4章『その名は悪魔の子』
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「おじいちゃーん!」
聞こえた声に、思わず強ばった。
川辺に、少女と老人がいた。老人は今し方つり上げたばかりの魚を籠に入れながら、孫に対して返事をしていた。
「おぉ、ゆうしゃか、どうしたんだね、そんなに慌てて」
「ねぇおじいちゃん! はしご知らない!? はしご!!」
「はしご? はしごなんかどうするんだね」
「エマのスカーフが木の上に飛ばされたの!! 早く取らなきゃ風で飛ばされちゃう!」
「ははは、わかった、わかった。待っておれ、今行くでな」
ようやく、老人は振り返った。片付け終わった釣り道具を肩に担ぎ、老人は笑う。
「……おや?」
老人は孫よりも向こうを見て、目を見張った。孫も追いかけて振り返れば、エマが手を振りながら駆けていくのが見えた。それを見て、孫が抱えていたメタルスライムが飛び降り、少女の足の影に隠れた。
少女は、ゆうしゃを見上げた。まだ短い髪、青い瞳……この村で無垢に、愛されて育つ幼い子。数年後、悪魔の子だと罵られ、追われることになるなんて、まだ知らない、あどけない瞳。
「ゆうしゃ、はしごなら大丈夫よ。あのお姉ちゃんがスカーフを取ってくれたから。それでね、あのお姉ちゃんゆうしゃに会いに来たんだって! 知ってる人……?」
少女はゆうしゃを見た。ゆうしゃは思わず握った拳に力を入れた。
「……ううん、知らないよ」
「ふむ……あの娘さんはわしに用があるようじゃ」
老人は少女の肩を優しく叩き、言った。
「ゆうしゃとエマは向こうで遊んでなさい」
「はーい。行こ、ゆうしゃ!」
エマに手を引かれ、少女は走り出す。ゆうしゃは、振り返ることが出来なかった。
目の前。今し方担いだばかりの釣り道具を再び置いて、ゆうしゃの傍に歩み寄る老人。
豊かな白髭と、大きな身体。
「さてと……お前さんも……ゆうしゃじゃな?」
「…おじいちゃん……どうして……」
「どうして、じゃと。ははは、わかるわい。赤ん坊の頃から面倒を見てきたんじゃ。すこし大きくなっただけじゃ」
祖父は、テオは快活に笑い飛ばしながら、ゆうしゃの両腕をそっと握り、顔をのぞき込む。
「そんなつらそうな顔をして、いったい何があったというんじゃ? わしに話してみなさい」
ゆうしゃは泣きそうになって……けれど、ぐっとこらえた。泣いている場合じゃない。どんな原理でこうなっているのかはわからないが、ゆうしゃはテオに聞かなければならないことがたくさんあった。
「……おじいちゃんの言いつけ通りに、成人の儀式が終わって、すぐに村を出たの。デルカダールに向かって……正直に王様に首飾りを見せて、話したの。……そしたら、勇者は、悪魔の子だって言われて……牢屋に入れられて……」
「なんと……頼りにしていたデルカダールの王に裏切られたというのか……?」
テオは驚いていた。
「現デルカダール王は賢王と名高い。そんなお人が何故……」
「わかんない……わかんないの、おじいちゃん……いったい何がどうなってるのか……」
「……そうか……辛い思いをさせてしまったのう……」
腕を握るテオの手に、力がこもる。
「デルカダール王が頼りにならないとわかった以上、お前さんには包み隠さずすべてを伝えたほうがよさそうじゃ。……だが、こうして話している時間はあまりなさそうじゃな」
見れば、テオの姿が少しずつ消えていた。ゆうしゃはハッとして祖父の顔を見た。
祖父は、優しく笑っていた。記憶の中と、寸分違わぬ、大好きな笑顔。
「よいか、よく聞くんじゃぞ。村を出て東に向かったところにイシの大滝があるじゃろ。戻ったら、そこにある三角岩の前を掘ってみなさい」
イシの大滝の三角岩。それは、ゆうしゃは幼少期によく祖父と一緒に釣りに行った場所だ。
「しかし……大きくなったのう。これほど立派になったゆうしゃを見ることができわしは果報者じゃ」
「おじいちゃん……」
「美人になった。こりゃ、男たちが放っておかんじゃろうなぁ……」
白髭の向こう、小さな目を細めて、テオが言う。
「ゆうしゃや。人を恨んじゃいけないよ。わしはお前のじいじで幸せじゃった」
景色が遠ざかっていく。
思わず手を伸ばしたが、手が届くよりも先に、テオの姿は消えていた。
流れていく川の音。大好きな祖父の姿も、祖父が愛用していた釣り道具も、どこにもなかった。
……此処にいても、しょうがない。ゆうしゃは振り向いて、歩き出した。
あの木の場所まで戻ってくれば、エマと少女が駆け寄ってきた。
「お姉ちゃん! さっきはお礼を言いそびれちゃったけど、エマのスカーフを取ってくれてありがとう!」
息を弾ませ、頬を赤くして。キラキラした瞳。ゆうしゃはしゃがんで、少女の瞳を見た。
「……どういたしまして」
「あ、あのね、お姉ちゃん、旅の人なの? この村の人じゃないよね?」
「……昔、住んでたんだよ」
「やっぱり! まだこの村にいるの?」
隣からエマが顔を出して、ゆうしゃは情けなく笑った。
「ごめんね……もう、行かなきゃ。やらなきゃいけないことがあるの」
「えー……色々話を聞きたかったのに……」
エマが唇をとがらせる。ゆうしゃはエマの頭を撫でた。
「またこの村に遊びに来てね! そのときに、旅のお話を聞かせて欲しいな!!」
無垢な少女の言葉。
何も知らない。世界の広さも、残酷さも。
少しだけ、ゆうしゃにはそれが、眩しく見えた。
「…うん」
ゆうしゃに出来たのは、頷いて笑うことだけだった。
「ゆうしゃ!」
声が聞こえた。
男の人の声。
振り返ると、カミュがいた。
「此処にいたのか、探したぞ……」
左手が熱い。見ると、左手の甲の痣が、光っていた。
光が収まり、目の前の光も消えた。
見上げると、それはゆうしゃとエマの、恒例の遊び場だった。不思議な温かさを感じる根の巻き付いた、村で一番古い木。
しかし、もうその根から、温かさなど感じなかった。
命の大樹の導きだ。祖父の言葉を思い出した。
その葉の一枚ずつに、すべての生き物の命を宿し、世界の調和を保つといわれる神木。
この古木に巻き付いた輝く木の根も、世界中にはりめぐらされた大樹の根っこが顔を出したもの。
この根は、選ばれし者だけに大樹の意思を伝えるという。
それこそが、大樹の導き。かつて祖父が教えてくれた、おとぎ話のはずだった。
「まったくひでえことしやがる! 勇者を育てた村というだけでこの仕打ちか!?」
カミュの言葉に、周囲を見た。
そこに、慣れ親しんだ風景はなかった。幼い頃に駆け回った不思議な木の根はすっかり色褪せ、寂しげな風が吹き抜ける。
顔をあげた先に広がっていたのは、朝焼けの光を受ける、イシの村。
鎮火して間もない黒煙と、叩き砕かれた石垣と、踏み潰された馬の玩具と、へし折られた農具。
焦げた臭いがあちこちから立ち上ぼり、少しずつ、ゆうしゃの意識を現実へと引き戻していく。
「ナプガーナ密林から、馬の足跡が続いていた。たぶん、ホメロスもこっちの道を通ったんだな……」
「……イシの大滝」
「え?」
「さっき、おじいちゃんと話したの」
「は? おい、大丈夫か?」
「私は大丈夫。今、この大樹の根を通じて、過去の世界に行ったの。おじいちゃんと話をしたの。イシの大滝の、三角岩に、何かを埋めたって言ってた」
「……おい、お前、変だぞ」
「私は大丈夫」
「無理すんな、故郷がこんなことになったんだ。平気なやつの方がおかしい」
「平気だよ、私、恨んだりしない」
祖父は恨むなと言った。実際、敵討ちよりも勇者としての使命を全うしたいという気持ちの方が強い。送り出してくれた母の、御守りを作ってくれたエマの気持ちに、答えるために。
「おじいちゃんは恨むなって言った。………なのに、ずっと、ここが、ぐるぐるしてる」
胸の奥。何かを。吐き出してしまいたかった。
「でも、私は恨んだりしない。だから……」
「……馬鹿」
カミュの手が伸びてくる。肩を引き寄せられて、身体が傾く。
……抱きしめられている。やめてほしい。いま、そんなことをされたら。
「そりゃ恨みじゃなくて、悲しみだろ」
「え……?」
「吐いちまえ。泣けば良いだろ」
「………でも、私、勇者だから………」
「勇者の前に人間だろ。嬉しかったら笑う、悲しかったら泣く。普通のことだ」
ゆうしゃはカミュを見ることができなかった。カミュを見るよりも早く、胸の奥でぐるぐるしていたものが、口から出てしまったからだ。
「……あ………あ、あ………」
最初は空気のような、微かな、声とも呼べない、音。
「…あっ……あああああ……!!!」
次第に声になっていくそれと、呼応するように視界が歪み、身体中の水分を使いきるように、涙が溢れる。
「ああああーーー!!!!」
カミュの背中に手を伸ばし、服を掴むようにして、縋る。
祖父が死んで以来、泣くことはなかった。あれ以上の悲しみなんて、ないと思っていた。吐き出した悲しみは慟哭となり、言葉にならない思いを吐き出す。
もう、ないのだ。
血の繋がらない娘を実の子のように育ててくれた母は、優しく面倒見の良い少しドジな幼馴染みは、いつでも暖かな眼差しで見守ってくれた人達は、帰る場所は、もう、どこにもないのだ。
焦げた臭いと、黒煙。踏み潰された玩具、破壊された家屋。
知らない。知らない。あんな場所じゃなかった。
あれは、ゆうしゃの大切なイシの村じゃなかった。
イシの村はもう、どこにもないのだ。
行き場のない悲しみをぶちまけるように、ゆうしゃは大声で泣いた。
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