだ。今度こそ、皆がそれぞれ自分の気持ちに正直でいられるように。」

――ボストンで衛が語った言葉が脳裏をよぎる。
パチンと、何かで弾かれたような衝撃だった。
(そうか。マスターの望んでいた事は…俺たちがあの時、見落としていたものは…!
 俺たち自身の偽りのない気持ちだ!
 そう、これは俺自身のための闘いだ!
 マスターの力を借りるのではなく、俺が!
 誰のためでも無い、俺自身が!俺の意思で!
 彼女を助けたいからなんだ!!)

 胸の奥で押し留められていた何かが外れ、堰を切ったように力が溢れ出てくるのを感じる。
(ああ、そうだ。これが答えだ!
 長い間、力を出しきれていなかったのは!!)急に体が軽くなったようだった。

 
 「キャ…!ちょっと!やめっ…!!」
 地霊が鎖の絡んだ腕を振り上げた途端、ヴィーナスの体が瓦礫ごと持ち上げられた。
 (もはや変身などしなくて構わない。たとえ武器が無くても、圧倒的に力が足りなくても、どうなったって構わない!今、彼女を助けたいのだ!これは俺の意思だ!!)

 「くそっ!やめろ!!」
 堪らず声を上げ、粉塵が巻き上がる渦中に駆けだした。


 様々な想いが脳裏をよぎる――
 はるか昔、共に肩を並べて月を見上げたエンディミオンの顔が…
 その瞳に映るセレニティの眩い顔が…
 彼女を彩る花のように美しくい守護戦士たちの、愛おしい姿が…
 クンツァイトの胸の中で何かを強く輝かせた。


ーーーーーー

 一瞬の出来事だった。
 銀色のマントを得た身体は、翼を得たように軽くなった。
 ひと蹴りでヴィーナスと敵の間に降り立つと、片手に構えた剣で地霊の腕を断ち落とした。

「…え…あんた…だれ…」
 狼狽えるヴィーナスの手を引いて立ち上がらせると、「行くぞ」とだけ応えて再びマントを翻す。
 クンツァイトのマントに包まれるように導かれて、ヴィーナスの体はビルの屋上へ。それを追って地霊も屋上へ飛び上がった。
誰も人が居ないこの場所なら、戦闘を妨げるものは何も無い。

 再び体制を整えるヴィーナスに対して容赦なく放たれた攻撃は、避けるまでもなくクンツァイトの剣先で弾かれた。そしてその次の瞬間
「ヴィーナス・ラブアンド・ビューティ・ショック!!」
阿吽の呼吸とも言えるタイミングでヴィーナスの攻撃が地霊を吹き飛ばした。
 まるでずっと前から示し合わせていたかのような連携。そんな戦い方をできることが、懐かしくも新鮮で嬉しかった。



 ――砂埃が静かに落ちゆく屋上で、互いの姿が次第に鮮明になっていく。

「…もしかして…あなた……」

 ヴィーナスの震えた声に、二度の過ちが蘇る。
 会いたかった。
 何度も辛い思いをさせた。
 彼女のチカラになりたかったのに、何もしてやれなかったもどかしさ、不甲斐なさ。
 …様々な思いが洪水のように押し寄せて胸が苦しい。
 言葉にしきれない全てをようやく形にするように、(そうだよ…)とだけ頷いた。


「…うそ…なんで?…ホンモノ?…どうして…?」

 呆然と立ち尽くしているヴィーナスの瞳から、ポロリと涙が溢れだす。
 触れて良いものかと一瞬躊躇しつつも、そっと肩に手をやると、あの頃の記憶が、切なさが、大波のように二人の胸に押し寄せた。
 微かに肩を震わせる彼女に、堪らず抱き寄せると、クンツァイトの頬からも一筋の滴が濡れた。

「…ほんとうに?」
「ああ。」
「あたしが…あたしが貴方のコトを倒したのに…?」
「すまない。辛い思いをさせた。」
「――っ………なんで…」

……


 ヴィーナスの通信機から仲間たちの声が聞こえる。間もなく、他のメンバーたちもこちらに合流するのだろう。
 離れるのが惜しくなる気持ちを押し留めて、クンツァイトは彼女を抱いていた腕を解いた。

「私は、これで。」
「え?ちょっと…!」

 (これ以上の長居は不可能だ。今はもう。これ以上、己の気持ちが溢れる前に。)
 そう自分に言い聞かせマントを翻すと、もうそこにクンツァイトの姿は無かった。



――――――

 屋上から見渡す夕暮れの街は、全てが淡い薄桃色の光に包まれている。

 暖かな夕陽に頬を染めて、ヴィーナスはひとり静かにその景色を見つめていた。

「美奈!大丈夫!?」
「良かったわ、無事で。連絡が取れなくて心配したのよ。」
「っておい!ビルの中めちゃくちゃじゃん!」

 仲間たちの声が聞こえる。
 
「みんな、おっそーい!」
変身を解いた美奈子は、いつもの明るい声で仲間のもとへ駆けていく。

「ずいぶん派手にやったね」
「可愛いもんよ、こんなもん。」
「そう言ったって美奈、どうやって元に戻すのよ?」
「あはは、そこをなんとか!亜美ちゃーん、なんか良い方法で直せない?」
「直せないわよ。とにかく下にいる人達の証言と合わせて、事故として処理してもらうようね。」

「…美奈?」
レイが、美奈子の顔を覗き込んだ。
「…なんでもないわ。」

 元の姿に戻ったクンツァイトは、服に着いた粉塵を払いながら物陰からそっと彼女たちの声のする方を見る。

(――またすぐに見つけるよ。十番で、一番見晴らしの良い所にいるから。)

 去っていく美奈子の後ろ姿はあの頃見た彼女より何倍も美しく逞しかった。
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