1章『その名は勇者』
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幼い頃に、崖から落ちそうになったことがある。それ以来、高いところは反射的に身体が強ばるが、木登りくらい出来るようになりたい、と練習した甲斐があった。ゆうしゃ は自分の体重に耐えられるであろう太さの枝を見極めながら、少しずつ上へと登っていく。一際大きな枝を足場に選び、ゆうしゃ は両足を枝に預け、幹に手を当て身体を支えながら、枝に引っ掛かった赤いスカーフに手を伸ばした。風とともに不安定に踊っていたスカーフは、ゆうしゃ の手の中に無事に収まり、ゆうしゃ はひとまず安堵する。
ふと視線をあげれば、枝葉の向こうに樹が見える。雲の中に厳かな輪郭を見せる姿は、遥か遠くにありながら、何処までも見通すように、雄大にそびえている。
命の大樹。
この世界、ロトゼタシアの人々の命が生まれ、還っていく場所。かつて祖父が語ってくれた話を思い出す。祖父は彼処(あそこ)にいるのだろうか。幼いゆうしゃ の命を救い、育み、多くを与えてくれた祖父。大好きだったのに、死んでしまった。
「おじいちゃん、私、16歳になったよ」
祖父が亡くなった日、ゆうしゃ は大人になることを決めた。悪戯を控え、やんちゃだけではなく女性らしさを身につけ、人前では絶対に泣かない。母を心配させず、幼なじみや村の人たちを守れるように、強くなること。必死で生きてきたこの数年間が、ゆうしゃ にはなんだかあっという間に過ぎてしまったように感じた。
「ゆうしゃ ー、どう?」
下から聞きなれた幼なじみの声が聞こえる。ゆうしゃ はなるべく下を見ないように、飛び降りる。傍らに大きな犬を連れた、金色の髪の美しい少女。この数年で、エマは特に綺麗になったとゆうしゃ は思う。幼い頃からの彼女のお気に入りであるスカーフを渡せば、エマは蕾が花開くように、笑う。
「ありがとう、ゆうしゃ ! 大切な儀式の前にスカーフが風に飛ばされちゃうなんて、私ってばホントにドジだよねー…」
苦笑しながら、エマはスカーフを頭に巻く。陽光を浴びて煌めくエマの髪に、赤いスカーフはよく映える。
「いつも通りでいいんじゃない? 私なんて、緊張していつもより早く起きちゃった」
「とか言って、ゆうしゃ はいつも早いじゃない。毎朝お日様と一緒に起きて、川辺で剣を振るのが日課でしょ」
「今日はお日様より早く起きてしまったんだけどね……」
「メタすけは逆に朝が弱いよね」
エマは足元で未だにぼんやりしているもう一人の幼なじみに視線をやる。数年前に村に迷い込んで以来、すっかり村の住人と化してしまった、ゆうしゃ の「兄」であるメタルスライム。メタすけは大きなあくびをして、ゆうしゃ の肩に飛び乗る。
「ゆうしゃ が早すぎるんだよ。寝る時間は僕と変わらないのに、なんでそんなに早く起きられるのか…」
「慣れちゃったからね。空が明るくなると目が覚めちゃうんだよ」
「さて、ごめんね、道草食わせちゃって。みんなもう待ってると思うし、行きましょ!」
くるりと向きを変えたエマは、空高く聳えるイシの村のシンボルを見上げた。神の岩と呼ばれる雄大な山は、昔からイシの村では信仰の対象となっていた。
「我らイシの民。大地の精霊と共にあり。あの神の岩には大地の精霊様が宿ってるって言うけど、私、ずっと不思議だったのよ」
「何が?」
「だって、あんな切り立った崖を登るのが成人の儀式だなんて……一人前になる前に崖から落ちて怪我でもしたらどうするのよ」
「ははは……」
思い切り目を逸らしてしまうゆうしゃ 。一人前になる前にメタルスライムを捕まえようとして崖からダイブしかけたのを思い出したからだ。今となっては黒歴史に近い恥ずかしい思い出だが、あの一件があったから、かけがえのない兄貴分と出会えたわけで、決して嫌な思い出ではない。
あれ以来、高いところは苦手なゆうしゃ だが、今回の儀式は実は楽しみにしている。子供の頃は危ないからと近寄らせてもらえなかったため、あの場所からどんな景色が見えるのか……という好奇心の方が強いのだ。今まで神の岩に近付いたことと言えば、メタすけと出会った一度きりだ。あのときは落ちそうになったこともあって、景色を楽しむ余裕なんてなかったし。
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