特別なごはんの日
そっと足音を殺して階段を下りる。
しんと静まりかえったダイニングを通り過ぎて、冷たい空気の流れるキッチンに入り明かりをつけた。
非常食をしまう戸棚からそれを取り出した所で、背後から視線を感じ振り返る。ダイニングの入り口に、人の姿があった。
「……見~た~な~……!?」
「…………いや、水飲みに来ただけなんだけど……ユウクンこそ何してるの?」
「いやね、お腹空いちゃって。ラーメンでも食べようかなって」
ダイニングの電気をつけながら、エペルが入ってくる。普段のフリルのブラウスからは想像し難い、とはいえ彼的には自然体のラフなTシャツ姿が新鮮だった。
この連休は付き合いのある一年生を集めて宿題合宿をしている。いろいろな都合でちょっと夜ご飯の時間が早かったので、うっかり夜中にお腹が空いてしまったのだ。
「いつもなら僕も水飲んで我慢するんだけど、今日はね~……」
「今日は?」
「シェフゴーストに教わった味玉と鶏チャーシュー、寝る前に味見したらいい感じだったから、もっと食べたくなっちゃって……!!」
「夜食なのにガッツリすぎない!?」
律儀なツッコミに笑いつつ、水の入ったコップを差し出す。
「まぁ、せっかくの連休だし。たまにはね」
エペルはそれを受け取りながら、じっと僕を見つめた。砂糖菓子のような少年が、潤んだ目のまま小首を傾げる。
「……ねえ、ユウクン」
「な、なに?」
「僕たち、共犯者にならない?」
「……共犯者」
「みんなには内緒にするから、僕にも食べさせて?」
「そう来たか~」
エペルも同じくらいの年頃の男子なのだから、ラーメンだって食べるわな、そりゃ。
でもそれを歓迎するには一つ、越えないといけないハードルがある。
「シェーンハイト先輩に怒られるよ」
「ラーメン一杯ぐらいでそんなすぐバレっか!」
どうだろう。見破られる気がする。
「っていうか、そういう話をするならユウクンだってヴィルサンのお気に入りなんだから、お互い様でしょ!」
「僕は直接管理されてる立場じゃないし」
「そんな事言っちゃうんだ……ふぅーん……じゃあ、告げ口しちゃっても良いよね?」
かわいらしい顔立ちに似合わない、悪い笑顔を浮かべる。
「そ、れは……」
「絶対、ヴィルサン怒ると思うな~?別の寮だろうと構わずに、めちゃくちゃ栄養管理しにくると思うよ~?」
「う、ううう、ただでさえ先輩忙しいのに、そんな負荷は……!」
「心配するトコそこなんだ」
「……まぁ、ここまで来たらしょうがないか」
「やったー!」
エペルは嬉しそうに飛び跳ねる。可愛い。
「その代わり半分こね。味玉は一個つけるから」
「うんうん、全然大丈夫」
「ラーメンの味はこれでいい?一応、他にもあるけど」
「うん、今日はそんな気分かも」
購買部に売ってるインスタントラーメンにもいくつか種類がある。名前は違うんだけど、いわゆる醤油、味噌、塩に近い味の定番の他、辛い味とかグリーンカレーとかよく分からない変わり種とか、色々。オンボロ寮には定番三種類の袋麺と、非常時用のカップ麺を常備している。二人暮らしには多いけど、腐らないから備えるに越した事は無いかなって。
今日は醤油味の気分で揃っていたので都合がいい。
「せっかく人と食べるし具も豪華にしちゃおうか」
「いいの?」
「と言っても冷凍してるネギと青菜だよ。野菜食べた方が罪悪感減るでしょ」
「それもそうだね」
青菜は一緒に煮ると汚くなるので電子レンジで加熱しとこう。長ネギは薄切りにして冷凍してあるので、出来てから添えれば良い。
自分ひとりで食べるなら鍋から直でも良かったけど、お客様がいるならさすがにそうはいかないな。器も用意。
出来上がったラーメンを半分ずつ器に入れて、鶏チャーシューと煮卵、青菜にネギ。麺のボリュームが無い分トッピングが際だっていて、豪華な夜食っぽく見える。
「へへ、インスタントラーメンなんてポムフィオーレじゃ絶対食べらんないんだもん。起きてきて良かった!」
エペルは満面の笑顔で食べ始める。煮卵にかじりついて目を輝かせた。
「これは……味見で済まないね……!」
「煮卵ってなんか……ハマるといつまでも食べちゃわない?」
「あ~わかる!一回つけちゃうとさ、無いと物足りなくなっちゃうんだよね!」
「作るのそれなりに面倒なんだけどなぁ……そして消費のためにラーメンが食べたくなる無限ループ」
「業が深いね……煮卵……。……鶏チャーシューも美味しいね!」
「シェフゴースト様々だよ。これは自分で作るって発想無かったし」
「鶏の胸肉なら、ヘルシーだしヴィルサンも文句言わないよね……工夫すれば、ラーメンも堂々と食べていいのでは……!」
「どうだろ。結局、塩分と糖質でお説教入る気がする」
「スープは残す派?」
「米入れる派」
「だよね~!」
「今日は夜食だからそこまでガッツリいく気はないけども」
「僕こなかったらどうしてた?」
「残すのもアレだし……捨てるしかなかったかな」
「なるほど、僕が来たからラーメンスープは救われたんだな……」
「半分だと飲む罪悪感も半分だもんね」
などと他愛のない話をしながら、ふと顔を上げる。
ダイニングの入り口に、こちらを向いて人の頭が並んでいた。綺麗に頭だけ出してやがる。吹き出しそうになるのをギリギリで堪えた。僕の反応を見て、エペルも入り口を振り返り、こちらは僅かに吹き出す。
「な、なにしてんのみんな!?」
「やいやい、ふたりだけでずりーんだゾ!オレ様もラーメン食べたい!」
「結局みんな起きちゃってるや」
「やっぱ晩飯早すぎたんだよ。オレも小腹減ったからなんか食わして」
「ぼ、僕は水を一杯貰おうと思っただけなんだけど……」
「俺もだ」
「全く、健康管理のなってない連中だな……」
『夜中に食べるのは体に悪いし、ふたりで半分ずつでも今日の摂取カロリーオーバーしちゃうよ。いけないんだ~』
みんながぞろぞろ入ってくる。あっという間にダイニングがいっぱいだ。
「いやー、どうしてもお腹空いちゃってねー」
「シェフゴースト直伝の煮卵と鶏チャーシューおいしかった!」
「ふな!あの冷蔵庫に入れてた卵と肉、オレ様には絶対に触るなって言ってたのに!」
「あの時はまだ味が染みてなかったから」
「ずるいずるい!オレ様も食べる!腹減った!」
「はいはい。もう、しょうがないなぁ」
残りをかきこんで席を立つ。
「食べる奴、挙手!」
勢いよくグリムとエースが手を挙げる。その隣で、申し訳無さそうに小さくデュースが手を挙げていた。ジャックが呆れた視線をデュースに向けている。
「……お前……」
「深夜のラーメンの誘惑には……あらがえない……!」
「デュースも同じ味でいい?まとめて作っちゃうから」
「あ、うん。二人に任せる」
「監督生。オレ一人前いらない」
「じゃあ二食分で作って三人で分けてもらおうかな」
「オレ様の分は多めだゾ」
「はいはいわかってます。ジャックごめん、水自分で取ってくれる?」
「ああ」
夜中である事も忘れて騒がしい僕らを見て、セベクは鼻で笑う。
「僕は心身を鍛えるために、カロリーは一日の摂取量を厳守している。身体を鍛えようという身で、こんな夜中に体に悪いものを食べる奴の気が知れな」
セベクの発言を遮るように、轟音が室内に響いた。いきなり空気が緊迫する。
「何だいまの雷みてえな音は!?」
「うるっっさ!?」
「一体なんの音!?」
「どっか崩れたのか!?もう建物はボロじゃねーのに!」
「外でなんかあったとか?」
「いや、近くから響いたと思ったんだが……」
僕らの反応を見て、オルトがくすくす笑い出す。
『今のはセベク・ジグボルトさんの胃の収縮音……いわゆる腹の虫、だよ!』
「お、オルト!」
『ちなみに念のためスキャンしたけど、オンボロ寮の周囲の状況に変化は無いから安心してね!』
顔を真っ赤にしているセベクに、オルトが追い打ちをかける。
エースは呆れた顔で僕を見た。
「監督生、一人前追加」
「はいよー」
「なっ、ぼ、僕は別に……!」
「お前の腹の虫おさめねーと、あの音が寝てる間に不定期で鳴ったら、壁越しだってたまったもんじゃねーよ」
「う、うう……!」
「……俺も半分貰う」
「ジャックまで!?」
「そうすりゃ少しは気が楽になるだろ。オーバーした分は明日の消費カロリーで調整すりゃいい話だ」
『ふたりの体格と筋肉量なら、他のみんなと比べて影響は軽微、だもんね!』
「そういう事だな」
「高身長マッチョ煽りつらい」
「ジャッククンの器だけネギいっぱいいれよ」
「洒落にならねえ嫌がらせやめろ」
やいのやいの言ってる間にラーメンは出来上がり、一人頭の分量でもわいわいと騒ぎ、五人揃って食べ始めてやっと少し静かになる。
『ふふ、みんなでいると静かな時間が全然無いね』
「賑やかだよねぇ」
「でも、こういうの楽しいよね」
『うん!』
「にゃはー!卵も肉もラーメンもうめえ!」
「人に作ってもらったメシってうめえよなー。夜食っていうのもあるかもだけど」
「そ……そういうものか?」
「リリア先輩の料理は例外で良いからな」
「そうだな、同じ『料理』でもそこは違うな」
「何事にも例外はあるって事だ」
……何も悪くないのに、セベクは気にしてるんだろうな……。尊敬している人が料理音痴というのも大変だ。
「はーうまかった!」
「ごちそうさま、ユウ」
「洗い物は各自でよろしく」
へーい、とおざなりな返事。ぞろぞろシンクにやってきて、じゃれ合うように片づけを済ませていく。
「そうだ、煮卵とチャーシューはシェフゴーストのレシピ、って言ってたか?」
「うん。食堂の厨房で訊いたら教えてくれると思うよ」
「ジャックも作るのか?」
「卵も鶏肉もタンパク質の摂取には適してるからな。自分で作れればメニュー選びの選択肢が増える」
「さすが真面目だなぁ」
「おいしかったから気に入ったって言えばいいのに。素直じゃねえなー」
「お前に言われる筋合いねえよ」
次はぞろぞろ連れだって洗面所に移動して、揃って歯磨きする。
ハーツラビュルは歯磨き指導してくるある意味怖い先輩がいるし、ジャックは真面目少年だし、エペルはハント先輩辺りから指導ありそうだし、セベクはお父さんが歯医者さんらしいし。それぞれ理由は違うけど、夜食食べてそのまま寝ちゃう、みたいな事が出来ない真面目さを全員持ってるのがホント面白い。
「じゃあおやすみー」
「また明日なー」
それぞれ泊まる部屋に入ろうとした所で、ふと思い立ってオルトに呼びかける。
『どうかした?』
「さっきの夜食、写真撮ってた?」
『バレちゃった。みんなが凄く楽しそうだったから、つい撮影しちゃったんだ』
オルトは舌でも出すような気軽さでそう答えた。
『システム上クラウドに保存されるけど、セキュリティの厳しいプライベートフォルダに入れておくから大丈夫だよ。SNSにもアップしないから』
「そうしてくれると助かるよ」
『ヴィル・シェーンハイトさんに見つかったら怒られちゃうもんね?』
「……うん」
『今日の夜食は、ここにいるみんなだけの秘密、だね!』
顔を見合わせ笑う。おやすみを言い合って、今度こそ部屋に入っていく。
お腹が暖かい。楽しい時間の与えてくれたものをひしひしと感じている。
いつかここから帰るとしても、行き来が叶えばいいなぁ。
そうしたらまた同じメンバーを集めて、異世界インスタントラーメン食べ比べ大会、とかやりたい。
彼らと楽しい時間が過ごせるなら、どんな事でも歓迎できそう。
そんな幸せな気持ちで眠りについた。
そして連休明け、シェーンハイト先輩に夜食の事がバレて、エペルと並んで正座で一時間ほどお説教されたのだった。