春に其世を編む
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入学式から一週間と少しも経過すれば友人ができたり、早速部活動に勤しむ者と各々の過ごし方がわかってくる。
特徴的な白いブレザーに水色のシャツ。まだまだ真新しくヘタってもいない制服を揺らして真昼は登校した。出る前に鏡でチェック。髪型はいつも通りのツインテール。少しだけ前髪が崩れかけていたのでコームで梳かして追加でスプレーとおでこにパウダーを振っておいた。
「ねぇ、お願い!バスケ部入ろ!言っておくけどオカ研とかないから!」
そしてあっという間の昼休み。真昼は新しくできた友人からそれはもう必死にお願いされていた。一週間弱も立てば体験入部期間すらすっとばして既に部活動を決めて入っている生徒もいると大勢居る。尚、正式に入れる期限はあと三日しかない。それを超えると若干面倒になってくるものだ。
「えー、うーん…バスケ、私あんまりわからないのだけど…」
「マネージャーなら大丈夫だって! 私もバスケのルールとかよくわかんないし!」
この友人は入学三日目にたまたま隣になった昼食の席で意気投合した景気の良い少女だ。真昼がオカルト雑誌を読んでいたら「それ何!?」と覗き込んできた女の子だ。ちょっと怖がりのくせに好奇心だけは人一倍強い。丸い目をさらに丸くして、テーブル越しに身を大きく乗り出している。
「ちなみになんでバスケ部なの」
「男バスがすごいらしいの!なんでも今年の一年生がやばいってもう先輩が言ってて、マネージャーも募集してるんだって。二人で入れば心強いでしょ?」
彼女の論理はいつも飛躍している。オカ研がないからバスケ部、という接続がまず常人の理解を超えている。そんな営業活動は聞いたこともない。けれど彼女の熱量には不思議な引力があって、嫌いではなかった。
窓からは午後の光が差し込んでいる。四月の半ばの桜はもう散りきって、代わりに新緑の匂いが風に混ざり始めていた。生命の季節だ。
「すごい一年生って、誰かしら?」
「えっとね、名前忘れちゃったけど……なんか四人くらいいるらしくて、入部振り分け試験?でもう一軍だって!」
四人。一年生で一軍。異例、というのは流石に真昼でも理解できた。何故か入学式の朝の景色を思い出した。あの時瞳に映った光景を、今なら、それが。
「ねね、どうする? 今日の放課後、見学だけでも行ってみない?」
両手を合わせて拝むような仕草をしている友人。期限はあと三日。調査票の希望欄はまだ白いままだった。
「そこまで言うのなら、わかった。ちょっとだけよ」
一軍の新入生。この一週間で既に話題になっているのならば、それには興味が出てきた。人間の果てが見れるのかもしれない。だから少しだけ気になった。少女の顔がぱっと輝いた。
「ほんと!? やったー! じゃあ放課後体育館ね! 着替えなくていいから!」
そう言って残りの昼食を勢いよくかき込む姿は、どこか大型犬に似ていた。
***
放課後。
早速二人はバスケ部の見学へと向かった。体育館の一つはそもそもバスケ部の専用練習場として割り当てられている。帝光のバスケ部は全国屈指の強豪で専用体育館があること自体が、この学校がバスケにどれだけの投資をしているかを物語っている。
扉を開けた瞬間、音が来た。
ボールが床を叩く音。バッシュが鳴る音。指示を飛ばす声。それらが幾重にも重なって、体育館の高い天井に反響している。一年生の見学者は真昼たちの他にも数人いたが扉の近くで固まって、おずおずと中を窺っていた。そうなるもの仕方ないほどの迫力だった。
コートでは既に練習が始まっていて三軍、二軍、一軍と区画で分けられている。人数は多く百人は軽く超えているだろう。名門の層の厚さがそのまま視覚化されたような光景だった。実力主義なのが見て取れる。
「あっち、あっち」
友人が小声で指差した先は一軍のコート。見た瞬間に、違いがわかった。動きの質が別物だった。スピード、判断の速さ、体の使い方。二軍や三軍が「部活動」なら、一軍は何か別の——競技というより、研ぎ澄まされた生き物の運動に近い。主将らしき上級生の顔だが真昼は見覚えがあった。
そしてその一軍の中に、四人の一年生がいた。例の生徒たちだろう。
一人は、とにかく大きい。長身の上級生よりもさらに頭ひとつ抜けている。少年は、動きこそ緩慢に見えるのに、ゴール下では誰も寄せつけない圧があった。
もう一人は褐色の肌。野生動物のようなドライブでディフェンスを置き去りにしている。一対一の間合いに入った瞬間の加速が異常だった。
一人は眼鏡。左手にテーピングを巻いた長身の少年が弧を描くようにシュートを放つ。ボールは吸い込まれるようにリングを通過した。距離がおかしい。あんな遠くから。
そして——最後の一人。
コートの中央にいた。ボールを持っている時間はほとんどない。けれど彼がパスを出すたびに、周囲の動きが変わる。流れが生まれる。まるでコート全体が一つの生き物で、彼がその心臓であるかのように。
「……すごいね」
友人が呟いた。声が少し震えていた。怖がりの彼女が震えるのは恐怖の時だけではない。圧倒された時もだ。真昼は黙って見ていた。
バスケのルールは詳しくない。トラベリングもダブルドリブルも、正確な定義は怪しい。けれど目の前で起きていることが「普通ではない」ことだけは、素人にもわかった。
あの少年——赤司征十郎が上級生に向かって短く指示を出した。声は大きくない。けれど上級生が迷いなく頷いて動く。一年生が、二年生三年生に指示を出して、それが通ってしまっている。
「ねえ、真昼。あの子……」
「入学式の。新入生代表」
「やっぱりそうだよね。なんか、雰囲気が違くない?」
違う。それは真昼も感じていた。技術がどうとか、身体能力がどうとかではなく、あの少年がコートに立っているだけで、周囲の空気の密度が変わっている。
彼だけでなく、他の三人もそうだった。そうであるかのように生まれて、ここまで歩いてきた。人類の進化の歩のように。褐色の少年が走り抜けるさまは、きっと白亜紀なら自分はそれを見上げる原初の哺乳類でしかなかっただろう。
練習は続いていた。二年生のレギュラーと一年生を組み合わせたミニゲーム形式に移行し、バッシュの音がさらに激しくなった。
「見学の方!こちらへどうぞ」
声をかけてきたのは可愛らしい女子生徒だった。クリップボードを抱えている。入学式の日、褐色少年の背中を押していた記憶がある。柔らかい笑顔だがその目の奥には聡明さがあった。
「マネージャー希望ですか? それとも見学だけ?」
「はい!見学と希望です!」と頷く友人に合わせて一緒に小さく頷く。帝光中学のバスケ部は百人規模ということもあり、それに合わせてマネージャーもかなり数が居る上、人気なのもあって倍率も高いとかなんとか、という噂だった。
真昼は人間好きだ。不思議なものが好きだ。だから人間という生物の枠から超えそうな少年達に純粋に興味を抱いた。
少女の顔がほころんだ。
「嬉しい!あ、私、桃井さつきです。同じ一年生なんだけど、皆さん忙しいみたいで…じゃあまず簡単に説明しますね。ついてきてください」
まだ一年生全員の名前と顔は把握してないが、桃井さつきという子の事は覚えておこうと思った。
歩きながら、桃井は体育館の構造と部の仕組みを手際よく説明していった。三軍制であること。一年生の追加のマネージャー枠は既に第一タームは終了していて二次募集はこれから選考があること。業務はスコアシート、ドリンク管理、備品整備、練習メニューの記録、試合のデータ分析補助——。
「結構ねぇ、量が多くて大変なんだけどやりがいはすっごくあるから」
桃井がクリップボードをめくった。びっしりと数字が並んでいる。シュート率、パス成功率、走行距離。一年生のものだった。入部一週間でこれだけのデータが揃っている。もしかしてこの少女もただならぬモノを持っているに違いない。
「すごい量ね」
真昼が思わず口にすると、桃井が少し照れたように笑った。
「好きなんです、データとか。数字って嘘つかないし」
相方は既にコート方面に目を奪われていて、半分上の空だった。大きな少年がダンクを叩き込んだ瞬間、「ひぇっ」と小さく悲鳴を上げている。
「あの四人の一年生、すごいのね。もうウワサだもの」
真昼が言うと桃井の目が一瞬だけ変わった。誇らしさと、それからもう一つ、なにか名前のつかない感情。幼いころから知っている者だけが浮かべる複雑な色。
「うん。すごいの、本当に。青峰くん——あのガングロの子とは幼馴染みで」
桃井が指差した先で、褐色の肌の少年…もとい青峰が軽々とレイアップを決めていた。着地の仕方が猫というか豹みたいだった。
「それから、あっちの背の高い子が紫原くん。シュートの上手い眼鏡の子が緑間くん。で——」
ホイッスルが短く鳴った。練習の区切り。選手たちがコートの端に散っていく。
赤司征十郎が、タオルを首にかけながらこちらに歩いてきた。桃井に用があるのだろう。汗で前髪が少し額に張りついている。呼吸はもう整っていた。あれだけ動いた後なのに。
「桃井、第二セットのデータ出てるかな」
「うん、まとめてあるよ。はい」
クリップボードを受け渡す動きに迷いはない。自信が見て取れた。赤司がデータに目を落とし——それから、真昼たちの存在に気づいた。視線が上がって二人を順に見た。
「見学かな」
短い問い。声は穏やかだった。壇上で挨拶をしていた時より、少しだけ柔らかい。汗の匂いと体育館の埃っぽい空気。距離は二メートルほど。「えぇ、そうよ」と頷いて応える。
整った顔立ちと立ち振る舞いが同級生とはちょっと思えない。御曹司でもあるらしいがバスケは不思議と似合うな、と思った。ついでにえい、と軽く友人の背中を押す。
「私はその、あまり詳しくないのだけれど、彼女がマネージャー希望なの。あ、でも見てるだけで面白かった。星が散ってるみたいで」
赤司の目が、ほんの僅かに動いた。
「星が散ってる、と?」
繰り返すように呟いた。不思議な喩えだ、とでも言いたげな表情だったが否定はしなかった。むしろ少しだけ口元が緩んだように見えた。
「面白い見方をするね——マネージャー希望なら、桃井に案内してもらうといい。選考は来週にはなるが、練習の見学は自由だ」
それだけ言って、赤司は視線を友人に向けた。
「君も、よろしく」
「は、はいっ」と裏返った声で返事をした。赤司は小さく頷いてデータの束を片手にコートへ戻っていった。背中が遠ざかる。体育館の蛍光灯の下で、その輪郭だけが妙にくっきりしていた。
「……真昼、私今ちょっと心臓止まったかも」
「生きてるわよ」
「あの人すごいね。なんか、空気ごと持ってかれた」
胸を押さえているの見ながら真昼は体育館の天井を見上げた。蛍光灯の光が鉄骨に反射して白い粒になっている。星には見えない。けれどコートの上のあの四人の動きは——確かに、何かが散っているようだった。
桃井が戻ってきた。手元には新しい用紙がある。
「マネージャー選考の申込書、二枚いる?」
友人が勢いよく「お願いします!」と手を伸ばし、それから真昼の方を振り返った。目が期待に満ちている。勢いで紙を持たされたがいいのだろうか。しかしこのままではただの何もない帰宅部である。
(でも…あれを目の前で見れるのなら、アリ、かな?)
体育館の空気が、まだ肌に残っている。あの四人が動くたびに、コートの上で何かが弾けていた。バスケを知らない真昼にもそれが特別なものだとわかった。人間の体がああいうふうに動くものだということ自体が、不思議で、面白くって、追いたいと思った。
オカルトなんかよりよほど非現実的だった。
申込書を鞄にしまう。期限は来週の月曜日。書くか書かないかはまだ決めなくてもいい。
「真昼、一緒に出そうね! 約束!」
「んー、そうねぇ。善処します」
「それ絶対出すやつだよね!?」
校門を出ると四月の夕暮れが街を染めていた。空が橙と藍のあいだで揺れている。友人が駅までの道を弾むように歩いていく。その横を真昼は少しだけゆっくり歩く。
鞄の中で、申込書の角が指先に触れていた。
特徴的な白いブレザーに水色のシャツ。まだまだ真新しくヘタってもいない制服を揺らして真昼は登校した。出る前に鏡でチェック。髪型はいつも通りのツインテール。少しだけ前髪が崩れかけていたのでコームで梳かして追加でスプレーとおでこにパウダーを振っておいた。
「ねぇ、お願い!バスケ部入ろ!言っておくけどオカ研とかないから!」
そしてあっという間の昼休み。真昼は新しくできた友人からそれはもう必死にお願いされていた。一週間弱も立てば体験入部期間すらすっとばして既に部活動を決めて入っている生徒もいると大勢居る。尚、正式に入れる期限はあと三日しかない。それを超えると若干面倒になってくるものだ。
「えー、うーん…バスケ、私あんまりわからないのだけど…」
「マネージャーなら大丈夫だって! 私もバスケのルールとかよくわかんないし!」
この友人は入学三日目にたまたま隣になった昼食の席で意気投合した景気の良い少女だ。真昼がオカルト雑誌を読んでいたら「それ何!?」と覗き込んできた女の子だ。ちょっと怖がりのくせに好奇心だけは人一倍強い。丸い目をさらに丸くして、テーブル越しに身を大きく乗り出している。
「ちなみになんでバスケ部なの」
「男バスがすごいらしいの!なんでも今年の一年生がやばいってもう先輩が言ってて、マネージャーも募集してるんだって。二人で入れば心強いでしょ?」
彼女の論理はいつも飛躍している。オカ研がないからバスケ部、という接続がまず常人の理解を超えている。そんな営業活動は聞いたこともない。けれど彼女の熱量には不思議な引力があって、嫌いではなかった。
窓からは午後の光が差し込んでいる。四月の半ばの桜はもう散りきって、代わりに新緑の匂いが風に混ざり始めていた。生命の季節だ。
「すごい一年生って、誰かしら?」
「えっとね、名前忘れちゃったけど……なんか四人くらいいるらしくて、入部振り分け試験?でもう一軍だって!」
四人。一年生で一軍。異例、というのは流石に真昼でも理解できた。何故か入学式の朝の景色を思い出した。あの時瞳に映った光景を、今なら、それが。
「ねね、どうする? 今日の放課後、見学だけでも行ってみない?」
両手を合わせて拝むような仕草をしている友人。期限はあと三日。調査票の希望欄はまだ白いままだった。
「そこまで言うのなら、わかった。ちょっとだけよ」
一軍の新入生。この一週間で既に話題になっているのならば、それには興味が出てきた。人間の果てが見れるのかもしれない。だから少しだけ気になった。少女の顔がぱっと輝いた。
「ほんと!? やったー! じゃあ放課後体育館ね! 着替えなくていいから!」
そう言って残りの昼食を勢いよくかき込む姿は、どこか大型犬に似ていた。
***
放課後。
早速二人はバスケ部の見学へと向かった。体育館の一つはそもそもバスケ部の専用練習場として割り当てられている。帝光のバスケ部は全国屈指の強豪で専用体育館があること自体が、この学校がバスケにどれだけの投資をしているかを物語っている。
扉を開けた瞬間、音が来た。
ボールが床を叩く音。バッシュが鳴る音。指示を飛ばす声。それらが幾重にも重なって、体育館の高い天井に反響している。一年生の見学者は真昼たちの他にも数人いたが扉の近くで固まって、おずおずと中を窺っていた。そうなるもの仕方ないほどの迫力だった。
コートでは既に練習が始まっていて三軍、二軍、一軍と区画で分けられている。人数は多く百人は軽く超えているだろう。名門の層の厚さがそのまま視覚化されたような光景だった。実力主義なのが見て取れる。
「あっち、あっち」
友人が小声で指差した先は一軍のコート。見た瞬間に、違いがわかった。動きの質が別物だった。スピード、判断の速さ、体の使い方。二軍や三軍が「部活動」なら、一軍は何か別の——競技というより、研ぎ澄まされた生き物の運動に近い。主将らしき上級生の顔だが真昼は見覚えがあった。
そしてその一軍の中に、四人の一年生がいた。例の生徒たちだろう。
一人は、とにかく大きい。長身の上級生よりもさらに頭ひとつ抜けている。少年は、動きこそ緩慢に見えるのに、ゴール下では誰も寄せつけない圧があった。
もう一人は褐色の肌。野生動物のようなドライブでディフェンスを置き去りにしている。一対一の間合いに入った瞬間の加速が異常だった。
一人は眼鏡。左手にテーピングを巻いた長身の少年が弧を描くようにシュートを放つ。ボールは吸い込まれるようにリングを通過した。距離がおかしい。あんな遠くから。
そして——最後の一人。
コートの中央にいた。ボールを持っている時間はほとんどない。けれど彼がパスを出すたびに、周囲の動きが変わる。流れが生まれる。まるでコート全体が一つの生き物で、彼がその心臓であるかのように。
「……すごいね」
友人が呟いた。声が少し震えていた。怖がりの彼女が震えるのは恐怖の時だけではない。圧倒された時もだ。真昼は黙って見ていた。
バスケのルールは詳しくない。トラベリングもダブルドリブルも、正確な定義は怪しい。けれど目の前で起きていることが「普通ではない」ことだけは、素人にもわかった。
あの少年——赤司征十郎が上級生に向かって短く指示を出した。声は大きくない。けれど上級生が迷いなく頷いて動く。一年生が、二年生三年生に指示を出して、それが通ってしまっている。
「ねえ、真昼。あの子……」
「入学式の。新入生代表」
「やっぱりそうだよね。なんか、雰囲気が違くない?」
違う。それは真昼も感じていた。技術がどうとか、身体能力がどうとかではなく、あの少年がコートに立っているだけで、周囲の空気の密度が変わっている。
彼だけでなく、他の三人もそうだった。そうであるかのように生まれて、ここまで歩いてきた。人類の進化の歩のように。褐色の少年が走り抜けるさまは、きっと白亜紀なら自分はそれを見上げる原初の哺乳類でしかなかっただろう。
練習は続いていた。二年生のレギュラーと一年生を組み合わせたミニゲーム形式に移行し、バッシュの音がさらに激しくなった。
「見学の方!こちらへどうぞ」
声をかけてきたのは可愛らしい女子生徒だった。クリップボードを抱えている。入学式の日、褐色少年の背中を押していた記憶がある。柔らかい笑顔だがその目の奥には聡明さがあった。
「マネージャー希望ですか? それとも見学だけ?」
「はい!見学と希望です!」と頷く友人に合わせて一緒に小さく頷く。帝光中学のバスケ部は百人規模ということもあり、それに合わせてマネージャーもかなり数が居る上、人気なのもあって倍率も高いとかなんとか、という噂だった。
真昼は人間好きだ。不思議なものが好きだ。だから人間という生物の枠から超えそうな少年達に純粋に興味を抱いた。
少女の顔がほころんだ。
「嬉しい!あ、私、桃井さつきです。同じ一年生なんだけど、皆さん忙しいみたいで…じゃあまず簡単に説明しますね。ついてきてください」
まだ一年生全員の名前と顔は把握してないが、桃井さつきという子の事は覚えておこうと思った。
歩きながら、桃井は体育館の構造と部の仕組みを手際よく説明していった。三軍制であること。一年生の追加のマネージャー枠は既に第一タームは終了していて二次募集はこれから選考があること。業務はスコアシート、ドリンク管理、備品整備、練習メニューの記録、試合のデータ分析補助——。
「結構ねぇ、量が多くて大変なんだけどやりがいはすっごくあるから」
桃井がクリップボードをめくった。びっしりと数字が並んでいる。シュート率、パス成功率、走行距離。一年生のものだった。入部一週間でこれだけのデータが揃っている。もしかしてこの少女もただならぬモノを持っているに違いない。
「すごい量ね」
真昼が思わず口にすると、桃井が少し照れたように笑った。
「好きなんです、データとか。数字って嘘つかないし」
相方は既にコート方面に目を奪われていて、半分上の空だった。大きな少年がダンクを叩き込んだ瞬間、「ひぇっ」と小さく悲鳴を上げている。
「あの四人の一年生、すごいのね。もうウワサだもの」
真昼が言うと桃井の目が一瞬だけ変わった。誇らしさと、それからもう一つ、なにか名前のつかない感情。幼いころから知っている者だけが浮かべる複雑な色。
「うん。すごいの、本当に。青峰くん——あのガングロの子とは幼馴染みで」
桃井が指差した先で、褐色の肌の少年…もとい青峰が軽々とレイアップを決めていた。着地の仕方が猫というか豹みたいだった。
「それから、あっちの背の高い子が紫原くん。シュートの上手い眼鏡の子が緑間くん。で——」
ホイッスルが短く鳴った。練習の区切り。選手たちがコートの端に散っていく。
赤司征十郎が、タオルを首にかけながらこちらに歩いてきた。桃井に用があるのだろう。汗で前髪が少し額に張りついている。呼吸はもう整っていた。あれだけ動いた後なのに。
「桃井、第二セットのデータ出てるかな」
「うん、まとめてあるよ。はい」
クリップボードを受け渡す動きに迷いはない。自信が見て取れた。赤司がデータに目を落とし——それから、真昼たちの存在に気づいた。視線が上がって二人を順に見た。
「見学かな」
短い問い。声は穏やかだった。壇上で挨拶をしていた時より、少しだけ柔らかい。汗の匂いと体育館の埃っぽい空気。距離は二メートルほど。「えぇ、そうよ」と頷いて応える。
整った顔立ちと立ち振る舞いが同級生とはちょっと思えない。御曹司でもあるらしいがバスケは不思議と似合うな、と思った。ついでにえい、と軽く友人の背中を押す。
「私はその、あまり詳しくないのだけれど、彼女がマネージャー希望なの。あ、でも見てるだけで面白かった。星が散ってるみたいで」
赤司の目が、ほんの僅かに動いた。
「星が散ってる、と?」
繰り返すように呟いた。不思議な喩えだ、とでも言いたげな表情だったが否定はしなかった。むしろ少しだけ口元が緩んだように見えた。
「面白い見方をするね——マネージャー希望なら、桃井に案内してもらうといい。選考は来週にはなるが、練習の見学は自由だ」
それだけ言って、赤司は視線を友人に向けた。
「君も、よろしく」
「は、はいっ」と裏返った声で返事をした。赤司は小さく頷いてデータの束を片手にコートへ戻っていった。背中が遠ざかる。体育館の蛍光灯の下で、その輪郭だけが妙にくっきりしていた。
「……真昼、私今ちょっと心臓止まったかも」
「生きてるわよ」
「あの人すごいね。なんか、空気ごと持ってかれた」
胸を押さえているの見ながら真昼は体育館の天井を見上げた。蛍光灯の光が鉄骨に反射して白い粒になっている。星には見えない。けれどコートの上のあの四人の動きは——確かに、何かが散っているようだった。
桃井が戻ってきた。手元には新しい用紙がある。
「マネージャー選考の申込書、二枚いる?」
友人が勢いよく「お願いします!」と手を伸ばし、それから真昼の方を振り返った。目が期待に満ちている。勢いで紙を持たされたがいいのだろうか。しかしこのままではただの何もない帰宅部である。
(でも…あれを目の前で見れるのなら、アリ、かな?)
体育館の空気が、まだ肌に残っている。あの四人が動くたびに、コートの上で何かが弾けていた。バスケを知らない真昼にもそれが特別なものだとわかった。人間の体がああいうふうに動くものだということ自体が、不思議で、面白くって、追いたいと思った。
オカルトなんかよりよほど非現実的だった。
申込書を鞄にしまう。期限は来週の月曜日。書くか書かないかはまだ決めなくてもいい。
「真昼、一緒に出そうね! 約束!」
「んー、そうねぇ。善処します」
「それ絶対出すやつだよね!?」
校門を出ると四月の夕暮れが街を染めていた。空が橙と藍のあいだで揺れている。友人が駅までの道を弾むように歩いていく。その横を真昼は少しだけゆっくり歩く。
鞄の中で、申込書の角が指先に触れていた。